反面教師の両親だった
ダメな両親を持つと、子供は成長すると言われますが、捻くれてしまう…そんな話です。
まだ幼かったから、家の中がどうなってるかなんて、何も考える力もなかった
父は漁師で機関士の免許もあったんだけど、何せ喧嘩っぱやい人だったから、折角就職してもすぐダメにする
母は専業主婦だった
若い頃は料亭に働いてたらしいけど、本当のところは知らない
いろんな料理を作ってもらった記憶もないしね
お互いバツイチで再婚したけど、今の私は「よく結婚したね」と思うばかりだよ
一番上の姉は、母のお腹にいた時に再婚だったから、父には冷たくされたみたいだ
「本当の子じゃない」とか、言われてたんだと聞いた事がある
父は下戸のくせに、短気だったから、もう手をつけられないくらい暴れる人だった
特に母には酷かった
夫婦として話がしたかったんだろうけど、ちょっとでも母が愚痴でも言おうものなら、近くにある物で母を殴る蹴るが始まる
私が覚えてるのは、家の2階にいた時、1階で暴れ出した父が、剪定ハサミの柄の部分で母を殴りつけてたのを覚えてる
慌てて兄が父から取り上げくれたけど、母の背中には真っ赤に柄の跡がくっきり付いてた
喧嘩しては仕事をやめ、家にいる父の姿が多くなった
いつもイラついてる表情をして、何が面白くないのかわからないけど、すぐ舌打ちする
そんな父がいて、家の中は冷え切ってた
家を立て直すことになり、見栄を張りすぎて莫大な借金を残し、どこかに逃げていった父
私たちに残ったのは、借金取りの電話の嵐と脅し
家の玄関に来ては怒鳴り散らす
あの頃はまだヤクザもいたから
借用書には、父が勝手に母を連帯責任者にし、一国の主になった気だったのだろう
死んでしまえ
本気で思ったよ
家には痴呆症になった祖母もいたから、また厄介だった
父親の母だったが、私の母は蔑ろにすることはなかった
ちゃんとご飯をたべさせてたけど、食べてない、金が無くなったなど自分の娘が帰ってきては、小言…痴呆症の人の話を信じる叔母たち
祖母は娘にひきとられたけど、本当に痴呆症だとわかってたらい回し
施設で亡くなったと後で聞いた
しばらくして私たちは、夜逃げ同然で隣の街に
少しは落ち着いたけど、ど貧乏には変わりない
高校は奨学金を借り、バイトもしてた
唯一、家のことを考えなくてよかったのは、部活をしてたこと
ホント、あの時関わってくれた人たちには、今も感謝しかない
看護師になろうと思ったけど、お金がなかったから、働きながら通える学校を選んだ
勉強はまじめにやったけど、精神的にダメ人間を形成してた生い立ちだからか、進学の話があったけど、この気持ちのままでは通えないと、先生に伝えて断った
今は、もう父も母もこの世にはいない
父は、癌だった
病院で大暴れして、次の日、呆気なく死んだようだ
火葬できないからと、役所から連絡が来て、私が親族となって許可した
でも、遺骨は引き取らなかった
役所の人も、強く言わなかった
25年ほど、放ったらかしにされた家族に引き取れなんて、酷だよね
死んだ後に、ようやく父の居場所かわかった
わかっても、何もできない
死んでからも借金取りからの連絡が1件あった
死んだことを伝えると、もう何の連絡もなかったけど
もう父のことで悩まなくていいんだ
でも、まだホッとできない自分がいた
母は、今でいうネグレクトだった
何もかも、いやになってたんだろうね
母を亡くして2年
もう少しあなたとは話したかったよ
晩年は子供みたいになってしまったね
でも、あなたの笑顔、可愛かったよ
脳梗塞にならなければ、まだ、元気だったかもね
いきなり母のところに行って、写真を撮りたいって急に思った
一緒に撮った写真、とてもいい顔して、今も笑ってるよ
世の中、いい夫婦の日なんていってるけど
いい夫婦ばかりじゃないんたな、これが
私は両親を反面教師にして、生きていこう
そして、このひん曲がった感情を、どうにかしなくちゃね
大人になると、もっといろいろな考えができるようになります。本当は、両親ももっと幸せな人生を歩きたかったんじゃないか…今はそう思えます。
自分で選んできた人に責任を持って生きたいですね。