202号室
授業の終わりを告げる、放課後のチャイムが鳴った。
「うん!じゃぁ行ってみようか!」
「え?どこに?」
私の前の席に座っているなつきが、後ろを振り向いて私に話しかけてきた。
カバンに教科書とノートを詰めていた私は突然の誘いに少し戸惑った。
「あのハイツに行こうって、今言ったじゃない。
私も、もう一回行きたいと思ってたんだ~。
他のうわさとか、あの辺の土地の歴史とかも調べてみたのよ!」
『何も言ってないんだけどな・・・』
もう行く気満々の彼女の楽しそうな顔を見ていると、まぁいいかと思えてしまった。
「今日は、塾があるから行けないんだ。ゴメン。」
彼女は一瞬不満そうな顔をしたが、“じゃ、一人で行ってみようかな~”と言って、さほど気にしていない様子だった。
「ほんとにオカルト好きね~。あまり帰るのが遅くなっちゃだめだよ!」
「お守りも買ってあるし大丈夫!」
どこまで本気かわからないが、彼女の楽しそうな笑顔につられて、私も笑ってしまった。
しかし・・・・
翌日、翌々日と彼女は学校に来なかった。
学校には、風邪で休むと連絡があったらしい。
昨日の夜にメールを送ったら“大丈夫、ちょっと調子が悪いだけだよ”と、返事が来たので、今日は来ると思っていたが、今日も彼女の席は空のままだった。
先生から彼女の分のプリントなどを預かって、帰りに寄ってみることにした。
「こんにちは~。なつきさんのクラスメートのものです。」
インターホンに出た、母親にそう挨拶すると、玄関のドアが開いた。
「わざわざありがとうございます。」
「いえ、さほど遠回りではないので。なつきさんは大丈夫でしょうか?」
「熱とかは無いんだけど、調子が悪いらしくて・・・」
私の声が聞こえたのか、突然家の奥からなつきが出てきた。
「おねがい!ちょっと話を聞いてほしいの!!
私の部屋に来てくれる?! はやく!!」
“そんな急に・・・大丈夫なの?”と、心配する母親を無視して、私の手を強引に引っ張ってきた。
私はあわてて靴を脱ぎ捨て、彼女の家に上がった。
「お、おじゃまします・・・」
まだ外は明るいが、彼女の部屋は、カーテンが閉められて、薄暗かった。
机の上や、ベッドの上に、たくさんのお守りが置いてあり、異様な感じがした。
「大丈夫なの?なつき・・・」
「・・・聞こえるの・・・」
「え?なにが?」
「耳元で、囁き声が・・・・」
「え?」
「あのハイツに行こう、おいでって!!どうしよう?!お守りも効かないみたいで!
今までこんなこと無かったのに!!
どうしよう!? お願い!助けて!!」
「お、落ち着いてなつき!」
明らかに動揺している彼女を落ち着かせ、改めて話を聞いてみる。
おとといの学校帰りに、あのハイツにまた行ったらしい。
おばあさんも留守にしていたらしく、帰ろうと思ったら耳元で囁く声が聞こえた。
『・・・おいで、こっちにおいで・・・』
男性なのか、女性なのかわからない声。
振り返ると202号室のドアが少し空いていたそうだ。
怖くなり、すぐに家に逃げ帰ってきたが、その後も“ハイツに行こう”“そっちは帰り道じゃない”“そこは君の家じゃない”“早くおいで”という声がずっと聞こえるという。
「今も聞こえるの?」
「今は聞こえない。でも、部屋から出て、一人になると聞こえてくるの・・・
どうしよう・・・まさか、本当だったなんて・・・」
「お母さんには、話したの?」
首を激しく振る彼女。
「一人でいるより、家族とか人の多いところにいたほうが・・・・体調が悪くないなら学校にいたほうがいいんじゃない?
部屋で一人でいるより、みんなと一緒に居る方が、安心かもしれないし。」
「そう、かな・・・」
「お母さんに話してみたほうがいいよ。
神社とかお寺にいってお祓いしてもらう方がいいと思う。それから学校に来てもいいし、学校の帰りでもいいと思う。とにかく早い方がいいよ。」
「明日、お母さんも仕事で、私一人でどうしようか悩んでいたの・・・学校の帰りなら、迎えに来てくれるかもしれない・・・・。」
「お祓いも早くしてもらった方がいいよ!きっと。」
妖怪に、お祓いが効くかどうかはわからないが、しないよりはましだろう。
「お母さんに話してみる・・・・」
彼女も落ち着きを取り戻し、“じゃ、明日学校で!”と、彼女の家を後にした。
その日の夜、なつきからメールが来た。
“今日は来てくれてありがとう! お母さんに相談して、明日学校の帰りにお祓いに行くことになったよ! 明日の朝は、お母さんと学校に行くね!”
翌日、なつきはお母さんと一緒に学校に来た。
お母さんは夕方迎えに来ると先生に伝えた後、仕事に向かった。
「おはよう・・・」
「なつき~! 大丈夫? まだ顔色悪いよ~。」
元気なイメージしかなかったなつきの、頬がやつれ暗い姿に何人かのクラスメートが心配して声をかけて来た。
「うん、もう大丈夫。心配かけてごめんね・・・」
私の前の席に座る時、声には出さないで、私にだけわかるように口を動かす
“きのうはありがとう”
私は笑顔で返した。
・・・しかし、彼女を学校に来るように言ったのは間違いだったのかもしれない・・・・
その日の授業が終わり、母親が迎えに来るまで学校で待っていることになっているなつきに付き合って、私も放課後の教室に残っていた。
「風邪ひいて、ダイエットになったんじゃない?うらやまし~!」
一緒に残って話をしている友人が声をかけたその時・・・
「・・・嫌よ!行かない!!!」
突然なつきが大きな声を出した。
「ど、どうしたの?なつき??」
「やめて! 行かないったら!!
もうやめて!!!」
両手で耳をふさいで、狂ったように首を振り、何かを拒絶している。
「なつき!大丈夫?!落ち着いて!」
「来ないで!!!」
そう言うと、なつきは突然教室を飛び出してしまった。
「なつき!!」
あっけにとらわれているクラスメートを置いて、私はなつきの後を追いかけた。
「やめて!来ないで!!」
そう叫びながら、物凄い速さで走っていく。
駅前の踏切の所で、遮断機が降りていたが、なつきは線路の中に飛び込んでしまった。
「なつき!!」
電車は来なかったが、なつきが向こう側の遮断機を越えた直後に電車が目の前を通過していった。
電車が通った後、なつきの姿は見えなくなっていた。
私はすぐに学校に引き返し、迎えに来たなつきのお母さんと裏野ハイツに向かい、遅くまで心当たりの場所を一緒に探し、警察にも連絡したが、なつきの姿を見つける事は出来なかった。。。
“こっちだよ、そっちじゃないよ・・・”
「やめて!来ないで!」
“おいで・・・おいで・・・”
「行かない!もうほっといて!!」
“好きって言ってたじゃない・・・”
「あんたなんか大嫌いよ!!来ないで!!」
“そう、僕たちをだましたんだね・・・・・”
電車に飛び乗った。
周りの人が驚いてこちらを見たが、乗客たちは耳を押さえて震える私に関わり合いにならないよう背を向ける。
“ここだよ、ここで降りるんだよ・・・”
「降りない!!家に返るの!!」
なつきの声に驚いた何人かが振り向くが、振り向いただけで、誰も声をかけてこなかった。
いつもの駅に着き、定期も何もない為改札が閉じたが、無視して走り抜ける。
家へひたすら走った。声はまだついてくる・・・・
やっと家が見えて来た。
でも、家の前に誰かいる・・・・
浴衣を着て、毬のようなもので遊んでいる子供・・・・
“座敷童・・・・!?”
出来るだけ視界に入らない様、子供と視線が合わない様にして、玄関のドアに向かう。
ドアノブを回すが、鍵がかかって開かない。
「何で開かないのよ!!」
隣の家のおばあさんが庭を掃除していた。
「おばあちゃん!助けて!!!」
ゆっくりとおばあちゃんが振り向く・・・
その顔は、何百年も前のミイラのように干からび、いびつな笑顔の形で固まっていた・・・
「いやー!!!」
玄関のドアを狂ったように叩く。
肩に“ポタポタッ”と何かが落ちて来た。
「キャー!!!」
チロチロと舌を出すヘビ、暗い緑色のカエル、感情の無い瞳がじっと見つめてくる。
とっさに振り落とし、家のドアノブを回すと、ドアが開いた!
玄関に入り、鍵をかけ、階段を駆け上がり自分の部屋に逃げ込んだ。
膝に力が入らず、ヘタっとドアを背にうずくまってしまう。
「もういや、来ないで・・・・誰か助けて・・・・」
“・・・おかえり・・・”
耳元から、声が聞こえた。
自分の部屋を見渡す。
見慣れた自分の部屋がぼやけ、見た事のない部屋に変わっていく・・・・
ふらふらと立ち上がり、閉ざされているカーテンに手を伸ばし、隙間から外を見る。
そこは見慣れた自分の家の庭ではなく、あのハイツの202号室から見える風景だった・・・
「おばあさん、この前一緒に来た女の子、あの後こちらに来ていませんか?」
あの日から、もう3日たつ。
なつきは、あの日から行方不明になってしまっていた。
警察も見つけられず、昨日行方不明事件としてニュースで流れたところだった。
私は、怖い気持ちを何とか抑え、ひょっとしたらと思い、あのハイツのおばあさんの部屋を訪ねていた。
「あぁ、あの子かい、知らないねぇ、昔どこかで見たことがあると思って覚えていたから見かけていたら忘れないよ。何かあったのかい?」
私は、3日前から行方不明になっている事だけを伝えた。
「そうかい、心配だね~。あ、そうそう、あの子に似ている子が映っている写真があったんだよ。
ちょっと待っててごらん。」
そう言うと、おばあさんは部屋の中に入って、1枚の古ぼけた写真を持ってきた。
「ほらこの写真、どこかの遊園地のお化け屋敷で撮った写真なんだけどね・・・・」
おばあさんの写真には、何処かの遊園地のお化け屋敷の前で、記念撮影をしている人の後ろに、妖怪追いかけられている女の子が写っている写真を持ってきた。
「なつき?!」
小さくて良くは見えないが、なつきに似ているように見える。
おばあさんが、私の顏を覗き込むようにして、白目のない瞳でのぞき込む。
「・・・ねぇ・・・・似てるだろ~?」
しわくちゃの笑顔で、ゆっくりとした口調で同意を求めてくるおばあさんに、背筋に冷たいものを感じた・・・。
おばあさんにお礼を言って、私はあのハイツを後にした。
もう二度とここに来ることは無いだろう。
なつきは、きっとあのおばあさんに・・・あのハイツに気に入られてしまったのだと思った。
“やっぱり私は、妖怪の類は嫌いだ。”
そう心に強く思った時・・・・
“僕たちも、おまえキライ・・・”
振り返ると、そこには誰もいない。
男とも女とも子供とも分からない、何人かが同時に発した微かな囁き声だった・・・




