201号室
「ここよここ! “妖怪ハイツ”って言われているとこ。」
私たちが通う女子高からの帰り、いつもは降りることの無い通学途中の駅で降りて、最近クラスでうわさになっている“妖怪ハイツ”を見に来ていた。
ネットでもいろいろな噂話が投稿されている・・・・
私は幽霊や、妖怪の類は怖いけれど特に興味がなく、どちらかと言えば嫌いな方だ。
一緒に来たオカルト好きの“なつき”(仮名)に半ば強引に誘われてくることになった。
「意外とふつうね。
築30年だけど、そんなに古くは見えないわね。
間取りは1LDKだから、一人暮らしが多いのかしらね?
あ~、あの右上の部屋が空き家の203号室ね!」
オカルトや、心霊スポットが大好きな彼女は、事前にいろいろ調べてきていたようだ。
1部屋空き室があり、間取りや築年数は簡単に調べることができたと言っていた。
「ここのうわさの面白いところが、“幽霊”じゃなくて、“妖怪”ってところなのよね~。今どきこんな街中で“妖怪”よ、“妖怪”?!絶対調べなきゃ!!」
彼女に、さんざん聞かされた噂話はだいたいこんな感じだ。
1.このハイツの前を通りかかると、肩ごしに陽気な笑い声が聞こえてきたかと思うと、耳元で“よってけ~”という囁き声が聞こえる。
2.夜中の2時ごろに、ハイツの前で遊ぶ、浴衣姿の座敷童を見た。
3.おばあさんが住んでいるのだが、実は200歳を超える老婆で、妖怪が人間の姿で暮らしている。
4.ハイツの1階にピザを届けに来たら、”おいてけ~”という声と共に、空からヘビやカエルが降ってきた。
5.肝試しで遊びに来た大学生が、2階への階段を登ろうとしたら、黒猫がうずくまっていて、顔を上げたら人間の顔をしていた。
6.2階の真ん中の部屋は、妖怪の世界に繋がっていて、部屋に入った女子高生が、そのまま帰って来なかった。
などなど、あまり怖くないまゆつば物の話ばかりだったので、逆に少し興味が出てきて、ついてきてしまったのだった。
「噂の陰には、なにかの真実が隠されているものなのよ!
それを調べるのが本物のオカルトオタクよ!」
「自分でオタクって言うんだ・・・・」
「もっと近くに、行ってみようよ!」
なつきに手を引かれるままついていくと、2階の一室のドアがゆっくりと開いた。
「・・・・・!」
妖怪が出て来たとは思わないが、さすがの彼女も、私も一瞬固まってしまう。
しかし、ゆっくりと開いたドアから出てきたのは、妖怪でもなんでもなく、明るい感じの元気なおばあさんだった。
どこかに買い物にでも行くらしく”とんとん”と見た目の年齢の割には軽い足取りで階段を下りてきた。
自分を見つめる2人の不審な女子高生に気づいたらしく、声をかけてきた。
「なんだいあんたたち。このハイツの誰かに用事かい?」
気さくに話しかけられ、なおさら拍子抜けしてしまう。
「どう見ても200歳には見えないわよね・・・」
「・・・さすがにね。」
雰囲気からしても、200歳にも、妖怪のような妖気も全く感じないおばあさんだった。
「あ、ひょっとしてあれかい?」
人当たりのいい笑顔で、私たちに近づいてくる。
「妖怪目当てかい?・・・・あ~、いい、いい。
結構よく外で写真撮ってる奴や、取材だとか言って家に来る奴もいるんだよ。
あんたらみたいに、日中見に来る分には別にかまわないんだけどね。
夜中に、コソコソ来られると、泥棒かもしれないってこっちの方が怖くて困ったもんだよ。」
「あ、あの~ごめんなさい。ご迷惑おかけして・・・」
おばあさんの言ううとおり、興味本位で見に来ている自分たちのような人は遊びで済むが、住んでいる人からすればとても迷惑なことだろう。
「いや~いいんだよ!ここにはもの静かな人しか住んでいないし、私みたいなおしゃべりにとっては、あんた達みたいな若い子と話すきっかけができて、逆にありがたいってもんだ。
夜中来るってのも、考えようによっちゃ、防犯にもなってるかもしれないしね。」
明るいおばあさんにつられ、思わず笑い声が上がる。
「おばあちゃん、聞いてもいいですか?
妖怪が出るって聞いてきたんですけど、おばあちゃんも見たことあるんですか?」
「ちょっとなつき!」
「いいじゃない。おばあちゃんが迷惑でなければ。
わたし幽霊とか、妖怪とか、大好きなんです~!神秘的っていうか・・・・」
すっかり調子に乗って、おばあさんと仲良しになってしまっている。
「私はここに住んで20年くらいになるけど、残念ながら妖怪はみたことないね~。」
「幽霊とかは?」
「幽霊ね~・・・・・それも見たことないけど、もうじき私が幽霊になりそうだしね~。あっははは。」
「やだ~、おばあちゃんまだまだ元気じゃないですか~。
ひょっとして、200歳くらいだったりして・・・。」
「ちょ、ちょっと・・・」
「そうさね~、そのくらいかもね~・・・・・60過ぎたあたりから、自分の年なんて数えるのが面倒になったからね~。」
“あはは”と、すっかり意気投合してしまっているようだ。
ここには、妖怪どころか、幽霊もいやしないだろう。
なつきが、このハイツにまつわる噂話を一通り説明した。
「1階には、3歳の子供がいる夫婦が住んでるよ。さすがに夜中の2時には出歩かないだろうけど、二人とも帰りが遅い日もあるし、夜に小さい子を見かけたって話が広がったのかねぇ。
座敷童みたいにかわいい子だよ~。
カエルは時々見るし、ヘビにしても昔は、この辺は山だったからね~。ちょっと前まではたま~にだけど見かけたよ。」
おばあさんのちょっと前は、数十年単位だろうな~と苦笑いしてしまった。
「な~んだ、つまんないな~・・・・
そうだ!おばあちゃん、2階の真ん中の202号室は?おばあちゃんの隣の部屋でしょ?」
おばあさんの様子が少し変わったのを感じた。
「お隣さんね~・・・・。
いるんだかいないんだか、よくわからない人でね・・・
私もよくわからないんだよ・・・」
お隣さんと、トラブルでも抱えているのだろうか?
とにかく、あまり深入りしない方がいい話題のようだ。
「なつき、もういいでしょ!
おばあさん買い物に行く途中だし!」
「あはは、いいさいいさ。またおいで。今度はお茶でもごちそうするよ。」
おばあさんの口調が明るく変わる。
気の使い過ぎだったかもしれないが、突然“妖怪ハイツ”を訪れた初対面の女子高生がいつまでもおばあさんの足を止めておくわけにはいかない。
なつきも、さすがにずうずうし過ぎたと思ったようだ。
「ありがとうございます!私ももう少し調べてからまた来ますね!」
“はいはい、またね。”と言って、おばあさんは買い物に向かった。
「私たちも帰るわよ。もう十分でしょ?」
まだ、まわりの様子を見て行きたそうな彼女の手を、今度は私が引っ張って駅へと向かった。
夕暮れ、買い物から帰ってきた老婆が、家を出た時と同じようにとんとんと、軽い足取りで階段を上がる。
「ただいまっと。」
201号室のドアが静かに閉まる。
玄関脇の台所に、無造作に置いてある古ぼけた写真の一枚に目を落とす・・・
その中から一枚を手に取り、じっと見つめていた老婆の口元が少し微笑んだように見えた。
「あぁ、気に入られちゃったねぇ・・・・・」
裏野ハイツの周りだけ、少し早く夜が訪れたように、暗く静かな空気が広がっていた。