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 肆話 屍山血河

「無駄じゃなかった」


 そう漏らしたエーリッヒの目から涙が零れる。


「どういう意味だ?」


 突然の仲間の涙に怪訝そうな顔でゲロルドが尋ねた。


「シュバイツの魔法によって魔人が持つ結界に限界が来ていた。彼の死は決して無駄ではなかった」


 独白のような言葉にゲロルドは射出魔法によって吹き飛ばされた魔人へと視線を移す。結界を破壊し一矢は報いた。だがゲロルドもエーリッヒもあの程度で魔人が倒されたとは考えていなかった。





「お願いする」


 隊列の裏で己の用意した策が魔人に対して効果があったのを確認すると、指揮官を務める老人と言っても良い年齢の男が、背後に控えていた女に慇懃に言う。黒髪の肌の白い女で、高位マナ使い特有の雰囲気をその身に宿していた。強い魔力が窺える。女は指揮官の言葉に頷くと瞑想状態に入る。両の手で手印を切り補助式を構築、口からは魔韻を含んだ言葉が歌の様に高らかに謳いあげられ、時に詩のように静謐に紡がれる。魔力が更に集中し呪紋が発現。女の前方の大地に青く光る魔法陣が展開され、円柱の周囲を這うように数十もの魔法式が渦巻く。


 五十人を越える人間が凝視する中で魔人が身体を起こすのが見えた。起き上がった鋼の様な肉体からは人類とは異なる青い血が流れていた。赤い瞳が煌煌と不気味な光を湛え、表情からは損傷の深さは読み取れない。だが魔人の放つ魔力は些か衰えているように感じられた。


「構え、撃てぃ!!」


 指揮官の老人の声が響き先程と同じ光景が繰り返される。二つの直線を直角に組んだ隊形から放たれる数十を数える矢が魔人を足止めしていた。魂喰いは蒼い残光を閃かせ撃ち落していく。魔人の動きに支障はない。深い損傷を負った気配は微塵も無かった。

 

 裂槍衝破多撃ハスタムルでは如何に連射しようが必殺とはなりえないようだ。だがそれも想定の内。そのための切り札、高位マナ使いの女であった。まだか、老指揮官が焦燥に駆られた時、黒髪の女の一際高く澄んだ声が辺りに響き渡る。


「出でよ、高次に潜むものよ」


 女の叫びと共に魔法陣から放たれた眩いばかりの白光が一帯を包みこんだ。光が収まり周囲の者が目にしたのは宙に浮かぶ巨大な一つの紋様であった。見る角度によって形が変わるそれは、やがて震えだし白く輝き始める。女の手が天高く突き上げられる。


「散開!!!」


 指揮官の怒声に、見入っていた衛兵たちは我に返ると全力で紋様と魔人を結ぶ射線上から散開する。


「潜むものよ 眼前の敵を滅せよ!!」


 声と共に振り上げた手が下ろされた。巨大な紋様から魔人を飲み込むほどの光の線が迸る。魔人の瞳がより赤く光り、失われたはずの対魔法防御結界である刻印魔法文字が浮かび上がるが、紋様から放出された光線によって一瞬で焼き尽くされた。ゲロルドにエーリッヒ、ゴーロは喉を鳴らし、ただ食い入るように見つめていた。


 魔人が光に食われていった。周囲から湧き上がるどよめきの声。魔人を倒したと確信した安堵の表情が衛兵の間で連鎖的に広がっていく。召喚士の女が潜むものの使役を解除、紋様からの光が徐々に細くなり糸ほどとなって止む。誰もが終わったと思っていた。だが体中から激しい煙を上げながらも魔人は生きていた。魔剣 魂喰いを前面に掲げ無効化能力を全開で展開した事により耐え切ったのだ。重要器官が集中する中心線は護られ外側に行くほど炭化していた。体表面はおろか体内にまで熱が及んだのだろう、魔人が息をするたびに口と鼻から白い煙が上がる。皮膚は溶け落ち肉まで黒く焼け焦げていたが頭部に収まる赤く光る瞳は健在、未だ生命力に溢れていた。

 

 右手に握る魔剣が蒼く輝きを増すと魔法式が展開され全身を包んでゆく。


「見てください、ゲロルド。魔人の肉体が回復していきます」


 エーリッヒの絶望の声の先で魔人の肉体が蒸気を上げていた。炭化し失われた箇所に見る見るうちに赤い筋肉が盛り上がり始め、神経が再生し、その上を皮膚が覆っていった。僅か数瞬のうちに魔人は回復していた。とは言え流石に大きな深手を負っていたのだろう、今の治癒魔法による回復で魔人の魔力は明らかに弱まり魂喰いの力は削がれていた。


 

 絶句。その場にいた全ての者は息をするのも忘れ魔人を見つめていた。ただ一人、女召喚士を除いて。一度で倒せないのならば二度でも三度でも魔人の回復能力を超える魔法を撃込めば良い。蒼白な顔に覚悟を決めて再び意識を集中すると潜むものが淡く輝き始める。女の力を超えた上位の魔法の行使による過度の負担から目鼻口耳、体中の穴と言う穴から血が零れだす。構わず手を掲げ潜むものへと魔力を注ぐ。

 

 召喚士の手が再び振り下ろされようとした時、潜むものへと魔人が雷の如き速さで踏み込み、光学魔法が放たれる寸前に大剣が一閃。紋様が斜めに裂かれ、女召喚士の魔力マナによって顕現していた魔力そのものである潜むものは、魂喰いに喰われていった。蒼い刀身が脈動するように明滅する。


 潜むものの光線を防ぎ、魔人を回復させるため失われた力を取り戻していた。


 「そんなっ!?」


 女召喚士が悲鳴のような喫驚を上げると目が裏返る、二度の極限の集中による疲弊と魔力マナが枯渇したことにより気を失い、その場に崩れ落ちた。魔人は倒れ小刻みに痙攣を繰り返す女召喚士を見向きもせずその横を通り過ぎると、呆然と立ち尽くしていた老将へと襲い掛かる。己の思考を逸脱した光景を前に、完全に虚を衝かれ無防備なまま指揮官の身体は縦に斬り裂かれていた。魔人はそのまま前衛の隊列に突っ込んでいく。


 忽ちの内に混乱状態となり指揮系統は失われ乱戦となる。密集した場では後衛の魔術師達は前衛が邪魔をして魔法を撃つ事が出来ない。魂喰いが蒼い残光を宙に描く度に前衛が刻まれていった。剣で防げば剣を、盾で防げば盾ごと鎧を両断し魔剣が魔力を喰らってゆく。魂喰いの刀身は蒼く不気味に輝いていた。

 

 老指揮官の代わりに指揮を取る者は現れず隊列は完全に崩壊、闇雲に突っ込む者、或いは逃げる者と個々でばらばらに行動した結果、魔人の前に露と消えてゆく。恐怖に錯乱した魔術師が仲間もろとも魔人を倒すべく魔法を放つが、再展開された結界によって阻まれる。多くの後衛は仲間を巻き込むことを躊躇し、その力を発揮する事無く魔剣の糧となってしまう。命を啜るほどに魂喰いはより強大になっていった。

 

 何とたった瞬き数回分の間に五十人を超える衛兵が屠られ、屍山血河を創り出していた。

 

 骸。

 骸。

 骸。

 

 赤い河が流れ何処までも骸が連なる

 

 見渡す限り冒険者と衛兵の骸

 

 魔人は王の如く地獄絵図と化した広場を睥睨する。沈黙の大地には手足が千切れ飛び、腸が零れ、脳漿に骨片が散乱、其処彼処に小さな屍の山。辺り一帯には濃い血の匂いに加え糞便に臓物の匂いまでもが混じりあい強い異臭が漂う。


「ぐ、ぐがががが」


 初めて笑い方を知ったように魔人の口が笑みの形を取り、笑い声らしき濁音が迷宮前広場に響き渡った。笑うのをやめた魔人の赤い瞳が生き残った赤壁の三人を射る。ゲロルドは仲間の二人に視線で合図を送る。最早逃げる事は叶うまい、覚悟を決めるしかなさそうであった。動こうとしたその時。魔人の目が広場から都市へと続く道を見た。知らず赤壁の三人も生き残った僅かの衛兵もつられる。


 近付いてくる者がいた。異国の男であった。見たこともない黒い民族衣装に身を包み腰に剣を差していた。男はただ歩いているだけであった、だがたったそれだけの事に赤壁だけではなく魔人さえも目が離せないでいた。 

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