弐話 赤壁
漸く復調し立ち上がった冒険者たちは軽い錯乱状態になりながら裸体の男を迎え撃つ。
「一対一で闘うな、連携を取るんだ。相手をただの人間と思うな!!」
何処かの隊で長を務めている男が周囲の冒険者に檄を飛ばす。男の仲間は生きている者の中に見当たらない。糞ったれがと呟き悲しみと怒りを力に変える。辺りには既に冒険者の死体の山が築かれていた。僅かの間に一体何人が殺されたのか。皆一刀の元に切り裂かれている。武器も鎧も盾もお構い無しに両断されていた。そして恐ろしい事に冒険者の命を吸う毎に蒼い大剣の切れ味は増しているように見えた。禍々しいほどに冴え渡る蒼の刀身。
「その男の言うとおり、個々で挑んでは絶対に勝てんぞ。なるべく接近戦を避けろ、前衛は注意を引く程度にし後衛が魔法をぶち込むのだ!!」
衛兵のイヴァンが大声で怒鳴るように叫ぶ。冒険者の魔術師たちが一斉に詠唱に入る。前衛を務める冒険者たちは魔人の注意が魔術師たちへ行かぬよう最大限の注意を払う。攻撃を仕掛けてはすぐさま離脱する行動を繰り返す。しかし魔人の異常な力の前に追いすがられ一人、また一人と命を落としていった。そんな中、長剣を振るおうとした冒険者の目が魔人の赤い瞳を見てしまう。
「あいやぁああああああああああ」
恐慌の力が宿った魔人の赤い瞳に貫かれ混乱する冒険者。魔人ではなく仲間である前衛たちに向かって長剣を振るいだす。
「目だ、魔人の目を見るな!!何かの力が宿っているぞ!!」
魔人の持つ力を目敏く見破るイヴァン。許せと言うと長槍で混乱する冒険者の頭部を刺し貫いた。後方で呪文を詠唱していた魔術師たちの魔法が次々と完成しだす。多大な犠牲を払いながらも何とか時間を作り出すことに成功した前衛の冒険者。魔人の下から一斉に離散する。
「王強塩水酸硝」
中級使の冒険者が放った強酸の波濤が音を立てて魔人へと殺到する。安定した金属である金さえも溶かす王水と呼ばれる強酸であった。王水の顎が魔人を捉える。だが魔人を不可視の何かが覆っているように王水は身体に届かず重力に引かれ大地へ吸い込まれてゆく。強酸が降りかかった冒険者の骸が白い煙を上げ、沸々と音を立てて崩れさる。
「な!?」
驚きの声を上げる魔術師の後方で射出魔法が完成する。鈍色の短槍の群れが現出し魔人へ向かって放たれる。音速を超える短槍が一瞬で魔人へと到達するが肉体の手前で粉々に弾け青い光に還元して大気に溶けていく。短槍が砕けた瞬間、光る文字のようなものが見えた。
「結界だ。対魔法結界を持っているぞ」
強酸魔法を放った魔術師が叫ぶ。
「結界だと!?」
更に魔法が完成し雷撃や火球、氷塊が魔人を襲うがそのどれもが体の手前で分解され消失していった。その度に光る文字が浮かび上がっては消えた。
「駄目だ、もっと強力な魔法じゃないとあいつの対魔法結界を破れないッ」
魔術師の絶望の声が上がる。
「接近戦だ、魔力を直接叩き込むしかない」
誰かが言ったのをそれは駄目だ、イヴァンが叫ぼうとした時
「るうううららああああああああああああああ」
突如魔人が雄叫びを上げた。彼方にまで届かせんとする大音声。魔人の咆哮を耳にした殆どの者は竦み上がっていた。思考が麻痺し正常な行動が不能となる。赤子の手を捻るより易く、身が竦む冒険者の首を、魔剣が刈り取り魂を喰らってゆく。魔人は恐怖に震える年若い女冒険者の前に立つと詰まらなそうに見下ろす。まだ十代の少女とも言える若い娘であった。腰が抜けた少女は大きく開かれた目で魔人を見上げ嫌々するように首を振る。死への恐怖に目からは涙が、口からは涎が垂れていた。地面が濡れているのを見ると小便まで漏らしているようだ。
「い、いや、た、す、けて」
無慈悲に蒼の大剣を振りかぶる魔人の背に迫る者があった。イヴァンである。衛兵は魔人の咆哮に耐え気配を消し機を窺っていたのだ。心臓に狙いを定め長槍による渾身の突きを放つ。魔人は振り向きもせずに背後へと大剣を振り払った。高い鈴の音のような音と共に長槍が半ばから断ち切られていた。斬り飛ばされた槍が何処かに落ちる音がする。
「今のうちに逃げろッ!!」
半分になった槍を捨て腰から剣を抜こうとするが槍を斬られた際の衝撃で手が痺れ上手く行かない。魔人の興味がイヴァンへと移った隙に、少女は必死の形相で腰を抜かしたまま四つん這いで逃げていく。鞘から抜いたはいいが手に力が入らず、とうとう剣を地面に落としてしまった。魔人はもう目の前であった。俺もここまでか、あの娘無事生き延びてくれればいいが。イヴァンは己の最後を受け入れるべく目を閉じた、その時。
衛兵の身体に鉄鎖が巻きつき強引に引き摺られる。何者かの足元にまで引き寄せられ漸く止まった。
「大丈夫か、イヴァン」
黄泉の河を渡る手前で救われ呆然と見上げると、冒険者組合に走ったフーゴの顔があった。両手には鉄鎖が握られている。
「赤壁を連れてきたぞ」
呆けたまま命の恩人となったフーゴの声の先を見れば五人の精強な男たちが魔人と対峙していた。
「おぉ、赤壁の連中だ」
生き残った僅かの冒険者が竦みから解放され、五人の男達を見て歓喜の声を上げる。パイポニアスに名が轟く赤壁を率いるゲロルドは上級二位のマナ使いであり名うての冒険者でもあった。
「ゴーロ、グンター、エーリッヒ、シュバイツ、相手を人だと思うな。あれは魔人だ。最大限の警戒をしろ」
「マジかよ」「ついてねぇ、ついてねぇ」「了解した」「上等」
それぞれ短く応じて魔人と呼ばれた男と対立する。エーリッヒとシュバイツが呪文の詠唱を始める。重装鎧のグンターが無防備な状態の二人の前に立ち盾を構える。ゴーロは魔人から距離を取ると背負っていた大弓を構え、矢を手に持ち狙いを定める。 詠唱を終えたエーリッヒの前に呪紋が発現する、「疾敏軽躁捷風」の声と共に魔法が発動。五人の体を薄い光が取り巻く。敏捷性を高める支援魔法であった。魔法と魔法は干渉しあうため重ね掛けができない、魔人の一撃は防御可能の範疇を超えていると判断、筋力強化ではなく回避重視の敏捷性を上げる魔法を選択した。
エーリッヒの支援魔法を待っていた前衛のゲロルドは風のような速さで魔人へと迫る。走る速度を落とさずそのまま直剣を突き出す。魔人が蒼の大剣を握る右腕を軽く上へと振った。硝子が割れたような音が響きゲロルドが持つ精霊銀の直剣が粉々に砕け散った。
「なっ」
驚きの声より先に魔人の刃圏の外へと離脱する。何故か異様なほどの疲労が歴戦の戦士を襲う。ゲロルドの渾身の突きは容易く防がれたが、腕を振り上げたことで胸に隙が出来ていた。そこに限界まで引き絞ったゴーロの強弓から、魔力が注ぎ込まれた矢が放たれる。音の速さを超える速度で魔人へ到達、胸を穿つはずだった。 が、魔人は胸の前で左手で何かを掴むように振ると難なく矢を捕らえていた。
「馬鹿な!?」
魔人がつまらなそうに掴みとった矢を捨てるのとシュバイツの魔法が完成するのが同時。
「放視被射光曝線」
呪紋が発現し声と共に上位光学魔法が発動、不可視の死の光線が魔人を襲う。瞬間、魔人の身体を光る刻印魔法文字の羅列が取り巻いているのが見えた。魔人を螺旋状に渦巻く刻印魔法文字が不可視の光線を遮断していた。魔法が消えると同じように文字も大気に溶けていった。
「何だあれは?対魔法結界なのか!?全て無効化された?」
魔人の赤い瞳が呆然と呟くシュバイツを見た。まずい、そう思い後退するシュバイツと魔人の射線上にグンターが割って入る。エーリッヒは大きく退避。盾役としてしっかりと役目を果たしてくれているグンターに安堵するシュバイツの目の端で、魔人の姿が消えたように見えた。目で追えないほどの速度で距離をつめた魔人はグンターの目前にいた。
虚を衝かれた形となるグンター。ゲロルド、ゴーロ、シュバイツが息を呑む。大きく距離を取るエーリッヒの紡いでいた詠唱が終わり魔法が完成、「黒捕棘蔦縛」の声と共に発動。魔人の足元から黒く巨大な蔦が生え、螺旋を描きながら急激に成長していき取り囲む。だが魂喰いが蒼い残光を残して一閃されると霧散、光となって宙に消える。エーリッヒは驚かない。
「うっ、うおおおお!! 」
グンターはエーリッヒが作ってくれた僅かな時を逃さず、即座に高純度の精霊銀製の盾を掲げ、ありったけの魔力を注ぐと魔人の攻撃に備えた。これまで幾度も強大な魔物や高位のマナ使いの攻撃を防いできたグンターの瞳には自信の色。しかし何時まで経っても魔人の一撃が来る事はなかった。正確にはグンターには認識する事が出来なかった。
シュバイツは赤壁に入って以来、敵の前に立ちはだかり盾役としての役割を全うしてきたグンターの大きな背中を見つめ続けてきた。如何なる時も逃げ出さず、己の命よりも常にシュバイツやエーリッヒの安全を優先してきた心から頼れる仲間であった。この男がいたからこそシュバイツは安心して混沌極まる戦場において瞑想状態に入り魔法を行使する事が出来たのだ。
その絶対的信頼の証でもあるグンターの背が赤い糸を引いて左右に割れていく。先には大剣を振り下ろした魔人の姿があった。そして己を見つめる禍々しく赤く光る瞳。
「こぉの、くぅそ、やろうがぁ!!」
魔人の赤い瞳は恐慌の力を宿していたが、シュバイツの仲間が殺された事による怒りが上回った。