表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

 壱話 魔人  

 ある晴れた昼下がり。いつもと変わらぬ日常を送っていた迷宮都市パイポニアスに起きた小さな異変が全ての始まりであった。普段は冒険者でごった返す迷宮への入り口である門前には、昼時と言う事もあり人影も疎らであった。酒場や食事処が集まる一画が門から離れた通りにあるからだ。この時間帯、冒険者は大概そちらに移動している。


 門前に店や居住を設けないのには理由があった。万が一迷宮内より魔物が出門することがあっても門前の大きく開けた広場で止めるためである。過去には幾度となく魔物が門より溢れ、多大な被害を街に与えていた。一度などは強大な魔物によって都市が滅びに瀕した事もあったほどだ。とは言え七十年前に聖者によって門に結界が張られてより現在まで一度もそうした事態は起きていないと言われていた。


 迷宮を管理する衛兵も早朝と夕方の混雑時には五十人、それ以外の時間でも常に十人以上の待機が義務付けられていたが、形骸化しており半数の五人を置いて昼食を食べに出掛けていた。


「た、たすけ」


 迷宮への入り口であり出口でもある精霊銀製の巨大で頑強な門扉から、一人の冒険者がよろめきながら姿を現した。兜は被っておらず頭部の一部が欠損し、そこから流れ出たまま黒く凝結した血が顔にこびり付いている。

 

 全身を覆っていたであろう破壊された重層鎧の残骸が、歩く度に地面へと落下してゆく。異様な光景に立ち話をしていた冒険者とその仲間が会話を中断し息を呑んだ。彼らへ、或いは此処にはいない誰かに向かって、左腕を差しのべながら覚束ない足取りで一歩、また一歩近づいていく。右腕は肘から先が無く代わりに血の帯を大地へ垂らしていた。男の背後では大量の血が零れ落ち、恰もこれまで歩んできた血生臭い生の軌跡を暗示しているようにも見えた。


 助けを求め誰かの救いの手を握ろうと差し出したその腕は、だが何も掴む事は無く男が手にしたのは砂のような土と終焉であった。

 

 遭遇した誰もが呆気にとられていた。門番の衛兵もその一人であったが俄かに我に返ると、門前で倒れ伏した男の下へ甲冑の音を立てながら駆け寄っていく。男の状態を確認すると誰に示す事無く首を振った、暫くまじまじと息を引き取った男の顔を凝視すると驚きに目が見開かれた。仲間のただ事ではない気配に金属音を響かせながら残りの四人の衛兵も駆けつける。

 

 慌しい様子に周囲の冒険者たちが異変に気付き、何事かと野次馬と化す。先程までちらほらとしか見えなかった冒険者が、一体何処から現れたかと思うほどの人だかりを作っていた。忽ち辺りは騒然となった。 


「おい、緊急事態だ。こいつは紫光のボーンだ、ここまで息があったという事は近くに何かがいるぞ」


 熟練の冒険者として名前が売れていたボーンだが素顔を知るものは意外と少ない。偶々顔を知っていた衛兵が、急いで迷宮へ出入りする時に必ず記載される分厚い書類とボーンの素性を照らし合わせていく。一枚一枚めくっていた衛兵の指が止まり、文字を追ううちに顔色が変わる。

 

 衛兵の声が届いた冒険者たちの間では「ボーン」「おい、ボーンだってよ」「ボーンって紫光の?」「まさか紫光の全員がやられたのか」と口々に囁かれた。 


「大変だぞ、ボーンは今朝方、五人組の隊で迷宮に潜っている。全員が上級使だ。中には治癒術士もいた、もし全滅していたとしたら大変な敵と言う事になる。朝と言うことは大して深く潜っていない。浅い層で何かがあった可能性が高い!!」


 中年で逞しい体つきの衛兵が同僚へ顔面を蒼白にして叫ぶ。慌てて肥満気味の衛兵が魔法陣を振り向き異常がないのを確認し安堵の表情を浮かべる。精霊銀製の門には美しく芸術のような精緻を極めた紋様が彫りこまれてあった、その刻まれた紋様が薄く光り結界を構成している。形そのものに魔力が宿り効果を発揮する刻印魔法と呼ばれる術式だ。


「大丈夫だ、結界は正常に作動している。如何に強力な魔物だろうとこの結界門を潜る事は出来ん」


「魔物ならな」


 同僚の言葉にも不安を隠そうとせず中年の衛兵は門から目を離さない。


「どういう意味だ?魔物で無いとすれば仲間割れか、或いは冒険者狩りか?」


「分からん、だが嫌な予感がする」


 怪訝そうな顔をする同僚に中年の男が視線を移して言った時、結界が大きく揺れた。反射的に目線を戻すと、結界が紫電を発しながら大柄な体躯を持った裸体の男を迷宮内に押し止めていた。青白く光る幾何学模様が激しく明滅する。衛兵はおろか居合わせた全ての者が言葉を失いただ見つめていた。唖然とした人々が固唾を呑んで見守る中、裸の男は手に持っていた刀身が蒼く光る大剣を結界へ向けて無造作に振るう。

 

 瞬間。空気の震動、空震とでも言うべき現象が一帯を襲った。範囲にいた全ての人間が大気の振動をまともに受け、眩暈と吐き気、頭痛に苦しみ、ある者は崩れ、ある者は泡を吹いて失神してゆく。穏やかだった昼下がりの日常が一瞬で終わりを告げた。

 

 頭を抱え込み膝を突いていた中年の衛兵が、収まる気配の無い苦痛を堪えながら顔を上げると、結界を構成していた魔法陣が消滅し、裸体の男がこちらへ歩いて来るのが見えた。うねるような量の蓬髪が背中へと流れ、異常ともいうべき筋骨の発達が見てとれる。巨躯であった。大樹の根のような太い首の上には赤く光る目を持ついわおのような頭部が乗っている。男の全身から一帯を飲み込まんとするほどの強大な魔力が迸った。苦痛に苛まれる全ての者の上に、絶望が更なる重石となって伸し掛かる。


 衛兵は何とか立ち上がると落ちていた長槍を拾いあげて裸体の男へと構える。男が放つ圧倒的な魔力と身体の異常に屈してしまいそうになる衛兵を支えているのは使命感であった、生れ落ちてから今迄、ほぼ全ての時をこの都市で過ごしてきたのだ。良い思い出も悪い思い出も全て此処に詰まっている。衛兵の背後には普段と変わらず暮らす十万を超えるパイポニアスの民が控えているのだ。自分には彼らの日常を守る責務がある。愛する故郷を護るため決死の覚悟を決めた衛兵の目と、裸体の男の赤く輝く瞳が交錯する。


「あ、あひいいいいいい」


 中年の衛兵は裸体の男の赤く燃えるような瞳を見た瞬間、我を失い狂乱状態に陥ってしまった。口からは涎をたらし奇声を上げながら、手に持った槍を技術も何も無く、ただ子供の様に振り回し始める。そこには先程までの覚悟を決めた男の姿は存在していない。裸体の男が歩みを止めず我武者羅に振るわれる槍の殺傷圏に入るが、槍が身体を傷つける事は無かった。露払いの様に軽く振られた蒼の大剣は、衛兵の思いと共に鈍く輝く呪鉄製の槍と鎧を苦も無く分断していた。

 

 裸の男は赤い瞳を怪しく光らせながら次の獲物を探す。近くでうずくまっていた冒険者が次の標的となった。漸く苦痛から解放された冒険者が顔を上げた瞬間、頭頂部に軽いうずきを感じ、やがてそれは熱へと代わり激痛となる信号が脳へと送られる前に頭から股間まで縦に分かたれた。蒼の大剣は冒険者が装備していた厚い呪鉄の鎧を紙でも切り裂くように断っていた。


「もしや、あれは魂喰たましいくい?」


 頭痛を堪えながら長年の同僚の死にも動じず、学者が研究対象を観察するように正体不明の男を見ていた年嵩の衛兵が、己の考えが信じられぬとでも言うように漏らした。怜悧な眼差しで巨躯の男が蒼の大剣を振るい、冒険者を屠る度に仄白い霞のようなものが大剣に吸い込まれていくのを目敏く見つけていた。


「魂喰い?何だ、それは?」

 

 同じ様に苦痛に顔を顰める若年の同僚の問いに衛兵は喉をならして答える。


「このパイポニアスの迷宮の深奥に封じられていると言われていた魔剣だ。人を斬り殺す毎にその魂を食い、力を増していくと言う伝説の、な。見ろ、冒険者が身体を切られると、物凄い量の魔力を失っている、あれは魔剣に食われておるのだ」


「魔剣だと?そんな物を人が扱えるのか?」


 もう一人の若い同僚が蒼の大剣を振るい次々と冒険者を惨殺している男を恐怖の篭った目で凝視したまま尋ねる。


「恐らくアレは人ではない。魔人だろう」


「魔人だと?魔人、あれが」


 蒼の大剣を小枝でも振り回すように軽々と扱っている巨躯の男を見る。また一人、頭を砕かれ、年長の衛兵が言ったように白い靄のようなものが大剣に吸われていくのが見えた。三人の衛兵は息をするのも忘れ、魔剣に魅入られたように、ただ目前で繰り広げられる惨劇を瞳に映していた。年嵩の男が逸早く我に返ると


「ヘルマンお前は本部へ走れ。フーゴお前は冒険者組合だ。魔人が現れたと伝えるんだ、急げ」


 年長の衛兵の声で、若い二人の同僚の目に遠ざかっていた意思の光が戻る。


「イヴァンあんたはどうするんだ?」


「俺は衛兵だ、逃げ出す訳にはいかん」


 イヴァンと呼ばれた男の目を見たヘルマンとフーゴの二人は何も言わず、厳かに頷くと駆け出していった。


「さぁて、どうするか」


 ああは言ったもののイヴァンは途方に暮れた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ