新たなる始まりと、全ての始まり
他の仲間達が口々にジェイルの名を呼ぶ中、ユウは空を見上げた。暗黒の雲は消え失せ、太陽がしっかりと照らしている。城の奥は断崖絶壁となっており、その先には海があるのがわかった。
ユウはなんとなく海を見ようと思って歩き出し――空が歪むのをしかと確認する。
「あれは……?」
口を開き、ユウは空を凝視する。その反応に周りの味方も気付いたのか、次々に空を見上げ始める。ジェイルもまた上に視線を送った時、それは現れた。
「あいつは?」
ジェイルが呟く。空に現れたのは巨大な人影。魔法か何かによる映像なのだとこの場にいた全員は理解しているはずだった。
その相手は、漆黒の鎧で身を包んだ騎士のような風貌。暗黒騎士、というタイプの魔物はいるので、それ系統の存在だとユウは最初思ったが――
『……魔王を破ったこと、この目に焼き付けた。まずは、敬意を表そう』
降り注いだのは、エコーを響かせた重い声。腹を打つような声に、ジェイルは呟いた。
「奴は……まさか……」
『しかし私がこうして諸君に呼び掛けている以上、戦いが終わりでないのを、君達はしっかりと理解できているはずだ。そして、すぐに私の存在は世界に周知される……次は、私が君達を待つことにしよう』
告げると、大気が歪んで像が消失する。
後に残ったのは沈黙――理解できているはず、という文言の相手を見て、ユウも把握できた。
「……第二部って、ところか」
少ししてジェイルが言った。つまり、新たな敵の出現だ。魔王に続き、今度はあいつを倒す必要があるというわけだ。
「……で、どうする?」
近くにいた人物がジェイルに問い掛ける。彼はそれを聞き仲間達を一瞥した後、朗々と声を発した。
「ひとまず解散だ。今後間違いなく、空に現れた敵の情報が出てくるはずだ。それに付随し、本拠地もわかるはず。そうした情報を集め、今度こそ終止符を打つ」
ユウ達を含め全員が頷き――それぞれが帰還を開始する。
自分はどうしようか――ユウが悩んでいると、後方からオウカの声が聞こえた。
「ユウ、私はこのまま街に行こうと思うけど、どうする?」
彼女の提案に対し、ユウは彼女に視線を送りつつ、答えた。
「……俺は、一度ログアウトするよ。少し疲れた」
「わかった」
オウカは言うと、近くにいたシンやマナへ歩む。ユウはそうした姿を視界に捉えながらメニュー画面を操作し始めた。
ログアウト寸前、話し込んでいた仲間達にジェイルが近寄った。二言三言会話を交わした後、オウカ達はジェイルの仲間達と共に、転移していく。
(自分も行った方が良かったのかな……)
疲労感を押し殺しついていった方が良かったのだろうか――ユウは思いながらも、ログアウトボタンを押し、意識が途絶えた。
部屋で目が覚めると、ユウ――優七は、リビングからの足音を耳にする。
「ん、帰って来たのか……?」
優七は呟きながらヘッドギアを外し、起き上がった。音の原因は両親のどちらかだろう――推察をしつつ、部屋を出ようとする。
その寸前に時刻を確認すると三時前。長時間戦っていたようだ。
リビングに入ると、スーツ姿の母親がキッチンにいた。彼女は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し飲んでいる。
流し台にもたれかかりながら水を飲む母親に、優七は声を掛ける。
「おかえり」
「ん? うん、ただいま」
母親は、声にペットボトルから口を離し答えた。
「母さん、今日は早いけど」
「ええ。予定より早く終わってね。あ、お父さんも帰ってきてるよ」
言葉の直後、トイレから水の流れる音が聞こえた。少しして扉が開き、母親と同じくスーツを着た父親が現れる。
「おかえり」
「ああ、ただいま」
優七の呼び掛けに父親は淡泊に答える。疲れているのか覇気もない。
「優七、ちょっといい?」
ペットボトルを冷蔵庫にしまいつつ、母親が優七に口を開く。
「悪いけど、コンビニでも行ってお昼、買ってきてもらえない?」
「食べてないの?」
「ええ。お父さんとお母さん疲れているから、お願い」
母親は手を合わせ懇願した。優七は母親とリビングに入る父親を交互に見た後、仕方なく承諾する。
「いいよ」
「ありがとう。あ、お弁当で頼むよ。お父さんの分もね」
そう言いつつ母親はポケットから財布を取り出し、五千円札を一枚差し出した。優七はそれを受け取ると、準備のため部屋に戻った。
「やれやれ……」
優七はどこかあきらめた表情で、クローゼットからコートを取り出し、ジャージからトレーナーとジーンズに着替える。さらに念の為財布と携帯電話を手に取り、ポケットに突っ込んだ。
「いつものことだけど……なんだかな」
呟きつつ、優七は静かに息をついた。
両親は常にこうだった。疲れていれば息子にコンビニに行くよう要求し、買ってくればお礼も言わずに食べ始める。さらに例え休みの日でも外食ばかりだったりする。母親の手料理など、お目に掛かることの方が珍しいくらいだ。
そうした境遇から、優七は考えてしまう。
(やっぱり、この家で俺は……)
居場所がどこにもないのではないか――両親の口からついて出るのは要求か、成績に関することだけ。今回のお手伝いさんのように頼まれ、いつもしかめっ面でテストの答案を眺める……どこか、家の中にいても孤独が付きまとう。
優七はふと左手を見た。中指に贈られてきた指輪がはめられている。それを見ると、やはり自分の居場所はゲームの中にしかないのではないかと考える。
いや、最後の仲間達の様子を見て、自分がいなくてもジェイル達と上手くやっていけるだろうと頭のどこかで思う。なら、ゲームの中でも自分という存在は必要ないのでは――
「……やめよう」
それらを振り払い、部屋を飛び出した。玄関を出る時、母親の「よろしくね」という言葉を聞いた気がしたが、無視するように玄関を抜けた。
ひどく空気が乾き、なおかつ風の強い現実世界が目の前に現れる。優七は白い息を吐きつつエレベーターに向かう。途中、子供が外で遊んでいるのか甲高い喚声が聞こえてきた。
声は閑静な住宅街の中で、ひどく耳に障る。
「いじめられてるのか?」
悲鳴っぽい声が混じっていたので、優七は少し気に掛かったが――すぐに声は途絶えた。
そこで興味を失くしエレベーターに乗って、マンション入口まで到達する。
「面倒だな」
零しながら入口を抜ける。外はまだ明るいが、時間的に二時間もしない内に日が暮れるだろう。どことなく煩わしさを感じつつ、歩き続ける。コンビニまでは十分程。さっさと買って帰ろうと決める。
――これが優七にとって、全てが起こるまでの日常。先ほど起こった喚声など気にもせず、何も知らないまま過ごすことのできた、最後の時間だった。
* * *
――男性は、自室で一人笑っていた。データ構築及び実証テストも完璧であった。
「これで、いよいよ本番だな」
彼はキーボードをいくつか打ち、画面を呼び出す。表示されたポップアップには『ロスト・フロンティアを、起動しますか?』という文言が出ていた。
「私が、全てを統べる日が来た」
男性は口の端を醜く歪め、呟く。誰かが見ていれば思っていたことだろう――狂気しかない表情だと。
「邪魔は入ったが、この世界は私の物となる。後は、抵抗する有象無象を滅ぼすだけだ」
男性は告げると、エンターキーを押した。瞬間、画面の中でプログラムが走り始める。
次に発生したのは、傍らに置いてあるヘッドギアの点滅。さらにはモニター画面の明滅。
通常ならば、現実世界にそれ以上の変化を与えない行為――だが今回は違った。プログラムが実行されていく中で、男性のいる周囲の空間が歪み始める。
「世界よ、終わりだ。一つ目の魔王が倒され……今度は、私が全てを握る番だ」
男性はさらに言うと、笑った。哄笑と呼べるそれは、やはり狂気を現し彼以外誰もいない空間で響き渡る。
男性によって、生まれ始めた新たな事象。それはあらゆる存在を飲み込み、誰一人として望んでいない世界が顕現した瞬間だった――