決戦の前に
――そして土曜日。優七はいよいよ、魔王討伐に赴く。時刻は十二時。準備等もあるので、少し早めにゲームへ入る算段だった。
「よし……」
優七は昼食を済ませ、リビングで独り呟く。土曜日だというのに家には一人。両親共々休日出勤であるためだが、今日の優七は寂しさを感じなかった。目前には決戦があり、その高揚感が身を包んでいたためだ。
「じゃあ、行きますか」
まずは『ルーム』へ――断じると、自室に入り扉を閉め、ベッドに寝転んだ。最後にエアコンなどを確認した後、機器を頭に被る。
次に手を動かす。機器から伸びたリモコンを操作し、仮想世界へ入るよう指示をする。優七は目を瞑り、じっとその時を待つ――
やがて体に浮遊感が生じ、全身が得も言われぬ感覚に包まれる――
それが治まった直後、目を開けた。自分の部屋ではない。目の前には、たき火の跡が残る地面と、二階建てのログハウス。その奥には小高い山と、左は綺麗な森。そして右には草原と、少し離れた場所に湖が広がっていた。
「お、早いね」
後方から声がした。振り向くと仲間の一人である、オウカが立っていた。赤髪を風に揺らし、優七の目から見てずいぶん様になっている。
「そっちこそ」
発した声は優七とは異なる――幾分線の太い、ユウの声だった。
「少し興奮しちゃって」
オウカは照れ笑いを浮かべながらユウに答える。
「用事があって、それが終わったら超特急で帰って来たもん」
「……戦闘では、はしゃがないようにしてよ」
「わかっているよ」
彼女は陽気に言うと、周囲をぐるりと見回した。
「もし終わったら、ここで打ち上げしようよ」
「そうだな」
「他に人、誘ってもいい?」
「オウカが信頼できる人なら」
返すと、彼女は「ありがとう」と答え、さらに続ける。
「私もルーム手に入れたいな。そうすればお城でも建てて優雅に暮らすのに」
「……その資材を手に入れるのに、どれだけかかることやら」
「それが楽しんじゃない。ユウもルーム所持者なんだからもう少し拡張したらいいのに」
オウカが答えると、ユウは「考えておくよ」と応じた。
ユウ達のいるこの場所――ルームはロスト・フロンティア内のフィールドとは違う異次元世界という設定であり、所有者の力によって具現化し、好きなようにカスタマイズできる、箱庭のような特殊な空間である。これを手に入れるには相当なレアアイテムを手に入れ、それを合成する必要があるため、所持者は非常に少ない。
ユウ他仲間はここで準備をしてからロスト・フロンティアのフィールドへ転移するようにしている。本来は商人のようなアイテムに触れる機会の多い人物が所持しているケースが多い。実際このルームを所持している人の中には、数千人単位のプレイヤーを収容できる規模を持った街を作っている人もいる。
もっともユウが所持するルームは、定員が初期値の十名程度と小さいもの。
そしてユウがルームを手に入れたのは単なる運だった。引退するプレイヤーの仲間であったため、もったいないとばかりに偶然受け継いだのだ。本来は歓喜してしかるべきなのだが、ユウは魔王討伐を主眼に置いていたため、ルームの価値は『戦闘準備が簡単にできる便利な部屋』程度の認識しかなかったりする。
オウカがルーム内を見回している時、ユウは他の仲間に着いて言及する。
「残るはシンとマナだけど……来るのか? 掲示板には一応出るって書いてあったけど」
「二人は忙しそうだしね」
オウカは答えながら伸びをした。ユウはふと、目の前の女性や他の仲間達が現実でどういう人なのか推察してみる。
ユウの容姿は、長身かつ肩幅を広くしてはいるが、顔は本来のものに近い。実を言うと顔も当初は変えていたのだが、ゲームの中で鏡を見る度びっくりしてしまい、元の表情をベースにした。身長が高いのはご愛嬌だ。
ならばオウカはどうなのだろうか。ゲーム上のキャラはあくまでカスタマイズした設定に基づくものであるため、性別が逆である可能性もある。けれどユウはオウカについては本来の性別ではないかと思っている――根拠は、特にないのだが。
そしてシンとマナは――不明だが、なんとなく現実世界での立ち位置は予想できた。二人はよく用事のため戦いに参加しない場合が多かった。あまり時間が取れない――そこから社会人であると予想はできる。対するユウの中身は中学生。オウカもきっと学生だろう。
「時間ギリギリまで待とう――」
ユウはオウカへそう告げた時、ピリリリという電子音が響いた。指輪にある、通信機能の呼び出し音だ。
「あ、私だ」
オウカは呟くと、指輪を振ってメニュー画面を呼び出し、通話を受諾する。直後彼女の正面にワイドな長方形の画面が出現し、対話の相手が現れる。
『やあ、オウカ』
朗らかに声を上げる人物は、勇者であるジェイルだった。黒髪に黒い瞳、さらに端正取れた顔立ちの彼は、柔和な笑みを向けつつオウカへ視線を投げている。
「ああ、ジェイル。どうも。何か用?」
『今日参加ということで、挨拶をと思って』
「ありがとう。主役はそっちだから、しっかり頼むよ」
『もちろんだ』
答えると、ジェイルは隣に立つユウに目を向けた。
『そっちは、ユウ、だっけ?』
「はい、そうです」
頷くと、ジェイルは思い出したかのように声を上げる。
『あ、えっと……確か死天の騎士、だっけ?』
「……はい」
やや沈黙を置いて返事をする。途端に、隣のオウカが気まずそうにジェイルへ話す。
「あー、ジェイル。その呼び名は」
『ん……? あ、そっか。悪い。思い出したりするとすぐ口に出る癖で』
ジェイルはどこか申し訳なさそうにユウに告げ、再度彼女に話し始めた。
『えっと、それでオウカ。他の仲間達は?』
「まだ来ていない。来るかどうかも未知数」
『そうか……二人だけでも参加するのか?』
「もちろん」
『二人で大丈夫なのか? オウカのパーティーには敵の猛攻を防ぐ役割を担ってもらいたいんだが』
「大丈夫だよ」
ジェイルの言葉に、オウカは笑みを浮かべながら答えた。
「ま、いざとなったら夫婦パワーで切り抜けるから」
『……一応言っておくが、結婚しててもステータスに補正は無いぞ?』
「わかっているよ」
オウカの言葉にジェイルは苦笑し、再度告げた。
『メンバーが少ない場合は言ってくれ。援護に回す人員をどうにか確保するから』
その言葉を最後に、通信が切れた。残されたユウとオウカはしばらく画面のある場所へ目線をやり――やがて、オウカが言った。
「ま、これが物語の最後かどうかわからないけれど……よろしく、ユウ」
「……うん」
ユウは頷いた。目の前の人物――アバター結婚したオウカへ、少し負い目を感じつつ。
二人が結婚したのは、ゲーム内で行われた『夫婦で共同キャンペーン!』なるイベントのためだった。一定期間内に結婚をするとアイテムがもらえるというイベントだったのだが、当然ながら打算で結婚するペアが続出したため、以後似たようなイベントは一切行われていない。
イベントで手にできるアイテムは、レアアイテムの出現率を向上させるアクセサリだった。当時パーティーを組んでいたユウとオウカもアイテムに目がくらみ結婚――ただ、打算とはいえパーティーを継続している以上、それなりに仲は良好なのではないかとユウ自身は思っていた。
そして、手に入れたアクセサリを持参して敵を狩っていた。ちなみにアクセサリはレアに区分されているアイテムが出現すれば自動消滅する仕組み。つまりチャンスは一度しかなく――オウカは目的である魔法剣を手に入れ、ユウもまた狙いの物を手に入れようと躍起になっていた。
ユウの求めていたのは、現在ジェイルが使用している、広範囲に攻撃できる特性を持った聖剣で、名を『霊王の剣』という。そのアイテムが手に入るモンスターを狩っていた時――偶然別のモンスターを屠ってしまい、見事にレアアイテムが出た。
ユウが呆然、オウカが大笑いをしている中出現したのが、現在もユウが使用しているレアアイテム『死天の剣』であった。
「ねえ、ユウ。異名が嫌なら武器を変えないの?」
他の仲間を待つ間、オウカは草むらに座り込み素振りをするユウに問い掛けた。
彼女の言葉に対し、ユウは剣を振るのを中断し、ため息混じりに返答してみせた。
「そうしたいのは山々だけど……これ以上に強力な剣が、俺の手元にない」
「それ、役に立たないとか言われつつも、地味に攻撃力高いもんね」
「そうなんだよ。なまじ性能が高いせいで捨てられずにいる……攻撃力の高さにかまけて使っていたら、変な異名をつけられたのがデメリットだったけど」
ユウは少し落ち込みながら言うと、オウカは笑い掛けながら立ち上がる。
そしてユウの横に来て、優しく微笑んだ。
「そんな暗くならないの」
「……ごめん」
ユウは謝ると、剣を腰の鞘に収めた。
――ユウが使っている死天の剣は、天使属性の敵に特攻能力がある特殊な武器である。ただユウがその真価を発揮することは絶対にない。なぜならロスト・フロンティアで天使属性というのは、街などに侵入しようとするプレイヤーキラーを罰するガーディアンであり、味方NPCばかりなのだ。
しかしプレイヤーキラーにとっては垂涎の剣――なぜなら、天使は圧倒的な攻撃力に加え、驚異的な防御力を持っている。だがこの剣を使えば一発なのだ。
つまりこの剣は、プレイヤーキラーなどの無法者が欲しがる一品であり、例えレアアイテムでも真面目にレベル上げに勤しむユウのようなキャラには、単なる攻撃力の高い剣でしかない。よって魔王討伐に赴く騎士の中でこうした酔狂な武器を使う人間は皆無で、自然と目立つようになってしまった。
(もしオウカ達みたいな仲間がいなかったら、馬鹿にされまくっていただろうな)
ユウ――現実の優七は思う。そうした異名が生まれたため、優七は主役になりたいと願いながら話を拒否してきた。もしかすると、木ノ瀬もことあるごとに馬鹿にしていたかもしれない。それが無いのはひとえに、顔の広い仲間達のおかげだと優七は思っている。
だからこそユウは死天の剣を振りかざし、少しでも前線に立ち味方を守るべく努力してきた。けれど同時に仲間達の貢献度や名声を考え――自分はあくまで前線に立つだけで、中心に立っていないという事実が痛いくらいに突き刺さる。
(魔王を倒せば、少しくらい変わるのか……いや、違うな……)
もしこの戦いが終われば、パーティーはどうなるのだろうか。魔王が滅び平和になってしまったら、魔王討伐メインのこのパーティーは解散だろうか。
(居場所が、なくなってしまうな)
今のユウは、ロスト・フロンティア内のアイデンティティがこのパーティーだけとなってしまっていた。事あるごとに馬鹿にされるかもしれない境遇となってしまった自分は、一人になれば嘲笑の眼差しを向けられるだろう。そうなればこの世界にいる意味は無い――思うと、少し怖くなった。
自分は――ユウはもちろん、優七自身も居場所がなくなるのではないか。現実世界の境遇と照らし合わせ、そんな風に思ってしまう。
「どうしたの?」
その時、異変を察したのかオウカが声を上げた。見ると、彼女は小首を傾げている。
「戦いが、不安?」
「……いや」
ユウはかぶりを振りつつも、言葉を濁す。
「何かあるんでしょ? 話してみなよ」
態度を見て、オウカが追及する。ユウは少し逡巡したが、彼女がずいと歩み寄ったため、慌てて口を開いた。
「あ、あのさ……もし、この戦いで魔王を倒したら、どうする?」
「どうする、って?」
聞き返される。ユウはどう言おうか迷い次のセリフを必死に考えていると、オウカから声が飛んできた。
「魔王を倒したら私達二人はどうしようかってこと? 結婚しようというフラグはもうないし……一緒に暮らそう的な言葉もユウがルームを持っているから意味は無いし……」
と、そこまで言ってオウカは気付いたらしい。ポンと手を叩き、ユウに告げる。
「ああ、そっか。ゲームやめるかやめないかってこと?」
「う、うん……」
神妙に頷くユウ。少しおどおどした様子だと感じたのだろう――オウカは、優しく微笑んだ。
「ユウはどうしたい? まだゲームやっていたい?」
「え? あ、うん。もちろん」
「そうだね。じゃあ私も付き合うよ。それに、魔王を倒したからといって全てが終わるわけじゃない。まだまだやりたいこととかあるし」
言われると、ユウは深く安堵した。同時に、この世界での自分が日常において大きなウェイトを占めているのだと、痛感させられる――ゲームをやらなくなれば自分という存在自体なくなってしまうのでは――そう感じるほどに。
「……ありがとう、オウカ」
ユウは半ば自然に、声が出た。対するオウカは満面の笑みを浮かべ返事をした。
「どういたしまして。それと、悩みがあったら言ってね。私は、あなたの奥さんだから」
自身の胸に手を当てつつ話す彼女に、ユウは感謝を抱きつつもう一度「ありがとう」と言った。
そしてなおも口を開こうとした時――オウカが視線を別方向にやった。
「お、来た」
彼女が言う。見ると、ログハウス前の空間が歪み、シンとマナの姿が出現した。
「お待たせ」
マナが先んじて声を上げる。ユウは手を振りつつ彼女に応じた。
「準備は万端?」
「もちろん」
マナの問いにオウカは自信満々に答える。それを見てシンも力強く頷いた。
「よし、それじゃあ」
最後にオウカが言う。ユウはそれに合わせ息を吸い込み、
「いざ、戦場へ!」
号令を掛けた。言葉と共に左腕をかざしゲートを生み出す。
ユウは最後にメニュー画面の時計を確認する。一時前。最後の戦いが、今始まろうとしていた。