新生世界
学校が終わる時間、その光景は人々の日常になりつつあった。
「構え!」
少年の声が響くと同時に、その場にいた面々が動き出す。
人数は十人程度で、男子と女子がそれぞれ五人ずつ。全員が例外なく黒い学生服を着ており、それぞれが口々に何やら叫びながら一点を見据えていた。
その先には、一匹の猫――だが毛並みは全身青であり、さらには体躯がライオン程もある。それが少年少女達を見据え、唸り、警戒している。
場所は田んぼの真ん中を突っ切る、乗用車が容易に交差できる程度の幅を持った道路。彼らの背後には各々が持っていた学生鞄がコンクリートの地面に置かれ、そこからさらに後方には、学校があった。
そして彼らの手には武器――剣や槍、弓といったおよそ制服姿に似つかわしくない物が握られている。
「まだ、動くなよ……」
その中、先頭に立つ少年が背後にいる面々に告げる。右手に剣を握り他と比べ身長の高い彼は、よくメンバーの盾になるケースが多く、今回もそうだった。
そこで目前の猫――魔物が声を上げた。高めでありながらどこか野太い音の混ざる獰猛な鳴き声は、田んぼの真ん中で驚くほど響く。
「来るぞ!」
そして少年が叫び――魔物が走る。
「散会!」
少年は指示を出しながら魔物の特攻を避けるように右へ逃れる。さらに他の者達も左右に逃れ、魔物の攻撃範囲を脱する――
しかし、魔物は狙いをいきなり変更した。その先には、弓を携えた女子。
「ちいっ!」
そこに援護に回ったのは、大きな盾を構えた男子。魔物と女子の間に割って入ると、その突撃を盾越しに受ける。
「くうっ!」
僅かに呻いたが、どうにか突破はされず逆に弾き飛ばす。すると魔物はほんの僅かに体勢を崩した。
傍から見ればそれは取るに足らない動き。しかし――
「今だ!」
一番後方にいた少年が、叫んだ。それに弾かれたかのように、近くにいた者達が動き、剣や槍を放った。
それは一つ一つの威力は少ないながらも確実に入り、魔物に弱々しい悲鳴を上げさせる。
「はあっ!」
そこへ、先頭に立っていた少年が剣を縦に振り下ろす。結果魔物は消滅し――静寂が訪れた。
「……とりあえず、これで終わりだな」
そして少年は息をつき、次に手を高々と上げた。
「おい高崎! ありがとう!」
声を掛けたのは一番後方に控える、やや伸び悩む身長を持った少年。
「俺が言えば良かったんだけど――」
「いや、一番後ろにいた俺が戦況を偶然把握できただけだから」
「そっか」
言葉に少年は笑いつつ、周囲にいる面々に告げた。
「じゃあ今日は解散!」
号令の後、彼らは武器を消し、地面に置いてある学生鞄を取り歩き始める。このまま全員が帰宅するようだった。
そして先頭に立っていた少年は、最後尾にいた彼に近づき再度呼び掛ける。
「いつも的確な指示、悪いな」
「偶然だよ」
「いやいや。高崎って、実は軍師タイプなのかもしれないな」
「じゃあ、その辺を鍛える方向で頑張るよ」
「わかった、頼むぜ」
少年はそう返し、笑顔を向けた。
* * *
そして高崎と呼ばれた人物――優七はほっと息をつく。
「ちょっとヒヤッとしたけど……良かった」
呟き、自身も地面に置いた学生鞄を手に取る。
「カバーに入らなかったら危なかったな。その辺の対策も、考えておくか」
案を巡らせつつ、優七は他の人の後を追うように歩き出した。
真下蒼月の作り上げた『ロスト・フロンティア』が生み出した悲劇から、二ヶ月が経とうとしている。世界は多大な混乱期をようやく脱しようとしていた。
けれど世界のシステムには大いに支障をきたした。一番問題だったのは、魔物が消えていないこと。魔王を倒したことによりアクティブ化は収まり被害は激減したものの、根本的な解決には至らなかった。
何より、既存の軍隊や武器では一切歯が立たないことが問題となった。魔物に通用するのはロスト・フロンティアの武器だけで、その対応に各国政府は苦慮することとなった。
「ま、だからこそ俺達みたいな人間が出てくるんだろうけどな」
隣にいる少年が呟く。彼の名は二宮忠志といい、さっきの戦いで先頭に立っていた人物である。はつらつという言葉が似合うスポーツ少年で、見た人に好印象を与える。
優七は転校してから彼と一緒に登下校をするようになった。転校初日隣同士となり、なおかつ近所で、さらにはロスト・フロンティアのプレイヤー同士ということで、こういう展開になってしまった。
なんとなく優七は、彼の横顔を一瞥する。他の男子から聞いたところ、女子達に人気があるらしくちょっとだけ陰口なんかも聞いたことがある。
(来て一ヶ月くらいの転校生が陰口を聞くというのは、よっぽど妬まれているのかな……)
そんな風に思いつつ、優七は視線を前に戻した。
帰り道は田んぼを抜ければ住宅地に入る。家と学校の距離は徒歩二十分程。自転車で通ってもよさそうなものだが、優七と二宮は徒歩を選択している。
「なあ、高崎」
ふいに、二宮から声が掛かる。
「何?」
「最近、新しい情報を手に入れたんだけどさ……」
「新しい情報?」
優七は彼の言葉を聞き返す。
彼の言う「情報」というのは近所の話ではなく、ロスト・フロンティア内のネットワークの話である。そのため優七も少しばかり興味を抱き、彼の言葉を待つ。
「ほら、魔王を倒した『影の英雄』の話だ」
「あ、ああ……」
出た名前に、優七は言葉を濁しながら応じた。その名を聞く度に、どうしても狼狽えてしまう。
彼の言う『影の英雄』とは、魔王を倒した人物――ここでは優七のことを指す。前の戦いで仲間の取り計らいによって矢面に立たなかった優七は、顔を知られることなく済んでいた。だからこそ、そうした呼ばれ方をされるようになってしまった。
しかし人の噂というのは恐ろしいもので、決戦前掲示板に残したメッセージなどから『影の英雄』は優七の持つ『死天の剣』所持者であり、なおかつ勇者パーティーの露払いをしていたところまで判明している。
「その続報?」
優七は恐る恐る訊いてみる。すると、
「ああ。どうも英雄は現在、関東圏にいるらしい」
少し興奮気味に語る二宮に対し――優七はやや安堵する。
(良かった、とりあえず近づいてはいないみたいだ)
露払いというところまであっさり看破された時、優七は少なからず覚悟したのだが、以後は進展していない。
(名前なんかがバレなければ……ゲーム上で見たことのある人でもわからないと思うから、自分から喋ったりしない限りは大丈夫だと思うけど……)
「どうした?」
考える間に二宮が問う。優七は「何でもないよ」と答えつつ、さらに考える。
(そういえば、今後その辺の対応もするって情報収集担当の吉原さんが言っていたな……その成果かな?)
胸中でそうまとめにかかった時、二宮は嬉しそうに語った。
「いやー、一度会ってみたいな……どういう人なのか気になる」
「あ、ああ……そうだな……」
目の前にいる人間だよ、とは口が裂けても言えないし、たぶん信用されない。
(いや、剣を見せれば一発か)
もし正体を明かせば――やったらやったで実生活に影響が出るので、できれば勘弁願いたいと優七は考えていた。
この事件が始まる前、優七自身は主役になりたいと願い、色々夢想していた。けれどいざそういう立場となってみると腰砕けになり、結局表に出ることなく生活を送っている。
ただこれで、良かったと優七は思っている。
(ジェイルとか、すごかったんだな……)
あれだけ注目を浴びつつ、多くの人に誠実に対応していた勇者ジェイルを思い出し、優七は思う。
そして次に、小さくため息が出た。彼のようにどんな敵とも戦える人が少なくなり、魔物を倒すのも一苦労という事実を思い出したためだ。
事件により、魔王と戦えるような面子が少なくなった。レベルの高い人物達は魔物との戦闘に率先して参加し、事件で猛威を振るった堕天使によってやられてしまったためだ。
さらに言えば、前の戦いがトラウマとなり戦うことをやめた人もいる。優七としてはそれは仕方がないと思っているが、戦力が欲しい時、何かしら協力が――と少し考えたりもする。
「油断はしないようにしてくれよ」
色々と考えながら優七は言う。二宮は「もちろんだ」と返し、満面の笑みを浮かべた。
(……なんだか、嬉しそうだな)
彼はもしかすると現状に満足しているのかもしれない。自分が中心となって、この街の平和を守っていると、考えているのかもしれない。
――現代武器が通用しない魔物において、通用するのはロスト・フロンティアのプレイヤー達が使う武器だけ。そしてプレイヤーの多くは大学生以下。結果として、魔物を狩る人物は優七達のような学生が大半だった。
政府はそれらをどうにかまとめ、ロスト・フロンティア内に残っていたIDデータを活用し、データベース化に成功した。未成年者を政府の管理に置くなど、という批判も多少は出たが、魔物によって生活が脅かされる現状から、その声も次第に途絶えてしまった。
優七としては、こうした活動についてはさして異論がない――というよりこの街で魔物を倒せる人員はそう多くないため、仕方ないという見方をしていた。
その中で懸念事項はある。優七が転校してきて戦った魔物はそれほど強くないものばかり。けれど、いつ何時クリムゾンベアのような難敵が現れるのかわからない。
(しかも、そうした魔物と出会う可能性は、上がりつつあるんだよな……)
優七は頭の中で、とある問題を思い浮かべる。それに関する結果報告が明日行われる予定となっており、その内容によっては今後の対応が変わることになる。
(場合によっては俺が先頭に立って戦う必要があるかもしれない……その時、二宮はどうするんだろうな)
隣で楽しそうに歩く彼を見た。浮かれている顔を見て――優七の心に小さな懸念が生まれる。
間違いなく、彼は自分自身がリーダーとして戦うという強い自負を抱いている。それは現状のパーティーに良い雰囲気をもたらしていることは事実だが、砂上の楼閣であることもまた事実。
(誰かが死んだら……もしくは、俺が素性を明かすようなことになれば、きっと二宮はリーダーの座を明け渡さざるを得なくなる。そうなったら、彼は――)
こういう人物こそ、反動が非常に怖い――ロスト・フロンティアで活動してきた中で、優七も目の当たりにしてきた。
事件前であっても、仮想と現実に限りなく近くなったこのゲームにおいて、現実と同一視して問題を起こすケースが多々あった。そのため一時期は人間同士のいざこざが問題となり、余波としてプレイヤーキラーなどを廃止しようという動きもあった。けれど、結局実行されることなく事件が発生した。
優七の見たケースとしては、先頭に立っていた人物が突如他の人に取って代わられ、結果元リーダーは恨みを抱くようになった。その人物は最終的にプレイヤーキラーとなり、凄惨な復讐を行いパーティー自体が崩壊してしまった。
現在の二宮のケースはどうだろうか。少なくとも彼以外にリーダーを務める人物はいない。けれど一度問題が起こればそれが呼び水となり、反旗を翻す人物が出てくるかもしれない。
それは是が非でも止めなければならない。これはゲームの中ではなく、現実。やり直しはきかないから。
(そうならないよう、気を付けるしかないな)
優七は結論を頭の中で導き――やがて、分かれ道に辿り着く。
「じゃあな」
そこで二宮は告げ、歩き去る。優七は後姿に適当に声を掛けた後、家のある方向に歩き始めた。
家の玄関をくぐった時、リビングから「おかえり」という声が聞こえた。
優七は無言で家に上がる。スリッパを履きリビングに入ると、まず暖房の効いた空気が肌に触れた。
そして編み物をしている、ウェープがかった茶髪の女性が目に入る。
「ただいま」
声を発すると、彼女は手を止め優七を向いた。
「おかえりなさい……あ、おやつ用意したけど」
「食べるよ。冷蔵庫の中?」
「用意するね」
彼女は立ち上がり、どこか嬉しそうにキッチンへと向かった。
この女性が、引き取られた家――父方の弟の家――の奥さん。名を高崎利奈といい、現在の関係では血の繋がらない叔母に当たる。
親族等の話し合いで直に養子縁組をする予定であり、いずれ母親になる人物ではあるのだが――
(……若いんだよな)
実父とここに住む弟との年齢差があり、現在双方とも三十代前半――優七くらいの年齢の子供がいるという可能性はありうるのだが、どうしても違和感が残る。
(まだ一ヶ月だから当然かもしれないけど)
「あ、そういえば優七君」
思考中、叔母がキッチンの中で口を開いた。
「守山さんから電話が来たよ。連絡が欲しいって」
その言葉で――優七の顔に緊張が走る。
「電話? いつ?」
「一時間前くらい前。連絡はいつでもいいって。あ、それと連絡は江口さんの方にって」
「わかった。ありがとう」
「どういたしまして……と、はいどうぞ」
キッチンカウンター越しに優七へ差し出されたのは、お皿の上に乗ったチーズケーキ。
「部屋で食べるでしょ? はい、フォークも」
「ありがとう」
優七は鞄を持たない左手でそれを受け取ると、リビングを出ようと歩き出した。
「夕食できたら言って」
「わかった」
叔母の言葉を背に受けつつ、優七は鞄を持った右手でどうにかドアを開け廊下を出て、二階へ。リビング以外はとにかく寒く、優七は階段を上がると逃げるように部屋へと入った。
部屋の中は以前使っていた勉強机とベッド。一度見回した後鞄とケーキを机に置き、リモコンを手に取り暖房をつけた。
「さて、と……」
呟き、椅子に座る。そして左手をかざし、振った。
途端に、中指にはめられた指輪の青い石が発光し、メニュー画面が飛び出す。そこから画面を操作し通信を行う。
やがて数回電話のようなコール音が響き――相手が画面に出現した。
『ああ、優七君』
「守山さん、お疲れ様です」
出た相手に優七は小さく頭を下げた。
画面の向こうにいる相手は黒髪をムースでまとめ、グレーのスーツに眼鏡を掛けた几帳面そうな男性。優七は彼を一度見た時「ドラマに出てくるキャリア官僚」というイメージを持った。結果としてはその通りだったので、ここまで型どおりの人は中々いないと心のどこかで思っている。
名は守山康司。ちなみに肩書きは『LF管理対策本部討伐課課長』である。
『早速だけど、明日の予定について定時連絡を』
「はい。十三時からでいいんですよね?」
『ああ。ただそこから任務についてもらう』
任務――優七にとってここ一ヶ月の間に幾度となく耳にした単語。
「任務というのは……前の話と別件ですか?」
『いや、それに関することだ……ここまで話せばある程度推測しているとは思うが』
やや言葉を濁しながらも、守山は語る。
『以前話していた内容、本当らしいとの結果が得られた』
「……わかりました」
優七は頷く。同時に胸中で新たな戦いを予感する。
「それで、任務の具体的な内容は?」
『明日になったら話そう。今はあまり良くない話であるという認識くらいでいい』
「わかりました……他には?」
『明日のメンバーなのだが』
メンバーというのは、任務を行う人員と言う意味だろう――優七は耳をしかと澄ませ、言葉を待つ。
『今回は君を含めて三人だ。一人は江口』
「江口さん、ですか」
『よろしく』
と、彼とは違う男性の声。江口当人らしい。守山はプレイヤーでないため、普段はプレイヤーである彼が代理で通信をしている。だから今も画面の近くにいるのだろう。
『ああ……そしてもう一人は――』
と、そこまで言うと守山は黙り込んだ。
「……守山さん?」
間を空ける彼に対し、優七は疑問を呈す。すると、
『その辺は、また明日にしよう』
「え? ちょっと――」
優七が言い終えぬ内に、突如通信が切られた。
「……何だったんだ?」
思わず呟き、画面のあった空間を見つめる。
「何か言いにくそうだったけど……」
どこか引っ掛かりを覚えつつも、視界の端にチーズケーキを認め、息をついた。
「ま、明日になればわかることか」
言って、考えるのをやめにした。
明日になれば状況もわかるだろう――そういう考えに至り、優七はフォークを手に取った。




