彼の役目と勇者という存在
喚声と怒号が、周囲に響き渡る。合わせて聞こえるのは甲高い金属音や、爆発音。
場所は千人収容できるかというほど巨大な広間。誰かが発した数多くの光によって視界は確保できているが、天井部分だけは高く明かりもないため、闇に覆われている。
そこで人々が、異形の群れと交戦していた。誰もが剣や杖などの武器を構え、目前に迫る敵へ攻撃を浴びせている。
その中、一人の青年が巨大な角の生えた悪魔を、白銀に輝く剣の刺突によって倒した。周辺にいた人が感嘆の声を上げ、青年は息をつく。全身を青い鎧で包み、サラサラの金髪が頭を振るごとになびかせる彼は、呼吸を整え周囲に目をやる。
「――行けぇ!」
青年の真正面から声が聞こえた。見ると広間一番奥で、複数の人間が戦っている。そこには玉座らしき巨大な物と、黒と紫を気味悪く融合させた、髑髏の顔を持つ悪魔がいた。
「ユウ!」
青年の耳に響く声。彼は即座に視線を横に向ける――彼の身長と比べ三倍程の大きさを持つ黒い巨人が、両手で握る大剣を振り下ろそうとしていた。
「援護する!」
近くにいた別の人物が声を発すると同時に、青年は巨人に駆けた。敵の剣が振り下ろされる――だが、彼は懐に飛び込むことによって避けた。
「はっ!」
即座に彼は剣を振り、巨人の右足に叩き込んだ。両断、とまではいかなくとも確実に巨人の肉を抉り、悲鳴を上げさせる。
「今だ――オウカ!」
青年はすかさず振り返り叫び、同時に呼んだ相手を視界に捉える。セミロングの赤髪と赤いマントを揺らせ、剣を握る黒瞳の女性。彼女は青年の呼び掛けに応じると――左手をかざした。
「来たれ――光神よ!」
直後、彼女の手のひらから光が生まれると、無数の刃が生まれる。
青年が横へ避けたと同時に、それらが放たれ巨人と衝突した。
轟音と、くぐもった巨人の叫び、しかし――
(まだ、倒せていないか)
青年は胸中で呟く。
やがて光が収束し、巨人はその姿を現す。確認すると青年は首を彼女に向ける――その横に、二人の男女が立っていた。
「後は任せろ!」
声を発したのは、その内の男性。青色の髪と神官服に身を包んだ彼は、手に握る杖を巨人に振った。
直後、青い光が帯電を伴い――竜の形となって巨人に吸い込まれる。またも巨人の咆哮が生み出され、青年が確認にかかる。
「あと、一歩だ!」
激を飛ばし、最後の一人――軽鎧装備の、弓を構える銀髪ショートカットの女性に目をやった。彼女は心得たとばかりに、弓を光の中にいる巨人に構え、放った。
矢は紅蓮をまとい、巨人に直撃するや否や炎が生じ、体を包みこむ。そして聞こえたのは、断末魔だった。
倒した――青年は断じると、周囲を状況を窺う。
その時、広間にくぐもった重い悲鳴が生じた。目をやると広間の最奥にいた骸骨の悪魔が、声と共に消えていく姿が見えた。
「やったか……!」
青年が呟いたその瞬間、周囲に残っていた悪魔達が全て消え去る。さらには天井の闇さえも振り払われ、天窓から太陽の光が差し込んでくる。
「倒したぞ――!」
その中、最奥で剣を掲げる人物が一人。同時に歓声が湧き始め、青年もほっと胸を撫で下ろす。
そこに、赤髪の女性――オウカが近寄って来た。
「ユウ……これで、いよいよ魔王を残すだけとなったね」
彼女の言葉に、彼――ユウはしっかりと頷いた。さらに後方を見ると、先ほど援護をした男女の姿。
その内男性の方が、まず声を上げる。
「ユウ、お疲れ」
「うん、シンもお疲れ」
「長い戦いだったが、今回は全員生存できたな」
「前なんか、ひどかったもんねぇ」
男性――シンの言葉に応じたのは、弓を握る女性。
「後衛の私達が先にやられちゃったし」
「あれはマナ、お前のせいだろう。アーチャーのくせに前に出たがる性分が敗因だ」
「はいはい。そうですね」
口を尖らせ彼女――マナは答えつつ、ユウ達へ問う。
「で、これからどうするの? ひとまず『ルーム』に戻って打ち上げでもやる?」
「……いや」
ユウは首を振り、三人に提案した。
「この勢いだと一気に魔王の所に行くかもしれない。祝勝会をやるのは、全部終わってからにしないか?」
「賛成。ここで気を抜くのは早いと思う」
小さく手を挙げ賛同したのは、オウカ。同調したのかシンも「そうだな」と答え、やがてマナも頷いた。
「決まりだね。じゃあ次は、決戦直前『ルーム』に集合ということで」
ユウが告げると、他三人は一斉に左手を動かし始めた。途端に全員の左中指にはめられた青い指輪が発光し、機械的な音と共にメニューウインドウを呼び出す。
「それじゃあ『ルーム』で」
最初オウカが告げ、突如姿が消える。合わせてシンとマナの姿も消えた。
残されたユウは、メニューを呼び出す前に周囲を見る。
広間の最奥で、相変わらず剣を掲げもてはやされている人物がいる。彼こそ今回の戦いの主役――勇者の称号を持つ人物。名をジェイルという。
次に歓声を上げる人達を眺める。健闘を称え合う人の他に、勇者を称える人の姿もある。ユウは再度勇者を見据え、どこか羨望にも似た感情を覚え――メニューを開いた。
「……帰るか」
いくつか操作し、最後にログアウトボタンを押す――直後、意識が暗転し――
見慣れた天井が、視界に入った。ベッドに横になっているのを自覚する。
「……唐突過ぎる目覚めは、もう少しどうにかならないのかな」
声を発しながら、彼は頭に手をやった。先ほどまでの世界を生み出していた、処理機械――ヘッドギアが頭部に装着されている。レバーを外しそれを脱ぐと、彼は上体を起こした。
部屋を見回す。窓の上に設置されたエアコンからは暖房が流れ、部屋をしっかりと暖めている。次に時計を目を移す。午前0時を回っていた。
さらに自分の姿を確かめる。紺のトレーナーにジーンズ姿で、足は厚手の靴下に包まれている。
パジャマに着替えないと――思いつつ、彼はベッドから起き上がった。
「ふう」
運動していないにも関わらず、全身に疲労感が生まれている。彼はそれを我慢するように歩き出し、自室を出ようとした。
その寸前、壁に立てかけてある全身鏡に目がいった。そこには見慣れた自分――ユウとは異なり、中学二年で伸び悩み始めた身長をした、等身大の自分がいた。
「……なんだかなあ」
呟き、彼はドアノブに手を掛ける。なんとなく、自分の姿はこうでないと思いつつ、リビングへ繋がる扉を開けた。
VRMMORPG『ロスト・フロンティア』が世界に生み出されて、早五年。科学技術の進歩で仮想現実を実際に体験できるゲームが増えた中で、それでもなお全VRMMO中最大人口を誇っているのは、細かいアップデートと何より、黎明期において一気にシェアを伸ばしたためだと認知されている。
全てのMMOの中心がこのロスト・フロンティアであり、原点でありながらなおも進化を続けている。結果、このゲームは多くの人々を魅了し、今もプレイ人口を伸ばし続けている。
そしてユウ――高崎優七もこのゲームにハマる一人であった。
「おっとっと」
自宅であるマンションの一室で、優七は冷蔵庫から牛乳を取り出しコップに注ぐ。動きが少し大げさで、勢いあまって零しそうになる。
「プレイ中の感覚が残ってるな」
呟きつつ、なみなみと注いだ牛乳を一気に飲み干した。プレイ中体は汗もかいていたのだろう。コップの中身は、ほんの数秒で体の中へ吸い込まれる。
「母さん達は……もう寝たか」
暖房の効いていないリビングは寒々としており、肺に吸い込まれる空気がひどく冷たい。十一月末なのだが、今日は一際寒い。
本当なら両親は起きていてもおかしくない時間だったが、共働きで放任である優七の両親は、この時間に眠っているケースが多かった。その上帰ってきても食事すら用意せず、眠りこける場合がある。今日はそのパターンだ。
「さっさと部屋に戻ろう」
牛乳を冷蔵庫にしまうと、優七はそそくさと自室に戻る――それは寒さだけが原因ではない。きっと誰もいないリビングを見るのが嫌だから。心の中で半ば、確信する。
暖かい自室に入り、ベッドとは反対側の壁に設置された勉強机に目を向ける。そして机の上に置いてある、ノートパソコンを起動させた。
椅子に座り、小さく息をつく。先ほどゲームの中で行っていた戦闘が思い出され、僅かに身震いした。巨人が迫ってくる恐怖感も多少あったが、どちらかというとああした光景がリアルに体感できるという、歓喜の感情が強い。
やがて起動したパソコンで、優七はブックマークを介しロスト・フロンティアの掲示板を訪れる。
ヘッドギアの本体に連絡機能は存在していないため、現実世界にいる時はインターネットを利用して連絡を取り合うようになっている。
優七はマウスを動かし、先ほど最前線で戦っていたジェイルという名の勇者の書き込みを見つける。
『魔王との決戦は土曜日、午後一時から』
簡潔な文章。だが、書き込みを見て優七は武者震いした。土曜日――今日から見れば明後日。いよいよゲームの大きな目的の一つ、魔王との決戦が行われる。
優七は短い文面を何度も目で確認した後、ブックマークを辿り別の掲示板に入る。そこは優七が組んでいるパーティーの連絡板。仲間からジェイルに対する書き込みはなかったが、優七は自分のゲーム名で『次の魔王決戦。参加』と書き込みし、パソコンを閉じた。
「……眠るか」
エアコンが稼働する音以外何もない部屋で優七は呟き、クローゼットに近づいた。そこからパジャマを取り出し適当に着替え、ベッドへ横になる。
「決戦か……」
天井を見上げ、明後日のことを想像する。
優七はそれなりにレベルが高く、魔王との決戦にも十分耐えられるくらいの力量はあった。これは小学生の頃からずっとこのゲームをやってきた賜物――なのだが、同時に不満も覚える。多くのプレイヤーから見てそれなりの技量を持つ優七だが、ああした大規模な戦闘の場合、退路確保や露払いなどの、後方支援に徹している。
自分が、主役になれる時は来ないのだろうか――優七はいつも夢想する。
「……はあ」
ため息が零れ、次に思い浮かんだのは仲間達の顔。
優七にとってパーティーと呼べるのはオウカ、シン、マナの三人だけ。リーダーは特に明言されていないが、オウカだと優七本人は思っている。いつもパーティーのまとめ役を買って出ているのが、その根拠となっている。
加えオウカは魔法戦士としてかなりのスキルを持つためそれなりに名が知られ、あのジェイルとも顔見知り。さらにシンは神官であるため別パーティーから支援魔法で感謝されることが多々ある。マナに至っては元々顔が広く、街を歩けば色んな人と話をするくらいの有名人。
ならば自分――ユウはどうなのだろうか。職業は騎士。ただ剣一辺倒であるため魔法などは使えない。なおかつオウカのような派手さも無い。有名さという点は――多少あるが、優七にとっては不本意な称号だった。
「……なんだかな」
言いながら思考を閉ざし、目を瞑った。どうもネガティブになっている。そういう時は眠るに限る――
心の中で断じ、優七は意識を闇へ沈めていった。
* * *
次に彼が気付いた時、目の前には絶望が広がっていた。
「これは……」
呟き最初思ったのは、これこそ自分が望んでいた世界だということ。はめている指輪を振れば、現実でゲーム世界と同じような挙動を示す。まさに、彼の欲していた世界。
「……だが」
わかっていた――いや、こうなって初めて認識できたと言うべきかもしれない。目の前にあるモニターに映るプログラム。これが何をもたらし、どのような結末を招くのか、彼はしかと理解していた。
至った結論は――決してこれを表に出してはいけない――
「止め、なければ……」
そう思い、彼はプログラムをデリートしようとキーボードに手を伸ばす――しかし、手が震え進まない。
「駄目、か……」
完全ではないが、自分の体が掌握されている。理解すると何か手は無いか思案する。
もし現状のまま事が進めば――未曾有の大惨事となる。いや、それで済まないかもしれない。最悪、人類――生物そのものが死滅するかもしれない。
「方法は……」
部屋を見回す。一つだけ目についたものがあった。部屋の片隅に、段ボール箱が一つ。
「……指輪」
そう、あれは彼が身に着ける物と同じ指輪のサンプルが入っている。
その時閃いた。彼は即座にポケットから携帯電話を取り出す。
キーボードには触れない。しかし携帯電話は操作できる。これは自分の中にある別の意志が、プログラムだけは守ろうとしているためなのだろう。
「これしか、ないか……」
本来は、魔王を討伐した時にプレイヤーに贈られるはずだった物――しかし、今しかない。今やらなければ、世界が終わる。
理解しながら――震える手の中でメールを作成し、送信ボタンを押した。