決意と誓い
「……え?」
突拍子もない内容に、桜は聞き返す。
「え、ジェイル?」
「あ、いや、なんだかよく話をしている光景を見るから」
と、言った所でしまったと気付く。
これでは二人の仲を詮索している――即座に「今の話はナシ」と言おうとして、桜が突如ニンマリとした。
「……ねえ、もしかして」
「い、いや、違うって。単純に気になっただけで」
否定しようとしたが、桜は表情を変えぬままずずいっ、と体を寄せてくる。優七はたまらず後退し、湖面の淵にあるぬかるみに、足を取られた。
「あっ――」
そのまま倒れようとする――寸前、慌てて桜は手を伸ばし、優七の手を掴んだ。
「ご、ごめん、大丈夫?」
桜が尋ねる。優七は体勢を立て直し、掴まれていた手を離す。
「う、うん。ごめん。全然関係ない話で……」
語尾がやや、小さくなった。桜の表情を窺うと、顔が不安なものに戻っている。
「……冗談とかは含めず訊くけど、相談しようとしていたことと関係あるの?」
彼女は顔を窺うように訊く。その言葉に、優七はもう黙ることはできないと確信した。
「……もう、ここしかないと思って」
やがて呟いたのは、抽象的な言葉。桜は口を挟まず、続きを待つように佇んでいる。
「両親がいなくなって……もう帰るところが無くて……俺には、友人と呼べる人もいなくて、人との繋がりが残っているのは、この場しかなくて」
言うと、自嘲的な笑みを含ませながら続ける。
「もし、この場にいる仲間達まで目の前からいなくなってしまったら……俺は生きていて、見向きもされなくなる。そしてもし、戦いが終わったら……こうしてルームの中で会話をすることもなくなる。だから、一人になってしまう」
「優七君……」
桜が呼ぶ。けれど優七は構わず語る。
「不安なんだ。居場所がなくなることが。こんな悲劇が起こらなくとも、ずっと一人だった。ここしかないって思っていた。ゲームで剣を振ることだけが、人と接する機会だった。けど、わかってる。ゲーム上の関係なんて、所詮偽物でしかないって。でも、その偽物しか、すがれるものがない……早くこんな悲劇を止めたいって思いながら、それでも全てが終わることも不安で……」
「いるよ」
桜の声が響いた。優七が彼女の顔を見ると、決意を秘めた瞳と、穏やかな表情があった。
「ずっと、私は優七君の傍にいる」
その言葉に、優七は声にならない呻きを上げる。
「だから、そんな悲しいこと言わないで。形はどうあれ、今私達は素顔でこの場にいる。戦いが終わっても消えるわけじゃない。もし全てが終わったら、今度はゲーム上じゃなくて、リアルな世界でも一緒にいようよ」
「……桜、さん」
それ以上、言えなかった。彼女を凝視し、言葉を待ち続けることしかできない。
「優七君。私はね、色々と相談して欲しい。今みたいに不安を抱えたりせず、私や、仲間に言って欲しい……でもそれだけじゃ、まだ不安なんだよね?」
「え……」
「私達は現実世界にいるけど、あくまでゲームによって引き起こされた悲劇に対処している。きっと、こんな騒動があったからロスト・フロンティアというゲームは無くなると思う。だから、もう繋がるようなこともない」
確かにそうだった。優七はだからこそ、怖い。
「なら私が、ずっと傍にいる」
そして、桜は決然と言い放った。
「一人じゃない。私がいる。繋がりはずっと、私と優七君の間にある。だから――」
彼女の言葉が止まった。原因は明瞭で――優七が泣き始めたからだ。
「……俺、は」
謝りたかった。きっと彼女は、自分のことを気遣ってくれた。だから、ずっと傍にいてくれると約束した。
嬉しかった。本当に嬉しかった。けれど、
「迷惑だよ、そんなの」
優七は零した。首を振り、自分と彼女の立ち位置を思い出し、話す。
「俺は、桜さんと隣にいられるような人間じゃなくて……」
「……どうして?」
聞き返される。優七は袖で涙を拭き、一言だけ告げる。
「迷惑に、なるから……」
――自分はきっと、他の仲間達とは違う人間だ。そういうコンプレックスのようなものが、どこまでも心の中にへばりついている。
名を知れば誰もが驚く学校に通う彼女。憧れていたロスト・フロンティアのシステムを担う女性。社会に出て、一線で活躍する男性。自分の未来はわからないまでも、そうした彼らとは一線を画するものだと、予感めいたものを覚えていた。
だからこそ、いてはならない――繋がりが欲しいのに、迷惑だからと身を退く思いには、矛盾しかない。けれど、今の優七はそれが正しいと感じている。
「どうしてそう思うの?」
桜が問うと、優七の口が止まる。目を合わせると、悲痛な面持ちの彼女がいた。
「私は、優七君と一緒にいて迷惑と感じたことなんかないよ。ゲーム上の出来事だから……と理由を付けてしまえばそれまでだけど……」
そこで、彼女は気付いたようだった。嘆息混じりに、なおも言う。
「もしかして、現実世界での立ち位置に負い目を感じているの? それなら何一つ気にすることないよ。私の出自とか、麻子さんや慶一郎さんが社会で働いていることに引け目を感じる必要なんかない」
断じると桜は微笑んだ。優七は月明かりに照らされたその表情に見惚れてしまう。
「それに、そういうことは言わないでほしいな……優七君と組むことに決めた、私の立つ瀬がないじゃない」
「え……?」
「パーティー組もうした時のこと、覚えてる?」
唐突な質問に優七は口ごもったが、その時の光景は思い出せた。
優七は一時期組んでいたパーティーの面々が引退し、ソロプレイを余儀なくされたことがあった。そんな折オウカと出会い、なけなしの勇気を振り絞って勧誘したのだ。
「あの時実は、ジェイルからも誘いがあったんだ。元々知り合いだったんだけど、私はソロプレイが楽しかったから断っていた。けど、高レベルのダンジョンで苦しくなって、いよいよ誰かと組まないとまずいと思い、ジェイルからの申し出を受けようと考えていた」
「じゃあ、なぜ俺を?」
きっとジェイルとは古い知り合い――だからこそ、以前のような会話をしていたのだろう。ならばそちらに行くのが筋ではないか。
疑問に、桜はなおも微笑みながら応じた。
「優七君が必死に、私のことを気遣って誘ってくれたから。きっとこの人は、現実世界でも優しい人なんだろうなって思って、組むことにした」
桜の答えに、優七は黙り込む。すると彼女はどこか嬉しそうに語り始めた。
「でね、私は正解だと思った。確かに優七君から見たら、魔王を倒せたあのパーティーに入った方が良かったと思うかもしれない。けど、私はここにいて良かった。優七君と接していて楽しかったし、落ち込んでいる時も励まされたから」
彼女の発言が、優七の心に染み入る。涙はやがて静まり、胸の中に暖かい光が差し込む。
「私はゲームを通して優七君に助けてもらい、なおかつたくさんの思い出ができた……そんな優七君のことが好きで、ずっと一緒にいたいと思ってる」
その言葉に――優七はじっと桜を見つめた。彼女はどこか照れくさそうに見返している。
「……桜、さん」
名を呼んだ。彼女は表情を変えないまま――そっと近づき、優七の体を抱きしめた。
優七は黙ったまま、桜の肩に腕を回す。
「ありがとう、桜さん」
お礼の言葉が出た。そこで彼女は体を離し、満面の笑みを浮かべる。
「当然だよ。なんたって、私はあなたの奥さんなんだから」
そう言った彼女の顔はほんの少し赤く――優七はどこか胸のすく思いで、頷いていた。
その後二人は湖を見ながら肩を寄せ合って座り込んだ。風が草を撫でる音しか聞こえないこの空間は、悲劇など夢だと思わせるくらい、心が洗われる。優七の桜の言葉と景色により、繋がりを失う恐怖がなくなっていく。
さらには、他の人のために戦わないといけない――そういう決意も戻ってくる。
けれど同時に、死の恐怖は完全に払拭されない。けれど、隣にいる桜となら乗り越えられる。そんな風にも思い始めた。
「……俺、さ」
やがて優七が声を発する。桜は体勢を変えないまま、言葉を待つ構え。
「普段からずっとゲームばっかやっていて、ロクに両親のことを見ていなかった。両親も共働きで俺のことを見ていなかった。けど、魔物が襲って来た時、二人は俺を逃がそうと必死になって、そこでやっと、両親に愛されていたんだなって思った」
「……悲しくない?」
辛そうに桜が問う。優七は頷きながら、ゆっくりと語る。
「しばらくは泣いた。そして戦えることをもっと早く気付いていれば、助けられた……そうした後悔は、今でもある」
言って優七は、夜空を見上げた。
「そしてこんな理不尽をやめさせないと……そう思って剣を握り走った。魔物を倒しまくって、桜さんと出会って、他の仲間達と合流して……ここにいる」
そして今度は、桜へ顔をやった。
「母さんや父さんは俺を助け出してくれた……だから助けられなかった後悔は、ずっと続くかもしれない。けど、泣いてばかりだと俺は怒られそうな気がするし、何より他の人達を、こんな目に合わせたくない」
「……強いね、優七君は」
どこか感心する様子の桜は、優七の頭を軽く撫でながら言った。
「私は両親を助けることしか考えられなかった。もし二人がいなくなってしまったら……今でも部屋の隅で泣いていたかもしれない」
「桜さん……」
「優七君。次の戦い、絶対に勝とう。こんな馬鹿げた世界を、早く終わらせるために」
「うん」
はっきりと頷いた。途端に桜は手を離し、静かに立ち上がる。
「そろそろ、帰ろうか。明日に備えて眠らないと」
「わかった」
優七も同意し立ち上がる。そこで彼女は、右手を差し出した。
「行こう」
優七は所作に一瞬躊躇した。けれど少しして左手を出し、手を繋いで歩き出す。
その温もりを感じながら優七は決意する。絶対に彼女を守る。この狂った世界を終わらせ、いち早く平和にして、彼女を救うと――




