避難空間と仲間
ルーム内は、ゲームと同一の機能を果たしていた。
ログハウスはきちんとベッドが整えられ、中にあるアイテム倉庫もきちんとある。ルームの中では時間も現実と同じであり、太陽が沈み少しずつ暗くなり始めている。
「とりあえず、安全みたいね」
ログハウスにそちらに両親を入れたオウカが、草原を見回しながら呟いた。
魔物の気配は微塵もない。優七も念の為索敵系のアイテムを用いて確かめてみたが、やはり出現していない。
「ねえ、ユウ。このルームがどういう原理で存在しているか、わかる?」
彼女が優七も尋ねる。だが、それに答えられるはずもない。
「ごめん、わからない」
「……そうだよね。けど、安全な避難場所みたいだし、少し怖いけどここを拠点にするしかないか……」
彼女は呟くと、改めて優七に視線を送った。双方目が合い言葉を失くし――やがて、見下ろす形の彼女が、吹き出すように笑う。
「……背格好だけ見ると、もしかして中学生?」
「……ああ、そうだよ」
優七は歎息しつつ彼女に応じる。
「そっかそっか、中学生かぁ……」
彼女はどこか嬉しそうに言う。優七は意図がわからず首を傾げるが、彼女はそこに言及しなかった。
「あ、そういえば……自己紹介がまだだったね」
言うと、彼女はおもむろにポケットを探り何かを差し出す。
それは生徒手帳であり、名前の欄に『小河石桜』と書かれていた。
「私の名前は小河石桜。華蘭学園一年の高校生だけど……そっちは?」
「……高崎優七。名前は優しいに数字の七。中学二年」
「高崎、優七君か」
にっこりとしながら、彼女は優七に話す。
「私のことは名前で良いよ。実を言うとオウカという名前も桜……そこから連想して、桜花という言葉からつけたんだけど、苗字だとなんだかくすぐったい」
「わかった……桜……さん」
さすがに高校生を呼びつけで言う気になれず、優七はさん付けで名を呼んだ。すると彼女――桜はまたも笑うと、優七の体を上から下に一瞥し、なおも語る。
「ゲーム上で身長高いのは、ご愛嬌?」
「悪かったな。実を言うと伸び悩んでいてコンプレックスなんだ」
答えると、気を悪くしたと思ったのか桜は両手を合わせ「ごめん」と謝る。
「別に咎めているわけじゃないよ? あ、そういえば顔はあんまり変えていないんだね」
「以前別人にして、鏡を見る度に驚いていたから」
「あ、私もそう。だったら他の仲間達も同じなのかも」
言われ、優七は気付く――そういえば、この悲劇を前に他の面々はどうしているのか。
「シンとマナの二人……大丈夫かな?」
「わからない……無事だと信じるしかないね」
桜は答えると、その場に座り込んだ。さらに夜を迎えようとしている空を見上げ、優七へ言う。
「指輪で通信取れるのか試してみたんだけど、応答しなかった。通信機能は働いていたから、魔物と交戦して受けられなかったのかもしれない」
「そうなのか……」
そこで、優七は考え始める。
理屈で説明できないが、ロスト・フロンティアのゲームや魔物が現実に発生している。さらにはアイテムを呼び出すような動きも、物理法則を無視するような、ゲームそのもののモーションで生み出されている。
「一体何なんだ……ここはゲームの世界じゃないよな?」
「わからない」
呻きに近い優七の言葉に、桜は首を振って応じる。
「けど一つ……この地獄みたいな事象は現実で、なおかつ指輪をはめていない人は魔物から攻撃を受ければ死ぬ……ちなみに優七君と遭遇した経緯だけど……両親をどうにか助けて安全な場所を探していたら、発見したの」
「そっか……あ、そういえば、なんで制服なんだ? 休みなのに」
「魔王との戦いの前に言った、用事だよ。午前は部活……家庭部なんだけど、その用事で学校に行っていたの。で、着替えもせずロスト・フロンティアに接続して、魔王を倒し街に戻って……強制的にログアウトした」
「ログアウト?」
聞き返す。優七は自主的にログアウトしたため、以降どうなったかを知らない。
「うん。街に戻って少ししたらいきなり通信が遮断された。何が起こったのかわからず部屋の中で驚いていた時、狼の咆哮が聞こえたの。慌てて見ると、家の外にデビルウルフがいた。近所の人が驚いて逃げようとしたんだけど……突進されてその人は……」
そこまで語ると、桜は身震いした。
「……それで、こちらに目を向けられてどうしようか考えて……自分が指輪をはめているのに気付いて、反射的に振ったらメニュー画面が出てきた。防具の類がなかったけど、武器はあったからデビルウルフを倒して、そのまま逃げてきた」
「住んでいた付近は……」
「魔物だらけだと思う」
深刻な顔つきで桜は言う。優七は背筋がぞっとしつつ、先ほどまでいた繁華街を思い出す。
悲劇前まであの場所には人が大勢いたはずだ。だが、魔物が出現し逃げまどい、多くの人が犠牲に――思うと、優七の心にまたも怒りが生まれる。
「とりあえず、ゲーム上の機能は生きているから、情報を集めないといけないね」
そんな優七を他所に桜は告げると、メニュー画面を呼び出し掲示板に繋ぐ。
「移動している間に見ていたんだけど、やっぱり混乱していた。阿鼻叫喚と言ってもいいかも。けど、生きている情報源はこれだけだから、ここから調べるしかない」
「これだけ……携帯は?」
「気付いてなかったの? 逐一確認していたら圏外になった。基地局が魔物に破壊されたんだと思う」
絶望的だった。優七は状況を察しつつ、桜が操作する様を眺める。
「一番問題なのは魔物の行動……優七君、疑問に思わなかった? 普通魔物は、故意にNPCを襲うような真似はしなかった。近くにプレイヤーがいたら別だけど、そうでない人もやられている」
「言われてみれば、確かに」
ゲーム上のNPCは基本街の中にいる。フィールド上で貨物の輸送などにより移動をしているケースもあるのだが、それに魔物が攻撃するケースはなかった。
例外的に護衛依頼などミッションであれば別だが、基本NPC単独で魔物が襲われるようなことはない。
「魔物の行動パターンが変わっている。アクティブになっている状態を戻せば、現状よりかなりマシになると思うんだけど」
「確かに」
桜の言葉に優七は同意しつつ――ある考えに至った。
「新たな魔王が出てきたため、アクティブ化した……と考えるのが自然かな」
「そうだね。けど、それを解除する方法が見当たらない。魔王を倒すのが条件だとしたら、かなり厄介だよね……」
呟き、桜は一度メニューを閉じた。
「やっぱり情報は載ってない。こうなったらルームを出て情報を集める必要も……」
「いや、さすがにそれは――」
否定しようとして、突如正面の空間が歪み始めた。
優七は驚きつつ目をやる。それはルームと外を繋ぐゲートだった。
「仲間……!?」
桜が驚き声を出す。歪みはやがて像を結び、向こう側の景色を映し――四人の人物が一斉に雪崩れ込んできた。
「っ……!」
最初に飛び込んできたのは黒いコートを着た男性。見た目二十代半ばのスラリとした体格の人物で、苦しそうな表情で誰かを抱えながら入って来た。
男性に連れられ入ってくるのは女性。こちらは二十前後といったところだろうか。茶髪に紅色のコートを着込んでいる。遅れて年配の男女が入り――優七は家族でここに避難してきたのだろうと察せられた。
その中で、見覚えがあったのは最初に入って来た男性。間違いない、彼は――
「……シン」
呼び掛けると、男性が反応し優七を見る。
「ユウ……と、隣は……オウカか?」
「うん」
男性が聞き返すと優七は神妙に頷いた。
彼の顔もやはりゲーム上と変わっていない。しかし神官として活動していたゲームと比べ、温和な雰囲気はどこにもなく、代わりに張りつめた空気を帯びていた。
「そうか……どうやら、助かったらしいな」
彼は言いながら振り返る。同時に転移ゲートが消え、外界からルームが閉ざされた。
直後彼は安堵したように息を漏らし、傍らにいた女性をその場に座らせる。
「その人達は?」
優七は確認のために問う。彼は無事だった人達に目をやりながら答えた。
「この子は僕の妹。そして、後方にいるのは両親だ」
硬質な声。優七は雰囲気に圧され、それ以上訊けなくなる。
すると、態度でわかったのか彼は微笑みながら告げた。
「すまない。仕事柄事務的な口調で話すことが多いんだ」
答えた時、少しばかり緊張が和らいだ気がした。優七はコクコクと頷きつつ、手でログハウスを示す。
「ひとまずご家族をログハウスに……あ、桜……じゃなくて、オウカの両親もいるけど」
「わかった。話は落ち着いてからだな」
再び淡々とした口調で応じると、家族に目線でログハウスへ行くよう促す。彼の妹が立ち上がると四人はゆっくりと歩み始め、優七達の横を通り過ぎる。
やがて一行が建物に入った時、優七は小さく息をついた。
「家族を助けて……ルームの存在を知り来たということかな」
「私と同じだね」
桜もまたログハウスを眺めながら、優七に返答する。
「そういえば、優七君。あなたの、ご両親は?」
訊かれ、優七はドキリとなる。ほんの数時間前に起こった消失の悲劇が頭をよぎり、どう返答しようか迷う。
(どうしようか……)
話しても問題ないとは思う。けれど、ここで不幸な話題を出したくないという思いもあった。
沈黙していると、桜はなおも口を開こうとする――だがその時、ログハウスの扉が開きシンが姿を現した。
優七達が同時に振り向くと、彼はしっかりとした足取りで近寄って来る。
「ひとまず怪我はしていないため、あそこで休ませることにした……ルームが使えると知った時は、幸運だと思ったよ」
「俺達も」
優七が応じる。彼は頷いた後、懐から何かを取り出す。名刺だった。
「仕事上名刺は持ち歩くようにしているんだ。これが僕の名だ」
そう言って二人へ渡す。見ると『真田慶一郎』と名前が記されていた。
「長い名前だから、苗字でも、名前でも、ゲーム上の名前で呼んでも構わないよ。それと、ゲーム上で話していた口調で構わない。気を遣われるのは違和感がある」
彼の言葉を聞きながら優七はなおも名刺を凝視する。社名の欄には国内屈指の都銀の名前が記され、その法人営業部という肩書があった。銀行員らしい。
「……銀行の方、なんですね」
桜が同じように思ったのか名刺を見ながらポツリと呟く。彼――慶一郎は小さく「ああ」と答え、二人へ訊いた。
「ゲーム上ではそんな硬い職業には見えなかった?」
優七と桜は同時に首を縦に振る。慶一郎は苦笑し、肩をすくめつつ語る。
「ゲームは大学時代からやっていて、暇があればやり続けていたんだよ。まあ、唯一の趣味みたいなものだ」
語る慶一郎の目は、和やかな色が生まれていた。どうやらこれが普段の口上らしく、ゲーム上と酷似している。最初出会った時のような雰囲気は、銀行員として活動している時のものなのだろうと優七は推測した。
けれど、彼はすぐさま顔を引き締め説明を始める。
「僕がここに来た状況くらいは話しておこう。魔王を倒した後強制ログアウトになり、いきなり家の周りが慌ただしくなった。少し調べ魔物が出現しているのがわかり、逃げようとして指輪の効果に気付いた」
「それで、戦いながら逃げていたと?」
桜が尋ねる。慶一郎は「そうだ」と答えた後、続ける。
「車で移動していた時、置き去りの車に阻まれ乗り捨てて徒歩で移動をした。その後とあるビルに逃げ込んだんだが、魔物ばかりで万事休すとなった。そこでルームの存在に気付き、今に至るわけだ」
桜と同じような流れ。優七は理解すると同時に、一つ質問をした。
「何かこの騒動について、情報はある?」
「いや、申し訳ないが僕もわからないまま行動していた。正直こちらが訊きたいくらいなのだが」
「わかった」
優七は言葉を切り、三人の間に嫌な沈黙が生じる。安全な場所を見つけたとはいえ、事態は一切好転していない。
(手は、ないのか……?)
優七は藁をもすがる思いでメニュー画面を呼び出し、掲示板を開こうとした。その時、
「――またっ!?」
桜の驚愕。優七が目をやると、またも草原に歪んだ空間が生じていた。
三人が注視した途端、像が結びルームの向こう側である現実世界が見え――女性が一人飛び込んできた。
「――くはっ!」
地面に体を打ち、女性は苦悶の声を上げる。だが彼女はそのまま草原の上に寝転がると、大きく息を吐き、言葉を漏らした。
「あー、どうやら生きている、みたいね……」
心底安堵したように言った時。彼女は優七達の存在に気付いた。すぐさま起き上がり三人を眺め、察した様子。
「どうやら、全員お仲間みたいね?」
ハキハキした声音に対し、優七が代表して頷く。そこでゲートの入口が閉じた。
女性を観察する。顔はやはり見覚えがあった。だが容姿としてはゲーム状のショートカットではなく、黒髪を無造作に後ろで束ねている。それにパーマでもかかっているのか、毛先が多少波打っていた。
さらに姿はジャンパーにジーンズと、カジュアルな格好をしている。
「助かった。いやー、敵に囲まれて死にそうだったんだけど……どうにか脱したよ。神様っているもんだね」
彼女は陽気に告げる。優七はその言動に対し、笑みが浮かんだ。
さらに桜も笑う。緊張を解きほぐすような声であったため、場が空気が一気に和らいだ。
「……どうやら、仲間は全員無事みたいね」
桜がまとめると、全員の頬が緩む。再会できたことを、喜ぶ。
「……でも、やらなきゃいけないことがたくさんある」
そして優七が告げる。三人はその言葉に対し顔を引き締め、やがて同時に頷いた。




