終章 「彼女がいない、この世界で」
深夜、僕は、目を覚ました。
目が覚めた理由は、分かっている。
世界の救済が発動し、世界は、自身の書き換えで、大忙しなはずだ。
何せ、二人分の人間の情報を、数多ある可能性の数だけ存在する一瞬先の世界と、今まで僕と彼女がいた世界から、僕たちに関する情報全てを、書き換えなければならないのだから。
カーテンの隙間から、月明かりが漏れていた。
満月だった。
時計を見ると、二時をちょっと回っていた。
「丑三つ時か」
月明かりが、まぶしい。
カーテンを開け、外を見る。
彼女がいた部屋には、カーテンすらかかっていない。
そこに家具の類いが何もない事が、月明かりのおかげで、はっきり見えた。
僕は、携帯電話を手に持ち、彼女からの着信を待った。
僕は、ずっと、彼女がいた部屋を見つめていた。
目から、自然と、涙が、こぼれた。
──僕と彼女が、今までと同じでいられる保障なんてないと思ったけど。
一つの可能性ではあった。
でも、やっぱり、世界は、それを許さなかったのか。
彼女の存在は、消えてしまったのか。
携帯電話には、彼女の情報は、一切、なかった。
──僕の中の僕も、消えたのか。
『力』も消えていた。
ぐっと、拳を握ってみる。
『力』の感触は、もうない。
──皆、消えてしまった。
「僕だけが、生き残ったのか」
世界は、僕だけを、残して。
後は、皆消えてしまった。
「……死ぬより悲しい事、なんて言うけどさ」
僕は、生きていて、この世界にいて。
「僕は、君が、皆がいた事の証。忘れない。だけど」
だけど。
「忘れない。僕には、それが、一番悲しいよ」
君たちのいない世界なんて、僕がいる世界じゃない。
約束。
生きる事。
忘れない事。
でも。
「死んでしまうより、悲しいよ……こんなの……」
僕は、この世界で、一人になってしまった。
『彼女たち』は、もういない。
『僕』も、もういない。
心の中の、大きな、大きな、穴。
それを埋めてくれる存在は、もう、いない。
「でも、僕は、生きて行くよ──約束だから」
朝日が、月に替わって、世界を照らす。
世界は、書き換わった。
世界は、多分、救済された。
でも。
「僕と彼女は……救われなかった」
だから。
彼女からの電話は、かかって来なかった。
***
世界は、僕だけを、僕の記憶と共に、存在を許した。
僕の部屋には、作り付けの机とクローゼットとベッド、そして、ノートPC。それに、いくつかの参考書と漫画本。
何も変わらない。
変わっていない。
僕が、僕である事も。
何も、変わっていない。
僕は、いつも通りの時間に、バスに乗り、学校へ行った。
***
学校に着くと、僕の席があった。
教室も、そこにいるクラスメイトも、いつも通りだった。
唯一違う事、それは、彼女の席。
空席だった。そこには、誰も座っていなかった。
それを誰も、気に留めない。
きっと、そこに彼女が座っていた事を、誰も、知らない。
ただ、空いている席が、寂しそうに、あるだけ。
教室では、昨日の体育の授業での、僕の活躍が話題になっていた。
サッカー部のレギュラーだったクラスメイトからは、今からでも遅くないからサッカー部に入らないか、と誘われたが、丁重に断った。
そう。
僕は、いつも通り。
いつも通りにしなければならない。
そして、忘れてはいけない。
それが、彼女との約束。
彼女が、決めた事。
僕の出した、答え。
僕は、自分の席に座り、彼女がいた、今は誰も座っていないその席を、ずっと眺めていた。
予鈴が鳴った。
教室の中が、にわかに騒々しく動き出し、クラスメイト達が、自席に戻り始める。
僕は、その中に、彼女がいないか、目だけで追う。
いるはずがない。
世界は書き換わり、彼女は、もう、いない。
「なぁ、知ってるか?」
突然、僕の前の席に座っているクラスメイトから、声を掛けられた。
「何?」
「今日、転校生が来るんだってさ」
「へぇ」
「何だよ、関心薄いな。気にならないか?」
「何を?」
「男子か女子か」
ああ、そう言う意味か。
「どっちだと思う?」
僕は、ちょっと考えて、
「女子だろう?」
「おお、何でそう思った?」
「わざわざ、お前が僕に聞くくらいだからな。そうなんだろ?」
「まぁ、そうなんだけどな」
──そんな事より、この世界は、昨日の世界と違うんだぜ?
僕は、そう言う替わりに「当てたから、後で、ジュース一本おごりな?」と言ってやった。
ちぇー、とそいつは、ちょっと悔しそうな顔をして、前を向いた。
転校生か。
もうすぐ、期末テストが始まるし、二年生のこの時期に転校してくるなんて、気の毒だな。
ちょっとだけ、興味が出てきた。
そして、期待してみた。
──彼女が、転校してくれば、良いのに。
僕は前を向き、彼女がいない、その空いている席を、目だけで見つめた。
「ほらー席につけー」
本令が鳴り、担任の先生が入ってきても、目は、ずっと、誰も座っていない、僕だけが覚えている、彼女が座っていた、その席を見つめていた。
出欠が取られ、転校生が自己紹介している時も、僕は上の空で、その席を、ただただ、見つめていた。
だから、気が付かなかった。
その席に、彼女が座った。
目が合った。
それは。
彼女は。
僕は、知っている。
彼女の顔。
ちょっと茶色がかった髪。
誕生日だって知っている。今日が誕生日なはずだ。
今日で十四歳になった、学校では大人しく、控えめな、彼女。
僕の前ではいつも強気で、たった三ヶ月、先に生まれたからと言って、お姉さん気取りな彼女。
『私たちは、何かを約束したら、絶対、それを守る。どちらかが約束をしたら、破らない』
僕は、約束を守った。
なら、彼女も、その約束を守る。
それが、約束をする上での前提条件となる、約束。
彼女は、目が合った僕を、見つめ返した。
僕も、見つめ返した。
そして。
彼女は、柔らかく、微笑んだ。
それは。
僕が知っている、最高の笑顔だった。
~Fin~