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二話 目覚め

第二話 銀色の朝 



 その日の朝は、今まで生きてきた中で、一番静かな朝となるはずだった。アヤメとの間に会話も無く、ほんの少し目を合わす位の、そんな穏やかな時間。

 目の前のモーニングを二人で並びながら食べている。

鼻を、コーヒーとバターの仄かな甘い香りが擽る。

 眠け眼を擦り、目の前に置かれたミルクコーヒーと、バタートーストに手を出そうとして、横から白く細い手に奪われる。そちらに目を向けると、銀の糸のような髪が目に映った。

 その手には、一枚のトースト。

「おい」

 その飄々とした横顔を睨みつける。

 朝の沈黙は、些細な事で破られる物だ。姉が言っていた言葉が、今になって良く分かった。

 そして、当然の様に焦げたパン粉だけが残る皿を隔てて、無言の睨み合い。

 だが、それもすぐに終わりを告げた。

「このトーストは俺のだろうが」

「私は三枚しか食べてない」

「俺は五日間、何も食ってねぇんだよ」

 今までで一番静かな朝から一転、とても騒がしい朝となった。

「その五日間の看病を誰がしたと思っている?」

「俺が起きてた時は寝てたろ。第一、魔力なんて勝手に沸いてくるもんじゃないのか?」

 コーヒーの波紋が広がり――気のせいだろうか、部屋が少し軋んだ気がする。

 アヤメの手に握られていたトーストは、無残にも粉となり、宙を待っていた。

 ――ああ、勿体無い。

 いや、違う。そうじゃなくて、なんかやばい。異獣に襲われた時の恐怖より、こっちのが恐い。寝惚けていた頭が一気に覚醒し始める。まずは逃げ道の確保……。

 そこに、逃げ道など在りはしなかった。その代わりに、今にも首を切り落さんとする、修羅の仮面を被り、銀の片刃剣を持った女が門番をしていた。

 コレは死ぬ。間違いなく死ぬ。

「仮主よ。まさか、血中魔力枯渇を知らずに、陣や唱を組んでいたのではあるまいな?」

「すいません。わかりません」

 来ると思っていた剣は一向に来る気配は無く、殺気もいつの間にか霧散していた。

「よいか? 元々、血中魔力には限界がある。人によって形は様々だが、私の血中魔力の魔力炉は<泉>だが。内容水……つまり魔力の源が尽きれば、枯渇する。<火>であったとしても、燃料が無ければ消えて無くなる。<氷>でも徐々に溶けて、遅くはなるが何時か全て溶け切る。それが、小さければ小さいだけ無くなるスピードが速い」

「あーつまり、使い切ったら魔術は出来なくなる。と」

 自分では理解したつもりだったのだが、アヤメの肩がガックリと下がり、溜息が漏れた。

「車のエンジンが壊れたら、銃の弾が無くなったら、どうなる?」

 ……使い物にならなくなるわな。

 ようやく理解できた。魔力炉は無尽蔵じゃなくて、あくまで心臓と直結している条件爆弾付きのビックリ箱。開けるまで量が分からないし、空けた瞬間からカウントダウンが始まり、それと同時に相応の魔力が流れ始める。そして、少しずつ消耗されていく。

 それは、最初から開けられている人間も居れば、カギを使って開けなければいけない人間も居る。どちらかと言えば、俺は後者だろうか。最初から開いていれば、何度も読んでいる途中で魔術が発動していただろう。それにしても、万人が魔力炉を持っているとは知らなかった。

 授業では『選ばれた人』しか使えないと教えられ、それに反発するように、簡単な陣術から、高位な喚術に至るまで、全てを覚えた記憶がある。

 その知識は未だに頭の中に残ってはいるが。

 俺の魔力炉では、一つの魔術でさえ支えきれないと言うなら、それも無駄な知識だろう。

 初期の魔術で、魔力を使い切ってしまう程の小ささなら、きっと後ひとつでも陣を組めば、魔力炉に直結している心臓が焼き尽いて、この身体が二度と動かなくなる。

 そんな状況で、戦いなど出来るだろうか。魔術を使わず、素手だけで。

――無理だな。

それが結論。とりあえず言えるのは、魔力炉が空になる寸前では、どう足掻こうとも勝てないし、一分も立ってはいられないだろう、だが。

何故かは知らないが、魔力は元に戻っている。それは、確信できた。

 初歩的な魔術で良い。使えるだけのものを使って、そうすれば勝てる。

 既に脳内で戦闘シュミレートはしていた。何千パターンかのうち、使えないものを擦り切り、半分まで減らして、それから再び可能である物だけを残し、あとは削り捨てていく。

 それを繰り返した上で、残ったのは二つだけだった。内一つは、自分の性に合わないので破棄し、もう一つの方だけが残る。

 それは、命を張った賭けでもなければ、血肉を削っての勝利でもない。ただ<逃げ>の勝利。

 なにも、正面から拮抗する必要は無い。あわよくば、宣言通りに一撃を入れるまでも無く倒せるかもしれない。どれだけ、捻じ曲がった戦いであれ、それが勝利へと結びついたのなら、それは正回答であるし、誰からも文句は言われない。

 敢えて言うなら、これは子供の喧嘩。ただ、どっちも手を明かさないのだから厄介だ。

 こちらも罠を張る機会なら幾らでもある。そして向こうは、それ以上の機会を得ている。

 こう見ると、圧倒的不利な状況を突きつけられては居るが、まだそれほど絶望的なものではない。本当に絶望的な状況に追い込まれると、人間は冷静な判断が出来なくなる。

 だから、そうならないように、策を練る。ホンの気休め程度の、ちょっとした悪ガキのいたずら程度の策を作ってしまえば良い。それで充分、戦えるのだから。

 手に持っていたコーヒーカップを置き、顔に当る湯気を感じながら目を瞑る。

「とりあえず、泥舟でも笹舟でも良いから作るかね」

「笹舟では大砲は乗せれんぞ?」

 そう言って彼女は、銀のルージュが塗られた唇を妖しく歪める。

 だが、それで良い。泥舟に大砲を、笹船は揺れるだけ。それだけで、良いのだ。

 机から立ち、ベッドへと向かう。

「良いのか? そんな、のんびりで」

「勝てる方法が見つから無いから、寝て過ごす。きっと何とかなるだろ、さ」

 確実に勝てる方法が、その策が出来上がるまでの辛抱。

 だが、それまで退屈になるだろう。後から聞こえる制止の声には耳を傾けず、部屋に入る。そして、部屋の中心に立ち、その真下に円を描く。しかし、一本の線ではなく、十本の。それも、かなり複雑に絡み合った陣の土台。けれど、魔力は通さない。

 それが終わると、今度は円の中に紋を入れていく。こちらは、少し初歩的な<集中>の陣紋。それを交わらせるように、重ねるように描いていく。丁度、一つ描き終った頃には、赤のインクは枯れて、カサカサとした毛先しか残ってはいなかった。

 もう、夕暮れ時になったのだろうか。カーテンの隙間から、橙色の光が覗いていた。

 足元を一匹の蜘蛛が這い回り、ピタリと止まる。それを片手で摘み上げ、手の甲に乗せた。

「さて、どうしたもんかね?」

 さあね。と、蜘蛛が言ったような気がした。


 カーテンから月明かりが漏れる。

 そのガラス越しに、一本の銀の絹が見えた。ここ五日間、だが実際は半日ほどしか逢っていない、あの大人びた少女。自分が喚んでしまった偶然の産物。

 その光景に、目を疑った。

 それが、月の光の下で立ち竦んでいた。だが、一人ではなく大勢と。何十人……いや、匹か頭で数えるべきだろうか。あろうことか異獣と、戯れていた。

 異獣から殺気は無い、いやむしろ凶暴さの一切が無くなっている上に、ペットの如く懐いている。<外の町>とは違う、全く別の異獣。ようやく、ここの街を少し理解できた気がした。この街は誰も住んでいないし、電気も必要程度にしか通じていない。

 つまり、ここは異獣達の楽園。何の争いもせず、のうのうと繁殖が出来るし、天敵である人間は一人も居ない。彼等にとって、これほどの快適な空間は無いだろう。

 窓から少し離れ、アヤメを見る。う、ん……なんというか。

「あの子。すっかり、手懐けちゃったわね。ホント、いい女になるわよ。期待しときなさい」

 後から、おばさんの声が響く。それも余計な一言が添えられて、だ。

「そりゃ、どうも。でも本人に、言ってやってください」

 そこから先、会話が続く事は無かった。

 いつの間にか、肩には四本の爪と細い瞳孔でアヤメを見つめる<ネコワシ>が羽を休めている。本来の、いや刷り込みで教えられた凶暴さは一切無く、まるで人間を止まり木であるかのように、下から瞼を瞑り、片足で毛繕いをしながら寛ぎ始めた。

 なるほど、ネコの動作に良く似ている。と、いっても自分が知っているのは、純粋なネコではなく虎の血が混じった、少し大きめの凶暴なネコだが。

 小さい頃は、よく異獣と遊んだ記憶がある。姉と二人で、よくネコワシを追いかけ、巣で眠っているヒナを観察しに行ったものである。結局、巣立つ所が見れなかったのは心残りだった。

 確か、あの時も俺は、一歩後ろで眺めているだけだったと思う。

 思いながら、肩に乗っているネコワシの羽毛を撫で上げると、ぶるっと身体を振るわせる動作と共に、温かな熱が伝わってくる。そして、金属音のような声が聞こえ、再びアヤメの方へ飛び降りていった。

 これが、異獣の本質なのだろう。人を襲っているのではなく、種を護っている。それは人間も同じ事で、生きるためには仕方の無い連鎖。それを否定する資格は、人間にない。

 自分達が、彼らの居場所を奪ったように、彼らは居場所を奪い返そうとしているだけ。

 ここの町の人間は、逃げたか食われたか。何れにせよ、現実を受け切れなかった、バカな人間たちは居られなくなったのだろう。このオバサンは、受け入れる事が出来た唯一。

 ……月の光が、部屋の置くまで届き、涼しい空気を運んでくる。今日は涼夜になりそうだ。

 


 日の光が目に掛かり、ゆったりと身体が覚醒していく。

 昨日の異獣達の宴が嘘の様に、街には再び静けさが戻っていた。

 ――ホントに静かなもんだ。

 思って、今まで眠っていたベッドへ横たわり、この静寂を噛み締めながら目を閉じる。

 だが、部屋のドアが開き、桃色のバスタオルに身を包めたアヤメが現われる。白く雪のような肌が赤く火照り、綺麗な細工が施された人形のような……そこまで考えて、寝惚けている頭と身体をを叩き起こし、ベッドから飛び起きる。

 部屋の入り口で立ち竦んでいるアヤメは、きょとんとしながら此方を見据えていた。

「ちゃんと服を着ろよ!」

 ああ、と頷きながら、アヤメは自分の姿を見て、苦笑する。

「昨夜、通り雨にあってな。今、服を乾かしておる」

「じゃあ、なんか借りてこいって! ああ、こっち来るな。奥さんトコに行け!」

 とは言ったものの、ここに彼女が着れる様な服は、あるだろうか。オバサンも背は低いくらいだし、年齢は三十くらいだから、子供が居ても小さいだろう。

 そこまで考え、ふと思いつく。結婚していて、旦那さんが居たのなら……

 ――大きすぎて、だぼだぼのワイシャツ。緩くて、少し腰から下がったジーパン。

 想像して、頬が熱くなる。流石にそれは無いだろ、と頭の中で打ち消し、再び寝る体勢に入るが、先ほどの姿が瞼に焼き付き、全く眠れない。彼女が帰って来るのも、時間の問題だろう。流石に男物の服は着てこないだろうと、自分の中で呟き、掛け布団を被る。

 それから何分も経たない内に、再びドアが軋みを立て開く。

 ベッドから身を起こそうとするが、どうしても意識しそうで恐い。

「……? 寝ておるのか」

 そう一人で言って、ベッドの横に置いてある木椅子に座る。

 どうやら、長めのスカートをはいているようで、男物と言う事は無いらしい。

 欠伸をしながら、なるべく自然な演戯でベッドから起き上がる。

「ん――。あ、着がえ」

 時間が止まった。

「ああ、なんだ起きたのか仮主よ」

 ニッコリと微笑み、此方を向く。必然のように胸元に目が行った。

 新品のような、純白の生地。第二ボタンまで外され、絹のような肌が露わなっている。

 確かにスカートだけなら、あの人のサイズでも大丈夫だ。少し早とちったらしい。

「ああ、これか? 奥さんが貸してくれたんだ。似合う?」

 そう言って、顔を寄せる。

「あー。似合、似合うから、少し離れてくれ」

 肩を掴んで突き放し、呼吸を整える。アヤメはボケっとした表情で、此方を見ている。

 コイツ、誘ってるのか、全く分かっていないのか……どっちにしろ厄介だ。

「とりあえず、さ。今日は寝させてくれないか?」

「なに? もう時間など、あまり無いのに。少しくらい、努力したらどうだ?」

 今の彼女の格好には合わないくらいの、その堅苦しい言葉に苦笑する。

「ああ、ほら。俺って、楽して勝つタイプだからな」

 あまり痛いのは好きじゃない。そう言って、布団に潜る。

 小さな溜息と、その後に聞こえたドアの音に安堵し、目を瞑る。

 やはり、大きくなった心音は収まらないが、部屋の中の暖かい空気に包まれながら、眠りに落ちていった。 


 まるで、身体が宙に投げ出され、落ちていくような感覚だった。

 いや、案外、本当にそうだったのかもしれない。そして、何秒もせぬ内に、背中に岩のような物が当り、身体が弓の様に曲がり、口から息が吐き出される。

 だが、痛みは無く、まるで他人の身体であるかのような感覚。

 そして、勝手に足が動き前へと走り始め、そして何の予告も無く止まる。完全に、自分の意識だけが、身体の中に入っている状態。筋肉などは動かず、ただ見えて聞こえているだけで、それ以上の感覚が無い。走っているというのも、景色が変わっているから、そう感じているだけだった。

 そして、一つの場所へ辿り着く。銀色の月に当り、銀に光る泉と、黒光りする森。そして、銀色の獅子。いや、首から尾の部分まではオオカミの様にしなやかな身体をしている。

 その獣が、此方に近づいてくる。そして、こちらも手が動き、その獣の首を愛撫した。

 ――温かい……ああ、これは。

 そこまで感じ取り、不意にその温かさが抜け、顔に熱湯のような空気が流れ込んできた。


 その熱風は、窓の方から流れていた。もう月は上の方まで昇り、静かな闇が広がっている。身体から噴き出ている汗をふき取り、机に置いてある鞄から一枚の古いコートを取り出し、背中に羽織って部屋から出ようと、ドアノブに手を掛ける。

 だが、そのドアノブは勝手に回り、隙間から銀の髪が滑り込んできた。

「なんだ。起きてたのか? では、さっさと行こう」

 そう言い、身を翻して部屋の中に入り、窓に手をかける。

「おい。こっから降りる気か?」

「一つ言っておく。男の方は危ない、もう一人の方にしておけ」

 人の話を聞け。

抗議をする前に、身体を抱えられ、そのまま足場の無い宙へと投げ出される。

 そういえば、夢の中でも、こんなだったなと変な笑いが込みあがってくる。

 そして、着地。此方には振動しか伝わってこなかったが、砂が舞っている所からして、かなりの衝撃だったのだろう。

「ほら、向こう様から来て下さった様だぞ。仮主よ」

 ――マジかよ。

 そこには、月を背負って伸びた影が三つ。

「前座は、私が引き受けよう」

 ふわりと暖かい空気が舞い上がり、銀の絹糸が揺らめき、聞き取れないほどの声で、詠唱が組まれる。そして、もう一つの銀の光が目の前を突き抜けた。

 それは、全くの別次元の魔術。そして、弾丸のような銀の槍は、月を背負った影の一つを貫く勢いで加速する。だが、その勢いは、当る直前で掻き消え、再びの静寂が訪れる。

 そして、影が揺らめき、白光と共に鋭利な刃物が射出される。その内の一つはアヤメの身体を貫き、地面へと。そして残った物は全て、影の主の手元へと帰っていった。

 まさに人外同士の戦い。それは、まだ前座であるというのに、クライマックスに向かっているような臨場感。だが、息をする隙をも与えないように、三度目が始まる。

 それは、ほぼ同時。月の光に照らされ、銀の髪と赤の髪が混ざるように揺れる。

 もし、普通に通りかかったものが見たのなら、踊っているように思えたのかもしれない。だが、双方の手には、一本の凶器が握られている。それは、すでに殺し合いとなっている。

 銀と白が合わさる、そのたびに金属音が鳴り響き、粉塵が舞い踊る。

 一太刀を浴びせていくごとに、お互いの身体に傷が付き、だが互いに引くことは許されない。斬り合っているだけの、ただの死闘が此処に始まった。



はーい短いです先生。

別に今までが長すぎただけなんだけどね

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