探偵・太秦歳三の献立帖
窓の外では、湿った風が冬の終わりを告げていました。
古いアパートの一室にあるキッチンには、太秦歳三が立っています。彼は使い込まれたエプロンの紐をきゅっと締め、細長い指で菜箸を器用に操っていました。傍らでは、依頼人の若い男が肩を落としてパイプ椅子に座っています。
「あの、太秦さん。本当に盗まれたんです。僕の庭で一番きれいに咲きかけていた、紅梅の枝が。春をまるごと盗まれた気分ですよ」
歳三は、コンロの火を弱めながら、ふっと口角を上げました。
「春を盗む、ですか。風流な泥棒もいたものですね。でも、犯人を追いかける前に、まずはこの筍の灰汁抜きを終わらせましょう。焦るとエグみが残りますから」
歳三は、男に米糠の入った袋を差し出しました。
「これ、鍋に入れてください。ゆっくり、円を描くように。そう、あなたの今の煮え切らない気持ちと同じリズムで」
男は戸惑いながらも、言われた通りに手を動かします。
「なんで円なんですか? 四角じゃダメなんですか?」
「四角だと角が立つでしょう。料理も人間関係も、円いのが一番です」
歳三の横顔に、換気扇の光が鋭い影を落とします。彼は男の視線を真っ向から受け止めず、まな板の上の食材を見つめたまま静かに語りかけました。
「あんた、その梅の木に毎日水をやっていたそうですね。でも、その根元に置かれていた、ひび割れた素焼きの鉢には一度も目を向けなかった」
「え? 鉢なんて、もう使ってないゴミですよ。関係ないじゃないですか」
「関係あるんですよ。犯人は、あなたが盗まれたと思っているその枝を、救い出しただけかもしれない」
歳三は、キッチンの勝手口に落ちていた、わずかな「和紙の繊維」と、棚に並んだ調味料のわずかな配置のズレを指し示しました。
「見てごらんなさい。あなたの庭の土と、このキッチンの床に落ちていた乾いた泥。色が微妙に違います。あなたが探すべきは外を逃げ回る泥棒じゃない。あなたのすぐそばで、春が枯れるのを恐れていた人物だ」
歳三は、炊き上がったばかりの筍ごはんを、手際よく茶碗に盛りました。
「隣の部屋のおばあさんですよ。彼女、あなたの庭で梅の枝が雪の重みで折れかかっているのを見て、手当てをしに来たんです。盗んだんじゃない。春が泥にまみれて死なないように、自分の花瓶に避難させた。あなたが仕事に追われて、庭の異変に気づかなかった数日間のうちにね」
男は絶句しました。「盗まれた」と憤っていた時間は、隣人の気遣いに気づかなかった空白の時間でもあったのです。
「さあ、冷めないうちに。これが今年の、あなたの初物だ」
温かな湯気が、二人の間を優しく埋めていきます。歳三が差し出した筍ごはんは、若々しい土と風の香りがしました。
「美味しい……。なんだか、春が体の中から染みてくるみたいです」
「それは良かった。春泥棒の正体は、あなたの心の余裕のなさだったわけですが、おばあさんに謝りに行くなら、そのごはんを少し分けてあげなさい」
歳三は、眼鏡を指先で押し上げ、少しだけ困ったような、それでいて柔らかな笑みを浮かべました。
「仲直りの隠し味は、少しの照れくささと、温かい湯気。これ、一番大事なレシピですから」
彼はそう言って、鼻歌を口ずさみながら洗い物を始めました。春の泥棒が残していったのは、ささやかな後悔と、それを包み込むような、穏やかな午後の陽光でした。




