忘れ物
「星和……!」
流星が叫ぶのと同時に、もう一人のスキンヘッドの男がナイフを星和に振う。身体を捻じって避けた星和に、七星がスタンガンのようなものを脇腹に当てようとするが、星和は反射的に後ろへ手をつき、そのままバク転で躱して流星の傍まで下がった。
「……すげー反射神経……」
思わずつぶやいた流星に星和はサングラスをポケットにしまいながら、ふんと鼻を鳴らした。
「こちとら山育ちだぜ」
「関係ないだろ」
「避けるのは大得意だ。足はおせーけど」
スキンヘッドの男はナイフを構えながら七星の指示を待っている様子だ。七星はどうしたもんかとぽりぽり顎を掻いていたが、やがてスタンガンを構えて、男の後ろに立った。
「聡一郎が来る前に終わらせるんじゃ。あの小僧は動けば小便小僧になるから放っておいても構わん」
「流星くんよお……言われてんぜ」
「……そういえば林郷さん、どこで済ませたんですか?」
「野暮なこと聞くんじゃねえよ……あの、あっちの木陰だと、誰からも見られなくてよさげだぜ」
「僕は目の前の仮設トイレにもう一度入りたいんですよ」
そう言った流星だったが、仮設トイレの前にはスキンヘッドの男と七星が立っているし、そもそも敵の目の前でトイレに行くなど出来るはずがない。絶体絶命のピンチである。
「あいつらの狙いは私だ。私が囮になる。お前はあの七星のジジイに拳銃当てろ」
「そしたらあなたが」
「問題ない。言ったろ、避けるのは得意だって」
「……」
「漏らすなよ」
そう言って星和は男に向かって走り出した。
「この子は殺すな。お前は先にあのガキを殺せ」
そう七星が指示したため、スキンヘッドの男は流星に向かって走り出した。あれえ!? と間抜けな声を出した星和は、男を引き留めようと前に立ちはだかるが簡単に避けられてしまう。
まずい、と星和が思った瞬間に距離を詰めてくる七星。向かってくるスタンガンが、鼻先ギリギリにあった。身体をそらしながら、そのままの勢いで七星の手を蹴り上げる。スタンガンが手から滑り落ちて、宙へと舞った。
流星はすっと拳銃を構えた。向かってくる男。首元に電源のスイッチがある。そこを狙って撃つしかない。一か八かの大勝負である。だが流星は、何も不安などないくらいに準備万端な試験開始1分前のように落ち着き払っていた。
スローモーションのようだった。蛇行して迫ってくる男は、流星の意図を汲み取ったかのように手で自分の首元を覆った。この銃弾は指を貫くことは出来ない。だが、ほんのわずかの指の隙間さえあれば。
近づいてくる、男のナイフの刃先。もはや尿意はどこかへと消え去った。交感神経が流星の集中力を極限まで高ぶらせている。男がナイフを振りかざそうとしたその一瞬。指の隙間に、僅かに見えた星を流星は捉えた。
パンっと、銃弾が男に当たる。押されたボタンに、切れる電源。ナイフの刃先が流星の目の先まで来ていた。あ、刺さる、そう思ってぎゅっと目を閉じた。
「ナイスヒット!」
気の抜けた声と共に、スキンヘッドの男は倒れていた。目を開けると、聡一郎がこちらを覗き込んでいる。流星はほっと安心して、本当に反射的に、思わず笑ってしまった。
「聡一郎……!」
ハッと現実に戻される。流星が声のする方を見ると、星和を拘束した七星がこちらを物凄い形相で見ていた。
星和はやらかしたー、という顔で流星を見て、気まずそうに目をそらした。避けるのは得意だしこんな年寄りに負ける気なんてなかったのだ。しかし、七星は手練れのものだった。ただの女子高生の星和が敵うはずもない。あっさりと捕まってしまっていた。
「離せジジイ! おしっこジジイ! ……うん、無理だな……」
星和はものの数秒で諦めてガクッと項垂れた。
「なぜお前がここに……」
「俺がどこにいようが勝手だろー?」
そんな二人のやり取りを聞いた星和が、小首をかしげて七星に問う。
「知り合い?」
「……」
答えない七星の代わりに聡一郎が答えた。
「俺の前の管轄地区の感染者だったからねえ。定期的に訪問して様子見してたんだよ」
「こんな田舎に左遷されていたとは驚きじゃ」
「左遷じゃないよ。その子の護衛だ。わかるでしょ」
聡一郎はそう言って七星に近づく。
「あっ、聡一郎さん! このじいさん、尿意とか便意とか……」
「もちろん知ってるよ」
聡一郎はゆったりとした足取りで七星に近づいていく。七星は星和を拘束したまま、黙って聡一郎を見ている。
「諦めなよ」
そう言われた七星は、葛藤するように唸り声をあげて、それからはっきりと答えた。
「ワシら感染者が声を上げねば、国は変わらない」
「あ、そう」
一瞬のことだった。気が付けば星和は聡一郎の腕の中にいて、七星は自分たちから数m離れた木に身体を叩きつけられていた。がはっと苦し気な声を出した七星は、そのままズルズルと倒れ込み動かなくなる。落ちてきた葉っぱや木の枝が七星の背中を滑って地面に着いた。
呆然とその様子を見ていた星和だったが、聡一郎の腕の中にいることに気づいて、慌てて距離をとった。聡一郎は気にした様子もなく、ニコニコしながら星和を見ている。
「あれ、聡一郎さん……?」
「俺ってすごい運動神経がいいんだよね」
「一瞬で私を引き寄せてじいさん突き飛ばしたってことすか……?」
「おっ、流石星和だねえ。当たりだ」
星和はピクリとも動かない七星の元に駆け寄った。息はしているようだが、痛みに呻いている。絶対腰やっただろうなと思いながらも、ひとまずは生きていることに胸を撫でおろした。
「勝手に近づいちゃだめだよ」
背後から、咎めるような低い声で、そう言われる。びくっと肩を震わせた星和は、すみませんと謝ろうとして聡一郎を見た。
聡一郎は星和を見ていなかった。七星のことを、真っ暗な瞳で見下ろしている。そこにどんな意図が含まれているのかはわからない。ただ、ゾッとするくらいに冷たい表情に見えて、星和は息をのんだ。
その時、ガチャっと仮設トイレのドアが開いた。
「ふー、スッキリした……」
空気を壊すくらい呑気な声で手をアルコール消毒しながら出てきた流星は、強張った顔の星和を見て、どうかしたかと尋ねる。再び聡一郎を見ると、彼はいつものニコニコした表情に戻っていて、星和はほっとしたように笑った。
「このじーさん病院に連れて行かなくていいのか?」
「聡一郎さん、応援呼びましたよね」
「ああ、今来るから放っておいて大丈夫だよ」
昨日の今日で忙しない一日だった。星和は疲れたように息を吐く。
「さ、俺が君たちを家に送ろう。疲れただろう、ゆっくり休んで」
夕暮れ空に、カラスが鳴いている。17時のチャイムが町中に響いていた。
「あ」
「どうしましたか林郷さん」
「……いや、何でもない」
星和は、木陰に隠した携帯トイレの存在をシートベルトをした瞬間に思い出したが、取りに行きたいなど言い出すことが出来ず、結局一度送られた後に、もう一度公園にいくはめになったのだった。




