トリニティ
十何年も前、某声優ワークショップで、講師めいた
ことをやらせていただいておりました。
そのワークショップでは毎年公営ホールを貸し切り、
受講生たちがさまざまなパフォーマンスを披露する
発表会というかイベントが開催されていたのですが、
ある受講生から、有志で朗読劇をやりたいから脚本
を書いてほしいとの依頼を受けました。私の記憶が
確かならば朗読劇の実演は好評だったかと思います。
そのときの脚本を、ほんの少しリライトして小説に
してみました。よかったら読んでみてください。
若干ながら過激な描写もあるため、R15推奨にして
ありますが、実際はそんなにヤバくありません。
甘酸っぱくてちょっぴりエッチな?初恋ラブコメ・
ミステリーです。可愛いニャンコも出てきますよ♪
安心して楽しんでね!
with LOVE,エコル☆
「主任、遅くなりました」
「おお、済まないな、夜勤明けに」
「大丈夫です。ご用件は何でしょう?」
「実は、ちょっと目を通してもらいたい資料があるんだ」
「はあ……これは?」
「ある事件の関係者によってネットに書き込まれていた
ブログやSNSのプリントアウトだ。 事件と直接関係の
ない部分は割愛して、時系列に沿って再構成してある」
「なるほど」
「現在、報告書を作成している段階だが、腑に落ちない
部分が多くてな。私たち世代の感覚では、いささか手
に余る。そこでネットに精通している若い君に、これ
の内容を検証してもらいたいんだ。時間は気にせず、
じっくり読んでみてくれ」
「はあ……分かりました」
「じゃ、よろしく頼むよ」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
槇村麻里子のブログ 2月14日
最初は、背が高い人だなという印象しかなかった……
人に触られるのが大嫌いなあのプウコが、珍しく膝に
乗って懐いていたから、悪い人ではないんだろうなと
は思っていたけれど、男の人が平日の昼間から一人で
猫カフェに来て、それもこの一週間、ずっと毎日だと、
さすがに一声掛けてみたくなる。
「猫、お好きなんですね!」
「いや、猫というか、その、そういうあれではなく……
よかったら、君のアドレス教えてもらえないですか?」
びっくりした。猫じゃなくてナンパ目的だったなんて!
…… でも、鼻の頭にいっぱい汗を掻いて、思い詰めた
表情に、笑っちゃ失礼だと思ったけど、笑っちゃった。
そしたら彼も笑って、その笑顔にキュンときた。本当
はいけないんだけど、お客様もほとんどいなかったし、
こっそりアドレスを交換しちゃった。ごめんね、店長!
彼の名前は冴羽翔。アニメキャラみたいだけど、本名
なんだよ! 帰宅して携帯の前に二時間正座してたら、
やっと着信が…… ドキドキしながら読んだけど、男の
人からのメールって、こんなにそっけないものなの?
だけど、これは、まさかまさか…… デートのお誘い?
いいのかな、本気になって…… ? いいや! 本気に
なっちゃお。楽しみにしてますって返信しちゃった!
そしたら『ありがとう、お休みなさい麻里さん』って。
だから私も『お休みなさい、翔君』って返信した。
でも…… その夜は嬉しくて、ほとんど眠れなかったよ。
冴羽翔のブログ /槇村麻里子のブログ 2月20日
本当は猫が苦手だと告白したら、麻里子は泣きそうな
顔になった。嫌いなんじゃなくて怖いんだと、慌てて
言い繕った。子供の頃、うちで飼っていた猫のミュウ
に顔面を引っ掛かれたのが、今もトラウマなのだと……
「どうしてそんな……何か怒らせるようなこと、したの?」
「それなんだけどさ……長毛種は、夏になると暑さ対策で、
毛を短く刈り込むだろ?」
「ええ、サマーカットね」
「小学二年生だったぼくは、体の毛を短くするからには、
ヒゲもそうしなきゃダメなんじゃないかと、真面目に
考えたわけだ」
「まあ」
「そこで、嫌がるミュウを押さえつけ、鋏でヒゲを…… 」
「ダメじゃない! 猫のヒゲは敏感な感覚器官なのに!」
「そうらしいね。いつもはおとなしいミュウが、あんな
に怒るとは思わなかったよ」
「ミュウちゃん、可哀想に…… 翔君、あなたは自業自得!」
「…… ごめん」
しおらしく頭を下げる翔君の神妙な表情がおかしくて、
思わず吹き出しちゃった。それに、私に会うために、
猫が怖いの我慢してお店に来てくれてたんだと思うと、
何だか嬉しかった。だけど、私をデートに誘う目的が
叶ったら、もうプウコには会いに来てくれないかもね。
プウコは翔君のことが大好きなのに、可哀想……
そう思っていたら、翔君がまた私を驚かせてくれた!
「君の店、猫たちの里親を募集しているよね。あれって
プウコも対象になってるの?」
「もちろんよ。ただ、ずっと貰い手がつかないだけ」
「でも、純血種のロシアンブルーって人気あるんだろ?」
「あの子は人見知りで、誰にも懐かないのよ。店員でも、
心を許して触らせてくれるのは、私だけなの」
「そうなんだ。だったら、プウコをぼくに引き取らせて
もらえないかな?」
「ええっ!? でも翔君、猫、怖いんでしょ?」
「まあそれはそうなんだけど…… ただ、プウコにだけは、
何となく免疫ができたような…… 」
「膝に乗ってきただけで、動けなくなっちゃうのに?」
「いや、あれは…… 怖いというより、プウコがすっかり
熟睡しているから、起こしちゃ可哀想かなと…… 」
「呆れた…… それでプウコが起きるまで、延長までして
ずっと待ってくれていたの?」
「まあね」
「翔君、優しいんだね…… そういうところ、素敵だな」
「ま、まあ、それはともかく、ぼくが店に行かないと、
プウコはまた孤独になってしまっているわけだろ……
ほっとけないんだ。何とかしてあげたいんだよ」
「分かったわ、店長に話してみる」
「頼むよ。あ、うちのマンション、ペットOKだから」
「あの、あのね翔君…… 私からも、聞いてほしいことが
あるんだけど…… いい?」
「ああ、分かってるよ。今度はヒゲを切ったりしない。
それだけじゃない、何だってプウコの嫌がることは
絶対しないよ。約束する!」
「違うの、そうじゃなくて…… 」
「ん…… じゃ、何だい?」
「私、翔君のことが好きです。大好き、本当に好き!」
「ま、麻里ちゃん…… ?」
「女の子からこんなことを言い出すなんて、はしたない
ことだけど…… もうどうしていいか分からないくらい
好き! 大好きなの!」
「麻里ちゃん、ぼくも…… ぼくも君が好きだ。愛してる
…… 愛してるよ! 麻里ちゃん!」
その夜、初めて男性の部屋にお泊りした。ごめんね、
お母さん…… 女友達のところだなんて、嘘ついて……
でも私、幸せ! 幸せ過ぎて怖いくらい。好き好き、
大好きだよ、翔君! ずっと一緒にいようね!
冴羽翔のSNS 3月14日
取り急ぎFF限定で緊急のお知らせです。このたび、
私〈しょうちん〉冴羽翔は、かねてからお付き合い
させていただいてた槇村麻里子さんと婚約しました。
結婚式の日取りなど、今後の予定は追ってお知らせ
いたします。よろしくメカドックわんわん。
野上萌美のコメント 3月15日
げげっ!? しょうちん、ここ、婚約ってマジすか?
何それもう、くりびつげったま、おったまげだよ!
最近なんだか微妙に萌美につれなかったのは、実は
こういうわけだったのか! 所詮私とは遊びだった
のね。酷いわ! グスン、恨んでやる…… なんちて♪
冴羽翔の返信 3月15日
萌美君、あらぬ誤解を招くようなコメントは控えて
くれたまえ。僕と君とはどこまでもサークルの先輩
と後輩で、ややこしい関係だった覚えは全くないぞ!
まあ君も、大学のミスコン最終候補に残るくらいの
ルックスなんだし、歯に衣着せぬ憎まれ口を謹んで、
おしとやかにしてたら、男なんか選り取りみどりだ。
頑張れ! 健闘を祈る!
野上萌美の返信 3月15日
やっぱり、私の哀しい一方通行だったのか (涙)……
なーんてね、ウソウソ! あんまり幸せそうだから、
ちょっとむかついただけですよーだ! 全くも~!
こうなったらサークルのメンバーで婚約祝いの宴を
盛大に開いてやっから、来週のスケジュール絶対に
ばっちりあけときやがれよな! よろしく哀愁~!
冴羽翔の返信 3月15日
お、すまんね! みんなで会うの久しぶりだな~♪
楽しみにしてます! 持つべきものは佳き後輩だな!
野上萌美のブログ 3月31日
きゃはっ☆ しょうちんのお部屋のベッドなう!
見て見て! もちろん二人ともまっぱで~す!
私ってば大願成就? 残念まだ何もしてません(涙)
二次会のあと、終電で帰ろうとするしょうちんをば
何とか必死で引き留め、カクテルに眠くなるお薬を
混ぜたら、しょうちん、他愛もなくあっさり撃沈w
どさくさまぎれにタクシーに乗せて、しょうちんの
マンションに到着。で、しょうちんの服を脱がせて、
自分も全部脱いで、ドキドキしながらベッドの隣に
潜り込んだけど、しょうちん、薬が効きすぎたのか、
前後不覚に爆睡。残念ながら使い物にならない感じ。
ま、今夜は記念撮影だけでガマンガマン!
あ…… 萌美、何だか変な気持ちになってきちゃった。
しょうがないよね、ずっと想い続けてた先輩の裸に
跨ったりしがみついたりして、Hな写真をいっぱい
撮ってれば…… 男の人の体ってこうなってるんだ……
へへ、冴羽翔! こんな恥ずかしい格好を何十枚も
撮られてるなんて夢にも思わないだろ。心配すんな
…… 誰にも見せないから……
これは萌美の、萌美だけの、大切な思い出だから……
ずっと好きだったよ、しょうちん、冴羽翔、翔先輩。
思い出作りの最後の仕上げに、そっと唇を重ねたら、
しょうちん、いきなりぎゅって私を抱きしめてきた!
どうやら、薬のせいで夢うつつ、寝ぼけてるみたい。
だけど私、嬉しかった! しょうちんは覚えてない
だろうけど、初めて抱きしめられた今夜のことは、
萌美、ずっとずっと…… ずーっと忘れないよ!
泣きながら幸せを噛み締めていたら、しょうちんが
何か囁いてる。今夜のこと、何もかも覚えていたい
から、しょうちんの唇に耳を近づけたら……
「……麻里子……」
台無し…… 何もかも。夢うつつとか寝ぼけてたとか、
関係ない。ひどい、ひど過ぎる。絶対に許せない!
絞め殺してやろうかとも思ったけど、そんなんじゃ
生ぬるい…… で、しょうちんのスマホ見たら案の定、
ロックかけてなかった。相変わらず脇が甘いよねー、
楽勝じゃん。で、さっそく履歴をチェックしたら……
マリリンって…… マリリン? これ麻里子の登録名?
ダッサw さ~て、どうしてやろうかな、マリリン♪
槇村麻里子のブログ 4月1日
朝早く、メールが届いた。知らない人から、何通も
何通も…… 迷惑メールと思って削除しかけたけれど、
件名を見て、ドキッとした。
「冴羽翔さんの婚約者:槇村麻里子さんへ 緊急です!
すぐ読んで!」
友人や知人からの度が過ぎた悪ふざけと思ったけど、
もしかしたら、本当に緊急の連絡かもしれない……
中身を確認しようと 最初の一通を開封したら……
「初めまして、マリリン…… じゃないや、麻里子さん!
このたびは、ご婚約おめでとうございま~す!私は
冴羽翔さんの大学の後輩で、野上萌美っていいます!
麻里子さん、昨夜、翔先輩と全然連絡がとれなくて、
とっても心配しませんでした? だったら安心して!
翔先輩、飲み会のあと、何とか無事に帰宅しました。
本当ですよ。萌美がず~っと付き添ってて、むふふ!
今も一緒にベッドの中だから! パーティーはまだ
続いてます。マリリンもおいでよ。一緒に楽しもう!
来ないとしょうちん、萌美が取っちゃうぞ!」
添付されていた写真には、どれも裸の翔君と、裸の
女の人…… どうして? 翔君、どういうことなの!?
とめどなく涙が込み上げてきました。もうこのまま
死んでしまいたかった…… でも、だめ。だってまだ、
翔君から直接に話を聞いていないんだもの! この
萌美という女性が、嘘をついているだけかも……
もし嘘じゃなかったら、そのときは、私は死にます。
でも…… でも、一人では死にません。
冴羽翔のブログ 4月1日
目が覚めたら、自分の部屋のベッドに寝ていた……
どうやって帰ったんだろう? だめだ、全然記憶が
ない。いつもプウコが寝ている辺りに手を伸ばすと、
猫とは違う感触…… 驚いてそちらを見ると裸の萌美
が横たわって、こちらを見ていた。おれも裸だった。
混乱して、言葉を捜していると、萌美がねっとりと
湿った声でこう言った……
「…… ね、続き、しよっか?」
しくじった! おれから誘ったのか? 萌美が誘惑
してきたのか? いや、そんなことはどうでもいい。
おれは愛する麻里子を、婚約者を裏切ってしまった!
罪悪感と後悔で胸が引き裂かれそうだった。確かに
萌美は美人でスタイルもいい。しかし今のおれには
全く魅力が感じられない。むしろ、この期に及んで
露骨に雌の匂いを放つ後輩に、不快感すら覚えた。
灯りを落とさないと同衾さえ拒む麻里子の恥らいが、
今更ながらにいじらしく、愛おしく思い出された。
ドアの呼び鈴が鳴った。誰だ、こんなタイミングで?
…… まさか…… !?
「ああ、やっとお出ましね」
萌美が、煙草をくゆらせながら、にやにやと笑った。
槇村麻里子のブログ 4月1日
合鍵で部屋に入ると、ベッドの上に生まれたままの
姿で二人がいた。じゃ、本当だったんだ…… 翔君が、
何か喋りながら近づいてきたけれど、私の手の中の
果物ナイフを見て、立ち止まった。
ベッドの上では裸の女性…… 萌美さんがプカプカと
煙草を吸っていた。ありえない! この部屋は禁煙
なのに…… プウコは煙草の煙が大嫌いなのに!
プウコ…… そういえばプウコはどこにいるの?
「えっ、何? 麻里ちゃん?」
「プウコよ! どこにいるの、プウコは?」
「今朝は見てないな…… きっと、知らない人間がいる
から隠れているんだ」
「約束が違うじゃない…… なんでプウコが嫌がること
をするの? 酷いよ!」
「麻里ちゃん…… 」
「プウコは私と翔君以外の人は苦手なのに…… プウコ
が可哀想でしょ!」
「ごめん。ひどく酔っ払っていて全く記憶がないんだ。
昨夜のことは、本当に何も…… 」
「そんなの、信じられないよ…… 」
「麻里ちゃん…… 信じてくれなくてもいい。何もかも
ぼくの責任だ。君がぼくを許せない、別れるという
なら仕方がない。そのときはぼくは…… ぼくは…… 」
「萌美と一緒になって、新しい人生を始めるのよね~」
「いや、潔く自らの命を絶とうと思う」
「翔君……?」
「しょうちん?」
「麻里ちゃん、君がいない人生なんて、ぼくにはもう
考えられないんだ。ぼくと別れるなら、いっそ死ね
と言ってくれ。君の手で、ぼくを殺してくれ!」
「翔君……」
「ちょっと何それー? 金色夜叉じゃあるまいし…… 」
「翔君…… そこまで私のことを…… 分かりました」
「麻里ちゃん?」
「私、翔君を信じます…… 昨夜、何があったとしても、
もう気にしません。だって私も思ってたもの、翔君
と別れるくらいなら、死んでしまおうって!」
「麻里ちゃん…… 本当に?」
「だから翔君、私を離さないで。これからもずっと!」
「もちろんだ、もちろんだとも! ああ、愛してるよ!
愛してる、麻里ちゃん!」
「私もよ、翔君!」
野上萌美のブログ 4月1日
麻里子は果物ナイフを投げ捨てると、しょうちんと
抱き合った。あほくさ! 何これ? 最悪じゃん!
これなら、嫉妬に狂った麻里子に切りかかられる方
がずっとマシ。なんで目の前でずっと好きだった人
が他の女とキスしてるところを見せつけられてるの?
今のしょうちんには、萌美なんかいてもいなくても
同じなんだ。涙がポロポロこぼれてきて止まらない。
萌美、惨め過ぎるじゃん。悔しい、寂しい、哀しい。
ああ、でも、泣かないで。私の恋心…… まだ、何も
終わってないから。このままでは終わらせないから!
槇村麻里子のブログ 4月1日
萌美さんは、負けたわと言って、寂しそうに笑った。
写真のことは心配しないで…… 全部削除するからと、
約束してくれた。そして、静かに出て行った。
玄関のドアが開けられて、そっと閉まる音がした。
全身の力が抜けた。疲れた、本当にすごーく疲れた!
翔君も疲れちゃったみたい。今日は有給をとるって。
プウコは部屋のどこかにいるはずだけど、まだ警戒
しているのか、声をかけても、出てこようとしない。
こういうときの猫は頑固だから気長に待つしかない。
待ってるうちに、私も何だか眠くなってきちゃった。
ブラウスを脱ぐと寝巻代わりのTシャツを翔君から
借りて、お昼まで二人で、仮眠することにした。
腕枕のお礼に頬っぺにキスしてあげたら、翔君たら、
やっぱり頬っぺだけじゃ物足りないみたい……
鼻息荒く迫ってくる翔君を、何とか押しとどめる。
「玄関の鍵、開いたままでしょ。閉めてくるわ」
「いいよ、そんなの。大丈夫だって!」
「でも、汗掻いちゃったからシャワーも浴びたいし」
「シャワーなら後でもいいだろ。どうせまた汗を…… 」
「だーめ。戻るまでお預け。待ってて!」
抱きしめようとする腕から、するりと抜け出すと、
翔君は子犬みたいにクーンと鳴いた。うふふっ♪
玄関の鍵をしっかりと閉めてから、浴室でシャワー。
汗と一緒に、さっきまでの嫌な気持ちも洗い流す。
さっと浴びるだけのつもりだったけど、このあとの
ことも考えて念入りに…… やだ、何言ってるの、私?
素肌の上に改めて翔君のTシャツを着る。洗面所の
鏡でお顔をチェックチェック!スッピンでこれなら
十分合格! 満足して翔君が待ちくたびれてる寝室
に戻って、お待たせと言って扉を開けたら……
萌美さんが、握りしめた果物ナイフを振り下ろして、
翔君の顔も体も、繰り返しメッタ刺しにしていた。
翔君はすでに息がなかった。
野上萌美のブログ 4月1日
振り返ると麻里子が、しょうちんのTシャツを着て
立ち尽くしていた。部屋に差し込む朝日に照らされ、
体の線が透けて見える。襟から覗く鎖骨もセクシー。
純情そうな振りして、こういうあざとい計算だけは
しっかりしてやがるんだな、この売女! ナイフの
血を舐めて睨みつけてやると、ぶるぶる震え始めて
じょわーっと失禁しやがった。汚えー! ダッセー!
しょうちんの死体を跨いでゆっくり近づいていくと、
悲鳴をあげて逃げようとした。でも自分の小便に足
を滑らせ、不様にひっくり返った。濡れた床に這い
つくばり、見苦しくジタバタと足掻いてるのを後ろ
から見たら……おいおい、パンツはいてないじゃん!
恥ずかしい穴、全部見えてる! ヤバい、鼻血ブー!
さてはナニするつもりだったな? けしからんな!
それにしても麻里子のケツ、丸くてプリプリしてて、
超エロい! 服を着てるとよく分からなかったけど、
脱いだら凄いんですってやつ。麻里子、恐ろしい子!
ムカついたので、背中の上に勢いをつけてどんと座
ってやったらグエッて蛙みたいな声で呻いてやんの。
グェッwwww でもこのままじゃ顔が見えないな。
少し腰を浮かせ、体を反転させ、仰向けにしてやる。
あらあらマリリン、ひいひい泣いちゃって可哀想に!
小便に濡れて体にピッタリと張り付いたTシャツを
たくし上げ、パイオツも露わにしてやる。クッソー、
私よりでかい! 推定Gカップ。張りも形も最高♪
このボインとプリケツでしょうちんを骨抜きにした
のかと思うと、殺意もジェラシーもさらにメラメラ!
でもオッパイは最後の楽しみだから、ギリギリまで
手をつけない。最初は耳たぶ? それとも鼻か瞼?
さあ、どこから切り裂いていく、マリリン? えっ?
自分では選べない? 仕方ないなあ、じゃあ耳から
にしましょうね。泣き喚くマリリンの顔を小便臭い
床に押し付け髪を引っ張り、ピアスの穴もない耳を
露出させる。ああ、たまらない。体の芯が蕩けそう!
槇村麻里子のブログ 4月1日
萌美さんは信じられないくらい強い力で、私の顔を
押さえつけた。殺そうと思えばすぐにも殺せるのに、
ゆっくりと時間をかけて、私を小刻みに切り刻んで、
苦しめ、辱めて、嬲り殺しにするつもりらしい……
視線を上げるとベッドの上には可哀想な翔君の死体。
きっとまだ温かい。光を失った虚ろな眼差しが私の
惨めな姿を見下ろしているのに耐えられなくなって、
ベッドの下に視線を落とすと、そこにも目があった。
真っ黒に瞳孔が開いた二つの真ん丸の目……プウコ!
プウコが両目をギラギラさせながら低く唸っている。
明らかに不機嫌だ。昨夜、見ず知らずの萌美さんが
部屋に来てからずっとベッドの下に隠れていたのだ。
私と目が合ったプウコが、少しずつ近づいてくる……
ダメよ、プウコ! 今出てきちゃダメ! 隠れてて!
そのとき、耳の後ろに当てられていた果物ナイフに
無造作に力が加えられた。痛みを感じた私が思わず
悲鳴をあげるのと同時に、プウコがベッドの下から
砲丸のように飛び出して、萌美さんに襲いかかった。
「あがあああ! い、痛い! 目が…… 目が見えない!
何だ、今のは、猫か? なんでここに猫がいるんだ?
しょうちん、猫は大嫌いだったのに! おまえだな、
麻里子? おまえがしょうちんを誑かして無理やり
猫を……!」
「違うよ。翔君は、子供の頃のトラウマで、猫が少し
怖かっただけ。けっして嫌いなんかじゃなかった」
「う、嘘だ!」
「猫が嫌いだったら、毎日のように猫カフェに通える
わけがないじゃない。あなた、殺したいくらい翔君
が好きだったくせに、そんなことも知らなかったの?」
「あああ、痛い、痛い、痛い! 目が痛い! くそー!
今の猫、どこだ、どこに行ったぁ?」
「プウコなら……今、翔君の傍にいるよ」
「連れてきやがれ! 殺してやる! 殺してやる!」
「無駄よ。もう死んでいるもの、プウコ」
「し、死んでるだと……本当か?」
本当だった。萌美さんが反射的に振り回したナイフ
が、ロシアンブルーの細い喉を切り裂いたらしい。
それでもプウコは憎き怨敵に噛み付き、掻き毟り、
存分に鬱憤を晴らした…… そして、傷つきながらも
飼い主が眠るベッドに辿り着くと、そのまま翔君に
寄り添って、目を閉じた。永遠に……
「ちくしょう! だったら麻里子、おまえを殺す!」
「いいけど、どうやって? ナイフは?」
「ぐ……!」
「あなたが落としたナイフ、今は私が持っているわ」
「な、何だと……?」
「怖がらないで。私はあなたを刺したりしないから。
もちろん警察には通報するけれど…… じゃあね」
「くそお、麻里子、覚えてろ! この目が治ったら、
おまえがどこにいようと必ず見つけ出し、さっきの
続きをやってやるからな!」
「それは…… 無理だと思うな」
「いや、絶対にやる! この私を殺さなかったことを
骨の髄から後悔させてやる!」
「目が見えないのに?」
「こんな傷、すぐに治る!」
「だから、無理なのよ萌美さん。今の医療技術では……」
そう、萌美さんの目の傷はそんな生易しいものでは
なかった。右目はプウコの爪に掻き出されて、床に
転がっていた。そして左目は、プウコが口に咥えて、
ベッドの翔君の傍に運んでいた。猫を飼ったことが
ある人なら知っているはず。自分が捕らえた獲物を
飼い主の元に運ぶのは、猫によくある行動のひとつ。
血の滴る萌美さんの目玉を、翔君に届けて息絶えた
プウコの表情は、どこか誇らしげで、満足げだった。
槇村麻里子の携帯メール 4月30日
お母様、御免なさいね。メールなんかで。私こと
槇村麻里子は、お母様より先にあの世に参ります。
私は今、富士山の裾野に広がる樹海に来ています。
麻里子は翔君とプウコが待つ虹の橋に向かいます。
お母様、これまでこの私を大切に育ててくださり、
誠に有難うございました。感謝を致しております。
先立つ不幸をお許しくださいませ。さようなら。
槇村麻里子・拝
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「読めたかね?」
「ええ、ひと通り……」
「どう思う?」
「うーん、これはまあ、槇村麻里子という女子大生を
名乗る人物の創作ではないですかねえ。真に受ける
には、あまりにも内容に無理が多すぎます」
「うむ、そう思うかね?」
「ライブ配信やSNSの実況ならばともかく、ブログ
は日記形式です。リアルタイムでなく過去の出来事
を後から回想して書くものですよ。4月1日の早朝に
冴羽翔は野上萌美に殺され、その野上萌美はプウコ
に襲われて失明したんですんよね。この流れが事実
なら、萌美は槇村麻里子の通報で逮捕後に、両目の
負傷で入院させられている筈。その直前までの経緯
を、殺された被害者や、入院中の盲目の容疑者が、
どうやったら事後にブログに書き込めるんですか?
時系列的にありえませんよ」
「なるほど…… 続けてくれ」
「百歩譲って、実際にこういう事件があったとしても、
そのことをブログに書き込めるのは、最後まで事件
を生き延びてネットにアクセスできた人物、つまり
槇村麻里子だけです。個々の独白は、でっちあげと
いうか脚色でしょうね。猫の話も信じられません。
スティーブン・キングじゃあるまいし、猫が復讐に
燃えて飼い主の仇の両目を抉り出すなんて、猫好き
からしたら悪趣味で笑えない冗談でしかない。あと、
萌美が豹変した後の、語彙や文体の過激化が極端で、
悪意すら感じられる。萌美をサイコパスに仕立てる
ために、麻里子が意図的に盛ったんでしょうね」
「しかし、冴羽翔のブログも、野上萌美のブログも、
もちろん槇村麻里子のも、別々に存在しているんだ」
「一人の人間が三つの偽名を使って複数アカウントを
登録しているだけでしょう。珍しくもありません」
「ほお、できるのかね、そんなことが?」
「簡単です。プライベート用と仕事用を使い分けたり、
敵対する相手を貶めるために他人になりすましたり、
褒められたことではありませんが、ネットでは割と
ありがちな光景ですよ」
「そういうものなのか……」
「ええ。ちなみに三人のブログやSNSの公開範囲は
どうなってますか?」
「【友人まで公開】だ。もっとも、槇村麻里子が承認
しているのは冴羽翔だけで、野上萌美も冴羽翔以外
にはブログもSNSも公開していない。当然ながら、
麻里子と萌美は、お互いに承認しあってはいない」
「ほらね、文面ではさも一般公開しているかのように
装ってはいるけど、実際は三つのアカウント内だけ
で閉じて完結している…… 虚実はともかく、こんな
現実離れした出来事がネットに公開されていたら、
大騒ぎとなって炎上している筈ですからね」
「つまり、全ては同一人物が、一人三役を演じて構築
した、現実の事件には無関係の、全く架空の創作物
であるというのが、最終的な君の見解かな?」
「ユニークな手法を駆使して書かれたネット小説です。
悪趣味ですが、まあ暇つぶしには持ってこいですね」
「いやあ、さすがに鋭いな。試したようで悪かったが、
それで9割方正解だ!」
「9割方?……1割は何が違うんです?」
「自殺したんだよ、実際にな…… 母親が通報してきた」
「え!? では富士の樹海で?」
「いや、自宅の二階だ。自室のドアノブに紐をかけて、
首を吊っていた」
「そんな……槇村麻里子が?」
「違う。男だ」
「では冴羽翔ですか? まさか冴羽翔が、実在した?」
「それも違う…… 死んでいたのは小森和人氏。59歳、
無職。高齢の両親に養われ、若いころから何十年も
自室から出ていなかった。いわゆる、引き籠もりだ」
「59歳……?」
「そうだ。つい先頃、95歳の父親が亡くなってね……
いよいよ自分が、社会に出て働かざるを得なくなる
ことを苦にしての自殺らしい」
「いや、そんな理由で……?」
「我々も俄には信じられなかったよ」
「では、その小森和人さんが、槇村麻里子も冴羽翔も、
野上萌美も、三役を演じ分け、いや、書き分けて?」
「それが過去ログを見る限り、和人さんは引き籠もり
を始めて以来ずっと、麻里子のアカウントでブログ
や乙女チックなポエムを書き綴っているだけだった。
翔と萌美のアカウントの作成は、父親が死んだ後だ」
「え…… しかし、なぜそのタイミングなんでしょう?」
「自殺を決意したからだろうな。しかし槇村麻里子を
残しては死ねない。長年慣れ親しんだ一心同体とも
いえるアカウントを無碍に削除するのはしのびない。
そこでアカウントを増やし、槇村麻里子の最終章を
ドラマチックに盛り上げようとしたのではないかな」
「あれが…… ドラマチックですか?」
「まあ和人さんの中ではそうなんだろうよ…… 理想の
恋人と邪悪な恋敵を登場させ、凄惨な恋の鞘当てと
麻里子の自死で物語を完結させる。和人さん自身の
内面的な身辺整理でもあったんだろうな」
「ロシアンブルーのプウコは……?」
「和人さんも君と同じくらい猫が大好きだったそうだ。
冴羽翔や野上萌美と違って、プウコはブログの初期
から、あのとおりの設定で何度も登場しているよ。
実際は和人さんの母親が猫アレルギーで、家では猫
が飼えなかったから、ネットの猫画像や動画で我慢
していたらしいがね」
「では、プウコの最期も、和人さんの身辺整理……」
「父親が死んでしまってから和人さんは明らかに様子
がおかしかったらしい。以前は、母親がドア越しに
話しかけてもそっけなくぞんざいな口調だったのに、
亡くなる数日前には慇懃で上品な女言葉で対応する
ようになっていたそうだ。発見されたときは顔に薄
化粧をして、禿げ頭に黒髪のウィグを被り、女物の
ブラウスを着ていた。膝の上には猫のぬいぐるみ…… 」
「……プウコ……! 」
「本人はもう、すっかり槇村麻里子だったんだろうな。
そして内なる麻里子を賛美して全面肯定する存在が
冴羽翔。麻里子を嫌悪して攻撃する存在が野上萌美。
父の死で追い詰められ、人格が三つに分裂したのか?
それとも、視点を三つに分けただけで、どこまでも
和人さん自作自演の独り語りだったのか? 」
「主任……」
「実は和人さんのパソコンから、この三人のブログや
SNSコメントなどの下書きファイルが収納された
フォルダが見つかってな…… そのフォルダの名前は
【トリニティ】……君なら意味は知っているだろう」
「トリニティ…… 三位一体ですね」
「和人さんは、追い詰められて狂気や妄想に逃避した
訳ではない。冷静に自分がおかれた状況を分析して、
進退窮まったことを悟り、死を選んだのではないか。
そして槇村麻里子の物語を、遺書代わりにしたんだ」
「そうかもしれませんね…… 何ともやるせない話です」
「ああ。それにしても可哀想なのは、こんな短い間に
夫と息子を立て続けに失った母親だよ…… ご自身も
97歳と高齢なのに、憔悴しきって悲嘆に暮れる老母
の姿は本当に気の毒で、とても見ていられなかった。
一番の親不孝だ…… 君も、親よりは先に死ぬなよ」
「はい…… まあでも、良かったですよ!」
「ん…… ? 良かっただと? 何がだ?」
「だって…… 殺された猫は、いなかったんでしょう?」
「あ、ああ、そうだな…… 殺された猫、はいなかった」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
誰にも見せない萌美の秘密日記:6月6日、朝の6時!
あることないこと書いててむかついたから、麻里子
締めてやった。晩ご飯にお薬を混ぜて眠らせてから、
そのままドアノブに、吊るしてやった。簡単だった。
大体、毎日誰が、麻里子に三度三度のご飯を作って
お部屋の前まで運んであげてるのってこと。なのに、
ありがとうの一言も、ありゃしない。平気で残すし。
私がしょうちんを殺したって、ずっと責めてたけど、
確かに、すぐに救急車を呼んでたら、しょうちんも
助かってたかもしれないけど、しょうちんが階段を
踏み外したのは単なる事故で、萌美のせいじゃない。
なのに、私を異常者扱いにした、あのひどい作り話。
許せなかった、絶対に! もう我慢も、限界だった。
麻里子には、永遠に、眠ってもらうことに、したわ。
警察の人は、萌美のこと、ちっとも疑わなかったよ。
念の為でっちあげたあの遺書も、全然必要なかった。
ご愁傷さまです、お気を落とさずって、刑事さんも
優しく慰めてくれた。うん、気は落とさない。これ
であともう一人分の保険金が入るし、萌美ラッキー!
いい機会だから、何かペットでも飼おうかしらん?
そうだ、今度こそ猫を飼おう! 保健所から可哀想
な野良猫を貰ってきて、大事に大事に養おう。大体、
世話もしないくせにやたら高い猫を欲しがる麻里子
を騙してただけで、萌美、本当は全然猫アレルギー
なんかじゃないんだもの。猫可愛い! 猫大好き!
これから、萌美の本当の人生が始まる気がします。
野上萌美、まだ17歳…… 頑張る! 幸せになる!
ぶひ! ぶひひひ! ぶひひひひひひ! ぶひっ!
にゃあ♪
【ネタバレを含みます。先に本編を読んで下さいね】
いかがでしたか?
ほんの少し過激な描写はあるけれど『甘酸っぱくて
ちょっぴりエッチ?な初恋ラブコメ・ミステリー』
という看板に、ウソ偽りはなかったかと。ちゃんと
可愛いニャンコも出てきたし。ただまあ、読んだ人
によってそれぞれ受け取り方が違うのは致し方ない
ことかとも思います……だって人間だもの。みつを。
最初の構想では、この国の少子高齢化や引きこもり、
老々介護等の諸問題を鋭く追及する、硬派な社会派
サイコ・ミステリーになる筈でしたが、脚本を依頼
してきた受講生というのがそれはもう大変な変態で、
充血した目をギラつかせ、泡を吹きながら、
「エログロゴア上等! フェチSM大歓迎! 暴力万歳!」
と、およそ私の高潔な人格やポリシーとかけ離れた、
煩悩全開の下品で特殊な要望を突き付けてきました。
はてさて、どうしたものかと深く思い悩みましたが、
イベントの主役はあくまでも受講生で、私はただの
協力者に過ぎません。どんなに常軌を逸していても、
教え子の意向は最大限に尊重しなければならない……
仕方なく、不本意ながら、罪悪感に苛まれ、血涙に
咽び、懊悩に身悶えしつつ、この異常で歪な作品を、
嫌悪感と吐き気をこらえながら、懸命に書き進め……
ウッソぴょ~ん☆ 心から楽しんで書きましたわ♪
(※その受講生が大変な変態というのは本当です)
なお、脚本から小説にリライトする際に「巨乳」を
「ボイン」に書き換えました。巨乳は90年代:平成
以降に一般化した言葉のようですが(諸説あり〼)
この物語におけるブログの語り部は、明らかに昭和
世代です。だからカイデーパイオツに言及するとき
には「巨乳」ではなく「ボイン」を使うに違いない
というのが作家としての私のこだわりです(キリッ)
それにしてもデカパイのメインな通称がボインから
巨乳に移ったのは、正確にはどの時代、モデルさん
的にはどなた辺りからなんでしょうかね。札幌稚内。
教えてエロい人(←これもどの時代からだろう?)