置いてけ堀
当時の本所(東京都墨田区)あたりは、その成り立ちや土地の特質上、水路が多く存在していた。そのため、そこに住む魚目当ての釣り人も多く、町人は今晩のおかずを一品増やすために、孤軍奮闘するのである。
さて、その本所の一角にある水路。この水路でひとりの町人が釣り糸を垂れていると、釣れる釣れる。面白いように釣れ、びくもいっぱいになった。意気揚々と帰ろうとしたところ、どこからか声が聞こえる。
「おいてけ」
気のせいだろうが気味が悪い。町人は足を早めたが、声は追いかけてくるように大きく迫ってくる。
「おいてけ」
「おいてけ」
「おいてけ」
結局、この町人はびくを放り投げて逃げてしまった。謎の声が追いかけてくることは、なかったという。
また別の町人が同じ目にあったときは、勇気を出して魚を持ち帰ったが、朝起きると一匹残らず全て消えていたそうだ。
被害にあった町人たちから噂が広がり、いつのころからか、その水路は誰から言うともなく『ケチ堀』と呼ばれるようになった。
そう、この水路。とにかくケチなのである。最初は魚だけに執着していたものが、次第にそれは水そのものになり、道になり、風景となっていった。
水を汲むと「おいてけ」、周囲の道を歩くと「(通行料を)おいてけ」、風景を見ると「(見物料を)おいてけ」とくる。水はわかるが、後半などはもはや追い剥ぎである。
ぼったくりのことを略して「ぼる」というが、江戸時代にこの言葉があったなら確実に「ぼり堀」と呼ばれていたはずである。本所七不思議が大正初期の話であれば良かったのに。返す返すも残念である。
それはともかく、次第に地元の者は近寄らなくなる。それでも人の多い場所のこと。知らず知らずのうちに釣りをしたり、水を汲んだり、歩いたり、風景を見たりする人々が途切れることはなかった。
恐れをなし、水路に金品をお賽銭として投げ込む者も跡を絶たなかった。それが月日を重ねるごとに当たり前のこととなり、さらに時が進むと、なぜだか『この堀に金品を捧げると良いことが起こる』と噂が変わってしまった。
こうなると、もはや水路に金目のものを投げ込み願を掛けることが習慣となってくる。そこまでは良かった。名前も『ケチ堀』から『水神様』に格上げされ、水路もさぞかしご満悦だったことだろう。
しかし次第に投げ込まれたものが水底に累積し、どんどん浅くなってきた。このままではまずい。埋め立てられてしまう。そう思った水路は、そこを通る者たちに「もってけ」と声をかけるようになった。勝手なものである。