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生きるためならば王ですら鍬(くわ)を振り下ろす。

作者: 瀬崎遊

沢山の方が亡くなります。

 この(とし)の冬はとても寒かった。

 暖炉に薪を()べても凍えるほどに寒い。

 ここは国でも最南端の位置にも(かかわ)らず、温度計は−31℃を示している。

 この寒さを平民たちがやり過ごせるのかこの領地の領主、ヘルートーム・ジャクリーノ男爵はとても不安だった。



 いつから燃え始めたのか。凍りついた窓から炎が立ち上がるのが見える。

「寒さのために起こした火ならばいいのだが・・・」

 南の地にあるこの領地に極寒の冬の対策などしてこなかった。

 例年一番低い気温でも5℃を下回ることなど過去に一度もなかった。


 平民たちの備えなど毛布を一枚増やすだけだったり、料理以外の薪を少し増やす程度しか冬の備えなどしていないだろう。 生まれてこのかた雪など見たことがない。

 それなのに湖は凍りつき、川までもが凍りついて、積雪は150cmを超えている。


 雪がふり始めて貧しい者たちが住む家が倒壊した。

 その理由が解らなくて右往左往した。

 そして誰かが雪の重みで家が潰れたのではないかと言い始めた。

 それからは屋根の上に登り雪を下ろすことを命じた。


 そのおかげで倒壊する家の数は減ったが、年寄だけで住む家では屋根に積もった雪を下ろすことができなくて倒壊していった。

 中に住む者たちは当然生きてはいなかった。

 雪を呪って(うら)んでも雪はふり続ける。


 ほんの数分外に出ただけで耳と鼻の感覚はなくなってしまう。 

 この領地の者たちでは北部で備えているような帽子もコートも持ち合わせていない。

 窓から見える火が火災ではありませんようにと祈りを捧げた。


 廊下に慌ただしい足音が響く。

 それだけでよくない知らせだと解ってしまう。

 扉がノックされ(いら)えを待たずに扉が開く。


「旦那様!!煙道(えんどう)火災だそうです!!」

「煙道火災?」

「はい!煙突の(すす)落としをしていなかったために、その煤に引火して火災が起こるのです!」

「そうか・・・消火の目処は立っているのか?」


「残念ながら、この寒さで川も湖も表面が凍っているために水が手に入りません。自然に鎮火(ちんか)するまで見ている以外できることはありません」

「周辺の者たちに避難するように伝えてくれ」

「伝えましたが、皆寒さのために家から出ることも出来ません。もしくはもう既に皆死んでいるかもしれません・・・」


「火災だけではなく、寒さのせいで被害は広がるばかりということだな?」

「残念ながら・・・。さっきまで降っていた雪が降れば少しでも火の威力がおさまるかもしれませんが、今は雪も降っておりません」

「そうだな・・・。鐘を鳴らしてくれるか?」


「よろしいのですか?」

「今鳴らさなければ冬が終わった時、生き残れる領民が一人もいない。なんてことが起こってしまう」

「かしこまりました。ただいま鐘を鳴らしてまいります」


 執事のレオーネが部屋から出ていくと、普段なら足音一つ立てないのに、バタバタとした足音が響いた。

 待つこと数分で非常事態宣言の鐘の音がなる。

 カンカンカンと早鐘の音だ。

 金の内側を左右に叩く音。家を捨て、男爵家へと逃げてくることを許す鐘の音。


「この屋敷に来たとて寒さがしのげるかは解らないがな」

 鐘の音が一度途切れ、数分経つとまたカンカンカンと早鐘が鳴る。

 多分寒さで鐘を鳴らす者も鳴らし続けるのが難しいのだろう。

「せめてコートでも支給してやれればいいのだけれど・・・」

 どうにも出来ないことをヘルートームは()やみ続けるしかできることがなかった。


 鐘を鳴らして既に二時間以上が経つのにこの屋敷を訪ねてきた者は誰もいない。

 一番遠い領民の家でも二時間あればこの屋敷に到着するはず。

 まさかもう領民は死んでいるのか?

 不安に苛まれていると、レオーネが訪ねてきた。


「寒さのせいで外に出てこないだけです」

 そんな風に慰めてくれるが、最悪を想定しなければならない。

「だといいのだが・・・私の判断は遅すぎたのだろうか?」

「いいえ!!決してそのようなことはありません!!」

「冬が終わった時、民はどれほど減っているのだろうな?」


「それはこの国全体にも言えることだと思います」

「いや、私の備えが足りなかったのだ」

「このようなこと、誰も想像できることではありません。御自分を責めるのはおやめください!!」

「早くこの寒い冬が終わればいいのに・・・」

「本当ですね・・・」






ーーーーーーーーーー



 眼の前で家が烈火(れっか)(ごと)く燃えている。

 煙道火災なんて聞いたこともない。

 煙突掃除をいつしたのだったか思い出そうとしても思い出せない。

 

 前は子供に煙突掃除をさせていた。

 その子供は前の飢饉のときに死んだ。もう三年になるのか?

「そうだった。子供が死んでから煙突掃除をしたことがなかった。三年に、なるか・・・」


 燃える俺の家は自業自得だ。

 だが、延焼(えんしょう)類焼(るいしょう)していく近隣の人たちには本当に申し訳ないと思う。

 消火にあたろうと集まってきた人たちが立ち尽くす。

「早く火を消してくれよ!!雪をかければいいじゃないか!!」

 口々に皆が消防部隊にすがりつく。


「すまん。何もできることがない。自然に消えるのを待つ以外できることはない」

「どうしてだ?!なあ!助けてくれよ!!おらの家が燃えちまう!!」

「すまない。井戸の水も川の水も凍っていて水を()めないんだ」


 貧乏人ばかりが住む長屋。

 連なる家はどんどん燃え広がっていく。

「屋根に積もった雪を降ろしていなかったら消えたのかな?」

「先に家が潰れたんじゃないか?」


 カンカンカンと早鐘の音が鳴るのが聞こえた。

「ああ・・・男爵様のお屋敷に行けば命だけは助かる」

「だけど、この寒さの中男爵様の屋敷までたどり着けるのか?」


 家が燃えるさまを見ているしか出来ない近隣の者たちに、消火部隊の人たちが男爵家へ向かえと言われる。

 だが多くの人たちが自分の家が心配で、家に背を向けることが出来ない。


 火元となった私の家はもうただの灰になっているので、男爵家に向かいたいと俺は思っているが、火が消えないことには立ち去ることは出来ない。

 ただ地面にへたり込んでいる以外のことをすれば、俺はきっと殺されてしまう。


 ふと考える。生き延びたからといってどうなる?

 暮らす家もない。鍋も着替える服も、仕事道具すら燃えてしまった。

 冬が終わってもどうやって暮らしていくのか?

 死んだほうがましなのでは?と思考が動き出す。


 のろのろと立ち上がり、轟々と燃え上がっている五軒隣の家へと足を一歩踏み出した。

 消火部隊に止められて前に進めなくなり、またその場でへたり込む。

 俺は死ぬことも許されないのか?


 俺の家も入れて何十軒の家が燃えたのだろうか?

 逃げ遅れて死んでいないのだろうか?

 煙に巻かれて死ななくても、火に焼かれて死ななくても、俺達は死ぬ未来しかみえない。

 こんなにも轟々と燃えているのに寒くて仕方ない。

 


 カンカンカンと鳴り続ける早鐘の音に急かされる気持ちになる。

 死ななければ。死んでお()びをしなければ。 

 また立ち上がって一歩足を踏み出す。

 背後から腕を捕まれ振り返ると、隣の家のヨアーナだった。

 頬を強く叩かれる。


「死んで詫びるより、生きて少しでも(つぐな)いなさい!!誰もあんたに死んでほしいなんて思っていないわ!!働いてそのお金で私たちに服の一枚でも買ってちょうだい!!」


 死ぬも地獄、生きるはもっと地獄なのだと叩かれた頬を押さえながら思った。

 叩かれてものすごく痛かったが、叩かれた頬に熱は感じなかった。


 そのままヨアーナに腕を引かれて男爵家へと向けて足を進めることになった。

 ヨアーナの家も既に灰になっていて何も残っていない。

 皆寒さのために家にある服を重ねて着ているけれど、この寒さでは裸でいるのと変わらない。


「皆・・・本当にすまない」

 誰も返事はしなかった。

 ただよろよろと足を男爵家へと進めるだけだった。

 通常なら歩いて一時間ほどしかかからない距離だ

 必死に一歩一歩、歩みを進めている(はず)なのに一向に男爵家が近づいてこない。



 もう一歩も動けない。

 足は凍りつき、指は凍ってしまって触れたらぽきんと折れてしまうだろう。

 身体が前に(かし)いで俺はそのまま倒れた。

 

 ヨアーナも同じように倒れたのか、俺の横でドサリと音がした。

 倒れた俺の目に映るのは、俺のせいで家を失くした近隣の友人知人が倒れている姿だった。


 ガタガタと震えていた身体が目を閉じると気持ちの良い眠りが訪れた。

 もう夢も見ない。怖い思いもすることもない。

 ただ永遠に眠るだけだ。







ーーーーーーーーーー



 鐘を鳴らして四時間経ったけれど民は誰一人この屋敷に辿(たど)り着かない。

 もう既に民は全て失われているのではないだろうか?

 不安に思いながらも少し眠るようにとレオーネが言うのでベッドに横たわった。

 疲れていたのか身体が温まるとすぐに眠りはやってきた。



 あの火事は翌日の昼頃に降り始めた雪のお陰で鎮火した。

 一体何軒の家が燃えたのか解らない。

 情報を集めたくとも寒さと雪のせいで現場まで向かうことが出来ずにいた。

 男爵家の最上階から燃えた家がある方を見ても今はもう一面の白しか見えない。




 ありえない極寒が通り過ぎて、雪が溶け、川と湖の氷も溶けた。

 ヘルートームは直ぐに民たちの無事を確かめるよう指示を出した。

 どうか生きていてくれ。

 もう何十回、何百回祈ったかわからない祈りをまた口にする。


「生きていてくれ!!」



 民が暮らす家へと向かった者たちが三時間ほど経つと順次戻ってきた。

 何も喋らずただ首を横に振るだけだ。

「一人も生きていないのか?!」

 それにも誰も答えない。


 レオーネが一軒一軒確認してくるように指示を出す。

 指示を出された者たちは無駄だと思っているのか、その歩みは遅い。




 ヘルートームが指示を出したのは、気温の低い間に死んだ者たちを埋葬することだった。

 暖かくなってしまうと遺体が腐り始め、それに触れた者たちから病が広がってしまう。


 大きな、とても大きな墓穴を掘ることとなった。

 民は誰一人生きてはいなかった。

 ひとり一人埋めることなど不可能だ。


 赤ん坊も含めて領民三百八十四人。

 全ての領民が亡くなった。

 ジャックリーノ家はこの領地を返上することに決まった。

 いや、ジャックリーノだけではない。ほとんどの貴族が領民がいなくなってしまって、領地を返すことになっている。


 この国のどこの領地も、生き残ったのは貴族の屋敷に詰めていた者たちだけだった。

 北部の寒さに慣れているはずの領民たちもこの異常な寒さには耐えられなかったそうだ。


 北部では−57℃。

 それがどんな寒さなのか見当もつかない。

 ただ領民が死に絶えるほどの寒さだ。



 

 生き残った貴族たちはこれから剣から(くわ)に持ち替えて畑を(たがや)さなくては生きてはいけない。

 今生きている人間を生永らえさせるためにはどれだけの畑を耕せばいいのかもわからない。

 それでも鍬を振り下ろして食料を確保しなければならない。


 今は王ですら鍬を振り下ろしている。

 生きるために。

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