失恋令嬢と婚約者さん
「と、言うわけで俺はアンリと婚約させてもらう事になった。すまない」
そう言って翡翠色の髪をうなじのあたりで切りそろえた青年は、向かいに座る琥珀色の髪を真っ直ぐに伸ばした少女に頭を下げていた。
「頭を上げて、リオ。アンリと婚約することになったのなら、私ではなくあの子を好きになったのでしょう? だったら、謝ることなんて何もないじゃない」
リオと呼ばれた青年は頭を上げたが、その表情はどこか申し訳なさそうだった。
「だが、レイラ。君も俺を好いていてくれていただろう? だから、その……申し訳なさがあってだな……」
「ふふっ、申し訳なく思わなくてもいいのよ。むしろ、あの子を幸せにしてくれるのなら、それだけで私は満足よ」
レイラと呼ばれた少女は瑠璃色の瞳を細めて、微笑ましそうに笑って告げた。その言葉に噓偽りはなく、本心でそう言っているのだろうと表情から読み取れる。リオはほっとした様子でありがとうと呟くと、用意されていた紅茶をひと口飲みほうっと息をついた。
少しの間そうしていると、二人のいる応接間の扉が勢いよく開いて、一人の少女が飛び込んで来た。
「お姉さま!」
「アンリ?」
アンリと呼ばれた少女はレイラの胸に飛び込みぎゅっと抱き着いた。レイラは驚きつつも慣れた様子で彼女を受け止め、緩くウェーブがかった琥珀色の髪を優しく撫でた。彼女はレイラのふたつ下の妹で、リオと婚約することになったという少女である。
「もう……いきなり飛び込んで来たら危ないでしょう?」
「だって、リオ様とわたしが婚約することになったって聞いて……お姉さまに早く言いたくて……」
「あらあら……でも残念。その話はもうリオから聞いちゃったわよ」
レイラはそう言うと、ちらりとリオの方を見る。その様子を見てアンリはあ、っと思い立ち上がり、照れたようにカーテシーをした。その姿を見てリオは少し肩をすくめた。
「相変わらず、君たち姉妹は仲がいいな。少し妬いてしまうよ」
「お姉さまへの態度を見られて、少し恥ずかしいです……」
「今さらじゃないかしら」
「今さらだな」
照れたように両手を頬に添えて頬に添えて言うアンリに、レイラとリオは顔を見合わせて言い合う。それを聞いたアンリはますます顔を赤くしてしまうのだった。
ウェリアン伯爵令嬢であるレイラとアンリは、社交界でも仲がいい姉妹として評判のふたりだった。実際公私ともに仲がよく、食事の好みから服の好みまでよく似ており、アクセサリー等もお揃いの物が多い程である。しかし不幸にも、異性の好みまでまったく一緒だったのだ。
リオの父親であるラクロワ伯爵とウェリアン伯爵は大層仲が良く、お互いの家に行き来することも多かったくらいだ。両者とも同じような時期に子どもが生まれたという事もあり、子どもを伴って会うこともよくあった。そうして姉妹はリオと出会う事になったのだが、ふたりとも彼に一目惚れしてしまったのである。その日のうちに姉妹は父親へその事を報告した。であれば、これからリオと交流を重ねていき、どちらかが彼の心を射止めた方と婚約しよう、という事になったのである。そのことはラクロワ伯爵も同意しており、リオにも好きになった方と、あるいは共に生涯を過ごして行きたいと思える方と、婚約を結ぼうと伝えていたのだ。
そうして今日、リオはアンリの方を選んだのである。それに対してレイラは悔しいや羨ましいといった感情はなく、ただただ嬉しく思っていたのだ。
(リオなら絶対にアンリを幸せにしてくれるものね。いつか来る婿養子が幸せにしてくれる保証はないもの)
と、ひとえに妹の幸せの事を考えているのである。
「さてと、それじゃあ私はお邪魔になるだろうから、お暇させてもらおうかしらね。あとはお二人で仲良くどうぞ」
そう言ってレイラは立ち上がり、退出がてら侍女にアンリの分のお茶とお茶菓子を出すように命じてその場を後にした。部屋まで戻ろうかと少し歩いたところで、執事長が呼び止めた。
「レイラお嬢様、旦那様がお呼びでございます。執務室に来るように、とのことです」
「執務室ね、わかったわ。すぐに向かうわね」
執事長は恭しく礼をし、その場を離れたのを見送った。
(執務室に呼ばれるということは、私の婚約の話がもうあったりするのかしら?)
ずいぶんと急ねと思いながら、レイラは父親の執務室へと向かって行った。
あっという間に執務室に着くと、軽く扉を叩いた。するとすぐに返事があったので、失礼しますと一言告げて部屋の中へと入った。
「来たかレイラ。もうわかっているかも知れないが、お前の婚約者の話だ」
「やっぱりそうなのですね。こんなにすぐに話があがってくるなんて……お父様ってば、ずいぶん準備がいいのね」
「たまたまだぞ、たまたま。最近私がよく取引をしているベレト子爵、わかるかね?」
「ええ、もちろんですわ。それにウマもよく合うと、そうおっしゃっていたわよね」
「そこまで覚えていてくれて嬉しいぞレイラ。そのベレト子爵の三男とお前の婚約の話があがっているのだ」
「あら、そうなのね。婚約の話があがるということは、もしやその方、それなりに優秀なのかしら?」
以前父が娘の婿養子にするなら優秀な男でないといかん! と言っていたのを思い出し、そう尋ねた。
「ああ、もちろんだ。王立学園をかなり良い成績で卒業し、今は子爵の家業を後継者の長男と共に補佐しているらしい」
王立学園は身分を問わずに入れる優秀な者だけが入れる学園だ。優秀な者だけが、と謳っている通り入学するのもかなり難しく、入れただけで立派だと評されるほどである。さらには平民であろうと、卒業できたあかつきには王宮で働くことが出来るようになる、と言われているのだ。
「そんな方がうちに婿入りしてくれるなんて、とてもありがたい話ね」
「そうだろう? 年もレイラのひとつ年上で、話を聞く限り悪くない男だ」
だが……と伯爵は続ける。
「実際来てもらうかどうかは、レイラとの相性を見てからだ」
レイラがかなりのシスコンであるならば、その父親もかなりの子煩悩なのだ。娘と相性が悪ければ、どれだけ優秀だろうと婿に来させる気はないようである。その言葉を聞いたレイラは少し笑いを零して言った。
「もう、お父様ってば……。ですがお心遣い、感謝いたしますわ」
「感謝などいらん。娘を愛する親として当然のことだからな」
そう言って少し胸を張る伯爵を見て、彼女は笑みを深めた。心から愛されていることを、改めて実感しているのだろう。
「顔合わせは一週間後に行う予定だ。あまり緊張をしないようにな」
「かしこまりましたわ」
レイラは軽く礼をして、部屋から出て行った。日程的には結構急な感じもするが、レイラも十八という結構いい年齢だ。さらには婿養子をとるのならば、伯爵家の事業等もある程度は教えておかないといけないので、その関係もあるのだろう。来る日に備えて、レイラも改めて勉強し直しておく方がいいかも知れないと思いながら、顔合わせまでの日々を過ごした。
そんな話から一週間後、レイラとベレト子爵三男との顔合わせの日がやって来た。レイラは緊張した面持ちで、自室の椅子に座り、呼び出しがかかるのを待っていた。
(お父様の紹介だから、人柄は心配しなくていいでしょうけど……どんな人かわからないし、緊張してしまうわ……)
緊張をほぐすように軽く深呼吸をしていると、扉が数回ノックされた。
「お嬢様、ベレト子爵とそのご令息がご到着なさいました」
「ありがとう。すぐに向かうわね」
扉の向こうから聞こえた侍女の声に返事をして、応接室へと向かった。
応接室へとたどり着くと、既に父と子爵、そしてその令息がテーブルを挟んで向かい合って座っていた。
「遅くなり申し訳ございません。レイラ・ウェリアンと申しますわ」
とカーテシーをしながら子爵達に向かって挨拶をした。その様子を見たベレト子爵は微笑を浮かべる。
「先ほど来たばかりですので、お気になさらないでください。初めましてウェリアン伯爵令嬢」
「初めまして、ウェリアン伯爵令嬢。僕はフリート・ベレトと申します。以後お見知りおきくださいませ」
そう言って立ち上がり綺麗な礼をしたのが、ベレト子爵の三男、レイラの婚約者候補となった令息だ。珊瑚色の少し長い髪を後ろでひとつにまとめ、萌黄色の瞳を薄めてしまうかの様に、少し厚めの丸眼鏡をかけていた。見た目の印象は真面目そうな好青年、といった感じである。
「ではレイラも来た事だ、後は一度若い者たちだけで話をしてもらうとしよう。子爵も、構わないか?」
「もちろんです。フリート、あまり緊張しないようにな」
「わかりました」
「レイラも、緊張せず焦らず話してみるといい」
「わかりましたわ」
各々の子どもとひと言ずつ言葉を交わした後、伯爵と子爵は応接室を後にした。ふたりはこの後仕事の話を……ではなく、それ以外の世間話でもしていくのだろうという雰囲気を感じた。
「それでは改めてよろしくお願いしますわね、フリート様」
「は、はい、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
かなり緊張してる様子のフリートに、レイラは微笑んだ。
「フリート様、そんなに緊張しなくていいわ。それに畏まった態度も取らなくて大丈夫よ。気楽にしてちょうだい」
「わ、わかりました……じゃなくて、わかったよ」
そう言っても簡単に緊張はほぐれず、未だに態度や言葉に緊張が残っているのが、レイラはわかっていた。彼女は少し考える素振りを見せてから続けて言った。
「そうだ、少し庭園を歩きましょ? このままじゃ私も緊張で、何も話せそうにないもの」
「レイラ嬢も緊張してるの?」
「もちろんよ。初対面の人と会うのよ、緊張するに決まってるじゃない」
レイラがそう言うと、フリートはどこかほっとした様子を見せていた。緊張していたのが自分だけではないと知ったからだろう。
「そうなんだね。レイラ嬢は入って来た時から堂々としていたから、てっきり緊張してないのかと思ったよ」
「あら、そう見えていたのなら嬉しいわね」
彼女はふふ、と少し声を出して微笑み続けた。
「さ、庭園へ向かいましょう。時間はあるでしょうから、歩きながらもっと色んな話しましょ」
「そうだね。それじゃあ、案内をお願いしてもいいかな?」
「もちろんよ」
そう言葉を交わすと、ふたりは伯爵家の庭園へと向かって行った。
綺麗な草花に囲まれている庭園をふたりは並んで歩いていた。先ほどまでより緊張は幾分かマシになっており、他愛のない話をしながらゆっくりと過ごしている。そうして話しているとお互いにどんどん緊張がほぐれていき、話題も最初は王立学園の話や互いの家の話だったのが、王都で流行っている食べ物や演劇の話、果てには互いの好みなど、次第にプライベートな話になっていった。
「ふふっ、フリート様は甘いものがお好きなのね。さっきから話に出てくる気になるお店、全部甘味が有名な所ばかりね」
「あ、はは……バレちゃいましたか……少し恥ずかしいね」
そう言ってフリートは照れたように目を逸らし、その様子をレイラは微笑ましそうに見つめた。
「そんなに恥ずかしがらなくても。むしろ好きなら堂々としていていいんじゃないかしら」
「そうは言っても難しいよ。男で甘いもの好きってあまりいないしさ」
「あら、意外といるかも知れないわよ? みんな親しい人にしか言っていないだけで」
「そ、そうなのかな……?」
未だに少し恥ずかしそうに言葉を続けるフリートに、レイラはなんだか可愛らしいなと思った。
「ええ、きっとそうよ。だからあまり恥ずかしがらなくてもいいとわよ。少なくとも、私の前ではね」
「ありがとう、レイラ嬢」
そう照れたように、だがどこか嬉しそうに笑って言うフリートに、レイラは微笑みで返した。そして彼女は、もう少し彼の事を知りたいなと、ぼんやりとだがそう思っていた。
そんな風に過ごしているとあっという間に時間は過ぎ去っており、子爵親子はもう帰らなければならない時間だった。
「あ、もう時間みたい。戻ろうか」
「そうしましょうか。なんだかあっという間だったわね……」
よほどふたりで過ごした時間が心地よかったのだろう。互いにどこか名残惜しそうに会話を交わして、応接室へと戻っていった。
子爵とも言葉をひとつふたつと交わし、子爵親子に別れの挨拶をして帰宅するのを見送ると、その後執務室へと戻った伯爵にレイラは、婚約を承諾する旨を伝えに行った。
「何度か様子を見るつもりだったが、一度目で承諾するとはな。よほどいい男だったのか」
「えぇ。話していて落ち着きましたし、あの人となら一緒に領地経営して行けそうだと、そう思ったの」
穏やかそうに微笑みながら言うレイラに、伯爵は笑みを浮かべた。
「それはなによりだ。では伯爵には私から返事を出しておく。令息にはこれからここに通ってもらう事になるな」
「そうなるわね。でもあの方なら、お父様も教え甲斐ありそうだけれどね」
「ははっ! かなりあるだろうな。今からすでに楽しみだ」
「あらあら……お父様ってば、やる気ですわね」
そんな話をしながら伯爵親子は笑い合った。それから婚約後のレイラの予定を軽く話し合ってから、彼女は執務室を後にしたのだった。
それからレイラとフリートの婚約が無事に成立し、伯爵家の領地運営等を学ぶため、フリートが伯爵家に訪れることが次第に多くなっていった。主な目的は勉強のためだが、帰る時刻まできっちりと入れられているわけではなく、婚約者同士の交流も重ねていけるような時間もきちんと取られていたのだ。交流を重ねていくうちにふたりの距離も縮まっていき、今ではかなり仲も良くなっていた。
そんなある日、父に呼ばれて執務室へと呼ばれ向かったところ、ちょうどそこから出てくるフリートと偶然出会った。
「あら、フリート。今日もお父様のところでお勉強?」
「そうだよ。せっかくレイラに会えたのに、時間が時間だから、今日はこのまま帰らないといけないのが寂しいかな……」
「嬉しいこと言っちゃって。でも最近は私と会う時間より、お父様と会ってる時間の方が長そうね?」
「え、いやそれは、否定は……出来ないけど……」
少し慌てたようにどもりながら言うフリートに、レイラは意地悪そうに笑って言った。
「意地悪言ってごめんなさいね。フリートの反応が可愛くて、つい」
「もう……」
そう困ったように肩をすくめるフリートの表情は嫌がっている様子はなく、むしろどこか微笑ましいような、もしく愛おしそうな、そんな顔をしていた。
「次はちゃんとレイラに会いに来るからね」
「ふふっ、待っているわね」
微笑んでそう返すレイラに同じように微笑で応えた後、フリートは軽く礼をしてからその場を立ち去った。その背中を見送るレイラの瞳には愛おしさが浮かんでいた。
(可愛いけれど、意地悪も程々にしないとね。嫌がられたくはないもの)
元々レイラはかなり仲の良い友人相手には、意地悪を言ってしまう事もあるタイプなのだが、初恋の相手でもあったリオにはそういう意地悪をした事はなかったのだ。それだけリオの前では緊張していたのか、あるいはフリートにはとても気を許しているのかも知れない。
フリートの背中が見えなくなるまで見送った後、レイラは執務室の扉を軽くノックして返事を待ってから中へと入った。話があると言われたため来たのだが、父親の真剣な表情を見るに、かなり真面目な話なのだろうと思い至った。
話の内容はレイラとフリートの結婚の日取りについてだった。婚約してからしばらく経ったことだし、お互いに幼いころからの婚約者がいたならば、結婚していてもおかしくないような年なので、それなりに仲良くなったことだからもう結婚してもいいのではないかというものであった。もう少し婚約者として交流したいのなら止めないとも、告げられた。
「……構わないわ。そのまま結婚の話を進めてください」
少し考えた後レイラはそう返した。彼となら結婚してもうまくやっていけそうだと思ったのだろう。その言葉に伯爵は頷き、続けた。
「では子爵に話をしておこう。日取りが決まったら細かいことはふたりで話すといい」
レイラはわかりましたわ、と返事をして執務室を後にした。これから忙しくなっていきそうだが、それでも楽しみなことも多いのだろうな考えていたのだった。
「お姉さま、最近すごく楽しそうだね」
レイラの結婚式が近づいて来たとある日、姉妹でゆっくりお茶会をしていると、突然アンリがそう言った。その言葉にレイラは少し驚いたように軽く瞬きを繰り返した。
「そんなに楽しそうかしら?」
「楽しそうだよっ。特にフリート様と会った後は特に」
「そうかしら? なんだか照れちゃうわね」
そう言ってレイラは恥ずかしそうに頬を染めた。その様子を見たアンリは両手を重ねて目を輝かせていた。
「今のお姉さま、すっごく可愛い!」
「もう、からかわないでちょうだい」
「からかってないよ! 本当にすごく可愛いから!」
きゃっきゃと音が出そうなほど楽しそうに話すアンリに、可愛いのはアンリの方じゃないかしら、と思っていた。
(でもそんなに楽しそうにしていたのかしら……自覚がなかったわね……)
「早くお姉さまのウェディング姿見たいなぁ、絶対誰よりも綺麗だから!」
レイラがぼんやりと考えているとアンリはそう続けた。
「もう、言い過ぎじゃない?」
「言いすぎじゃないよっ。はぁっ……楽しみだなぁ……」
どこかうっとりした様子で息を吐きながら呟くアンリにを微笑ましそうに見ながら、レイラは紅茶をひと口飲んだ。
こうして姉妹でゆっくり会話出来るのもあと少しなのだろうかと考えると、妹の事が大好きなレイラは少々寂しさを覚えてしまう。結婚したからといって会えなくなるわけではないが、今までよりかは確実に頻度は減ってしまうし、アンリも少ししたら結婚してしまうのだ。そうなると一層会える頻度が少なくなってしまう。
「なんだか寂しくなってしまうわね……」
うっかり漏れてしまった言葉を聞いたアンリは目を丸くして、それから笑った。
「お姉さま可愛い~! お互い結婚しても定期的に会おうね! そうしたら寂しくないと思うから!」
レイラの手を両手で握って、声を弾ませながら言ったアンリは言った。その様子にレイラは、やっぱりこの子は誰よりも可愛いわねと思っていた。そして微笑みながら返した。
「えぇ、もちろんそうしましょうね」
アンリの言葉で寂しさは楽しみに変わっていた。結婚しても互いの関係は変わらないのだから、これからもたくさん会えばいいのだと、結婚後しか出来ない話もたくさんすればいいのだと、ふたりともそう考えていた。姉妹の仲はこれからも変わらないだろう、それどころかもっと深まっていくのかも知れない。
そうして訪れた結婚式の当日。新婦の控室でレイラは緊張した面持ちで椅子に腰かけ、侍女たちに最後の仕上げとばかりに髪のセットとメイクを施されていた。白を基調としたドレスと珊瑚色のアクセサリーを身にまとい、最後は頭のベールだけといったところで、控室の扉がノックされた。
「どうぞ」
レイラがそう返事をすると扉が開き、父親である伯爵が室内へと入ってきた。
「準備は出来たか?」
「えぇ、あとはベールだけですわ」
伯爵はそうか、と言うと侍女からベールを受け取り、そっとレイラの頭へと被せた。
「お父様、今までありがとうございます」
「父親として当然のことだ。……では、行こうか」
そう言って伯爵は肘を軽く曲げ、そこにレイラはそっと手を添えた。
伯爵にエスコートされながらバージンロードを歩く。厳かな雰囲気があるそこを進んで行くうちに、フリートの姿が見えてきた。そうして伯爵からフリートへとエスコートが受け継がれ、神父の前へとゆっくりと歩いて行った。
神父の元へとたどり着き、互いに誓いの言葉を述べた後、フリートの手によってそっとベールがあげられた。本日初めてレイラの顔をしっかり見たフリートは、頬を染め愛おしそうな笑みを浮かべた。
「世界の誰よりも、綺麗だよレイラ」
「ありがとう、フリート」
レイラの頬へ撫でるようにフリートの手が添えられる。その手にレイラは自分の手を重ねて微笑みを返した。少し見つめ合ってそっと瞳を閉じたレイラを見て、フリートは頬を軽く撫でたあとレイラの唇にそっと己の唇を重ねた。
「愛してるとレイラ。世界で一番、幸せにするからね」
唇を離した後、フリートは幸せそうに微笑んでそう告げた。その言葉にレイラは笑みを深めて返した。
「私も、あなたの事を世界で一番幸せにするわ」
すっかりふたりの世界に入ってしまった新婚夫婦に、神父は軽く咳ばらいをして続けた。
「新たな夫婦の誕生に祝福を」
そう告げられると同時に、フラワーシャワーが降り注いだ。式場には拍手が響き渡り、ふたりは手を取り合って顔を見合わせた後、参列者に向かって軽く礼をした。そうして更に大きな拍手が起こり、挙式は無事に終了した。
お色直しのために控室へと戻ってきたレイラは、幸せを噛みしめていた。もはやその顔に緊張の色はなく、幸福感だけがありありと現れていた。
侍女の手によってお色直しが済んだ所で軽く扉が叩かれ、レイラは「どうぞ」と答えた。その返事を聞いてから扉がゆっくりを開かれ、フリートが室内へと入ってきた。
「レイラ、迎えに来たよ」
そう言って差し出された手に、レイラは自分の手を重ねてそっと椅子から立ち上がり微笑んだ。
「待っていたわよ、フリート」
「うん、お待たせ。……挙式の衣装も素敵だったけど、そっちのドレスもとても素敵だね、似合ってるよ」
目を細めて微笑みながら告げるフリートに、レイラは少し照れていた。少し前まではレイラが少し意地悪を言って、フリートがタジタジになると言った感じであったが、ここ最近はフリートの言葉にレイラが照れると言ったことが多くなっていた。それを差し引いても普段以上に甘いのだが、結婚式の日だというのも関係しているのだろう。
先ほどまでの白を基調としたドレスとは違い、淡いながらも色のついたドレスをレイラは身にまとっていた。フリートも同じような色味のスーツを着ており、レイラの着けているイヤリングと同じデザインの、だけど色はレイラの瞳と同じ瑠璃色のピアスを着けていた。
「ありがとう。フリートもよく似合ってるわ」
頬を染めて告げるレイラに、フリートは恥ずかしそうに頬を掻いた。
「ありがとう。ピアスなんて久しぶりに着けたから、ちょっと慣れないけど……」
「普段アクセサリー着けてなかったものね。だからピアス穴が空いてるのも意外だったわ」
「シンプルなデザインの物しか持ってないから、デートとかだと着けられなかったんだよ」
「着けてくれてもよかったのに……見たかったわ」
気恥ずかしそうに言うフリートに、レイラはどこか拗ねたように返した。その様子にフリートは驚いたように瞬きを繰り返して、それから嬉しそうに笑った。見たかったと言ってくれたのも嬉しかったのだろうし、拗ねたように見えるレイラが可愛くてつい笑ってしまったのもありそうだ。
そんな他愛のない話をしながらふたりで歩き、披露宴の会場へとたどり着いた。扉を開けてもらい中に入ると、盛大な拍手が巻き起こった。拍手の中、参列者の前へと歩いてふたりは飲み物入ったグラスを受け取り、そしてフリートは挨拶をした。
「皆さま、お忙しい中今日は参列してくださり、誠にありがとうございます。硬い雰囲気はこれくらいにして、後のパーティーはお楽しみください」
乾杯、と声を出して言えば厳かな雰囲気から一転、会場は緩やかな雰囲気へと変わった。それからの皆の行動は様々で新郎新婦に直接祝いの言葉を伝えにくる者、仲のいい令嬢や令息と交流する者、その親に挨拶をする者などまさに十人十色と言った感じだ。レイラもフリートの兄ふたりから弟をよろしく頼むとの挨拶を受けたり、仲の良い昔馴染みの令嬢と歓談したりしていた。
そんな中、アンリとリオも揃って挨拶に来ていた。アンリはここが披露宴の会場ではなく家だったのなら、抱きついていたであろう勢いでレイラの手を両手で握り、それはそれは嬉しそうに「おめでとうお姉さま!」と言っていた。そんなアンリが可愛くて仕方がないと言った様子で、握る手に自分のもう片方の手を重ね「ありがとう」と笑って返した。
「あまりにも姉妹仲がよすぎて、いいことではあるんだが嫉妬してしまいそうだな」
「……ふふっ、少しわかりますね」
仲のいい姉妹を眺めながらぽつりと呟くリオの言葉に、フリートは少し笑いながら同意をした。仲がいいのは今更ではあるのだが、それでもそう思ってしまうのは致し方ない事なのであろう。ふたりとも相手の事が好きな故である。だが姉妹が互いを大事に思っているのを双方とも知っているので、それを咎めることはせずむしろ、穏やかに見守っていた。
そうしていつしか時間は過ぎ去っていき、和やかな雰囲気のままふたりの結婚式は幕を閉じた。
初恋の人に選ばれなかった結果決まった婚約ではあったが、今ではすっかりふたりの心も通じ合っていた。これから年月をどれだけ重ねて行ったとしても、仲睦まじく過ごしていくのだろう。
今の伯爵が代替りしても、その役を継ぐ優秀な娘とそれを支える旦那によって領は栄えていき、更にふたりは子宝にも恵まれて幸せに暮らしていくのであった。