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獣人たちに貞操観念を!!

作者: 空見鳥

「え、ヤダ……気持ち悪い」

「んんんんん…………ッッ」


 開幕の一言がすでにこの話を終わらせる。竹を割ったような拒絶の言葉だった。


「しかし、私は生徒指導として、一社会人として、なにより君たち青少年と向き合う大人として、気づいてしまったからには見過ごせませんよ」

「そんなこと言われてもなー。他の先生たちに注意されたことないし。てか、んな規則ないっしょ。聞いたことない」

「きそっ……それはそう、規則はありませんが……っ」


 女生徒の反論にぐうの音も出ない。しかし、この修道学院は社会人としての基礎を子どもたちに学ばせる重要な義務教育現場だ。その教育指導者として雇われた身であるアニマドヴァートは気づいてしまったからには注意しなければならない。


 生徒指導の役割を兼任する者として、これを放置してはならないし、自分が気づいた以上いつ他の者がその事実に思い至るか知れたものではない。


 事が事だ。何かあってからでは遅い。この学び舎はちょうど異性や肉体の変化に意識が向きやすい年頃ばかりが集められている。不測の事態は起こるべくして起こる悲劇のシナリオだ。


「だいたい何が悪いのさ、あたしのこの格好の」


 女生徒が腰に巻いたベルトに掛けて吊ったフリル付きの布地を摘み上げて、ひらひらと揺らす。藍と白の毛並みがコントラストに分かれたしなやかな下半身があらわになった。


「ッッッッ………! かっ簡潔に言えば……服装の乱れですッ」


 彼女は獣人だった。その服装はご機嫌な色柄の羽織りに、腰にベルトをしてポシェットと通気性のいい可愛らしいフリルのついた布を吊っている。それだけ。

 それだけだった。


 彼女の胸やら腰より下やらの局部は、丸出しだった。


 いや、たしかに人間の毛髪よりも毛深い体毛が隙間なく覆っている。そこらのぴっちりした服装より形は出ないし、肌が丸見えなわけではない。

 これまで誰もおかしな事だと考えてなかったし、この女生徒だけでなく他の多くの獣人たちも似たような身なりだ。特別彼女が破廉恥なわけではない。

 なんなら彼女の肌の露出は、ヒトの中でも極端に少ない方だ。なんせ体表の中で毛に覆われてないのは目や鼻や肉球、脇や肛門くらいなものだから。頭のてっぺんから尻尾の先までフッサフサの長毛種だ。


 それでもアニマドヴァートは気づいてしまった。これ丸出しだ、と。


 だからすぐさま視線を外し、眼鏡を整える。子供相手にこんなに反応するのは馬鹿らしくはないかと思う反面、そんなふざけたプライドで女性の半裸を見るような男に成り下がりたくはない。

 幼稚舎や託児所ならまだしも、ここは修道学院だ。性差にはしっかりと区切りをつけなければならないし、一ヒトとして生徒と向き合いたい。


「どしたんー? なにチサ? またなんかやったんー?」

「ちげーわー。あたしなんもしてないってーのー」


 呼び止められている友達を揶揄いに、新たな生徒がやってきた。声をかけた子は女生徒の獣人だが、連れ立っている友人たちは獣人の男の子や、人間の女の子などもいる。

 先ほどまで自分が間違ってると指摘されて、少し不安になり出していた彼女チサは、その友人たちを見てこれ見よがしに安堵した。


「ねー先生、先生の意見だとあたしが悪いみたいな感じだったけど? じゃあこれはどうなのさ? あたしより服着てないよ?」

「え、なになに? なんかあたしのファッションセンスに文句あんの? 戦争かー?」


 シュッシュッと口で言いながら猫パンチを空打ちする彼女の服装は、たしかにチサよりも布地面積が少ない。

 オッドアイにサングラスをかけ、イヤリングやネックレス、ラインバングルなどのシルバーアクセサリーに、合わせたシルバーチェーンで留めたパレオを腰に巻いているだけ。しかもパレオは横に流されて前は全開だ。

 それだけでなく彼女はハーフらしい。太ももからくるぶしあたりまでと腹部周り、それに顔から鎖骨あたりまでが体毛に覆われずに肌が出ていた。

 これで下着すら着けていない……。


「頭が痛い……」


 パシッと手を目に当てて天を仰ぐアニマドヴァート。もうこれは風紀の乱れとか、そんなもの教師陣が把握してないだけで起きているかもしれない。どう考えてもアウトだ。


「え、なにそれ、キモい」


 一部始終を彼女たちに伝えると、人間の女の子がドン引きした。彼女の服装はいたって普通だ、安心する。と自身の価値観がおかしくないのを確かめていたアニマドヴァートは唸るしかない。


「アニマドヴァート先生はそういう目で見ないと思ってました。本当にショックです」

「先生……その思想はさすがに同じ男としてどうかと思うよ。いや、同じ男だからこそ、そういうのやめてほしい」

「んんッ……待ちなさい君たち」


 追い打ちをかけられて思わず手のひらを生徒たちに向ける。何から反論すればいいやら。


「いいですか……いいですか? まず、その、そういう目というのは誤解です。同じ人間である貴女ならこの状態を看過できない気持ちを分かってもらえないでしょうか……」


 出た言葉は情けなかった。大人気もなく泣き落としだ。

 はぁ、とため息を吐く女生徒にビクッと肩が震える。


「そうじゃなければそんな事、思い当たらなくないですか?」

「誤解です……!」


 いたたまれなさに大きな声が出てしまい、周囲の他の生徒や先生たちの注目を集めてしまった。耳が赤くなるのをアニマドヴァートは感じていた。


「…………でもたしかに、もうそう言われたらそうとしか思えない……。このままはまずいですよね」

「そっそそそ、そうでしょう? そうですよね? やはりこの格好は放置できませんよね? よかった……よかった。本当によかった、分かる子がいてくれて安心しました。やはりこの格好は見過ごせません」

「必死だなー」


 そこへ小走りになって生徒がやってくる。その手には大きなローブ。アニマドヴァートが女生徒チサを呼び止めたときに、彼と一緒にいた委員会の生徒に至急持ってきてほしいと頼んでいたのだ。

 生徒からローブを受け取って、チサに着るように押し出す。しかし彼女は顔を顰めた。


「ちょっとちょっと、なんであたしがこんなの被んないといけないのさ。ただでさえ一枚羽織ってんのに、こんなのまで被るなんてごめんだね」

「そーだそーだー。他の生徒に被らせないくせにー。獣人差別はんたーい」

「なななっなにを……!?」


 チサたちが大きな声で反抗して、集めていた衆目のなかに険のある視線がいくつかできる。

 獣人差別、という言葉に反応したのだ。

 この修道学院は義務教育現場だ。この国に住む青少年を必ずここに通学させる義務が保護者に課される。そのため種族の垣根を超えたヒト全体としての対応が求められ、決して種族を理由に差別があってはならない原則があった。


 それを教師が破ろうとしているとあっては、生徒たちにすれば身近な危機だ。非難の目で抑えられているだけマシで、もし彼らに差別の確証があれば学舎を超えた大暴動になりかねない。


「アニマドヴァート先生、ちょっとこっち来てくれるね?」


 否定するよりも早く他の教師たちが動いた。彼の両脇を男性陣が、女性教師が庇うようにチサたちとの間に割り込む。

 もう泣きたい気持ちでいっぱいだ。

 少しシクシクしだした鳩尾あたりにそっと手を添えて、アニマドヴァートは彼らへ連れ添って場を後にする。


「不埒な目で生徒を見てはいけませんなぁ、先生」

「そそそそうですよ! 女生徒をそんな目で見るなんて同じ教師として許せません!」


 職員室では、ざわざわと複数の同僚たちがアニマドヴァートに非難の声を上げた。肩身の狭い思いをして、アニマドヴァートは俯いて応えない。

 背を屈めて守りに入った彼を見かねた教頭がまあまあと手を上げて制止する。


「アニマドヴァート先生もお若い。私なぞはもう発情期は来なくなって久しいのですが、生理的なものをただ否定するだけでは話も進みません。はてさて、先生、あなたはあの女生徒によこしまな情動を押し付けるような方でしたかな?」

「なっ……そのような事は端一つとしてありません!」


 何を言う。この聖職者たらんとする行動に、個人の欲情はまったく関係ないものだ。謂われない言葉の嵐に身を縮めていたアニマドヴァートも、こればかりは否定せずにいられなかった。


「そうでしょうとも。そして問題とすべきは、教師が生徒にその優位のある立場を持って迫る行為です。あなたがそういった事をするとは、この老骨には思えませなんだ。ええ、ええ、そうでしょうとも。ですので、件の女生徒とは彼女が卒業して社会を知るまでの間、先生には接近しないでいただく。当面、アニマドヴァート先生の担当が彼女と重ならないようにこちらでも調整しますから、若き恋愛は一時抑えていただく方向で──」

「ちょちょちょ……っ!」


 慌ててアニマドヴァートは教頭の言葉を堰き止める。


「なんですかな、アニマドヴァート先生。異議の申し付けは大変恐縮ですがお控え願いたく……」

「いやいや、待ってください教頭先生。話の筋がまったく私には関係がないように思えます。そもそも私は彼女だけでなく、獣人族の生徒たち全体に対して──」

「なんと、先生は獣人全体にその愛の矛先をお持ちか」


 最低、ありえない、今まで隠しおおせていたのがちょっと凄いと思えますね…‥などなど、他の教師たちが半歩後退って口にする。

 教頭はその亀の身をめいっぱい抱きしめ、半身になってアニマドヴァートに流し目を送った。大変勘弁していただきたい。アニマドヴァートの素直な気持ちだった。


「違います。色恋や情動の話ではない。獣人族の皆さんのその格好の話をしているのです」

「…………格好、ですかな?」


 教頭は自身のお気に入りのキルトを見て首を傾げる。たしかに古い品だが質は良く、大事に扱っているので状態はとても良好、なんならヴィンテージ品としてその手の物好きなら高値を出すだろうという自信さえあった。今被っている帽子も同じくタータンで、こちらもやはり状態は良好。誰の目に見せても恥ずかしくない出立ちだと教頭は自負しているし、これまでに誰かにダサいと言われたことも幸いにしてない。


「はてさて、私の格好に何か至らぬところがおありですかな? あ、いや、なにも私の格好に諫言をおっしゃられたからといって、特段、あなたに不利になるようにはしません。少し私が傷つくだけです……」


 教頭! とてもオシャレですよ! 傷つかないで! あなたの民族衣装コーデ大好きですよ!

 周囲の教師陣がしょんぼりした教頭を励ますが、教頭は今にも泣き出しそうな上目遣いでアニマドヴァートの言葉を待つ。うっ、とアニマドヴァートは息を呑んだ。やりにくい。言いにくいし、この老齢な亀の獣人族はこの生き方で長い半生を過ごしてきた、いわば矜持があるのを彼も知らないわけではなかった。

 つい昨日まではこんな風に見ていなかった。キルトの下スッポンポンですよね。そうでなくても甲羅は肉体の一部なのだから、それ半裸ですよね。そんな言葉が今では脳裡を反復横跳びして仕方なかった。


 ここで彼の服装を指摘しないことは、それこそ先の女生徒に対する差別であり、この目前の敬服する先人への忖度に他ならない。

 しかし、ここでそれをするとアニマドヴァートの生きてきた時間の数倍の時間をもって培われてきた、彼の倫理観や常識をその基盤に近い部分から覆してしまうのではないか。それはこの老亀の彫り起こしてきた道徳という祭壇を、ドブの中に叩き落とすような侮辱にならないか。


 数秒の懊悩。逡巡が目に出たのを教頭は見逃さず、しかし、咎めることなく慈しみ深い眼差しで、まさしく教導者然として諭すように頷いた。

 彼の迷いはそこで拭われ、言葉を返す。


「教頭先生の格好は、ありていに言えば裸に布を巻いてるだけです。風呂上がりにバスタオルを腰に巻いて出歩いてるのと変わりませんよね?」


 空気が凍った。誰も彼もが言葉の意味を探し、アニマドヴァートを見る。彼の真摯な瞳にもはや淀みはなく、その使命感に燃える光が夏の暑さで氷を溶かすように、場の空気をじわじわと変えていく。それと同期するように言葉が教師たちの聡明な頭脳に染みていった。

 ゆっくりと周囲の目が教頭のキルトに集まり、テニスのボールを追う観客のようにまたアニマドヴァートの目に戻って、彼だけがまだ見つめるキルトにバッと弾かれるようにもう一度視線が集まる。


「…………なんとも」


 教頭の弱った一言が堰を切ったように、あっ、ええ……、なるほどぉ……、いやいや……ええ?、それはしかし、ですが……ううん、と言葉にまとまらずに教師たちの口々からこぼれた。

 二、三の視線がその場にいた女性獣人族の同僚に向けられかけて、オホンゴホンッと咳払いが入る。当の女性獣人族の教師は、すぐさま自分の格好に思い当たり、不愉快と嫌悪と悍ましさをその顔に深く刻んだ。鼻に皺が溜まり、犬歯はぞろりと剥き出しになる。


「しかしですね先生、これは獣人とされる種族にとってとてもごく自然な、恥ずるところも猥褻なところもない、平凡な着付け方ですぞ」

「そうです! 体毛のない人間系の皆さんと違って、羽も毛も鱗もある獣人族は衣を纏いはしても、着込んだりしたら蒸れて仕方ない。それに別段、これまで問題があったなどということはないはずです!」


 教頭に追随して反論する女教師。男性陣がその気迫に押されて視線をさまよわせたり、お前も獣人族なんだからなんか言ったらどうだ、と隣の同僚を肘で小突いたりする。

 しかしアニマドヴァートはゆるゆると首を振った。


「教頭先生は元より水辺にご在宅のはずだ。そのキルトが黴びないように気をつけていること、こだわりを含めて教えていただいたのを覚えています。そして問題はあるのです。いや、あったのです」

「ほう、その問題とは?」


 生唾を飲む音が誰とも知れず響く。アニマドヴァートを職員室に連れ込んだ時とは異なる、誰もが居心地の悪い緊張が場を支配していた。その張り詰めた糸の片方は女教師が今にも噛み殺さんとばかりに握っている。

 そしてもう一方の糸の先を握る男、アニマドヴァートが重く口を開いた。


晩春休暇(ゴールデンウィーク)中秋休暇(シルバーウィーク)です」

「……? 何かありましたかな」

「発情期が重なっています。と言ってもほとんど勢いを落ち着かせ始めているあたりだそうですが」


 一瞬、惚けた周囲の反応は、すぐさま二分した。何を言ってるのか分からないが野生の勘が嫌な気分にさせて顔を顰める獣人族たちと、その時期の生徒たちに見られる傾向に思い当たる節があった人間系の驚愕。

 だが言葉を続けるアニマドヴァートに、追いついてなかった者含めて全員が肌を粟立てる。


「それなのに、両休暇後のアンケート調査で獣族の生徒を中心に、性交渉を行ったと答える数が増えるのです。それも上級生たちほどその傾向は強くなり、避妊の相談が増えるという相談を私自身受けた事がありました」

「な……何を言って……るんですかっ。そんな、そんなこと、これとは関係のない……」

「たしかに今はまだ調査も何もしてません。ですからこれはあくまで、私個人の邪推と言えるでしょう。しかし、私は両休暇の前日くらいになると獣人族の生徒たちがやけに毛繕いをしたり、服装が身軽になっていたように思えてなりません。何度か、香水を自分にかけまくる生徒を見かけて、注意したこともあります」

「そんなの誰だって……」


 女教師の言葉が尻すぼみになって聞こえなくなる。先ほどまで視線を外す他の教師たちに、あえて胸を反って抗う姿勢を保っていたのが嘘のように、上着を着直す様はもう見ておかなかった。同僚の人間系の女教師が彼女を隠すように前に割り入る。


「今までなら思春期の過ち、くらいにしか私も捉えていませんでした。ですが今日、この見地にいたり、その考えに繋がったときにはどうあっても放置することは許せなかった。それは生徒の未来を導くことを職務とする私には看過できない疑惑だったのです」


 その場にいた教師たちがアニマドヴァートの熱に呑まれて、彼の根拠のない確信に反論する気にもなれず黙り込む。


 この場の後、教頭がこのことを修道学院の学院長に相談すると、話は理事会をまたいで、教育評議会にかけられ、修道院の大元である国教会議で枢機卿が丸出しである事を自覚したのを民間に流布され、面白おかしく『丸出し枢機卿』という舞台がゲリラ開催される事態になって、枢機卿を怒らせた演劇家が亡命する寸前で逮捕されるに至った。

 事態はそこでピークを迎えるが、決して解決を見たわけではない。


 丸出し枢機卿のポンチ絵がばら撒かれたことで枢機卿がこの問題を誰よりも思う受け止めたのが功を奏し、獣人族の服装改善が国会で議論された。三年の時を要するも、このことで法律に新たな1ページが追加されて、獣人族は丸出しで出歩いていいのは海と実家だけになった。


 海の丸出し許可だけはあらゆる獣人族の突き上げでどうしても取り下げられなかったが、このことで施行されるまでの三年のうちに服飾史に革命が繰り広げられて、まったく新しい未開拓の需要がちょっと経済を明るくさせる。


 初め、人々は『どうすれば蒸さない服で獣人族のデリケートな部位を隠すか?』という課題を見ていた。しかし、半年もしないうちに『蒸し上がる毛艶がいい』という獣人族のコアな着眼点によって、剥きやすい服が現れる。

 これは端的に言えば、獣人族全体から不評だった。しかしこの剥きやすい服装が人間系の間で大流行し、剥き出し系というファッションジャンルを醸成。その最先端に獣人族っぽさを取り入れたバニースーツが現れ、こっちが獣人族の男性に大ヒット。レザースーツ系のパタパタファッションが横行する。


 すると獣人族の女性の間でこれに反発する動きが起こり、レザーで作ったベルトだけで局部だけ隠すという緊縛スタイルが風俗街から出てきて、それまで以上に目のやり場に困る獣人族女性が増えた。

 これはたまったもんじゃない、とここで枢機卿が動く。清楚さをどうにか足さなければ、ただでさえ発情期疑惑に対しての調査が国家規模で行われるというのに、扇情された男たちによって発情期疑惑が疑惑でなくなり獣人族女性が軽んじられかねなかった。枢機卿はレザーベルトの替わりに白布を使ったファッションを金に物を言わせて、広告や演劇に席巻させる。


 枢機卿の大義は素晴らしい。だが押しつけられることを獣人族女性たちが受け入れるはずもなかった。

 すぐさま緊迫スタイルに枢機卿の白布ファッションを馬鹿にするアレンジが導入され、ベルトとベルトの間に張られた純白のレース生地が押さえつける局部から体毛が突き出るスタイルが風俗街に横行する。そのあまりにも卑猥な格好は種族の垣根を越え、スケベ男たちのいろんなあれそれを狂喜乱舞させた。


 そんなこんなに訪れた発情期に重なった長期休暇ゴールデンウィーク。未だ法律の施行がされてないために街行く獣人族にはまだまだ従来の隠さないスタイルの者も多い。


 それは全ての事の発端であるアニマドヴァートの勤める修道学院でも同じだった。


「先生おはよう」

「おはようございます、チサくん」


 ただ少し学院の外と内では毛色が違う。なんと修道学院はゴールデンウィークを今年に限り、取りやめにした。その上で、制服の導入を検討しているのだ。

 教師たちが率先して制服のモデルとなり、生徒たちに投票させる。小さなコストで参加させて、当事者意識を持たせようという試みは、学院側が考えている以上に生徒たちに危機意識を持たせた。


 その甲斐あって、獣人族の女生徒には下着を着けないまでも、人目を気にして見られないようにする服装が着々と伝播している。

 アニマドヴァートに最初に呼び止められたチサもまた、その格好に変化があった。彼女は今フリルのあるワンピースを着ている。その布地のほとんどが紐と奥が透ける生地で、背やお腹はガパッと開いているが、それでも局部に関しては集めたフリルが可愛らしく伺えないようにしてあった。

 ベルトはやめた。最近の風潮で、ベルトは過度に意識されてしまうから。


「先生の余計な気づきのせいで、服が高騰して出費が痛いよ」

「その苦情は近ごろ声をかけてくる人全員に言われます……。しかし、それでも問題があったことは確信しているので、後悔はありません」

「ふーん……ちなみに今、女子の中で一番近づきたくない教師ランキングが先生の独壇場になってるって知ってる?」

「え……」

「第一位アニマドヴァート先生、第二位生徒○○先生、第三位後悔はありま先生、第四位生徒指導、第五位──」

「ちょ、ちょっと待ってください。誰ですか後悔はありま先生って。それもしかして私のあだ名ですか?」

「あだ名じゃぬくて蔑称ですよケモナー先生。あ、第五位おめでとうございます」


 絶望した。あれから獣人族の生徒がまったく話しかけに来なくなったのは分かっていた。よく勉強の相談や、将来の志望職業の相談なんかを持ちかけてきていた生徒たちが無視し、何度か生徒指導室で説教した生徒からはあらぬ誤解を受けて親御さんに説明したりしていた。

 それでも人間系の生徒は声をかけてもちょっと顔が厳しくなるくらいで、挨拶も返してくれていたのに……。自分の前を通る時に、服装をただす生徒が増えたのは良い傾向だと、自分の行動には意義があったと安堵していたのをアニマドヴァートは無かったことにしたくなった。


 お腹がシクシクする。もう何もかも投げ出して、誰もいない山頂かどこかで大声出して泣きたい気持ちだ。このシクシクは生徒を前にして、それでも大人として振る舞いたいという小っぽけな矜持が折れてくれないから、代わりに泣いてしまったということだろう。


 アニマドヴァートは自らの行いを後悔しそうになった。


 ああ、あの時どうして、丸出しだの何だの不躾に指摘しまおうと考えてしまったのか。

 いいじゃないか。文化が違う、で済ませたら良かったんだ。どうせこの世には一概に非難できることなんてないんだから。

 ちょっと獣人族が丸出しだったとしても、それで彼らがハッスルしても。


 そんなの自分には何の被害もない対岸の火事。


 小火にもなってない山の藪を突いて、たまたま気づいた火種を大きくして。それで自分のいたところまで火の粉が飛んできて後悔するなんて、とんだお笑い種だ──


「でもさ」


 いっそ開き直りかけたアニマドヴァートに、彼からちょっと目を背けてチサが頬を掻く。


「たしかに年々、この時期とか男子の目が怖くなってたからさ、その……なんだ。これだって決まったわけじゃないけど…………さ」


 もうすぐ終わる春風にさわさわと揺れる梢。花は散り、もうずいぶんと若葉が彩りを染めている。暖かくなり出したからか、蓑虫がゆーらゆーらと舟を漕いで微睡むのまで見えた。

 朗らかな陽光が彼女のフリルに綾を作る。少し尖らせた口元がわずかに緩んだ気がした。


「まあ、ほんのちょーっとだけ、あたしは先生のこと悪く思ってな──」

「はよーチサー。またロリコンに呼び止められたんー? 懲りないなー?」


 アニマドヴァートは決意した。


 辞表を出そう。


 しかし、彼の辞表は受理されない。この問題の提起者として制服導入の責任者に据えられていたからだ。

 制服のデザイン決定や業者への発注、保護者親御への説明会、理事会への報告義務と教育評議会への出頭命令……と仕事は山積みだった。

 忙殺されることで鬱々とせずに済んだかというと、それはそれ、これはこれ。修道学院に来るたびに刺さる視線と態度に、シクシクとお腹は泣きっぱなしだ。


 使命に殉じた彼の苦行の日々は、全国調査が行われて獣人族の不幸な事件の数々が浮き彫りになっていくほどに、名誉の挽回がなされたのだが……比例して忙しさに磨きがかかったアニマドヴァートが、自分のことを改めて褒めてあげられたもっとずっと後だった。

 それもセンセーショナルな社会問題が脚光を浴びたためであり、素直に喜べる性分でもなかった。


 だが、アニマドヴァートという教師の指摘は、後年の倫理学の講義でたまに話されるくらいには社会を良くした。

 そのことだけは確かだ。


 まあ、そんな遠い未来の話でなくても、一人の少女は彼になんとなく感謝していたが。

とえる獣人のイラストで、えっ!これ丸出しだ!となったので、書きました。

ちょっと人を選ぶ内容になりましたが、読んでいただきありがとうございました。

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