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家庭教師


フィリップ王子は毎日やって来る。

大体は公務の合間にちらっと顔を見せるだけだが、私の母や主治医と話しこんで帰る日もある。


私に会うと必ず「まだ記憶は戻らないのか」と尋ね、頷くと満足そうに笑う。


「無理に思い出さなくても良いよ。私は今の君のほうが好きだからね」


以前の私のほうが好きだった、前のように戻ってほしいと侍女のディアナに言われたばかりだったため、今の私を肯定してくれる言葉は嬉しかった。


しかし、理解している。

王子が今の私を好ましいと思うのは、きっと扱いやすいからだ。


ディアナ曰く、記憶を失う前の私は王子を毛嫌いしていて、野良猫さながらの闘志があった。きっと王子にも反抗的な態度を示していたのだろう。

片や今の私は、王子のことを生理的に受け付けないと感じながらも、借りてきた猫のように大人しく、言われるがままの日常に甘んじている。

どちみち愛のない政略結婚だ。王子にとってどちらが都合が良いかと言えば、後者なのだろう。


気持ちはモヤモヤするが、どうしようもない。


嫌だろうが何だろうが、フィリップ王子と結婚することは生まれながらに決まっているのだ。

反抗的な態度を取って関係を悪化させるよりも、今後の結婚生活の安定をはかって仲良くする努力をしたほうがいい。


ねえ、アメリア?

以前の私はどうしてそう思わなかったのだろう。頭を打って、少し賢くなったのだろうか。


実際に、私はあまり賢くなかったようだ。

というより、生まれつき病弱でまともに机について勉強をする機会が少なかったせいで、人より勉強が遅れているのだ。

現在十五歳だが、十三歳で学ぶ過程を学習している。

通学ではなく、通いで教師がやって来る。


体調は安定しているので、そろそろ勉強を再開しても良いという主治医の判断で、二日前に初めて授業を受けた。


自国の歴史の授業だったが、驚くほど何も分からなかった。前にやったところの続きから、と言われても、前に学習したはずの内容がまるで分からない。頭が真っ白だ。


記憶喪失だから?

しかし知識までゼロになるものなのか。


動揺する私に、教師は落ち着いた対応で「では復習から」と言った。無理のない範囲で、授業のない日も自主勉強をするようにとも言い置いて帰った。

その夜私は徹夜する勢いで、歴史の教科書を読みふけった。あまりに無知なことに危機感を覚えたからだ。


この国の伝統ある聖女の娘が、次代の王妃が、自国のことをまるで知らないのではまずい。

歴史だけでなく、現状の国情も知りたい。

学ぶべき教科書はアメリアの勉強部屋にたんまりとあった。


寝る間を惜しんでそれらを読んで、歴史や社会の授業を優先して受けるようにした。

通いの教師は何人かいて、他にも様々な科目の授業を受けなければならないそうだが、とりあえずは国のことを覚えたかったのだ。


そう伝えると、母は驚いた。


「まあ、アメリア! あなたが自ら勉強したいだなんて、大丈夫かしら。どこか具合でも?」


オロオロする母親を安心させ、勉強に励んだ。

そして大まかな国の歴史や国情を把握し終えて、今まで後回しにしていた他の科目の勉強も再開させることにした。


今日から来るのは、数学の教師だ。

事前情報によると、主治医のクスミン先生の甥で大学院生だそうだ。


きっと格好いい人なのだろう。

今朝から妙にディアナがソワソワと浮き足立っている様子を見て、そう察した。

社会科の先生は年配の女性だったし、神殿に外から若い男性が訪れることは滅多にない。

フィリップ王子を除いては。


午後からやって来たリク・クスミンは、やはりなかなかの美青年だった。

フィリップ王子ほどの美形ではないが、品の良い落ち着いた物腰で、どこか憂いのある雰囲気が女をソワソワさせる。

ダークブラウンの髪は艷やかにセットされ、学生でありながらきちっとした濃紺のスーツを纏っている。

深い海色の瞳が、真っ直ぐに私を捉えた。


「アメリア様、お久しぶりです。初めまして、と申したほうが良いのでしょうか……リク・クスミンと申します。Dr.クスミンの甥で、トクスラビス大学院の学生で、アメリア様の良き話し相手の、リクです」


良き話し相手?

数学の家庭教師ではなくて?


謎はすぐに解けた。

アメリアはとにかく数学が大の苦手で、リクの授業を渋々受けてはいたものの、半分以上は雑談に割いていたのだ。

リクは上手にアメリアの機嫌を取りながら、なんとか子供時代の算数までは教え終わっていた。


「それ以上の高度な計算や数式やらは、特に日常で使うこともないし、無理して勉強する必要はないんですよ」


とリクは、数学教師にあり得ない発言をして、微笑んだ。


「でも少しはそれに付き合ってほしいですけどね。もう来なくて良いと言われたら、アメリア様に会えなくなって寂しいですから」


良き話し相手として?


リクとの距離感に、正直言ってかなり戸惑った。

「これまで通り、リクと呼んでください」から始まり、顔を突き合わせる物理的な距離もそうだ。驚くほど近い。

そしてふっと目が合うと、言いようのない憂いを帯びた瞳で、何かしらの合図を送られているように感じる。


えっ、何。何なの、これって……まるで秘密の恋人同士のような……


いや、違う。好き合っていることをお互い分かっているが決して口には出せない……そういう関係の二人のやり取りでは?


なんて私の思い過ごしかもしれないけれど。


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