身代わり
無茶苦茶な話だと思った。
なのに引き受けてしまったのは、大金に目がくらんだからか。
聖女で王妃という地位に目がくらんだからか。
勿論それもあるだろうが、「お前は神が遣わした希望の光だ」「頼む、人助けと思って力を貸してくれ」という王子の言葉が胸に刺さった。
幼い頃に両親を亡くし、伯父一家に引き取られた私は、使用人扱いで育った。
そして十五歳になると、もう一人で稼いで暮らして行けと追い出され、家事しか能のない私は家政婦になった。
しかし住み込みで働いていた家で、そこのお嬢様の婚約者に色目を使ったという理由でクビになった。
全く身に覚えのない罪だったが、いち家政婦の弁明よりもお嬢様の発言は重く、「恩知らずの尻軽女」というレッテルを貼られ追い出された私は、逃げるように寂れた別荘地へ来て、派遣の家政婦に至る。
そんなどうしようもない、疎まれてばかりの人生を送って来た私が「希望の光」。
単純に嬉しかったが、恐怖も大きかった。
もし断れば口封じのために殺されてしまうのではないかと感じさせるほど、王子の醸し出す空気は凶暴だった。
つまりは断れない雰囲気だったのだ。
弱者は強者に従うようにできている。卑屈な生き方が身に染みついている。
そうして私は命じられるままに歌を歌い、及第点を貰い、異国の王子の身代わり婚約者になることとなった。
嘘みたいな話だ。本当に身代わりなんて務まるんだろうか、すぐにバレて大事になるんじゃないのか。疑問と不安が渦巻く。
「いくら見た目がそっくりでも、中身は全然違いますし。アメリア様に会ったこともない私がご本人に成り済ますなんて、やはり無理では」
「記憶喪失になった、ということにしよう」
「え?」
「極秘旅行中に軽い事故に遭って……そうだな、階段から転げ落ちて頭を打ったとかな、それでお前は記憶喪失になったんだ。自分がどこの誰かも分からなくなった。俺のことも国王のことも、自分の母親のことも、身の回りの世話係のことも、全部忘れてしまったんだ。それなら何一つ分からなくても辻褄が合うだろう」
やっぱり無茶苦茶だ。
しかし確かにその手を使えば、全てに言い訳が立つ。
私が何も分からなくても、まるで中身が別人のようでも、記憶を丸々失ったせいなのだと。
「我ながら名案だな。ああそうだ、以前のアメリアはさっきも言ったように酷い音痴だったが、それは治ったということにしよう。ここへ来て歌の特訓を受けた成果だ。そもそもアメリアが救いようのない音痴なことは、公には知られていない。知っているのは俺と姉と、アメリアの母親の現役聖女だけだ。極秘事項さ。次代の聖女が音痴だなんて、誰が想像する? 全くあいつはとことん呪われた女だよ」
フィリップ王子の話によると、現役聖女の娘アメリアは、その血統によって次期聖女を継ぐことも次期国王と結婚することも、生まれながらに決まっている。
しかしアメリアは生まれながらに病弱で、神殿から出ることも許されず、成長過程で何度も死にかけては、何とか生き長らえた。
手厚い看護と聖女の加護の下、アメリアは徐々に丈夫になってきた。
次期聖女になるための準備を始めてももう大丈夫だろう、と判断された。
そこで初めて、婚約者である王子とも顔合わせをした。それが二年前、アメリアが十三歳、フィリップ王子が十五歳のときだ。
「聖女の仕事といえば、お清めの儀式だ。聖なる歌を歌って、魔を祓う」
「魔を祓う? そんな力は私にはありません、無理です」
「分かってる。そんな力はアメリアにも歴代聖女にもないさ。形式だ。我が国では形式や格式、何より血統と伝統を重んじる。聖女の娘が聖女を引き継ぎ、代々受け継がれてきた聖歌を歌えば、全ての国民が安心する。安心して仕事に励めるし、神のご加護を受けた王家を崇拝する。それはとても大事なことだ。だから聖女は歌が歌える必要がある。生まれながらに歌の才能がある。そのはずだろう? なのにどうして、あいつはあんなに音痴なんだ」
フィリップ王子が忌々しそうに言った。
「小さい頃から死にかけていたからな、歌のレッスンどころではなかったのは分かる。歌ったことがなかったから、救いようのない音痴だと気づくのも遅れた。しかし代々聖女の血統だ、歌の才を必ずや引き継いでいるに違いない。レッスンさえ受ければ上手くなると信じたんだが……。ド下手なんだ、絶望的に」
聖女が音痴であることを知られるのはまずい。王家の求心力の低下に繋がることを恐れ、王子はアメリアを国外へ連れ出した。
「一ヶ月ほど、ここでみっちり歌の特訓を受けさせる予定だった」
しかし、ほとほと嫌気が差していたのはアメリアも同じだったらしく、護衛のいない旅行という好機を狙って逃げ出してしまった。
裏で糸を引いたのは、きっと恋仲の男だろうと王子は語った。
「何だその目は。俺は清々してるさ。病弱で音痴で浮気者だぞ、聖女としてもだが、妻としても最悪だ。お前は働いているのだから健康だろうし、歌も格別上手いという程ではないが、下手ではない。今日から毎日特訓を受ければ、もっと上達する」
えっ、歌の特訓も私が?
と一瞬驚いたが、聖女の代わりを務めるには確かにそれも必要らしい。
音痴を治すための極秘旅行で、別荘に缶詰で歌の特訓だ。
アメリア様は心底それが嫌だったのだろう。
かくして私は逃げた聖女に成り代わり、お忍びで身分を隠したまま、通いで別荘にやって来る歌のトレーナーのレッスンを受けた。
習いごとなど当然したことがなく、誰かの期待を背負うという経験も初めてだった。
真剣に取り組んだが、私も特別な歌の才を持って生まれた人間ではなかった。歌うコツを覚え、音程も安定して取れるようになったが、聞く者を圧倒するレベルではない。
期待が失望に変わっていく様を見るのは胸にこたえた。
「すみません……」
「いや、アメリアよりは随分いい。そうだ、記憶喪失になるほど頭を打つんだから、その影響で歌も本領を発揮できなくなったと、そういうことにしよう」
とフィリップ王子がまさに良案だというふうに言った。何でもかんでも、記憶喪失のせいにしようということだ。
「だけどあの、記憶喪失になったとそう簡単に信じてもらえるんでしょうか。頭を打ってもないのに、打ったふりで」
「それは本当に打つんだよ」
「えっ」
「事故の痕跡が少しも無ければ、怪しまれて当然だ。君には本当に頭を打って、少しくらいは怪我をしてもらわなきゃね。玉の輿に乗って一生贅沢暮らしがしたいなら、そのくらは体を張ってもらわないとな、割に合わないだろ」
冗談ではないようだ。
私を「お前」と呼ばなくなり、幾分優しく接してくれるようになった王子だが、本性はやはり怖い人だ。
今の状況を把握して、ドキリとした。
「屋根裏部屋に運び込んでいる荷物を取る手伝いをしてほしい」と言われ、長くて急な階段を上がって来た。
両手を塞いでいる荷物。階段に背を向けて、王子と向かい合って話していた。
気付いたときには遅かった。
両肩を突き飛ばされ、背中から階段を転げ落ちた。打ちつけられたあちこちに強い痛みが走る。痛みと恐怖で頭がガンガンする。死ぬ、殺される……!