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派遣の家政婦

片田舎の寂れた別荘地で働く、派遣の家政婦。それがこれまでの私だった。


派遣元から支給されたメイド服に身を包み、砂色の長い髪を低い位置で纏めたシニヨンヘアに、ペタンコの靴を履いた、貧相なスタイルの冴えない女――サヴァナ・ヒューイットだ。


新規の依頼を受け、派遣先の貸別荘へ赴いた。

一昔前は隠れ家的な静養地として人気を博したこの地区だが、不景気のあおりを受けたためか、別荘を手放す金持ちが増えた。


老朽化が進む空き別荘を安く買い取ったのは地元の不動産屋だったが、新たな買い手が付かず、貸別荘として営まれ、観光シーズンにはそれなりに利用客がいる。

山深く、紅葉の美しい秋は特に人気の季節だ。


その赤や黄色の葉が舞い落ちて、うすら寂しく感じる近頃は、曇天が続いている。冬の一歩手前だ。

時期外れの貸別荘の客は、異国から来た若夫婦だと派遣元から聞いていた。


「珍しいわよね。どうも奥さんのほうが病気らしくてね、静養がてらの旅行だそうよ。まあ分かってると思うけど、お客さんの事情は詮索しないこと。見ざる聞かざるで、黙って家事してりゃいいから。かなり良いとこのお金持ちみたいでさ、なんだか気難しそうな旦那だったからね。余計な口をきかずに、ハイハイ言ってりゃいいのさ。奥さんのほうは馬車に乗ったままで顔も見てないから、どんな人か分かんないけどね」


言われなくても分かっている。

わざわざ山奥の寂れた別荘地にひっそりと泊まりにくる男女は、それなりの理由を秘めている場合が多い。どちらかが結婚していたり、お互いに別の家庭を持っているといった、いわゆる不倫カップルだ。

お客の事情は一切詮索しない、それが出入り業者の暗黙のルール。

派遣元のボスが「珍しい」と口にしたのは、この度の旅行客が正式な夫婦である点だろう。


約束どおりの時間に別荘を訪問し、呼び鈴を鳴らした。

少し待ってもう一度、二度呼び鈴を鳴らしたところで、重厚な木製の扉が開いた。


顔を見せたのは、私と同年代と思わしき男性だった。

私より頭一つ分背が高く、端整な顔立ちをしている。しかし明るいブロンドヘアは寝起きなのか乱れており、顔色がひどく青白かった。


あ、この方がボスの言っていた「気難しそうな旦那さん」なのだな、と咄嗟に判断した。


目が合った彼は翡翠色の瞳を強ばらせ、まるで幽霊を見たようなひどくぎょっとした顔つきで息を呑んだ。


予期せぬ反応にこちらも動揺した。

今日から派遣の家政婦が来ることを忘れていたのだろうか。

それにしてもこんなにびっくりされるものかと不思議だった。


「……あ、あのぅ」


名乗ろうとしたとき、男性も掠れた声を発した。


「アメリア………?」


アメリア?


「ねえ誰、何なの?」


私の気持ちを代弁するかのような声が男性の背後から響いた。

小さく開かれていた玄関のドアが大きく開かれ、声の主が出てきた。

男性に見劣らず綺麗な女性だった。彼女も私を見るなり一瞬絶句して、さっと顔色を変えた。


「誰なのあなた、まさか本当にアメリア?」


「いえ、派遣の家政婦です。レーンデルス商会より参りました、サヴァナ・ヒューイットと申します。本日よりこちらで働かせていただきます。……お間違えないでしょうか?」


もしかして訪ねる別荘を間違えたのだろうかと不安になった。

女性は険しい表情のまま、私を値踏みするように頭のてっぺんからつま先までを眺めた。


「メイド服を着ているし……確かに家政婦のようね。本当にアメリアじゃないのね?」


ここへ来るまでの間に羽織っていたコートは、呼び鈴を鳴らす手前で脱いで手にかけていた。一目で家政婦と分かる格好をしていたのが功を奏した。

それにしても「アメリア」という名の女性は、それほど私に似ているのだろうか。


「はい、違います。私は家政婦で、アメリアという方ではございません」


客の事情は詮索してはならない。聞かれたことだけに答えた。

二人は顔を見合わせた。それから男性のほうが、低く絞り出すように言った。


「なんて幸運だ。やはり神は俺に味方している」


「どういうこと?」と女性が尋ねた。


「決まってるだろ、これだけ瓜二つなんだ。この女を身代わりにするんだよ」


蒼白だった男性の頬に赤みが差し、生気のなかった瞳がぎらついている。興奮した様子で男性は私に向き直った。


「お前、口は固いか? ここで聞いたことを決して他に洩らさないと誓え。でないと雇い元にクレームを入れて、クビにしてやるからな。客の秘密をベラベラ喋るような家政婦は最悪だからな。二度とどこにも雇われないようにしてやるぞ」


「はい勿論、ここでお聞きしたことは誰にも一切喋りません。誓います」


お金持ちというものは総じて高慢だ。変わった客の対応にはある程度慣れているつもりだったが、さすがに怖くなった。


身代わり?

一体何の話なのか。

唯一はっきりしていることは、まだ挨拶しかしていない相手に、クビにしてやるぞと脅しつけるような男に、期待すべき常識は無さそうだということだ。


「家の中で話そう。上がれ」


男性が命令した。


広い開放的なリビングで、若夫婦は私を改めて不躾に眺め回して、「本当にそっくりだな」「生き別れの双子とか、そんなわけないわよね」と言い合った。


そして「単刀直入に言おう」と男性が切り出した。


「婚約者に逃げられた。お前とそっくりな女だ。アメリアの代わりに俺と結婚してくれ。毎月300万ラルドをお前にやる。自由に使え。一生贅沢できるぞ」


びっくりした。

毎月300万ということは、年間3600万ラルド、異次元の金額だ。

それを自由に使っていいから、結婚してくれ?

婚約者って……?


「……あの、お二人はご夫婦ですよね?」


「いや、これは姉だ。アメリアと二人きりで来る予定だったが、お節介な小姑がくっついてきた」


「あら、随分な言い草ね。いくら極秘旅行だからって、未来の国王夫婦が護衛も何も付けずに外国へなんて、心配して当然でしょ。何かあったらどうするのよ。そうしたら、本当に何かあってびっくりよ。まさかあの子に逃げられるなんてね」


眼前で繰り広げられる会話に目をみはった。

唖然としている私に、男性が言った。


「ああ、名乗りが遅れたな。俺はここから南西の方角にある、ボシナル聖導王国の国王の息子、フィリッピュス・ファン・デールセンだ。近しい者はフィリップと呼ぶ」


「私はフィリップの姉、ボシナル聖導王国の王女、リューリ・ノーラ・ハリラよ。自国の公爵家に嫁いで、今は公爵夫人よ」


この二人が、外国の王子様と王女様!?


「そしてこの場には居ないが、アメリアの紹介もしておこう。アメリア・エングクヴィスト、ボシナル聖導王国の次代の聖女だ。聖女が導く王国という名の通り、代々我が国の王は聖女と結婚することになっている」


頭が混乱する。

ボシナルという国名には全く聞き覚えがないが、そもそも国内の地名さえよく知らない私には知識が足りない。


「何だその顔は。俺を疑ってるのか」とフィリップ王子が凄むように言った。


「仕方ないわ、フィリップ。あなたは粗暴で王子らしくないし、身分を隠すために私たち、ろくな姿をしていないもの」とリューリ王女が言った。

そんなことはない、二人とも見るからに上等な衣服をお召しだ。


「とにかく」とフィリップ王子が強い口調で言った。


「秘密を知ったからには従ってもらう」


薄々気付いてはいたが、かなり強引な性格のようだ。


「何を悩む必要がある。贅沢な暮らしができるんだぞ。もうせこせこと家政婦などしなくて済むんだぞ、次期王妃よ。いい響きだろう。もっと喜べよ。そう、お前はこの幸運に喜ぶべきだ」


「異国の聖女様の代わりなんて私には……」


「大丈夫だ、俺たちが上手くフォローする。アメリアは元々病弱で、引きこもりがちだったしな。お前も引きこもってればいい。ああそうだ、大事な確認を忘れていた。お前、歌は好きか?」


「歌、ですか?……はい、好きです」


「それは良かった。何か一曲歌ってみろ」


この状況でいきなり歌えだなんて。

歌は好きだが、この場で披露するほど歌唱力に自信はないし、曲も多くは知らない。

そう伝えると、フィリップ王子は頷いた。


「それでもいい。アメリアは酷い音痴だったからな。あれほどの音外れはそうそういない。それよりはマシだろう。少し歌ってみろ」


「えっあの、」


音痴な聖女というのも意外だが、それよりも引っかかる疑問が生じた。


「代わりを探すより、アメリア様をお捜しにはならないんですか? 逃げられたと仰っていましたが、お身体が弱いんですよね。知らない外国で、一人でお逃げになったところで困ってらっしゃるのでは……」


支援者がいるのだろうか?

行くあてもなく途方に暮れているという可能性はないのだろうか。


フィリップ王子は鼻で嗤った。


「あいつはずっと逃げたがっていたからな。生まれてこのかた、ずっと逃げ腰の腑抜けだ。アメリアに逃げられて絶望の縁にいたが、お前は神が遣わした希望の光だ。頼む、助けると思って力を貸してくれ。アメリアのことはもう自由にしてやりたい。お前が代わりに聖女をやって、王妃になれ」


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