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せっかく来たんだからお茶にしない? そう言ってうきうきと台所へ行こうとしたシェラの袖を、ソリアが引っ張る。そして壁かけ時計を指さした。ミグが首をかしげたのと、シェラが絶叫を上げたのはほぼ同時だった。
「アルバイトのことすっかり忘れてたあああ!」
とたん慌ただしくロフトのはしごを上っていくシェラを見て、今日もアルバイトなのかとミグはのんきに感心する。本と上着を置いて身軽になったシェラだったが、はしごを踏み外しドシンと尻もちをついた。
「ひいいっ。痛い、けどもう行かなくちゃ。でもミグに結局なんのお礼もできてないね……」
シェラとソリアからよく似た困り顔を向けられてはミグのほうが焦る。お構いなく、と言いかけた言葉を遮ってシェラが「あ!」と明るく笑った。
「お店に招待するよ! そうだ、それがいい。うんとサービスするから!」
そう言ってまたミグの手を掴んだシェラの頭はもう、ミグをアルバイト先の店へ連れていくことでいっぱいなんだろうと苦笑う。ミグの手を引いて玄関に出たシェラはそこで振り返り、ソリアに手を挙げた。
「夕飯はまた休憩時間に持ってくるからね! じゃあ、いってきます!」
「……いってらっしゃい」
母の返事がよほどうれしかったのか、シェラはもう一度いってきますと言って扉を閉めた。
ごめん、急ぐよ、と言って先に共用階段を駆け上がっていくシェラにミグもつづく。脆弱な足が気になってアルバイト先はどこかと尋ねると、「すぐそこの橋の下だよ」と答えが返ってきた。それならなんとかなりそうだ。
崖にかかる橋を転がるように下りながら、ミグは懸念していたソリアの体力のことを口にした。
「それは俺に任せて! 学校でリハビリのこととかも学んでるんだ」
「よかった。シェラがいれば安心だよ。じゃあ私は治癒魔法に専念するね」
頼もしい言葉にようやく安堵の息をついたミグに、シェラはなにか物言いたげな視線を寄越した。しかし今は先を急ぐことを優先したらしく、橋の袂近くにある階段を下りていく。橋の下には赤いレンガ造りの建物がずらりと並んでいた。




