93
女性はなにか言いかけてのどに手をやり、軽く咳をした。すかさず寄り添うシェラに微笑んで、女性はもう一度唇を動かした。
「おかえり、シェラ」
その声はもう何年も言葉を発していなかったかのようにかすれて、咳でのどを痛めたせいだろう女性にしては低く、辛うじて聞き取れる程度だった。だがシェラは本も上着も放り出した両手で母をひしと抱き締め、喜びに声を震わせる。
「母さん……! 喋れるの? 痛くない? 苦しくないの?」
「ああ、シェラ。あなたに、伝えたいこ……いっぱい……」
まだ本調子ではなく途切れがちになってしまう母に、シェラは何度もうなずく。
「うん。うん。だいじょうぶ、わかってるよ。全部伝わってるから」
ハッと見開かれた母の目に涙があふれるのをミグは見た。それは恵雨のようにこけた頬を流れほんのり桃色に染め上げる。我が子を掻き抱く節くれ立った指と、そっと触れ合わせた額は、言葉よりも雄弁に子を思う愛をささやいていた。
「ミグ、改めて紹介するよ。俺の母、ソリアだよ」
部屋へ招かれ、ロフト下のベッドに腰かけたシェラの母ソリアと、ミグはお辞儀を交わす。するとソリアはナイトテーブルの紙とペンに手を伸ばした。のどの炎症がひどく喋れなかった時は、筆談で過ごしてきたのだろう。
しかしミグは「ちょっといいですか」と断りを入れ、紙面にペンを走らせていたソリアの手を掬い上げる。
目を閉じると上階に敷いた魔法陣からソリアへ、ひと筋の砂のように注ぐ自分の魔力を感じた。それは肺と咽頭を中心にソリアの体をゆったりと巡る。咳をしていたことから患部のあたりをつけ、ミグはシェラの帰りを待ちながら魔力調節をおこなっていた。
だが、その効果はかんばしいと言えない。ソリアの体力を懸念して極微量の魔力しか流していないせいだ。実際に触れ合ってみればもう少し〈女神の祝福〉を強められると期待したが、ソリア自身の魔力はろうそくの灯のように弱い。それはそのまま体の衰弱を表している。




