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短い階段を下りたところに、収穫祭の時に見た馬車が待っていた。銀の角を持つ二頭の白馬はどこか緊張した面持ちでじっと前を見据えている。変わらずレースカーテンが閉まったままの白に水色で彩られた客室は、痛いほどの静けさを守っていた。
ひと足先に着いたヴォルがナキの手を引いて乗せようとするが、本能が怯えたのか少女は嫌がった。ヴォルの手を振りほどいてミグの後ろに隠れる。
だがミグには微笑みで安心させてやることも、安易な言葉で励ましてやることもできなかった。せめてチュニックの裾を掴む小さな手が離れないようにとゆっくり歩く。
後ろにいるミグを確認しつつ、今度は乗り込んだナキにつづいてミグも客室の踏み台に足をかける。その際ちらりとヴォルを見やると、下品な秘書は彼らしからぬていねいさで一礼した。
「重い空だな。今にも落ちてきそうだ」
先に乗っていた男レゾンは、ミグが向かいの席に腰を下ろすなりそうつぶやいた。窓に手を添えて、レースカーテンの隙間からどこか遠くを見ている。馬のひづめが石畳を叩き、客室は揺れ出した。
ミグとナキだけがこうして連れ出されている状況を見れば、第九艦隊将軍ノインがなにを要求し、それに対しレゾンがどんな答えを出したのかもうわかっている。だがレゾンはなにも言わない。ちらちらと懐中時計の針を確認するばかりだ。
ノインは時間制限を設けただろう。近隣諸国や最速空輸会社トリックスターも間に合わない、あってないような猶予に違いない。それまでにミグとナキがノインの前にいなければ次の標的にされるのは東区の住宅街か、東西跨がる商店街か、学校――南区国立魔法陣学校か。
シェラ。今日もいつもと変わらず家事と宿題とバイト疲れに追われて登校しただろう、心やさしい隣人を思うとミグのほうが焦りを覚えた。
「あと何分なんですか」
「……十分ほどだな」
時計のふたを閉じたままレゾンが言う。
「帝国軍は今どうしているんですか」
「南岸に無理やり接岸した。お陰で定期飛行船の停留所と国際離発着場の一部が壊れたよ」




