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けれどすべてを知って心変わりしていてもおかしくはない。脳裏に〈レティナ〉で見たプロキオン帝国の実験施設での光景がよみがえる。
血に濡れた手を伸ばした。指人形劇や手の鬼ごっこでいつも遊んでくれた大好きなおにいちゃんにまた構ってもらいたかった。だけど、やさしかったおにいちゃんの目は冷たくて固くて、欲しかった手は頑なにひざを抱き締めたまま、ミグなんかいなかったように背を向けた。
そこまで考えてハタと思い至る。この記憶は〈レティナ〉で見た記録ではない。時間の風化と、伸ばした手に触れてもらえなかった寂しさから自ら消したミグの中の思い出だ。今まで忘れたことさえ忘れていた。
助けると約束した人を二度見捨てた罪。それが一生許されないことが自分に与えられた罰だと言ったヴィンの言葉を、今ようやく理解する。
「私のこと、ひどいって思う?」
涙を拭いながら投げかけた問いにヴィンは戸惑いの目を返す。だが、ミグがヴィンに向けてそっと〈防護壁〉に指先をつけると、小さく息を詰める。伏した色違いの目にはまだ濃く罪の影がまとわりついている。
「……正直、腹立つ時もあった。けど俺にそんな資格はない。魔石を植えつけられたお前を見て、自分じゃなくてよかったと思ったクズだ。お前を回収しろって命令にも、諦めて抗わなかった」
ふと鼻で笑い、ヴィンは脇腹をさする。
「お前に腹を貫かれて当然なんだよ、俺は」
ミグは光の壁についた手を迷いながら握り込んだ。
自分の胸に問う。あの日、薄暗い小さな箱の中に閉じ込められおにいちゃんに拒絶された幼い自分へ、許せない? と。確かにあの時感じたどうしようもなく息苦しい気持ちは、孤独や喪失や絶望と呼べるものだった。
辛かった。振り向いて欲しかった。また、触れて欲しかった。術後の消耗しきった体でその思いをおにいちゃんに伝える力もなく、ただ見つめていることしかできない時間が、ひどく永く重かった。




