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自分はとっくに死んでいたんだ。
レゾンと〈神の意思〉の会話をどこかの狭い部屋で聞いていたミグはそう思った。
ここはゼクストと暮らしていたベガ国の地下水路の自室に似ている。けれど粗末な家に赤い革張りのソファなんてぜいたく品はなかった。これは地下でディレットが寝転んでいたものだ。
つまりここはミグの印象に残っている風景から作られた世界なのだろう。どうでもいいけれど、とつぶやいてミグは抱えたひざをさらに引き寄せる。
こうしてここで座っていること以外にやりたいことがない。心臓を失った人間がまだ動いているなんておかしな話だ。このまま衰弱してゼクストのところへ行くのが自然だろう。
誰に認められなくたって、テッサとヴィン、シェラが友だちでいてくれるならそれでよかった。みんなのそばにある自分の場所を守りたかっただけだ。
なのに、この腕はヴィンを傷つけた。恐ろしい爪を伝って地面に滴るヴィンの血が網膜にこびりついて離れない。そして白々しく震え出すこの手は、最愛の父の心臓を引きずり出した。
「私は、私が一番怖いよ……」
水音が空間を打つ。伏した視線の先で床に波紋が浮かび上がり、そこには赤い目をした自分が映っていた。死人のようになんの感情もない顔から目を背けて、ミグはひざに額を押しつける。
『また自分から死を選ぶのか。本当に人間は不思議な生き物なんだわ』
「うるさいよ」
『お前が自ら捨てようとするその命を、ゼクストは命懸けで守ったなんてとんだ笑い話だわ』
火のように熱く駆け抜けた衝動のままに、ミグは足元の水面を蹴り上げた。
「うるさいうるさいうるさい! ゼクストを殺したきみがゼクストを語るな!」
『なぜそう目くじらを立てる? お前だって暴走するゼクストを殺してでも止めようと考えていたんだな』
ミグは奥歯を噛み締める。確かにそうだった。狂人と化したゼクストが戦火を逃れてまだ誰かを襲っているなら、帝国に体を弄ばれているのなら、死をもって解放することが娘としてしてあげられる恩返しだと思っていた。




