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だけど、なんにも知らないお前が俺の軽口に遠慮なく怒ってくれることが――。
「ヴィン、私はなんなの……? 人間じゃないの……? 怖いよ。自分がこわい」
「なに言ってんだよ。人間に決まってるだろ」
「でも、でも、あの胸……。ゼクストの胸にも傷があったんでしょ。やっぱり私もおかしくなっちゃうんだ……!」
余計なことを喋った過去の自分に舌打ちする。ゼクストとミグの胸に埋め込まれたものがなんなのかまではヴィンも知らなかった。いたずらに不安を煽られ、浅く早い呼吸をくり返すミグを力いっぱい抱き締める。その耳元に「だいじょうぶだ」と吹き込める声は、自分でも頼りなく聞こえた。
「ゼクスト、こわいよ。ゼクスト、どうして変わっちゃったの……」
義父を呼ぶ少女の声に呼応して、手のひらの中にある〈レティナ〉がいっそう強く光り出した。まずい。再び高まる魔力の声に、ヴィンはとっさにミグから〈レティナ〉を奪った。
その瞬間忌々しい飼育小屋の映像は暗転し、魔動機は止まったかに見えた。しかしヴィンの視界を一瞬で焼いた業火が違うと叩きつけてくる。眼下は火の海だった。町のいたるところから立ち昇った煙が空を覆い尽くし、火の光を受けて真っ赤に染まっている。
灼熱の空を見覚えのある戦艦が悠々と泳いでいた。炎風にはためくはプロキオン帝国の旗だ。飼育小屋の観察用だったこの〈レティナ〉がヴィンの目に移植され、外に出されたのはベガ国戦の一度きりしかない。
パキリ、と乾いた音がした。足元にある屋根の飾り瓦の音だろうと思った。目を向けてヴィンはぎょっとする。肩から血を流す自分が倒れていた。近衛兵たちの死体を挟んで向こう側にはテッサも倒れている。ふたりの体は〈女神の祝福〉のやさしい光に守られていた。
また、パキンッと音が鳴る。
『ああ、なんだこりゃ。抜けないんだわ』
火の粉舞い飛ぶ屋根の上、ひざをつく人間の肩に足をかけなにかを引き抜こうとする人影がうごめいていた。毛先から半分ほど深紅に染まった黒髪が風に踊っている。細い女性の腕に沿って、なにか鉱物めいた刺々しい異形の腕が宙に浮遊している。




