5-3-2
翌日、俺は大山の謹慎勧告を無視して早朝にフェンス外に出ていた。坂本にも中村にも言わず、今日は1人だ。1人でフェンス外に出るのは島田を探しに初めて出た時以来になる。その日の午後にはナシーフが来てくれて、それ以降俺達は2人でこの山を駆けた。今、目印にしている養生テープも2人で付けたものだ。この道も何度も通った。俺は走る事で高鳴るのとは別の心拍を覚えながらも真っ直ぐに走る。
向かった先はドームハウスだった。俺は電光掲示板を見る。ここまで来るのに1時間と少し。まだ残り時間は3時間以上残っている。そして点灯している丸は10個。それは今日、残り3時間以上はこの森の中が安全である事を意味している。目的を達するには十分は時間だ。俺は息を整えながらそれを確認すると森の奥へと駆け出して行く。警戒はせずに持てる体力を全て発揮して斜面を進む。本音を言えば、やけくそだとしてもあのドームハウスを侵略し、命に代えてでもあの獣達を殲滅したかった。それでも俺はそんな無鉄砲なキャラではないし、俺の中にある理性が生産性と計画性に欠ける上にそれは勇気ではないと警告して来ている。俺は勿論、それを理解した上でドームハウスに背を向けている。
途中、歩く事もなくハイペースで飛ばしたために息が切れて休憩を取ったが予定通り1時間程度で俺は目的地に到着する。辺りを覆っているのは血の匂いだ。俺はナシーフの遺骸に合掌して近付く。そのままあの2匹に蹂躙されて息絶えたようだ。すぐ声は聞こえなくなったがその後も噛まれ続けたような痕跡がある。どうか早々に意識を失ってそのまま天に召されていてくれ、と俺は願った。最期の最期まで意識があったのだとすれば、それもまた残酷な話だ。
俺はナシーフの遺体を確認し、右脚を見る。右脚はかなり酷く噛まれたようで骨盤とは分離し、皮膚は裂け、筋肉が露わになって出血が酸化して黒く染まっている。俺はそれを確認すると共に森を駆けた右脚を持参したシーツに包んだ。そして俺は再度合掌をする。
「ナシーフ、俺もお前に感謝してる。全ての体を持ち帰る事が出来なくて申し訳ないけど…後生だ。安らかに眠ってくれ。」
俺はその場を後にした。
帰って来るのに1時間半程度、俺としては予定の3時間以内に収めて安全にフェンス内に帰って来たわけだが、南京錠をいつも通り外側に掛けて行った事で暗に外に出た事を内部に示したとしても、原因不明の俺の不在はフェンス内の混乱を招いていたようだ。流石の大山も俺を見つけると鬼気迫る表情で俺の元へ歩いて来る。
「俺は家にいろと言ったはずだ。」
「…悪かった。」
「悪かったの一言で済まされる事では…。」
「まぁまぁ。無事に帰って来てくれたんだし。ね?」
不穏な空気を察して仲介に入ってくれたのは林だ。恐らく帰って来ない可能性まで危惧してくれていたのだろう。俺は大山を見る。
「鉈を貸してくれ。」
「何を…。」
大山は俺の持っているシーツを見て言葉を発するのを止める。シーツの一部は血が滲んで黒くなっていた。大山は俺を見る。
「2時間だけだ。返しに来い。その時に今回の一件の処遇に関して通達する。」
「感謝する。」
俺は大山が投げて寄越した鍵を受け取ると「7」の家へと向かって鉈を取り出し、ナシーフの墓を作り始める。脚1本埋葬するための墓だ。そこまで深く掘る必要はなくあっという間に掘り終えてシーツのまま脚を埋めて土を被せ、帰りに拾って来た石を墓石として置く。森の入口の岩場にあった石だ。俺は汗を拭うと出来たばかりの墓に向けて胡坐をかいて座り、長々と合掌をする。
「市来先輩。」
聞こえて来た声、それは話さなければいけない人の声だった。俺は胡坐のまま振り返る。そこにいたのは中本、兼子、宍戸の3人。ナシーフと同じ2期のメンバーだった。
「あぁ。」
「お墓、ありがとう御座いました。」
「良いんだ。それにこれはナシーフを預かり、そして亡くしてしまった俺の責任でもある。」
俺は中本達それぞれの顔を見た後で深々と頭を下げる。
「本当に申し訳なかった。お前達の同期を…俺は守る事が出来なかった。」
「市来先輩、顔を上げて頂いて」
中本達も俺の前に座り、中本が相変わらず冷静に声を掛ける。
「俺達もナシーフの死には悲嘆を感じます。明るくて優しくて、2期にとっても中心的な存在でした。でも、それで市来先輩を責めるつもりはありません。これは俺の意見ではなく3人で話した事です。それに先輩の悲嘆はそれ以上だと思います。先輩もご存じの通り、ナシーフは覚悟して大山先輩ではなく先輩を支持する事を決断し、そしてその活動の中で死にました。本望だとは言わないですけど、皆覚悟はしていた事です、ナシーフだって覚悟はしてました。俺達はあの日、市来先輩に付いて行くって報告に来た日、止めたんですよ。身体的なポテンシャルはあるけど市来先輩と違ってお前は変なところ抜けてるし、市来先輩は主人公キャラっぽいし最後まで生きていそうだけどお前は死にそうだって。まぁ後半の話は冗談半分でしたけど。で、そこでナシーフなんて言ったと思います?俺、主人公も好きだけど、体張ってでも守りたいものを守ろうとするキャラも熱いと思うんだよって。」
「あぁ…。」
「でも、ナシーフと話してて気付いたんですよ。本気なんだなって。あいつって基本的に輪を乱すの嫌いなんですよ。あの体型なのに喧嘩するのも見るのも嫌いだし、自分が我慢して済むのであれば喜んでそうするタイプです。そんなあいつが自分から出て行こうとするなんて、余程市来先輩に陶酔してるんだなって思いました。それで俺は、ナシーフの好きにしてやろうと思ったんです。実際、あいつは会う度に市来先輩を褒めてましたよ。やっぱり市来先輩は凄ぇって。心から尊敬してました。自分のしてる活動にも意義を感じていたようです。先輩はナシーフにとって最高の先輩でした。」
静かに語る中本の声が俺の心に溶ける。俺は顔を上げられなかった。
「惜しい奴を亡くしました。お互いに。」
「…そうだな。本当に惜しい奴を亡くした。」
「先輩、これを。」
俺は顔を上げ、中本から手紙を受け取る。
「百日記念感謝祭に着想を得て準備してたようで、その後も何回か更新しては俺に預けてたんです。最後に更新したのは田中達が来る前なんで少し古いですし、こんなの準備してる時点で死亡フラグだっては言ったんですけど…是非読んでやって下さい。」
「ありがとう。」
俺はもう一度深々と頭を下げるとその場で手紙を読む。
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市来先輩へ。先輩がこれを読んでいるという事は、最後まで生存した暁として理一に晒されているか、もしくは本当に死んでしまったのでしょう。森で最期を迎えた場合、感謝を伝える間もないと思うので手紙を書きます。改めて佐藤ナシーフです。英検4級なんで日本語で書きます。先輩、俺は先輩を本当に尊敬しています。冷静で、だけど皆の事を考えてくれている先輩は凄くカッコ良いし、フェンス外での安心感は半端ないです。俺は先輩と会えて、一緒に過ごせて本当に良かったです。感謝してます。先輩は俺という最高の右腕を失って酷く悲しんでいると思いますが、あまり気にせず今後も先輩らしく生きて下さい。応援してます。あんまり上手くまとまってないですけど、しんみりするのもあれなんでこの辺で。
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「…何回か書き直している割に全然推敲出来てねぇ文章だ。」
「ナイジェリア人なんでご容赦を。」
俺の恨み節に中本はナシーフが言いそうな事を答える。それでもナシーフらしい文章だ。悲嘆に暮れている事も察し済で暮れたままでいるのが馬鹿らしくなる文章になっている。
「これは有難くもらっておく。感謝するよ。そして本当に申し訳なかった。」
俺はそう言うと「7」に鉈を片付けに行く。大山の元に鍵を返して然るべき処分も受ける必要もある。恐らく身内に甘くするわけにもいかないので制裁になるはずだ。俺はナシーフと中本達に救われて大山の元へと向かったのであった。