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「市来?」
その夜、俺は1人で「1」の家のテラスにあるガーデンチェアに座って物思いに耽っているところで大山の訪問を受ける。あの後、あの獣を見てしまった後は暫く茫然自失としてしまったが大山の切り替えもあって統率を取り戻して「1」の家へと戻り、食事の支度に入った。活躍したのは紅一点である林とここまであまり目立つ事のなかった伊藤だ。日頃から親の手伝いを軽んじている事が目に見えてわかる残りの男3人と比べて伊藤の手際は良く、あっと言う間に冷蔵庫にある食材で割と賞味期限が切迫していると思われる食材を使用した野菜たっぷりの汁物が完成した。食後は調理の際に戦力外だった俺と大山、丹羽で片付けを分担して済ませ、林と相談の上で暫くはこの「1」の家で寝食を共にする事となったために寝支度をし、「1」の家にはシャワーもなく、「7」の家にあるはずの歯ブラシ等の生活必需品も取り損ねてしまった中で、日も暮れて暗闇に満ちた中で外を出歩くのは危険だと判断した俺達は全てを明日に持ち越す事にして各々就寝する事にして、今に至っている。
「大丈夫?」
「少し考え事をしていただけだ。大山は?」
「俺は眠れなくて。もし良かったら少し話でも。」
「どうぞ。」
俺は、目の前にあるもう一脚のガーデニングチェアを勧める。
「外は少し明るいね。星が良く見える。」
確かに空は綺麗だった。灯りがないおかげで星がはっきりと見えている。天文学の知識があればこの星から何かがわかるのかもしれないが自称進学校に漫然と通っているだけの一介の高校生である俺にそんな知識はなかった。
「大山、目を覚ました時の事を教えてくれ。お前が林を起こしたんだろ?」
俺は空を眺める大山に対して話題を振る。星空の元、大山の表情の全ては陰に交じって判別出来なかったが少し笑ったようにも見えた。
「特別変わった事があったわけではないよ。目を覚ますと俺はこの「1」の家の近くに倒れていた。俺にとっても全く未知の土地だし、混乱もあったよ。それでも近くに倒れている林さんを見つけて起こして、林さんを起こした位置で唯一視認出来た市来を林さんに任せて俺がフェンス内を軽く散策すると丹羽と伊藤を発見した。それ以降は市来も知っての通りだ。勿論、俺が林さんを起こすまでに何かを隠匿した可能性も、俺はそもそもの倒れてなどなく、頃合いを見て林さんを起こした可能性も完全には否定出来ないけれど。」
「卑屈になるなよ。」
「でも、要はそういう事だろ?全く、市来の冷静さには恐れ入るよ。」
大山は過不足も滞りもなく俺の質問に答えた後で苦笑する。
「市来、リーダーはお前の方が向いてるんじゃないか?」
「何を言い出すと思えば…。」
「俺は、確かに偶々一番に目を覚ましたし普段から学級委員長をしているのもあって不安も緊張もあったけれどこうして今日は仕切らせてもらった。でも俺は、俺よりも適任だと思われる人を差し置いてリーダーに固執するつもりはないんだ。」
「…お前、意外と繊細な奴なんだな。」
俺はポツリと呟く。
「俺はリーダーには向かねぇよ。他人にそこまで興味はねぇし、最後は保身に走るタイプだ。それに比べてお前は最後まで仲間を見捨てないタイプに見える。誰がリーダーかは一目瞭然だろ。それに、他の3人もそれを感じ取って大山がリーダーでいる事を納得しているはずだし、俺もお前をリーダーに立てるのが相応しいと思っている。重荷で外してくれって言う話ならまた別だが、お前が出来るならお前がやれよ。」
俺は言葉と匙を投げる。でもまぁ事実だ。文化祭は準備段階からサボり、体育祭は木陰で寝過ごし、学級委員長とは犬猿の仲である俺にリーダーなんて向かないし、そもそも集団行動に興味はないのである。
「まぁ、市来がそう言ってくれるならば…でも、仮に俺を劉備に例えると市来は孔明だと思っているから何か気付けばすぐ言ってくれ。俺は市来を信頼しているよ。」
「大層な買い被りだ。それに会って一日の俺を信頼するのは軽率じゃないのか?」
「勿論、市来だけじゃなくて、丹羽も伊藤も林さんの事も俺は信頼する。取り敢えずは口先だけだったとしても。この5人の中で疑心暗鬼になっては暮らしては行けないだろ?」
「口先だけだとしてもな。」
俺は大山の言い回しを引用して頷く。俺達を日常生活から切り離してこの場所に連れて来た奴を仮に黒幕と呼ぶ事にすると、黒幕は今日に至るまでにこの計画を立案し、この土地を手にした上でフェンスと家を設置してフェンス内の環境を整え、俺達5人に悟られずに俺のコンタクトレンズ、林の下着のサイズ等細部に渡って情報を収集し、そして俺達を連れて来た。これだけでも明らかな事は、これは綿密な計画の元で、それなりの人員と資産をかけて行われているという事だ。そんな中で、集められた5人の内の1人が黒幕の一員だったなんてミステリーで良くある展開は想定しておいて然るべき事だった。
「そうは言っても本当に信頼しているよ。これからもよろしく。そしてよろしくついでに明日以降の相談もしておこうと思うんだけど。」
「大山の意見を聞かせろよ。」
「俺?俺としては本来であればフェンスの外、具体的にはすぐそこにある森を調査したかったけれどあの獣がいる以上は無期限延期として、そうなると探索は凡そ終えたと言って問題ないと思うんだ。明日は朝一でもう一度「7」の家を軽く見て回って歯ブラシ等の日常品をこの家に移して、シャワーを浴びて…あとは5人で相談にもなるけれど、長期戦を見越した場合、問題は食料になるかな?」
「俺も同意見だ。」
「そうだよね。「7」の家には鉈も肥料も苗もあったし、釈然とはしないけれど要するに農耕をしろってメッセージでもあるんだろうし。」
俺は大山の意見に再度同意する。今、急いで行わなければならないのは生活の安定だ。そして幸いな事に衣食住の中で衣と住は既に整備されており、食に関しても飲料水は数ヶ月を余裕で見越した備蓄がある以上、冷蔵庫と戸棚にある数週間~粘って1ヵ月半程度の食料の枯渇を見越して準備を進めるべきだった。
「本当は長期戦なんて見越したくはないんだけれど。…でも、俺としてはまずここでの生活の安定を図って細々とだとしても安全にここで生存し続ける事を目指そうと思ってる。死んでしまっては元も子もなくなるし。」
「土壇場で解決出来る問題ではないんだ。準備しておくに越した事はねぇよ。」
俺は呟く傍らで大山の表情を盗み見る。そして俺は俺と大山との間に亀裂の生じ得る未来までを空想した段階で目線を空に投げる。
何度見ても綺麗な空だ。ずっと見ていられる吸い込まれそうな星空、それと同時に遥か上空を飛行機が通過して行く事で浮世離れした気分を現実に戻してくれる。
「市来は岐阜の生まれだっけ?」
「あぁ。」
「岐阜には行って事はなくて…どんな町?」
「特に何が凄ぇ事はねぇよ。名古屋まで1時間あれば行けるのもあって名古屋に出る事も多いし、観光地と言っても世界遺産の白川郷は岐阜市よりかなり北だし、長良川の鵜飼も有名だけど、若者向けではねぇしな。」
「長良川の鵜飼は知ってるよ。ニュースで見た事もある。」
大山は俺の空想など知る由もなく、他愛もない会話を始める。
「大山は東京だっけ?」
「高校はね。でも、小学校までは青森にいたんだ。」
「青森は…東北か。林檎?」
「まぁ、全国区で有名なのはね。林檎自体もそうだし、林檎で作った色々なお菓子はお土産の定番だよ。他にも弘前の桜に教科書にも出て来る三内丸山遺跡は有名だよ。他には、ソウルフードとして俺個人としては味噌カレー牛乳ラーメンを推すよ。」
「何だよそれ。どうなってるんだよ。」
俺は思わず突っ込みを入れる。普通の高校生の日常会話だ。否、普段は会話すらもダルくて怠ける俺からすると普段より盛り上がっていると言える。俺は顔を見なくても、横で大山が微笑んでいるのが分かって、自然と笑顔が溢れた。
「今度食べに来いよ。」
「帰れたらな。不味そうだけど気になって来た。」
そして俺達は口約束を交わす。今日出会ったばかりの友人、未知の土地で過ごす星の綺麗な夜、そんな肉癢ゆい青春の1ページのような高揚に任せて、俺らしくもなく根拠に欠ける約束をしてしまったものだ。俺は内心で苦笑いを浮かべる。それでも大山と共に青森の地で未知のラーメンを食べる未来は悪くないと思ってしまったのだ。
「…あっ、ここにいたんだ。」
「2人ともどうしたの?」
テラスに続く背後の窓が開いて聞こえる声、顔を出したのは伊藤と林だ。
「味噌カレー牛乳ラーメンの話をしてただけ。」
「…味噌カレー…え?」
林は俺のテキトーな回答に困惑する。日中に比べると表情も豊かだ。
「夜空を眺めて明日以降の相談と、身の上話をしてただけだよ。2人は?」
大山は俺の発現を笑顔で取り繕って2人を心配する。5人の中では気の弱そうな2人だ。眠れなくなってしまった事は容易に想像出来る。
「あんまり眠れなくて水でも飲もうと思って起きたら伊藤くんも。」
「俺も眠れなくて、それに2人もいないし…それで1階の椅子に座ってたんだ。」
「こんな事になったんだ。気も張っているし眠れなくたって何も不思議ではないよ。」
大山は2人をフォローする。
「丹羽は?」
「俺が部屋を離れる時には寝てたよ。」
「奴には適わないね。大物だよ。」
大山は感嘆の声をあげる。この声にも気付かずに今も丹羽は爆睡しているはずだ。
「俺はそろそろ寝るぞ。」
俺は立ち上がり、背後から聞こえるお休みという声に手だけあげてテラスを離れる。2階の部屋の中で寝袋のあった部屋が男子部屋、奥の段ボール箱の部屋が暫定的だが林の部屋だ。俺は軽く鼾をして寝ている丹羽と少し寝袋を離して横になる。
大山は最後まで肝心な話をしなかった。俺は大山とも会話を回想する。
明日以降、最も大切になるのは食糧問題だ。それは事実であり大山は賢明な判断をしていると言える。大山は今日話した段階ではリーダーとして必要な素因を備えている上に、10代のリーダーにありがちな驕り高ぶった雰囲気も無鉄砲な一面もなく、リアリストで保守的なリーダーであるように見受けられた。信頼に足る奴にも思える。それ故に、仮に食糧問題が解決して日々の生活が安定した場合、大山が下す判断に関して一抹の不安を感じる。
俺達のゴール、そして黒幕の目的は何処にあるのか。この状態が続く場合には数ヶ月掛けて慎重に見極めていく事になりそうだ。
俺は疲労感を感じて目を閉じる。ここでの1日目はこのようにして終わったのであった。
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ここに来て2日目、私はここでの日々の記録を付けるために日記として日々の出来事、そして私の感じた事を記録する事にしました。私は林瑠奈、福島にある聖錬館高校の3年生です。日付もその内に分からなくなってしまいそうなので可能な限り日付も追いかけて書こうと思います。2018年4月22日(私の最後の記憶のある日付はこの日までです)、私はKafkaの代表作「Die Verwandlung」のように奇抜な事はなく、それでも突如として理不尽にこの土地に来ました。フェンスに囲まれた7棟の家のあるだけの荒れた土地です。幸いな事は沢山あって、水も食料もあって数日以内に餓死する事はないし、備品も含めた環境も整っていてシャワーとか着替えとか生理用品にまで気が回っているし、1人だけではないのも心強いです。それでも気を抜くと沸いて出てくるのは弱音ばかり。何で私がこんな目に遭ってるの?これからどうなるの?そうすれば家に帰れるの?…不安ばかりです。それでも私は頑張ろうと思います。この日記も頑張って続けようと思います。
「林瑠奈の日記」より引用




