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「市来先輩、時間あります?」
高倉が「6」の家を訪ねて来たのは多々良に絡まれた同日の午後の事だった。俺としては意外だったが高倉とは1度話をしたかったので玄関先で応じる。机には地図もあるし、捻挫しているナシーフに外で散歩して来てくれと言うのも酷だ。俺はそう判断して散歩を申し出て、高倉も了承する。
「お時間頂いてありがとう御座います。」
「気にしないでくれ。それに俺も高倉と話したいと思ってたんだ。」
「それは光栄です。俺と話すメリットはあるって事で。」
「根に持つなよ。それに俺だって常にメリットとデメリットを天秤に掛けて生きてるわけでもねぇんだ。」
「勿論ですよ。それにあの発言は俺が聞いてても多々良が幼稚でした。」
俺が多々良にした発言の引用に関しても嫌味はなく、高倉は自分達の非を認める。
「多々良と坂本は?」
「よろしくヤッてるんだと思いますよ。」
高倉は唯一空家になっておる「4」の家に壁まで来て壁に凭れる。
「リアクションして下さいよ。勿論、冗談です。二人とも昼寝してますよ。」
「分かってるよ。」
高倉は死んだ魚のように眠そうにしている目で俺に対しても余裕を見せる。午前中に論破した多々良とは別次元だ。俺は高倉を見上げる。ナシーフ同様の高身長だ。更に細身の引き締まった体は、真摯にバレーボールに打ち込んでいた事を示していた。
「それで、話って何だよ?」
「俺と個人的に交渉して頂けないかと思って。」
「と、言うと?」
「俺は多々良達とその動向に関して市来先輩の必要とする情報を提供する。その代わりに市来先輩はフェンス外で得た情報を俺に開示する。勿論、全て話せとは言いませんよ。話せる範囲で結構です。どうです?メリット的には。」
「俺としては構わねぇけど、そんなにお前のメリットねぇだろ?」
「そんな事ないですよ。フェンス外に関する情報は得ようとして得られるものではないですし危険に対する対価としてその位の勾配は十分に等価です。それに、市来先輩にそう思って頂けるのであれば俺としては御の字ですし、ここで信頼を得られれば多々良が完全に陥落した場合でも役に立つと思って頂ければ面倒を見て貰えそうですし。」
「何処まで先を見越してる?」
「そんなには。でも準備は綿密にしておくタイプなんで。」
末恐ろしい奴だ。俺は高倉に同族嫌悪に似た感情を覚える。
「どうです?」
「交渉は成立だ。」
「ありがとう御座います。助かります。で、早速なんですけどフェンス外の探索の進捗ってどんな感じなんです?」
「そもそもこの活動を始めてまだ半月程度だし、夜行性と思われる獣との遭遇を最大限避けるために日の出から数時間だけの活動に留めてるもあって期待する程は進んでねぇよ。今は麓の探索を凡そ終えて漸く中腹に進行している。食糧に関しては木の実とバナナの取れる木の目処を付けられたが、帰るために有用となる情報は皆無だ。」
俺は勿論、ドームハウスの情報は控えて説明する。
「バナナって事は沖縄とか東南アジアってイメージですけど正直どうです?」
「確かにあまり見ないような木々があるのは事実だ。バナナに関しても採れる以上、バナナの木の生息出来る地域と考える事に矛盾はねぇ。ただ、森自体を弄った形跡もあるんだ。具敵的に言えば極端に動物は少ないし獣道にも作為を感じたりもする。人工的に作られたような印象…まぁ印象だけで断言する事もまた早計だと言えるが。」
「そうなんですね…。」
「俺からも質問して良いか?」
「どーぞ。」
「お前、何で多々良達と組んでる?」
俺の単刀直入な質問に高倉の歯が零れる。
「そうですね…勿論、大山先輩は凄いと思いますし、ろくに仕事もせずに食糧を分けて貰っている事に関しては申し訳なく思ってます。でも、俺の考えは多々良に近いんですよ。俺は帰りたいです。帰ってバレーボールをしたいです。そのためにここまで頑張って来たんで。結果色々見た上での判断なのは重々承知してるんですけど、帰るための努力に欠けている集団に入る事は俺には出来ませんでした。」
高倉は冷静に言葉を述べる。
「それとこれは俺からの警告ですけど、多々良は何もしてないように見えて色々考えてますんで舐めてると足元掬われますよ。今は異端児になってますけど末恐ろしい奴です。市来先輩もお気を付けを。勿論、今日の仕返しのような陰湿な事はさせませんけど。」
「その警告は肝に銘じておくよ。」
「マジで多々良は大山先輩と反り合わなくて戦争でも起こしそうなんで。」
高倉は縁起でもない事を俺に告げる。俺は洒落にならんと思いながらも高倉の言葉からは戯言と切り捨てる事も出来なかった。
「俺、そろそろ戻ります。お世話になりました。また追加で情報あれば。」
「俺こそ、話せて良かったよ。」
最後まで高倉にテンポを持って行かれたまま終わってしまった印象だ。俺は完敗だなと思いながら高倉の大きな背中を見送ると、頭を掻いて根城へと踵を返す。
そんな俺だったがすぐに足を止める。普段であれば来なかった「4」の家に来たせいで、目に付く事のなかった「2」の家の陰に人影を見つける。「1」「3」「6」の何れの家にも死角になる位置だ。俺は午前中に話したばかりのその人影に近付く。
「…兼子?」
「…市来先輩?」
そこにいたのは兼子だった。いつも明るく元気にしている兼子と違って虚ろな目でボーっと小さくなって体育座りをしている。俺の声に驚いて慌てて表情を作ろうとしたが観念したようで不器用に疲れた表情のまま笑って見せるだけだった。
「変なとこ見られちゃいましたね。」
「隣、座っても?」
「あー、そんな気にしないで下さいよ。」
俺は抵抗する兼子を無視して隣に座る。
「…何でここにいるんです?」
「高倉と散歩しながら話をしてたんだ。と言ってもペースは高倉に持って行かれて散々で…そんで落ち込んで家に帰るところだよ。」
「市来先輩もそんな事あるんですね。」
「俺だって完璧人間じゃねぇ。出来る所事を前に押し出してクールを装ってるだけだ。」
取り繕うように始めた会話は兼子の興味を引いたようだ、そんな会話も長くは続けずに俺達の間は暫しの沈黙に包まれる。俺は黙って次の兼子のアクションを待った。
「たまにここに来るんです。誰にも見つからないし。失敗したなって落ち込んだ時、元気を出そうと思っても頑張れないなって時…理由は色々です。」
根負けしたのは兼子だった。兼子は素直に感情を吐露する。
「ここは止めておけ。ここから見える景色は広大で心を飲まれそうになる。」
「意外と良いですよ?これだけ広大だと諦めも付くんで。」
俺は目の前にある水平線を眺める。それは今までの世界から隔離されてしまったのと悟るにはあまりにも広大で残酷な景色だ。俺も昔、一人になりたくなった時に良く見た景色、あの頃と今と、過ごした時間の中でお前はまだ何も変えられていないとこの普遍の景色に伝えられるようで、高倉の言葉と共に俺の心に刺さる。
「って事で私は体力回復も兼ねて寝るので市来先輩は帰って下さいね。」
兼子はそう言うと、俺とは逆側に倒れ込むようにして丸くなる。最初は俺を追い返す冗談かと思ったのだが暫くすると微かに寝息が聞こえて来て本当に眠ったのだと悟った。肝の据わった奴だ。俺は視線を水平線へと戻す。
「帰ってバレーボールをしたいです。」
「帰るための努力を欠いている集団に入る事は俺には出来ませんでした。」
高倉の言葉だ。そして恐らく唯一無二の高倉の本音だ。ここに来て5日目の新人にこれを言わせた時点で俺の負けは確定だった。俺は見慣れた水平線に苦笑する。わかってくれと言っても埋める事の出来ない溝だ。高倉も恐らく先輩になってここで暮らせばわかる。その立場になった高倉は俺や大山より上手に返事を返すのだろうか、それともそもそも高倉…否、高倉だけでなく例えば能力のある中木、ナシーフ達が1期としてここに来ていれば、何かを変える事も出来たのだろうか。俺は自問自答に苛まれ、目線を兼子に移す。
地面で小動物のように丸くなって静かな寝息を立てる兼子も、普段は明るく元気に振舞っているが内心では恐怖、そして悲嘆と戦っている。明るく元気でいる事を強いてしまったのも言ってしまえば俺達の罪だ。2期のメンバーは問題児の島田と内気で溶け込むのに時間を要した宍戸に時間を要してしまった事もあって残りの気丈な3人はあまり面倒を見る事なく早々に戦力として計算に入れてしまったのだ。俺は片側に縒れて桃色の紐を肩越しに出して寝ている兼子の服を直して、腕を組んで目を瞑る。
「…先輩…市来先輩!」
次の瞬間、俺は声に起こされる。否、正確には全く次の瞬間ではなかったようだ。太陽光を反射して光っていた水平線は夕日に照らされ、夜の訪れを示している。俺は欠伸をすると俺を起こしてくれた兼子を見る。
「何で市来先輩まで一緒に寝てるんです?」
市来は呆れ顔だ。それと同時に少し寒そうな表情を見せる。日陰の影響もあるがここの気候は日中に暑くなり、日が落ちると急に気温が下がるのだ。
「兼子が起きるまで待ってようと思ってたんだが割と早い段階で寝てた。」
「女子部屋の壁に寄り掛かって寝てたなんて知れたら怒られますよ。それで何で私の事を待ってようと思ったんですか?」
「兼子に伝えたい事があったんだ。」
俺はそう言って兼子を真っ直ぐに見つめる。
「俺の前では無理しなくでくれ。」
俺は良かれと思って言ったが兼子の表情は固まって涙目になる。また意図せず兼子の事を泣かせてしまったようだ。それでも俺は狼狽せずに兼子を見る。
「それは反則です。弱ってる女の子に普段大して優しくない先輩が優しい言葉なんて。」
「中盤はただの悪口になってるぞ。」
俺は憎まれ口を叩く兼子に軽く突っ込みを入れる。
「まぁ俺にはバレてるんだ。繕わずにいろよ。」
「…頭が良いです。」
「…は?」
「撫でるなら背中じゃなくて頭が良いです。」
肩を叩いた俺に対して兼子が希望を申し出る。少し目を伏せているところを見ると恥じらいはあるようだ。俺は兼子の希望通り、手を頭に移して頭を優しく撫でた。
「へへ。ありがとうございます。」
兼子は嬉しそうな笑顔を見せる。俺もその笑顔を見れるのであれば満更でもないと思いながら更に1撫でして手を下ろした。
「本当は、ちゃんとヘアケアしたサラサラの髪を撫でて欲しかったんですけどね。」
兼子は少し名残惜しげな笑顔を見せる。
「でもありがとうございました。元気出ました。これで市来先輩が女子部屋の壁で居眠りしてた事は黙っておいてあげます。」
「そうして貰えると助かるよ。」
今日は他人にペースを持って行かれてばかりだ。俺は最後に笑窪の素敵な元気印のような笑顔を見せて走り去って行く兼子の背中を見送ると、高倉に呼ばれて以降数時間家を空けている俺を心配しているはずのナシーフの元へと帰ったのであった。