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「市来くん…ちょっと、市来くーん。」
肩を軽く揺らし、起こそうとしてくれている声に応じて俺は目を開ける。目に飛び込んで来るのは見慣れた木の素材感そのままの天井と、今日は支給品である黒のTシャツを纏っている林、俺は朝の寝不足と緊張感による疲労を引摺って目を細める。
「…起こすなって。」
「市来くんって一端寝ると本当に目覚めないし。一応1回は出直したんだよ?」
「そんなに寝てた?」
「段々と日暮れです。何時間寝るつもり?」
思った以上に疲れていたようだ。俺は欠伸をして天井を見つめる。
「この感じ、デジャヴなんだけど。」
「初めて会った時でしょ。私が市来くんの事起こして…。」
「あぁ、お前緊張してたっけ。」
「不安だっただけだよ。勿論、緊張もしてだけど。」
俺はここに来た時の事を回想する。俺のここでの生活は不安げな表情をした林に起こされるところから始まったのである。
「…仲良くなったもんだ。」
「それはそうでしょ。何ヶ月一緒に暮らしてると思ってるの。まぁ、そんなに一緒に暮らしてるにも関わらず誰かさんと誰かさんは冷戦みたいになってるけど。」
林はそう言って笑顔を見せる。用件はその事のようだ。俺は弱々しく笑顔を吐いて体を起こし、林と一緒に椅子へと移る。
「それで、俺に何の用だよ?」
「まぁ察してると思うけど、大山くんとの話だよ。」
「お前も、丹羽のように俺を咎めに来たのか?」
俺の質問に林は首を横に振る。意外だ。俺は林の次の発現を待つ。
「だって市来くんと大山くん、今回は喧嘩してないでしょ?」
俺はその声を聞いて更に驚く。逆に俺のその表情を見て確信を得た林には笑顔が見えた。
「そりゃわかるよ。伊達に3ヵ月近くも一緒にいないって。それに大山くんって正直言ってわかりやすいんだよね。いつもの大山くんは市来くんと意見が合わない時には落ち着かなくてそわそわしてるくせに、今回の大山くんは落ち着いてて達観してる感じだし。あんなの大山くんらしくないよ。それで、市来くんがフェンスの外に出る事に関しては2人の間である程度の合意があって上で市来くんが入れ知恵してるのかなって。」
「参った。降参だよ。」
俺は完敗を喫した林の名推理に感服し、笑顔になる。
「ただ、1つだけ訂正しておく。確かに俺と大山にはそれぞれ魂胆があって、協議を経て一定の理解の元で距離を置いてる事は認めるが、大山は今でも俺がフェンスの外に出る事を快諾したわけではねぇよ。結果、俺が押し切っただけだし、大山の安定と安寧を求める考えに変化が生じたわけではねぇ。それは理解しておいてくれ。」
「わかった。でも安心したよ。」
林であれば問題ないと思うが一応釘を刺しておく。林は笑顔のままだ。
「丹羽も林のように物分かりが良いと良かったんだが。」
「怒られたの?」
「胸倉掴まれるかと思った。あれは相当怒ってたな。」
「普段はフザけてるくせに変に真面目だよね。でも悪気はないでしょ。熱りも冷めれば頭も冷めるだろうし。それに丹羽くんは同期の絆を大切にするタイプだし。」
「あぁ、丹羽には悪い事をしてると思ってるよ。」
俺は林を見る。
「丹羽にもよろしく言っておいてくれ。」
「何で私?」
「同期以上の絆かなって。」
俺は林を弄る。俺達同期3人の中で林が最も心を許しているのは間違いなく丹羽だ。林は俺の弄りの意図を理解したようで表情を崩す。
「恋仲ではないです。」
「別にこのフェンス内、恋愛禁止でもねぇでしょ。アイドルでもあるまいし。」
「丹羽くんは絶対そんな事思ってないよ。私にとっても同期の絆の範疇だし。勿論、私は大山くんにも市来くんにも同じく同期の絆は感じてるよ?」
林は俺の表情を覗き込むように見る。
「…俺だってそうだよ。」
俺は林の視線が眩しくなり目を逸らす。恐らく俺の思っている以上にそれは感じている事だ。何十年後まで生きて行けたとして、友として思い出すのはこいつ達だろうとも思う。自分の事を一匹狼だと思っていた時期もあったが堕ちたものだ。
「失礼しま…あっ、本当に失礼しました」
入って来ようとしたのはナシーフだ。移って1日だと言うのに来訪者に恵まれている。
「構わないぞ。」
「大丈夫だよ。私も丁度用件を終えて帰るところだし。」
林はそう言うと立ち上がる。
「困った事あれば言って。頼りないと思うけど相談には乗るし、私に出来る事は何でもするよ。それと朝ご飯食べてないでしょ?これ食べて。」
林は机にあった乾パンを指す。これだけで数日は問題なく暮らして行けそうだ。そして林は目配せをして去って行った。入れ替わりでナシーフは林に対して丁寧に一礼すると少し恐縮した様子で家に入って来る。
「タイミングが悪くて…失礼しました。」
「気にしないでくれ。林にフェンスの外に出た事を少し咎められてただけだ。」
俺は嘘を吐いてナシーフに椅子を勧める。
「それで?」
「実は今日は相談があって来ました。もし良ければ、俺に市来先輩のお手伝いをさせて頂けないかなと思って。」
「一緒にフェンスの外の探索をするって事か?」
「そうです。」
俺はナシーフの申し出に対して眉間に皺を寄せる。確かにナシーフの身体能力は昨日の有事に際しても協力を仰いだ程には魅力的で、適正もあるように見える。そして今日実際、探索しただけでも協力者の必要性は感じるところだ。ただ、簡単に頷くわけにはいかない要素が沢山ある事もまた事実ではある。
「勿論、力を貸してくれようとしてくれる事には感謝するし、そうなった場合、ナシーフであれば歓迎するよ。だが、その前に理解しておけなければならない事も沢山ある。俺に加担するって事は、このフェンス内で肩身の狭い思いをする事にもなるし、フェンスの外に出れば命の危険を伴う事にもなる。お前はまだ聞いてないかもしれないが島田の無残な遺体を俺は確認している。お前にその覚悟があるのか?」
俺の脅しにナシーフは一瞬怯むも頷く。
「理解しているつもりです。律の事は大山先輩に聞きました。律の事、見つけて頂いてありがとうございました。それと、一理達には会って来て俺の意志を伝えました。大山先輩を裏切るわけではないけれど俺は市来先輩の活動に興味があるから市来先輩と行くって。勿論、反対されましたけど、最後は一理が背中を押してくれました。」
「じゃあ、覚悟はあるって事で良いんだな?」
「よろしくお願いします。」
ナシーフは俺の声にそう言って頭を下げる。
覚悟しなければいかないのは俺の方かもしれないな。俺はナシーフを見る。ナシーフを引入れる事は、ナシーフの身に何かあった時には大きな責任が伴うという事。そして「何かあった」は命に直結する。人一人の命、人生を預かるという事は、実感はまだ湧かないが計り知れないものがあるはずだ。俺は息を吐くとその覚悟を決めてナシーフの肩を叩いた。
「明日から早速出るぞ。よろしく頼む。」
「よろしくお願いします!」
ナシーフはそう言うと、少し緊張の面持ちをしながらもナシーフらしい笑顔を見せる。そして、そそくさと一度家の外に出ると、外に置いてあった荷物を持って入って来た。
「市来先輩のところに来るつもり満々で引っ越しも済ませたんですけど、荷物まで持って来て市来先輩に断られるのは恥ずかしかったんでこれは外に隠しておいたんですよ。」
「変なところ気にするなよ。」
「気にしますって。市来先輩の場合、無表情で有無を言わさず却下って言いそうですし。」
「俺を何だと思ってるんだ。」
俺は苦笑する、2期の面々の中で俺は完全に怖いキャラで定着してしまっているようだ。
「それより引っ越しを済ませろ。」
「了解っす。ありがとうございます。」
ナシーフは軽々と荷物を「6」の家に運び入れる。俺は、そんなナシーフの背中を頼もしく感じて眺めていたのであった。