僕の時間停止能力 作成日記
8時38分
ボーッと、教室の黒板の脇にある地味な時計を見ていた。
白地に小さな線で60分割されている。地味なゴシック体で1から12が書かれただけの、地味な時計。
時間を知らせるには十分だが、目を離したら細かいディテールなんかすぐに忘れそうなくらい地味。そんなどこにでもある時計だ。
赤い秒針が動いているが、カチカチという音は教室の喧騒で聞こえない。
朝からみんなよく喋るなあ。
女子たちの甲高い声や、陽キャグループの引き笑い。僕はまだ眠いうえに、廊下側の最後列の席というのもあり、俯瞰するように半目でそんなクラスメイト達を眺めていた。
そろそろ担任が来る時間。
みんなのざわつきを制するように、学級委員のシバタナツキが黒板の前に立った。
肩まである髪は少しだけ内側にカールし、広い額を見せるように二つに分けた前髪は確かに賢そうに見えるが、これじゃない感。男子の中での彼女にしたいランキングはかなり低い。おっぱい大きそうなのにもったいない。
ナツキが最下位争いをする彼女にしたいランキングは、高校生でありながら女優業もこなすエンドウレナと、僕のような空気キャラにも優しく笑顔のかわいいクラキアヤカがツートップだ。ちなみに僕はクラキアヤカ派。アヤカと付き合えたらもう死んでもいい。いや死んだらダメか。
僕は少しだけへらへらした顔になっていたが、すぐに眉に力を入れて引き締めた。前をみると、ナツキが右手の人差し指を真一文字の口にかざし、シーっとお決まりの号令?をかけていた。
一気にではないけど、みんなのざわつきはおさまっていく。よく教育されたクラスだな、といつも感心している。
タイミングを図ったように、前の扉から担任が入ってきた。
ちらっと左手の席を見ると、まだ空席だ。また遅刻かな。視線を前に戻した時、後ろから右肩をぽんと叩かれた。
「朝礼まだだよね?!ギリ!」
振り返ると、ふわっと香る女子の匂い。まだ眠い僕の頭にはちょっと刺激的だ。
「前見て!センセにばれるっ」
ふわふわとウェーブのかかった栗毛が目の端にうつる。小柄なサカモトアズサが更に中腰で身を屈めて教室に駆け込んできた。
全然セーフじゃないと思うけど。
隣に座り、息を整えたアズサはこっちを向いて爽やかにウインクしてきた。僕はただ苦笑いするしかできなかった。
今日も授業はつまらない。
別に頭がいいから全部わかってるわけでもないし、全く理解できずについていけない訳でもない。
ただ興味がないだけ。
半分頭を休ませながら、やっと昼休み。
弁当を持ってき忘れた僕は、購買に向かった。
購買といってもたいして種類がある訳ではない。海苔が張り付いた、よく固められた俵にぎりが僕の定番だ。
今日は焼きタラコにするか、和風ツナにするか。
教室を出て階段を降り、校庭に面する渡り廊下を歩きながらその程度の事を考えていた。
ふと、校庭とは逆側、倉庫しかない小さな裏庭のような場所に何かがヒラめいた気がした。
やっぱり鮭かな。
そう思いつつ、少しだけ目を向けた。
迷い込んだ猫がいる訳でもなく、薄着の美少女が倒れてる訳でもない。
そんな大袈裟な事が起きはずないと視線を戻したが、すぐに二度見した。
紙が地面に舞い落ちる瞬間だった。
黙ってやり過ごそう、と一瞬逡巡したせいで、振り向いた首や踏み出した足がぴくぴくと挙動不審に動いてしまった。
はあと溜息を吐いて紙を拾いにいく。
落ちてるゴミを放置しておくと職員室に呼び出される謎校則が僕を動かした。
1枚の小さな便箋だ。
上を見上げても窓から乗り出す人の姿は見えない。
誰か落としたのかな。そう思いつつ拾い上げると、目の前から声がした。
「やや、落としてしまいまし、いやいや、大当たりです!」
明らかにうろたえたセリフとは裏腹に、渋い低音の声。誰もいなかったはずの裏庭に、燕尾服とシルクハットに身を包んだ初老の男が立っていた。
「は、誰?」
驚いたものの、僕は普通の質問が口から出た。
昼の時間だというのに、さっきから渡り廊下に人影はない。
セシモと名乗った初老のシルクハットは、便箋の事を話し始めた。
「それはお年玉メモです。間違って落と、厳選な審査のもと当選した方に1枚差し上げています」
登場の仕方も、言ってる内容も全て怪しい。お年玉メモってなんだよ、小学生じゃあるまいし。
それでも、何故か最後まで話を聞く気になっていた。
「このお年玉メモは、ノートに書かれた事ができるようになる、という不思議なメモなのです。例えば、透明人間になるでも、透視ができるようになるでも、効き目抜群の媚薬が手に入るでも、なんでも大丈夫」
荒唐無稽な事を語るセシモことエロ親父。
それでも、厨二心をくすぐられた僕はむげにできず、ぶっきらぼうに「わかったよ」というとサッと胸ポケットにメモを差し込んだ。
「何かわからない事があれば、セシモと声をかけてください。いつでもお応えしますよ」
その声に振り返ったが、既にセシモさんの姿はなかった。
もう、俵にぎりの具の事は頭から吹き飛んでいた。
何をお年玉メモに書き込むか考えていたら、気づいた時には自分の席につき俵にぎりを食べ終えていた。
透視や透明人間もわくわくする。ドラえもんの秘密道具、石ころ帽もいいな。瞬間移動も便利かな?
不思議と、誰よりも勉強ができるようになる、のような発想は頭の片隅にも浮かばなかった。
僕は昼休み中悩んだ末に、時間停止の能力に決めた。
午後の最初は体育だ。すでに女子は更衣室に向かっている。僕は着替えもそこそこに、人に見られないようメモに小さく書き込むと席を立った。
『念じると僕以外の時間が止まる』
夢にまで見た女子更衣室を目の前に、僕は念じた。
動けない。
目の前も真っ暗で瞬きさえできない。
僕は慌ててもう一度、時間よ動けと念じた。
セシモさんのお年玉メモはいかにも怪しい心霊商法みたいなグッズだ。でも、何も起こらない訳ではない。予想外な事が起こった。
「...セシモさん、どういう事?!」
僕は誰もいない背後を振り返り小声で呼びかけた。
「空気も光も止まるんだから、見えない動けないで当たり前でしょう」
横からセシモさんの声がしてシルクハットの男がふっと現れた。
小馬鹿にしたような物言いに腹が立つけど、確かにその通りだ。もしも、念じるとではなく指を鳴らすと、と書いていたらと思うと背筋に冷たいまなが流れる。
僕は廊下の窓にメモを押しつけ、慌てて書き直した。
『念じると僕以外の生き物の時間が止まる』
完璧だ!
僕は女子更衣室の扉の前に再び立ち、強く念じた。
廊下を伝って聞こえていた教室の笑い声が消え、換気扇のファンの音がやけに大きく聞こえる。
汗ばみ始めた手でドアノブを回し、なるべく音を立てないように女子更衣室の扉を開けた。
ガシャン!
窓の外から、静寂を切り裂く大きな金属音が聞こえた。
体ごと振り返り外を見ると、校門に軽トラックが突っ込んでいる!
「やべっ」すぐに時間を解放するとセシモさんが声をかけてきた。
「うん、たいした怪我はなさそうですよ。やってしまいましたね」
「...。」
確かに生き物を止めれば光や水や空気は動いてくれる。でも機械も動いているということか。
意外と難しいな...。僕の中にはもう、セシモさんのお年玉メモを疑う気持ちは無くなっていた。
この禁断の扉をなんのリスクもなく開ける事しか、今の僕の頭にはない。
『念じると僕以外の生き物や機械の時間が止まる。ただし、空気や光は止まらない』
大切なメモを窓に押し当てて書き直した。
時間を止めるよう念じて窓の外を確認すると、路上を走る車はことごとく止まり、人の声も、換気扇の音さえも聞こえない。
じっとりと暑さを感じるが、空調が止まったせいなのか、僕の鼓動のせいなのかは判断がつかない。
この扉の向こうには、妄想でしか見た事がない世界が広がっている。そう思うと、鼓動はさらに早くなった。
ドアノブが、ドアノブが、回らない。
「そりゃあ、機械類を止めたんだから動かないですよ」
もはや語りかけてもいないのに、セシモさんが後ろから指摘してくる。
確かにそうだけど、ゴミを見るような目で僕を見るのはやめてほしい。
『念じると僕以外の生き物や機械の時間が止まる。
ただし、空気や光は止まらない。
僕が動かせば機械は動く』
何度目かの正直。今度こそ、静寂の中でゆっくりとドアノブを回した。古い蝶番がギギッと軋み、扉が開いた。
ここまで来るのには苦難の連続だった。
達成感と歓喜からか、中島みゆきの「地上の星」を陽気に口ずさんでみたりして。
僕はついに、聖域に足を踏み入れた。
若手女優として活躍するエンドウレナ
陽キャのギャルサカモトアズサ
クールな学級委員シバタナツキ
そして憧れのクラキアヤカ
自ら外すボタンの隙間に見えるブラ。
スカートを降ろそうと突き出すお尻。
垂涎のパラダイスを目に焼き付けながら、その場で正味10分以上はウロウロしていた。
意を決し、ひとまずクラキアヤカではなく、サカモトアズサの日焼けていない白い胸に指を押し当てた。
むに、という弾力はなく鉄のように硬い。
偽乳ではない。
「止まってるものが都合よく動かせる訳ないじゃない」
いつの間にかセシモさんは敬語もやめたらしい。
歓喜から一転、体がぐらつく。
とはいえ地上の楽園を目の前にして、もはや初老のおじさんの声など耳には残らない。
着替え途中のクラスメイトを尻目に、僕は急いで書き直した。
『念じると僕以外の生き物や機械の時間が止まる。
ただし、空気や光は止まらない。
僕が動かした分だけ生き物も機械も動かせる』
僕は、美少女達の胸を、取っ替え引っ替え堪能する事に成功したのだ!
少し前屈みになり短パンを履こうとしているアズサの、制服のシャツの隙間に垣間見える白い肌。アズサは日頃から、女子用の赤く細いネクタイをゆるく垂らし、1番上のボタンを外している。軽やかに動くたびに、浮き上がった鎖骨が魅力的でつい目を奪われていた。目は合っていなくても、胸元を見ている事に気付かれるのが怖くてすぐに目を逸らしていたから、こうして凝視できるだけで僕の体は熱くなった。
少し開いた更衣室の窓から風の音がする。
校庭に聞こえるはずの掛け声も、一本向こうの幹線道路に響くトラックの唸り声も聞こえない。
誰も動かない、気付いていないはずなのに、少し逡巡したあと意を決して生唾を飲み込んだ。喉の音がやけに大きく聞こえる。
目の前で動いているのではないかと錯覚するほど見つめたアズサの小さな胸の膨らみに、再び人差し指を押しつけた。
むに、とわずかに凹むと、慌てて指を離した僕の爪先を少し吸い付きながら押し返してきた。
やった、おっぱいだ!
吐き出しそうになる程緊張していた僕は、息が止まっていた事に気づき、はっと息を吐いた。
成功だ。
もうセシモさんの嘲笑う声は聞こえない。聞こえたかもしれないけど、そんなのはどうでもいい。
おそらくギラついた目になって振り返ると、スカートを履いたまま体操着の短パンを両手で腰まで上げている姿のエンドウレナがいる。
小学生の頃から子役タレントとして活動しているレナは、最近では深夜ドラマで準レギュラーの役を貰ったりしている。
勿論レナ本人との交流はないが、録画したドラマの映像をおかずにした事も何度かある。
腰に手を添えているレナの後ろ姿を確認すると、レナの前に回り込み、鼻息を吹きかけ短パンに覆われたお尻を力強く鷲掴んだ。
アズサのやわらかい胸の感触と違い、レナのお尻は簡単にはめりこまない。ダンスでもやっているのかな?布を介していてもわかるほど気持ちのいい張りを感じた。
女優のお尻を揉んでいる!と興奮は更に胸を高鳴らす。
このまま短パンの中に指を滑り込ませてしまおう、と思いつつ僕は少し焦った。
ダメだ。大事なところの素肌は、初めてはこの子じゃないんだ。僕の素肌バージンはクラキアヤカしかいない。いやこの場合は素肌ドウテイか?
どうでもいい事を考えながら、顔を上げてアヤカの場所を確認する。
時間はたっぷりある、と思っても興奮と焦りで少し震える。
既にアズサの胸の付け根に指を押し当て、レナのお尻を短パンの上から触った僕は少し調子にも乗っていた。
アヤカに辿り着く途中、シバタナツキの少しだけ開いた口唇に人差し指の脇を押し当てた。やわらかい...
学級委員をつとめるナツキがいつもホームルームでやる、シーっという仕草を真似したつもりだった。
小うるさいとしか意識していなかったナツキのくちびるが、あまりにもやわらかく少しあたたかくて、冗談のはずが僕はたじろいだ。
緊張と高揚感で体が少し浮いた気持ちになっている。心拍音が異常に早い。
僕はクラキアヤカの目の前に立った。
いつもは耳の上から後ろに回した髪をくるくると縛り、おしゃれにまとめている髪を右肩に回し、少し左の首筋を見せながらシャツのボタンを外そうとしている。
わずかにうつむいたアヤカの少しめくれたうわくちびる。見ているだけで先ほど触れたナツキのくちびるの感触を思い出し、思わず唾が垂れそうになった。
憧れのマドンナ、アヤカが無防備に目の前に立っている。いつもは夏でも手首まで隠れるような袖のアンダーシャツを着ている。馴れ馴れしく肩に手を置いてくるアズサと違い、アヤカは通りすがるだけでも少し身を引く。それは僕だけではなく、男全般だ。男嫌い?
でもそんなアヤカの柔肌に、僕が触れるんだ。
その膨らみは、アズサに比べて明らかに大きい。
自分で外してくれているボタンに手をかけ、胸の膨らみを越えるところまで外した。胸元を隠す黒いアンダーシャツ。僕は、アンダーシャツの上からゆっくりと手を差し入れ、先端を探った。
その瞬間、僕は長い長い瞬きをした。
目の前には、何かを掴もうとする手だけが見える。
胸の弾力を教えてくれたアズサも、禁断のお触りをしたレナも、指キスをしたナツキもいない。扉の開いたロッカーも、スキマ風を鳴らす窓も、動きを止めた換気扇もない。
ここは、僕の部屋だ。
...え、夢オチ?
寝ていた筈なのに、心臓はまだ高鳴っている。空気が読めない心臓だ。
幸せな気持ちを、大きな溜息で吐き出した。
僕の人生なんてこんなもんだ。夢でも肝心な所に辿り着けない。あれ、肝心な所ってなんだっけ?
ちらっと時計を見た。
13:20
学校、休みだっけ。もうどうでもいいや。
僕は失意のまま再び目を閉じた。
アヤカは、シャツのボタンを外し肩口から腕を抜いた。
ちりっと感じる違和感。
こんな所で?そんなはずはない。だってここは女子更衣室。それとも、こんな所まで?
少し青ざめた表情で着替え終わったアヤカは、更衣室を出ると人気のない階段の踊り場に立って口を開けた。
「セシモさん、さっき能力発動しました?あのストーカー、更衣室にまで入ってたんですか?!」
アヤカの後ろから気の抜けた声がする。
「さすがにあんな人がいる所で襲われる事はないでしょ。考えすぎですよ」
「そうですよね。わたしも触られた感触とかなかったし。ごめんなさい、私の勘違いかも」
「そうそう、大丈夫!気にしすぎ気にしすぎ!」
何か取り繕うようなものも感じたが、セシモの声はそこまでだった。
アヤカは手帳に挟まれた紙を見つめ、ぎゅっと胸に抱きしめると階段を駆け足で降りていった。
紙には
「私の許可なく素肌に触れた男性は、私の事を忘れて自宅の布団の上まで戻り眠る」
とだけ書かれていた。