episode 4
「ミヤっち? どうした?」
ヘッドフォンを頭から外して小さくため息をつくと、隣の席に座っていたエトくんが遠慮がちに話しかけてきた。
「え? 特に問題なかったけど」
周囲の選手たちも席を立ち、続々と試合スペースから出ていく。ざわざわと騒がしい雰囲気の中、私は首を傾げた。
午前中はゲーム画面や音声に不具合がないかを確認するテストプレイが行われていた。それも無事に終了し、今から昼休憩をはさんで午後に試合本番といういつもの流れだ。
私もエトくんもこれといったトラブルなくテストを終えたのだが、何か不安なことでもあるのだろうか。
「や、今のことじゃなくてさ」
エトくんが首を横に振りながらゲーミングチェアから立ち上がる。部屋の外に向かうのを私も追いかけるようにして立った。
歩きながら、エトくんはちらりと私を一瞥する。
「元気ないから。食欲ある? ちゃんと昼食っとかないと本番でお腹空くよ」
「わかってるよ。ちゃんと食べますー」
話しているうちに選手控室に戻ってきた。外に昼食を食べに行く選手もいるけれど、私はいつもここで、コンビニとかで買ってきたものを適当に食べている。
エトくんは日によって外出したりもする。今日はここにいるつもりみたいで私の隣の椅子に座り、バッグからペットボトルのお茶とおにぎりを数個取り出した。
言うなら今だろうか。それとも今日の試合が終わってからか。
選手を辞めるなら、一番に話さなければいけないのはエトくんだ。その次にWIZARDsのマネージャーやコーチ。
私が抜けたら代わりに、WIZARDsでサバガンのソロ大会やトリオ大会に出ている他の選手が掛け持ちしてエトくんとペアを組むか、まったく新しい選手を公募するか、だろう。
「エトくん」
「んー?」
行儀悪く椅子の上で胡坐をかいたエトくんが、振り向いて私を見た。
「私、サバガン辞めようと思う」
「え?」
「……なんちゃってー。嘘ですー」
口に出した瞬間、言わなきゃよかったという後悔に襲われた。
慌てて冗談だったことにする。駄目だ。私は全然、覚悟ができていない。
まだここにいたい。選手でいたい。
一瞬目を見開いたエトは、なんだよと文句を言いながら、へにゃりと椅子の上で脱力した。
「びっくりしたー。心臓とまるかと思ったわ。こないだもっと順位上げて頑張ろうなって話したばっかなのにさあ……ミヤっち?」
涙がにじんで、今にも目からあふれ出そうになっていた。同じ部屋にいるほとんどの人は私に見向きもしていないから気づいていないだろうけれど、エトくんだけは真正面から心配そうに、唇をかみしめて歪んだぶさいくな私の顔を眺めている。
「どうした? 本当に何か辞めたい事情があるのか?」
「ううん、冗談やって。ごめんな変なこと言って。勝てるように頑張ろ、今日も来週も、次のシーズンも」
私は逃げるようにして控室を出た。廊下を歩いて一人になれる場所を探しながら、スマホを手にして優斗に電話をかける。
まだ彼は冷静になっていないかもしれないけれど、勝手に電話をかけているのは私だ。少しくらい冷たくされても自業自得。
私はまだ、ここでミヤナとして戦いたい。優斗はよくわからんと言った、エトくんはくそだと吐き捨てた、高木さんはばっかみたいと笑った、とてもきたない場所だけど。
想像以上に私はもっと強くなりたくて、総合一位を夢見ていて、日本代表にも憧れている。今、辞めると口に出すまで自分でも気がつかなかった。
優斗を不機嫌にさせないためにどうすればいいのか、良い方法は思いつかない。
ただ、今日の試合を見てほしいとお願いしようと思った。きっとバイトがあると思うけれど、シフト前でも後でも、休憩中でもいい。数分でいいからスマホの小さな画面に映る、私がパソコンの前で顔をしかめてプレイしている姿を。
これも私だ。優斗がよく知らないミヤナという人も、どうしようもなく切り離すことができない私という人間だ。
呼び出し音が途切れて優斗と繋がる。私はつばを飲み込んでから口を開いた。
「もしもし、奈緒です」
「あ……優斗です」
たどたどしく、敬語で名乗り合う。こんな、初対面の頃のようなおかしな空気には耐えられそうにない。さっさと言うべきことを言おうとすると、優斗が先に沈黙をやぶった。
「奈緒、今どこ?」
「どこって、東京」
「東京のどこ? 俺いま東京駅にいるんやけど」
ロビーを見渡すと、出入り口付近に心細そうにしてふらりと突っ立っている優斗を見つけた。
大会関係者や観客が入り混じって騒がしい中をするすると通り抜けて近寄ると、彼は私の姿をとらえてほっと表情を緩ませる。
「ここまで迷わんと来れた?」
「うん。奈緒が送ってくれた地図がわかりやすかったから」
「そう」
私たちはほとんど喧嘩をしたことがない。お互いにどんな顔をすればいいのかよくわからなくて、愛想笑いのような中途半端な笑みを浮かべ合う。
「急に東京駅にいるって言うからびっくりした」
「朝、新幹線で来た。冷静になるまで待ってって言ったけど、奈緒に会わんかったら冷静にもなれへんって気づいたから」
優斗はすっきりとした口調でそう言った。
「昨日、奈緒のことを信じられなくてごめん。ちょっと間違えたわ。自分がひとりになると悪いほうに考え込む性格やっていうのを忘れてた。授業も普通に出席すればよかった。奈緒の顔を見たら、わからんことも不安なこともどうでもよくなる。いつもそう」
「いつもって何」
「何って、なんやろ。奈緒は謎が多いから。俺と似ているようで何かが違う。せやから、わからん」
「なあに、それ。優斗やって謎多き人やん。というかびっくりする。私にバイトの予定合わせたり、急にここまで来てくれたり。 あっ、今日のバイトは?」
まさかサボったのかと慌てる私とは逆に、彼は穏やかに私を見つめていた。いつだったか大学の講義室で、何かを確かめるように私の目をのぞきこんでいたのを思い出す。あのときと同じような瞳をしていた。
「バイトは他の人にシフト代わってもらった」
やっぱりこの人は、よくわからなくてすごい人だ。どうしたら、そんなに身軽に私のもとへ飛んでくることができるのだろう。
でもなんだか、これが優斗って感じだ。それだけわかっていればいい。
「そっか、来てくれてあがとう。あと、嫌な噂で不安にさせてごめん」
「全然問題なし。冷静に考えたらおかしいよな。奈緒が何股もかけてるって笑えてくる。絶対デマやん、昨日の俺どうかしてた」
「確かに。私そんなに器用じゃないよね」
「それに真面目で小心者やしな」
「あれ、謎とか言ってたわりには私のことわかってるやん」
「そう?」
どちらからともなく、私たちは微笑んだ。
私もあのときに間違えた。夜行バスの時間なんて気にせずにキャンセルすればよかったのだ。あとで新幹線でも利用すれば結局は時間に間に合ったと思う。
電話を切ってからまっすぐに優斗に会いに行くのが、きっと正解だった。それですべてがもっと早く元通りになっていたはず。
「ミヤっち、もうそろそろ時間……」
私を探していたらしいエトくんがこちらに駆け寄ってきて私を、それから優斗を見た。
「急にいなくなってごめん。エトくん、この人私の彼氏」
「そうなんだ。初めまして、チームメイトの江藤です。今日は間宮さんの応援ですか?」
「あ、どうも。いや今日は……」
「そうだ。優斗も試合見てってよ」
「たぶん観覧席余ってるんじゃない? 俺スタッフさんに確認してこようか」
「ありがとう」
「ううん。元気になったみたいでよかった」
エトくんが観客受付のブースに走ってくれる。彼にも、私のことは結構お見通しなのだ。思わず苦笑してしまう。
ここにい続ける限り嫌なこともきっと続くけれど、きっとそれだけじゃない。だってほら、エトくんのおかげで心がぽかぽかしている。
「ほんまに試合、見てっていいの?」
「もちろん。ていうか見てくれると嬉しい」
「変なの。いつもは見んといてーって言うのに」
首を傾げる優斗の手を掴む。私が好きな、大きいけれどすらりと指の長い綺麗な手。
「あの、優斗のこと好きやからね」
「わかってるよ。だからごめんって」
「わかってないんやなくて、ただ言いたかっただけ」
「なんやそれ」
優斗が照れたように笑う。その顔がめちゃくちゃ好きだ。
「試合、めっちゃ応援しながら見るし頑張って。終わったら一緒に帰ろう」
「うん」
今、試合前なのにあまり怖くない。今日の私は強い予感がする。




