??? イヌ ガ ニシムキヤ オ ハ ヒガシ
揺れるエノコログサ。
その正面には、一体の白い影。
その白い影は身をかがめ、長い尻尾をゆっくりと揺らしながら狙いを定める。
そして、一気に飛び掛かる!
ハァ、今日もミーアは可愛いなぁ。
その日、特に予定もなかった俺はミーアと共に王宮の庭園を散歩していた。
エノコログサに必死にじゃれつくミーアを愛でていると、どこからともなく犬の鳴き声が聞こえてくる。鳴き声のする方に視線を向けると、こちらに向かって走ってくる一匹の黒柴の仔犬の姿。
「あれ? 和留津?」
どうして王宮に和留津がいるのかと不思議に思っていると、それを追ってカイが現れる。
「待て、和留津」
「カイ?」
「あ、ヒイロ。和留津を捕まえてくれ」
「え?」
よくわからないものの、とりあえずしゃがんで和留津に呼び掛けてみると、和留津は俺の胸元に飛び込んできた。
あ、モフモフ(はぁと)。
嬉しそうにじゃれついてくる和留津をモフモフナデナデしてやると何ともいえない幸せな気分に。ああ、幸せ。
そんな幸福感に浸っていると、背後から何やら視線を感じた。
……チベットスナニャンコさん、そんな目で見ないで。
さっきまでエノコログサに夢中だった白猫からのジトーッとした視線に耐えながらも和留津をモフッていると、追いついたカイが声を掛けてくる。
「助かったぜ、ヒイロ」
「いったいどうしたんだ?」
「いや、出かけようと思って門の方に向かってたんだけど、ここを通りかかった途端、和留津が急に走り出してさ」
「ふーん。……というか、そもそも、どうしてカイが和留津を連れてるんだ? ウィルは?」
ふとした疑問を投げかけるとカイが答える。
「ああ、それなんだけどな、ウィルから少しの間和留津を預かってくれって頼まれたんだ」
「へぇ、それまたどうして?」
「よくはわからねーけど、なんかショパンの事情って言ってたな」
「仔犬の和留津!」
思わずそんな声を上げた俺の隣では、テンション上がり気味の和留津が自らの尻尾を追いかけてクルクルと回り始めていた。
「どうした、ヒイロ?」
「いや、何でもないよ…」
それを言うなら諸般の事情だと思うが、まあ、いいや。
そんなことを考えていると、カイが何かを思い立つ。
「あっ、そうだ。折角だしヒイロも一緒に行かないか?」
「え? どこに?」
唐突な提案に戸惑っているとカイが続ける。
「王都の東の外れにドッグランがあるらしくてさ。今から和留津をそこに連れてってやろうとしてたんだ」
「へぇ、ドッグラン…」
………。
俺の目の前では和留津が庭園を駆け回っている。
「そんじょそこらのドッグランよりもよっぽど広そうな庭が目の前にあるんだが?」
「でも、一人ぼっちで駆け回るだけってのも寂しいじゃねーか」
和留津がミーアのところへと駆け寄って遊びに誘うと、それに応じたミーアと和留津がじゃれ始める。
「ミーアと楽しそうにじゃれているが?」
可愛いなぁ(はぁと)。
「何だよヒイロ、ドッグランに行くのは反対か?」
「いや、そんなことは無いよ。つい率直な感想が出てしまっただけで、モフモフ交流会には俺もぜひ行ってみたい」
「に゛ゃ?」
「わふ?」
俺の隠しきれない本音を察したらしいミーアと和留津が、何やら疑惑の視線を向けてくる気がするが気にしてはいけない。
「そうか、それじゃあ行こうぜ」
というわけでカイと共に歩き始めると、ミーアと和留津も付いてくる。その様子を見てふと思う。
「あ、でも、ミーアも一緒に入れるかな?」
付いてくる気満々のミーアを置いていくのも可哀想だしね。
「あー、そうだな……。まあ、犬だって言い張れば大丈夫だろ」
「いや、無理だろ」
「でも、プレーリードッグとミーアキャットって割と混同されがちだし、誰も気付かねーって」
「何言ってんだ、お前?」
そんな会話を繰り広げる俺達の後ろでは、二本足でちょこんと立ち上がってこちらを見つめるワンコとニャンコの姿。カワイイ。
「プレーリードッグはイヌじゃないし、ミーアキャットはネコじゃないからな?」
「え? ミーアはネコじゃな…」
「うん、この件、もう一回やる気はないんだわ」
というわけで、俺達はドッグランへ向かう為に王宮を発った。
そうして到着したのは見渡す限りの大草原。
すると、周りを見渡したカイが呟く。
「………だだっ広いドッグランだな…」
「いや、明らかにドッグランじゃねぇだろ」
「だったら、ここはいったいどこだって言うんだよ!」
「そんなのこっちが聞きたい! 自信満々に案内してきたのはお前じゃねぇか!」
キレ気味に返すと、カイは不思議そうに首を傾げる。
「何言ってんだ、ヒイロ。俺は案内なんてしてないぞ?」
「は? だってお前、『こっちだ』とか言いながら誘導してたよな?」
「え? 俺はただ和留津に付いてきただけで、和留津が向かった方を確認の意味で呟いていただけだぞ?」
「嘘だろ…?」
唖然として言葉に詰まるが、ふと我に返る。
「ちょっと待てよ。そもそも、どうして和留津に付いていくって発想になったんだよ」
そう尋ねると、カイはさも当然とでも言いたげに答える。
「だって、犬が西向きゃ尾は東って言うだろ?」
「もうどこからツッコめばいいのかわかんねぇよ!」
「何がわからないんだ、ヒイロ。ドッグランは王都の東の外れにあるんだぜ? で、犬が西向きゃ尾は東ってことは、和留津が向いている方が…………あれ? 西だ…」
「そうか、まずそこからツッコむべきだったか」
「え? つまり俺達はひたすら西に向かって進んでたってことか?」
「そういうことじゃねぇだろ!」
俺の怒り交じりのツッコミを無視して、カイは冷静に分析を始める。
「そうか、そういうことか。ひたすら西に向かって進んでいたんだったら、とりあえず東に向かえば戻れるな…」
和留津は地面の匂いを嗅ぎながらあっちこっち歩き回っていた。だが、それを自然な形でフォローしながら自信満々に道案内している風を装っていたカイの所為で、俺も今いるところが王都から見てどちらの方角なのかすらよくわかっていない。
しかし、これだけは言える。
これ以上、こいつに勝手をさせてはならない。
「おい、お前はもう何もするな」
「まあ、そう言うなヒイロ。間違いなんて誰にでもあるさ。大事なのは同じ過ちを繰り返さないことだよな」
そんなことを言いながら、カイは和留津に視線を向ける。
「そう言うわけで…。えっと、和留津がこっちを向いていて、尻尾もこっちを向いているから…。よし、東はこっちだな」
「何故同じ過ちを繰り返す?」
というか、そもそも和留津は今、俺達が向いている方と同じ方へ体を向けて頭だけ俺達の方へ振り返っている状態だ。
誰か、どこからツッコめばいいか教えてくれ。
すると、カイが何かに気付く。
「…って、あれ? そもそもこれって、和留津が西を向いている前提の話じゃないか?」
「今更そこ?」
「クッ…何てことだ…。まずは和留津が西を向いているという前提条件を確定させないと東がわからない…」
もう一度言うが、和留津は今、俺達が向いている方と同じ方へ体を向けて頭だけ俺達の方へ振り返っている状態だ。
その前提条件が確定したとしても、というかむしろその前提条件が確定した時点で尾は東を向いていない。
すると、カイがさらに何かに気付く。
「いや、待て。そういえば、そもそも巻尾の場合、尾はどっちを向いていると考えるべきなんだ?」
「メンドクセェな」
だんだんと面倒臭くなってきたので、カイを無視してスマホを取り出す。そして、地図でも確認しようと操作し始めた俺の視界に不穏な文字が飛び込んできた。
「圏外…?」
え? 俺達、王都の中心部からどれだけ歩いてきたの?
今更ながら、全く疑問を抱かずにこんな遠くまで歩いてきたという事実に愕然としていると、カイがその場で項垂れた。
「クッ…。どうしても東がわからない…。俺、方位には自信あったのに」
「そんな根拠のない自信は捨ててしまえ」
「そうか…、そうだよな…。こんな根拠のない磁針に頼っちゃいけないよな…」
そんなことを呟きながらカイはポケットから何かを取り出した。それは、円形の箱。上部の透明な部分からは四方に『N』『E』『W』『S』と記載された文字盤とその上でゆらゆらと揺れる針のようなものが垣間見える。
「!?!?!?」
そんな声にならない驚愕と共に呆気に取られていると、カイが方位磁針を握りしめる。
「ヒイロの言う通り、こんな根拠のない磁針は捨てないといけないな」
「いや、そいつにはちゃんと地磁気という根拠があるから!」
俺の発言など無視してカイは腕を振りかぶる。
「え? ちょっと待て。早まるな、カイ!」
そんな制止も間に合わず、方位磁針が宙を舞う。
「うわあああ!」
思わず叫び声を上げながら放り投げられた方位磁針を目で追う。すると、その視線の先に立ち上がってこちらを見つめる一匹のプレーリードッグの姿を捉えた。何かが飛んでくることに気付いたプレーリードッグはスッと巣穴の中へと退避する。
そして、方位磁針も、それを追うかのようにしてその巣穴の中へと消えていった。
「放るイン…」
「わん」
最後にカイの声と和留津の鳴き声が聞こえた気がするが、俺は絶望のあまりツッコむこともできなかった…。
結局、俺達は、あくまでも『スマホの電波を辿ってきた』と主張するハルが迎えに来てくれるまで草原をさまよった…。
とても疲れた。どうして俺がこんな目に遭わないといけないのか。
そんな事を考えていた帰り際、思う存分に草原を走り回って満足気な和留津が俺の足元に駆け寄ってきた。
「わふ」
うん、可愛いから許す。