084 ハバツ
突如現れて王宮の占拠を宣言した鎧の一団を前にして国王が慌て始める。
「な、何だ、お前達は…」
「私は幻影道化師のエース。全員おとなしく私に従っていただこう」
「どういうことだ? 警備の近衛騎士団はどうした?」
いや、どっからどう見てもこいつらが近衛騎士団だろ。
そんなことを考えていると、困惑を隠せない様子でカミーユさんが続く。
「そんな…、近衛騎士団を制圧したというの…?」
いや、だからこいつらが…。
「もはやお前達に逃げ場はない」
「私達をどうするつもり?」
「なに、おとなしくしていれば危害は加えんさ。今はまだ、な」
そんな威圧的な態度をとるエースを前にして、一人の男が徐に立ち上がる。
「幻影道化師だかなんだか知らんが、俺の仕事の邪魔をするっていうなら容赦はしないぞ?」
そんな強気な発言をしながらエースと対峙するのは、そう、バルザックだ。
……もう、この時点で俺もミーアも何も期待していない。ただ生暖かい瞳で見守るだけだ。
「お前の仕事だと?」
「そう。俺は傭兵だ。そこのヒイロの護衛を依頼されているんでな。そいつに危害を加えられると困るんだよ」
「威勢がいいのは結構だが、武器も持たずに何ができる?」
「武器ならあるさ」
ニヤリと笑いながらそんなことを言うと、バルザックはカッコよさげに右手を掲げてみせる。
するとその時、背後の窓の外に一羽の白鷺が現れた。次の瞬間、その白鷺が持っていた『∞』の刻印入りの巨大な斧をまるでロケットランチャーでも撃ち込むかのように勢いよくぶっ放す。
「何!?」
驚くエースが防御態勢を取る暇もなく、斧は窓をぶち破って中へと飛び込んでくる。そして、バルザックに直撃すると、そのままバルザックと共に壁を突き破ってどこかへと消えていった。
………。
おい、どうしてくれんだよ、この微妙な空気。
行方を晦ましたバルザックの代わりに鷺に非難の視線を送っていると、鷺は視線を逸らし何事もなかったかのように飛び去っていった。
そんな微妙な空気の中、怒りに震える男が一人。
「おのれ、よくもバルザックを」
目の前の連中は何もしていないのだが、オーギュストさんにとってそんなことは関係ないようだ。怒りに震えるオーギュストさんの体から何やらオーラのようなものが立ち上る。
「何だ? 抵抗しようというのか?」
エースのその発言と共に全身鎧の集団が戦闘態勢に入る。そして、エース自身も背中の太鼓から放電を始め戦闘態勢(?)を整える。
その様子を見て徐にオーギュストさんが立ち上がった。
「お主等こそ、儂等に勝てると思っておるのか?」
次の瞬間、オーギュストさんの頭上に透き通ったオーギュストさんが現れる。
「え? 霊ギュストさん、復活したの!?」
唐突な霊ギュストさんの復活に驚愕していると、オーギュストさんは鎧集団からは目を離さずに小さな声で俺に語りかけてきた。
「残念じゃが、此奴は霊ギュストではない…。此奴は、今度の舞台の為に準備しておった霊ギュストの代役の立体映像じゃ。ただのはったりじゃよ」
そう言われて霊ギュストさん(?)に視線を向けると、会議室の天井に設置されたプロジェクターから光の筋が伸びているのが見えた。
………。
「アレ、立体映像も投影できるんだ…」
思わずそんなことを呟いた俺のことを、『気にするべきはそこじゃニャイよ』とでも言いたげにミーアが見つめていた。
それはともかく、一連の流れを見ていたカミーユさんがオーギュストさんへ加勢しようと立ち上がる。
「私達だって偉大なるオーギュスト師匠の下で魔法を学んだ身。そこらのテロリストに遅れは取らないわ。そうよね、アレックス」
そうしてアレックスさんへ行動を促すカミーユさん。しかし、当のアレックスさんはさっきから妙に落ち着き払っている。そんなアレックスさんが静かに口を開く。
「いえ、ここはおとなしく従いましょう」
「え? どういうこと、アレックス」
予想外の返事にカミーユさんが困惑する。
「今の状況は私達に分が悪すぎます」
「何を言っているの、アレックス。こんなテロリストごときに遅れは…」
「今見えているものだけが真実とは限りませんよ、カミーユ」
「え?」
アレックスさんのその発言を受けてセバスさんがフッと笑みをこぼす。
「賢明な判断ですな」
そんな発言と共に徐に立ち上がると、全身鎧集団の側へと歩みを進める。そして、彼等に並び立つ位置まで行くとこちらを向いた。
それを見た国王が困惑しながら問い掛ける。
「どういうことだ、セバスよ…?」
「簡単な話です。想像し得る中での最悪の状況を考えてみればよろしいかと」
そう言われた国王はハッと何かに気付く。
「え? ドッキリ…?」
「頭ん中、お花畑か!」
『カメラどこ?』とか言いながらキョロキョロし始めた国王に思わずツッコむと、国王が黙ってこちらを見つめた。『いつか解らせてやる…』とでも言いたげな国王から俺は慌てて視線を逸らす。
すると、セバスさんが恭しい態度で礼をする。
「私は幻影道化師のトランプ。迷える仔猫達の救済者です」
そんなセバスさんをカミーユさんが睨みつける。
「セバスさん、あなた、テロリストの仲間だったのね」
「テロリストとは心外ですな」
「こんな真似をしておいて、これがテロでなくて何だというの?」
そこへエースが口を挟む。
「王政復古へと至る為の重要なプロセスだ」
「何ですって?」
カミーユさんが疑問を浮かべながらエースに視線を向けると、エースが兜のバイザー部分を引き上げた。そこから露わになった目元を見てカミーユさんが驚愕の声を漏らす。
「ジーン侯爵!? そんな…。まさか…、あなた達、近衛騎士団…」
「今頃気付いたの!?」
目元なんかよりも鎧の方がよっぽど印象的だと思うんだが…。
当然のことながら、そんなツッコミは完全スルーである。
「…我々は王国の現状を憂う者。そこの愚鈍な王と、それを利用し私腹を肥やす首相の所為で王国は崩壊の危機に瀕している。我々は、王国を救う為に立ち上がったオネスト殿下と志を共にし、真の王国を取り戻すのだ!」
「オネストだと? この件にはオネストが関わっているというのか!?」
エースの演説に驚愕する国王をただ黙って見つめるセバスさん。その様子に何だか納得のいかないものを感じた俺はセバスさんへと問い掛ける。
「セバスさん…、本気なんですか?」
それに対しセバスさんは黙ったままこちらを向く。
「俺は第一王子のことはよく知りません。でも、今までの王子の発言を思い出してみてもあまりいい印象はありません。セバスさんは、本気であんな人を国王にしようと考えているんですか?」
すると、セバスさんは少しの沈黙の後、重い口を開いた。
「仕方のないことなのですよ…、ヒイロ様…」
「何がですか」
「私と陛下との間には絶対に相容れない溝があるのです…」
「どういうことですか?」
その問いに対し、セバスさんは何かを思い出すかのように語り始める。
「ヒイロ様はご自分が召喚された時のことを覚えていらっしゃいますか?」
「俺が召喚された時のこと…?」
「そう…。あれは、謁見の間から会議室へと移動した後、ヒイロ様の身辺調査結果についてお話していた時のことでした…。あの時、陛下はとある暴言を吐いたのです…」
国王、何か言ってたっけ?
あの時のことを思い出そうとしていると、セバスさんの顔に次第に怒りが満ちていくのがはっきりと見て取れた。
「陛下…いえ、ライアー三世は、あの時確かに言ったのです…」
「何を…ですか…?」
「『儂は犬派である』、と」
「……は?」
突然の発言に唖然としていると、セバスさんは怒りで拳を握りしめながら続ける。
「そこの男は、猫派である私の前で自らが犬派であることを宣言し、私に…いえ、全ての猫派に敵対する意思を示したのです!」
「いや、どゆこと!?」
「猫派と犬派は絶対に相容れない…。それは、この世の真理…」
「そんなことないよ?」
「そう、これは猫派と犬派の代理戦争なのです」
「違うよ?」
「国王派からの敵対宣言を受けた私は、自らを隠れ愛猫家だと公言するオネスト殿下率いる第一王子派に与するより他なかった…」
「他にも道はあったと思うよ?」
それと、第一王子には隠れるのか隠れないのかはっきりしてもらいたいよ?
そして、セバスさんは覚悟を決めたような表情で高らかに宣言する。
「野良猫として生きざるを得ない猫達の為にも、保護猫として猫カフェで働く猫達の為にも、私には、第一王子派と手を結んで国王派を打倒し、ここに『猫の、猫による、猫の為の楽園』を樹立する義務があるのです!」
「何この猫派!」
「しかし、私とて鬼ではありません。確かに国王派とは相容れませんが、それでも彼等を根絶やしにしようと考えているわけではないのです。そう、猫の楽園を作り上げた暁には、国王派の方々には強制収容所にて思想矯正を施し共生の道を模索していくつもりです」
「共生とは?」
「ヒイロ様も第一王子派であるならばご理解いただけるはずです」
「理解できませんが!?」
俺の頭の中では、顔出しタイプの猫の被り物を被った第一王子に協力を求められている理解さんが、理解できないものを見てしまったかのように困惑している。
「というか、そもそも俺は猫派というわけではないですよ?」
「え?」
「ニャ!?」
セバスさんからだけでなくミーアからも驚いたような声が聞こえた気がするが、今はいったん置いておこう。
確かに、召喚された時の謎のプロファイリングで猫派認定されていたのは覚えている。その場で否定しなかったのも事実ではあるが、それは急展開についていけなくて困惑していただけだし。
そもそも、勝手に猫派認定されたのだって、おそらくこっちの世界に来る前にSNSに猫の写真を上げていたことから推測されただけだと思われる。でもそれは、たまたま近所の公園に出没する猫と仲良くなったから写真を撮りまくっていただけなのだ。
というわけで、いい機会だしきっちりと宣言しておこう。
「俺は、基本的にモフモフ全般大好きです!」
すると、セバスさんが驚いたように漏らす。
「そんな…、ヒイロ様は第一王子派でも国王派でもないと仰るのですか…? それはつまり…、第三派閥…?」
そして、何かに気付く。
「まさか、第一王女がバルザック様に近付き婚約までしたのは、勇者一行を自陣営へと取り込む為…? ヒイロ様は、既に第一王女派に取り込まれて…?」
「何かよくわかんない新派閥作らないで?」
俺は第一王女に与した覚えはない。
俺の発言を聞いているんだかいないんだか、落ち着きを取り戻したセバスさんは俺に鋭い視線を向けてきた。
「なるほど、よくわかりました…。ヒイロ様はどうしても我々と敵対するということですな?」
「いや、別に敵認定してほしいわけではないんですよ」
「残念です…」
あ、聞いてない。
ところで、どうしてミーアはさっきから裏切りにでも遭ったかのような悲しそうな顔で俺を見ているの?
何はともあれ、セバスさんまでもが敵に回ってしまった絶望的な状況。これはいよいよアレックスさんの言う通り、いったんはおとなしく従って機を窺うべきだろうか?
そんなことを考えてみるが、カミーユさんは一切引く気がないようだ。鎧集団へと対峙したまま、座って動こうとしないアレックスさんへ声を掛ける。
「アレックス」
「何ですか?」
「テロに屈したと思われたら、次の選挙、負けるわよ?」
その発言を受けてアレックスさんはフッと笑みをこぼした。そして、徐に立ち上がると力強く宣言する。
「レニウム王国政府はテロには屈しません!」
変わり身、早!
「おとなしくしてはいただけないようですな」
「当然です」
「そうですか…。それでは、仕方ありませんな…」
残念そうに嘆息すると、セバスさんは懐に手を忍ばせる。そして、そこから1セットのトランプを取り出すと、片手で器用に扇状に広げてみせた。
「神経衰弱」
囁くようなその発言と共に俺達の目の前に一枚ずつカードが現れる。不思議に思っていると、俺の目の前に裏向きに現れたそのカードがクルッと表を向く。すると、そこに描かれていたのは…。
「え? 俺…?」
次の瞬間、俺の脳裏にこれまでの自分自身の姿が浮かぶ。
突然の事態に困惑していると、国王がその場で膝をついた。
「嘘なんて吐いてない…。嘘なんて吐いてない…。嘘なんて吐いてない…」
この世の終わりのような悲壮な表情で頭を抱えながらブツブツと呟き始める。
すると、その様子を目の当たりにしたアレックスさんがセバスさんに問い掛けた。
「いったい何をしたんですか…?」
そんなアレックスさんも辛うじて立ってはいるものの顔面蒼白で今にも倒れそうだ。
「この術に囚われた者は、自己と向き合うことを強いられます」
「自己と…向き合う…?」
「そう、目を逸らしていた現実、忘れてしまいたい過去、誰しもが少なからず抱えているであろうそういったものを炙り出し、突き付けるのです」
何だその地味に恐ろしい精神攻撃。
「ですが、ご安心ください。きちんと自己と向き合うことさえできれば何も恐れることなどありません」
人間、案外それが難しいのよ。
「私は…、こんなものに…負けたりは…」
抵抗を試みるアレックスさんだったが、とうとう術に飲み込まれ、その場に膝をつく。そして、ブツブツと何かを呟き始めた。
「違う…。違うんです…。あれは…、事故だったんです…。違う…。事故調査委員会に介入したのは自己保身の為なんかじゃない…」
何と向き合ってんの?
そして、アレックスさんに続いて他の人達も…。
「違うの…。オーギュストは尊敬する師匠よ…。決して表沙汰にできないような関係なんかじゃないの…」
カミーユさんが、何かをカミングアウトしそうになっている。
「儂は…筋肉を裏切ってなどおらん…」
やせ細った己の腕を見ながらそんなことを呟くオーギュストさんに至っては、もう俺には理解できない。
そんな中、机の上ではミーアが悶えていた。
………こんな時に不謹慎かもしれニャいが、可愛いニャ、このニャンコ。
ミーアの可愛い仕草に癒されてちょっとだけ余裕を取り戻しつつあったものの、俺の脳内では、巨大なスクリーンの前で理解さんが椅子に拘束され、そのスクリーンに俺の黒歴史の数々が上映され始めた。
魔女っ娘ヒイロン…。
『薙ぎ払え!』…。
二丁拳銃…。
絶対領域…。
悪役令嬢H…。
そう、俺の黒歴史の数々が…。
やめろ、やめてくれ…。
俺の脳内で渦巻く黒歴史の数々…。それを直視することを強いられた理解さんが、とうとう…。
こうして俺達は成す術もなくその場に崩れ落ちた。そんな俺達を見届けると、セバスさんはトランプを懐に仕舞う。
「それでは、ここはお任せします」
「お前に言われるまでもない」
エースとそう言葉を交わしながら、セバスさんは騎士の一人から受け取ったグレーのコートを身に纏う。
そして、固い決意を秘めた顔を白い仮面で覆うと、セバスさん…いや、幻影道化師のトランプは部屋を後にした。