083 カイセン
ビスマス帝国、帝都ロマネスコ。その地では今、宰相のネロによる演説が行われていた。
「旧帝国帝室の正式な血統を僭称するレニウム王国王家は、旧帝国の再興という野心に取りつかれ旧帝国を構成していた周辺諸国への武力侵攻を計画している。その目的達成の為にアカシックゲートによって召喚された善良なる稀人へ洗脳を施して戦力化するなど、その行いは非道なものである。王国は我々の再三にわたる稀人の身柄引き渡し要求にも応じず自らを正当化する主張を繰り返し続け、その一方で周辺諸国への侵攻計画を着々と推し進めている。これは看過できない事態である。世界は、今こそ一つになって王国の野望を砕き、稀人を救い出さなければならない」
そうして一呼吸置くとネロは力強く宣言する。
「ビスマス帝国は、ここにレニウム王国への宣戦を布告する」
***
同刻、レニウム王国南西海域。
帝国と領海が接する海域の哨戒任務に当たる哨戒艦。
「艦長、やはり戦争は避けられないんでしょうか?」
「そうだな…」
「でも、まだ話し合いの余地はあると思うんですよ」
「そうかもしれないな。だが、それは政治家の仕事だ。どんな結果になろうとも俺達は国民の命と財産を守る為に職務に全力を尽くすだけだ」
その時、艦橋内で声が上がる。
「一時の方向に船影!」
「何だと!?」
その報告を受けて、艦長が慌てて視線を向ける。そこにはまだ遠くて小さいながらも確かに幾つもの船影が見える。
「何故この距離まで気付かなかった!」
目視できるほどの距離まで全く気付かなかったという事態に慌てながらも艦長は双眼鏡を覗く。そこに見えたのは木製のガレー船。
「………え? 櫂船…?」
さらに注意深く観察してみると、漕ぎ手が人ではなく半人半魚の異形であることに気付く。
「………え? 海鮮…?」
そして、艦長は困惑気味に呟く。
「………え? 何あの怪船…」
***
同刻、王国と帝国の国境線となっている山岳地帯。
そこにある国境警備隊詰所へ一人の兵士が飛び込んだ。
「隊長。国境の帝国軍に動きが」
「とうとう動いたか」
「よし、我々は作戦通り援軍到着まで時間を稼ぐ。各隊への指示を出せ」
「はい」
そうして報告に来た兵士が出ていく中、副長が問い掛ける。
「上手くいくでしょうか?」
「やるしかないさ。要衝であるグリ高原に本隊が陣を敷く為の時間を我々が稼げなければ、この戦いは負ける。厳しい戦いになることは間違いないだろうな」
「そうですね」
副長の緊張を察知したのか、隊長が少しだけ軽い口調で続ける。
「だが、ここらの細い道では大軍は活かせない上に、この雪道だ。それに、俺達ほどこの辺りの地理には詳しい者はいない。そう、地の利はこちらにある。案外、俺達だけで帝国軍を追い返せるかもしれないぞ?」
そんな軽口を叩く隊長もまた緊張によって微かに手が震えている。それに気付いた副長が少しだけ心を落ち着ける。
「そうですね。追い返すまではいかなくとも、我々で帝国兵の心を折ってやりましょう。必死の思いでグリ高原まで抜けられてたとしても、そこに待ち構えているのは王国の主力部隊。それを見た瞬間、両手を上げて投降したいという衝動に駆られるほどに」
「その意気だ」
そして、軽口を叩きあいながらも心を落ち着かせた二人は、覚悟を決めて詰所を発つ。
***
ビスマス帝国によるレニウム王国への宣戦布告の一報は瞬時に世界を駆け巡った。
そんな中、レニウム王国の王宮の会議室では、国王、首相、防衛大臣、特殊諜報局局長等の錚々たるメンバーと、俺とその護衛二人(一人減っちゃったからね)が集まって王国主催の舞台公演の延期についての話し合いが行われていた。
…………。
「何故に!?」
「どうしました、ヒイロさん?」
突然声を上げた俺に対して驚いたように尋ねてくるアレックスさん。だが、この状況でそんな悠長なことをやっていられるこの人達に対して驚きを隠せないのは俺の方である。
「いや、どうしてこんな悠長なこと話し合ってんですか!? 今、それどころじゃないですよね!?」
そんな俺に対して、国王が少しムッとした様子で反論してくる。
「何を言っておるのだ。この舞台は王国の威信を賭けたものなのだぞ」
「その王国の危急存亡の秋なんですが!?」
その瞬間、国王の目付きが変わった。そして、ニヤリと笑みを浮かべる。
「ところで、どうしてこういった場合の『とき』に対して『秋』という漢字を使用するのか知っておるか?」
「穀物の収穫という一年で一番重要な季節だったことから『重要な時期』を意味するようになったからだよ!」
キレ気味に返すと、国王は何か悲しいことでもあったかの様な衝撃を受け、トボトボと部屋の隅へと移動していく。そして、膝を抱えていじけ始めると、ちらちらと俺の方を見ながら『いつか解らせてやる…』などと呟き始めた。
おい、ヤメロ。権力者が安易にそんなことを口走ってはいけない。ほら、国王がそんなことを言うからどこからともなく『忖度…』とかいう不穏なワードが聞こえてくるじゃないか。
そんな不穏なワードに怯えていると、会議室の隅で控えていたスーツ姿の人が慌てた様子でカミーユさんのところへと寄っていくのが見えた。そして、何やら報告を受けたカミーユさんが驚愕の表情を浮かべる。
「大変よ、アレックス。たった今、領空審判から帝国軍機が領空に侵入したという通知があったみたいよ」
「何ですって!?」
「ちょっと待て。文脈がおかしい!」
思わずツッコんだ俺に対して、アレックスさんが答える。
「何ですかヒイロさん、こんな大変な時に。今は関係のない些末な事は後にしてください」
「こんな大事な時に舞台公演の延期について呑気に話し合っていた人に言われたくありませんが!?」
思わず語気を強めて反論してしまったが、今度は完全無視でアレックスさんとカミーユさんは周囲のスーツ姿の人達に状況確認の指示を出し始める。
おい、都合の悪いことは完全無視か。
そんな風に苛立っていると、見かねたセバスさんが声を掛けてきた。
「ヒイロ様。何もおかしなことなどありません」
「え? いや、でも『領空侵犯から通知』って意味がわからないじゃないですか」
すると、セバスさんは手近な紙に何かを書き始めた。そして、その紙を俺に見せる。
「何か勘違いをしていらっしゃるようですが、領空侵犯ではなく領空審判です」
セバスさんが見せてくれた紙には『〇領空審判 ×領空侵犯』と記されていた。
「何それ…」
「領空審判は、王国国境線上空に配備されている領空警戒監視システムで、飛行物体による越境を確認するとその場で旗を上げると共に専用回線を使って飛行物体の詳細を通知してくれます」
「何その線審システム」
その場で旗を上げる機能は必要なのか?
そんな俺の目の前では、ミーアがボールと戯れている。机から落とさないように気を付けるんだよ。
ミーアが提供する癒しによって心がほわっとしていた俺の耳に、アレックスさんとカミーユさん達の話し声が届く。
「既に各地で帝国軍との戦闘が?」
「ええ、王国南西の海域で哨戒任務に当たっていた海軍の哨戒艦が怪船団と遭遇、戦闘が始まったみたいよ」
「それで、戦況は?」
「哨戒艦からの報告を受けて、最寄りの海軍基地から艦艇を派遣しようとしたらしいのだけど…」
「どうしたんですか?」
「現在、その海軍基地から艦艇の出入りができなくなっているみたいなの」
「いったいどうして?」
その問いに、深刻な表情でカミーユさんが答える。
「それが…。基地から海へと繋がる箇所に設置されている廻旋橋の制御盤の蓋についているダイヤル錠の暗証番号が解らないらしいの」
何だその二重三重にふざけた海軍基地。
それを聞いたアレックスさんも深刻な表情を浮かべる。
「そんな…。ダイヤル錠一つでこんな窮地に陥るとは…。仕方ありません、その戒めも込めて、この海戦はダイヤル海戦と呼ぶことにしましょう」
名前を付けてる場合か?
正気を疑うような瞳で見つめる俺のことなどお構いなしに話は続く。
「今は付近を航行中だった艦艇を集めてなんとか対応しているわ」
この国、大丈夫か?
そんな不安を抱いている俺の前では、ミーアがボールと戯れている。カワイイ。
すると、今度は地上戦の話題に。
「地上でも、帝国軍主力部隊が国境を越えて北上。王国軍主力部隊はグリ高原でこれを迎撃する予定よ」
「グリ高原で?」
「ええ。あそこは防衛に適した要衝。そこで迎え撃つべきだという統合幕僚長の猛プッシュがあり、関係各位が諸手を挙げて賛成したことで決まったみたいよ」
「そうですか…。それでは、その戦いはプッシュ会戦と呼ぶことにしましょう」
もう、勝手にしろ。
そういうわけで、俺はミーアとボール遊びを始めることにした。机の上でボールを左に転がしてやると、ミーアがそれを追って左へ。そして、右に転がしてやればミーアも右へ。カワイイ。
そんな中、手持無沙汰にしていたバルザックがどこからともなくワインの瓶とグラス、そしてワインオープナーを持ってきた。そして、コルク栓にオープナーのスクリューを押し当ててクルクルと回し、コルク栓を引き抜く。
バルザックがワインをグラスに注ぎ始めると、そこへオーギュストさんが寄っていく。そして、酒盛りが始まった。
何しとん?
そんな正気を疑うような俺の表情に気付いたのか、二人が何やら言い訳を始める。
「いや、その…、儂等は舞台公演の延期についての会議に呼ばれたはずなのに、関係ない話ばかり続けられてものぅ」
「そうだな、別の議題に変えるんだったら、俺達はもう自由時間だろ。ヒイロの護衛なんて、酒飲みながらでもできるしな」
ああん? 飲んでいようがいまいが、お前は端から戦力外だよ、バルザック。
ほろ酔い気分のバルザックに怒りを抱いていると、アレックスさんが申し訳なさそうに口を開く。
「そうですね、師匠。申し訳ありません」
そうして難しい顔をして何かを考え始める。
「…やむを得ませんね。舞台公演については、また後日話し合うことにしましょう。今は帝国への対処が最優先です…」
どうしてそんな苦渋の決断みたいな顔をしていらっしゃるのでしょうか?
その時だ、会議室の扉が勢いよく開かれた。
それと同時に踏み込んできたのは全身鎧の一団。近衛騎士団の鎧に身を包んだその一団のマントには、申し訳程度に近衛騎士団の紋章に代わって冠を被った猫のシンボルが描かれている。
すると、背中から生える円弧状の飾りに複数の小さな太鼓がついた鎧の人物が声を上げた。
「王宮は、我々、幻影道化師が占拠した!」
こいつら、正体隠す気無ぇ!