079 キンキ ニ フレル
瓦礫の上に立っているのは筋骨隆々で隻眼の男。
ピタッとしたシャツとカーゴパンツを身に纏い、背中には釣り竿と籠。その籠の中には赤い魚が一匹。
「何だ、こいつは?」
瓦礫の上を見上げつつ呟いたカイに対して、長老が徐に口を開く。
「奴の名はエビス…」
「エビス要素が籠と釣り竿くらいしかない!」
条件反射的に思わずツッコんでしまったが、ここでエビスに関する豆知識を少し。
漢字表記は恵比寿、蛭子、戎、夷などいろいろとあるが、実は七福神の中で唯一の日本由来の神様だ。
海神であり、波に揺られてゆらゆらとやってくる漂着物を信仰の対象として祭ったものである。
決して、路線バスに揺られてふらふらとやってくる漫画家ではないので注意してほしい。
さて、そんな俺のことは見事にスルーし、長老は続ける。
「奴は、先日、不意に現れたかと思えば、儂等に勝負を挑んできたのじゃ…」
「勝負…?」
『勝負』という単語に反応してソワソワし始めたカイに不穏な気配を感じる…。
「苦労して閉じ込めたというのに…。なんということをしてくれたのじゃ…」
そんな話をしていると、エビスが急に瓦礫の山から飛び降りて向かってきた。
「何をごちゃごちゃ言うとんのや。勝負の続き、始めようや!」
エビスが拳を大きく振り被るとそこに大きなエネルギーが集中していく。
「鉄拳星砕!」
そんな叫びと共にその拳が打ち放たれようとしたその時、俺達とエビスの間に巨大な赤いスライムが割り込む。
「ベテルギウス!」
長老がそんな叫びをあげる中、ベテルギウスがその巨体でエビスの拳を受け止めた。
ベテルギウスの体表が激しく波立ち、周囲を猛烈な衝撃波が襲う。
「チッ。ぶよぶよと衝撃を吸収しよってからに」
そんな悪態を吐きつつエビスが距離を取ろうとしたその時、ベテルギウスの体内で一点にエネルギーが収束し始めた。
「いかん。ベテルギウスはもう限界じゃ」
長老が焦りの色を見せていると、ベテルギウスが叫びを上げる。
「スーパーノヴァ!」
本能的に危険を感じ取ったのか、跳び上がって離脱しようとするエビス。そこに向かって、ベテルギウスから一筋の光線が放たれた。
その一閃がエビスを飲み込むかと思われたその時、エビスが叫びを上げながら自らの拳を振り上げる。
すると、どういう原理なのかは全くわからないが、エビスの拳によって弾かれた光線は上空へと向きを変え厚く垂れ込めていた雲を撃ち抜いた。
「なかなかええ一撃やないか。そうやないと張り合いがないってもんや!」
俺にはもう、空を厚く覆う雲にぽっかりと開いた丸い穴を、ミーアと共に口をぽっかりと開けながら見つめることしかできない…。
そんな中、シリウスBの嘆きが聞こえてくる。
「そんな…。ベテルギウスが自らの命を賭して放ったスーパーノヴァをこうも簡単に…」
いや、ベテルギウス、生きてるよ。
黒い豆粒になっちゃったけどさ。
「なんということじゃ…。せっかく育てたアイドルユニットじゃったのに…。早急にベテルギウスに代わるメンバーを見つけてこねば…」
今問題なのはそこなのか?
その時、エビスという名前が出たあたりから『エビス…。エビス……?』とか呟きながら首を傾げていたハルが何かに気付いた。
「エビス…。エビス!?」
「どうしたの、ハル?」
「まさか…、八大災厄の一つにも数えられているあのエビスですか?」
「あれ? もしかして、今日、世界は滅ぶの?」
アトミックスライムといい、エビスといい、どうしてこうもヤバそうな奴等がほいほい出てくるのか。
「十年ほど前に突如として姿を現したかと思えば、その後は目撃されるたびに地形を変えてしまうほどの被害を発生させたといわれている、あのエビス? 最近では、世界各地で道場破りを繰り返しているという、あの…?」
「そんな奴に目を付けられた道場には同情の念を禁じ得ないよ」
すると、自分の名前が出たことに気付いたエビスがこちらに興味を示した。
「何や、ワイのこと知っとるんかいな? せや、ワイはな、最強を目指して世界中の猛者達に勝負を挑んで回っとんのや」
「最強…?」
さっきから、ちょいちょい反応を示してくるポンコツ勇者が何だか怖い。
「ちょっと前までは現在最強の座にある竜王に毎日挑むっちゅう最強漬けの日々を送っとったんや…」
「勉強漬けの日々みたいな言い方やめろ」
「けどな、毎日竜王に挑み続けるっちゅうその危険性から、最強漬けは禁忌に指定されてもうたんや…」
「禁忌の最強漬け…?」
そんなことを呟く俺の頭の中では、理解さんが西京味噌で満たされた桶の中から何やら魚の切り身を取り出している。その時、ふと理解さんが何かに気付いた。
あっ、こいつが背負ってる籠の中の赤い魚、キンキだ…。ちなみに、標準和名はキチジというらしい。
割とどうでもいいことに気付いてしまった俺が遠い目をしている中、エビスがその場でシャドーボクシングを始める。
「禁忌に指定されてもうた最強漬けを続けることはできんかった…。せやけどな、どうしても最強になるっちゅう夢を諦められへんかったワイは、世界中の猛者と戦いながら竜王との再戦の機会を窺っとるっちゅうわけや」
「世界中の猛者…?」
興味を示すな、戦闘狂。
すると、ビシッと右ストレートでポーズを決めていたエビスがすっと腕を下ろした。そして、どこかに思いを馳せるように空を見上げる。
「そもそも、どうしてワイが最強を目指すことになったんか…。まずはそこから話さなあかんみたいやな」
「何故に?」
唐突な展開に困惑する俺のことなどお構いなしにエビスは徐に話し始める。
「ワイはもともと、人語を解し、生命進化論を理解しただけのただのキンキやってん」
「既に普通じゃないが?」
「そんなワイの一番最初の記憶は、とある海沿いの街のご家庭の食卓の上やった…」
「いきなり食われかけとるがな」
「『どうぞ、召し上がれ』とか言いながら愛らしい笑顔でワイの乗った皿を差し出す少女と、ワイと目が合って驚愕の表情を浮かべる爺さんの顔は今でも忘れられへん…」
「どんな状況だよ」
「隙をついてその場から逃げ出したワイは、何とかして深海まで辿り着くことができた。けどな、そこでワイは思たんや。何でワイがこないな目に遭わなあかんのや、と…。でもな、それはちゃうねん。結局、ワイが弱かったからあかんのや…。そう、強ならなあかんのや。せやから、ワイは最強を目指すことを決めたんや」
アハハ。今日もミーアはもっふもふだぁ(はぁと)。
※ヒイロが現実逃避に走りました。
『ツッコミを放棄しニャいで?』とでも言いたげなミーアだったが、もふもふなでなでしてやると喉をゴロゴロと鳴らし始める。
「そこから、ワイは必死に考えた。最強になるんにはどないしたらええか…。そして、一つの結論に達したんや…。せや、現在最強の座にある竜王に勝てばええんやと」
ミーアの尻尾の付け根の辺りを撫でてやると、『なぁ~』と鳴きながら気持ちよさそうに目を細める。
個体差もあるが、猫は尻尾の付け根のあたりを撫でてやると喜ぶ。ミーアも例外ではないらしい。
「けどな、その前に一つ、大きな壁が立ち塞がったんや…」
「大きな壁…とは…?」
ウォルフさんが息を呑みながら尋ねる横で、すっかり気分の良くなったミーアはゴロンと横になった。
「キンキの姿のままでは、竜王のところまで行けへんかったんや…」
ミーアが気持ちよさそうにゴロンゴロンと転がりながら俺の手に足を絡ませて甘えてくる。カワイイなぁ。
「せやから、いろいろと手を尽くしてこの姿を手に入れたっちゅうわけや」
「いや、いろいろって何だよ!?」
悲しきかな、俺のツッコミ体質…。
※ヒイロの現実逃避は長くは続かない。
「ほな簡単に説明しよか」
そんなことを言いながらエビスは徐にスマホを取り出す。
「まず、これがワイが最強を目指し始めた時の写真や」
スマホに表示された写真には、深海を泳ぐ一匹のキンキの姿。
「これを第一形態としとこか」
とりあえず、この写真は誰が撮ったんだろう…。
「そんで、ドラグゴナレスに挑むにあたり、まずは体を強く大きくしよう考えた。ちゅうわけで、海の中の生き物に片っ端からケンカを売りまくったんや。ちなみに、この左目の傷は、その過程で海のギャングとの抗争で付けられた傷や」
ウツボなのかシャチなのか、それが問題だ。
「で、そんなケンカに明け暮れとった頃の写真がこれや」
エビスがスマホを操作すると次の写真が表示される。
そこには、ホホジロザメに食らいつく人間大のキンキの姿。
「やっぱ体を強く大きくするんには、ぎょうさん食べるのが基本やからな」
「食物連鎖の逆転現象!」
「これが第二形態や」
もう、何がおかしくて何が正しいのかがわからない。
「体を大きくしたら、次は陸上で自由自在に動ける体を手に入れなあかん。ちゅうわけで、努力の結果、ワイは手足を生やすことに成功したんや」
「努力の一言で片付けないで?」
どんな努力をすればこんなバグが発生するのか教えてもらいたい。
「そんで、これがワイが再上陸を果たした時の映像や」
「ここにきていきなりのムービー!?」
映し出されたのは、手足が生えた人間大のキンキが波に揺られながら砂浜に流れ着く映像。そのキンキが立ち上がると、そこにわらわらと人々が集まってきて、あれよあれよという間に崇められ、祠が立ち、そしてエビスとして祀られた。
「これが第三形態や」
こいつ、実は鯉の人の親戚か何かか…?
「んでもって、あれやこれやあって現在の第四形態に至るっちゅうわけや」
「そのあれやこれやが一番気になるんだが!?」
ダーウィンもびっくりだ。
すると、黙って話を聞いていたオーギュストさんが感慨深げに呟く。
「なるほど…。お主のその筋肉は、想像を絶するほどの努力の賜物ということじゃな」
確かに、想像を絶するような事態は起きているようだな。だが、正直言って筋肉以前の問題だ。
それはともかく、そのやり場を失った光球、いつまで維持してるんですか?
「わかってくれるか、爺さん」
「ああ、わかるぞ。筋肉は努力した分だけ応えてくれる。裏切ったりはせぬからな」
だったら、あんたの筋肉を見せてみろ。
そんなことを考えていると、エビスは嬉しそうにオーギュストさんの手を取った。そして、オーギュストさんが固い握手でそれに応じていると、エビスが続ける。
「そうか、わかってくれるか。ほな、ワイと力比べといこうやないか」
「………え?」
一瞬、意味を理解できずに呆けていたオーギュストさんだったが、直ぐに驚愕の表情を浮かべると、しどろもどろに話し始める。
「ま、待つのじゃ。お主も自らの生い立ちを語ったりして少々疲れてはおらぬか? まずは一息入れようではないか」
「ん? ……せやな。ほな、少し休憩しよか」
そんな風に納得した様子を見せると、エビスは背中の籠の中の魚から手渡されたペットボトルを受け取って飲み始めた。
………ん? 手渡…?
今、何かおかしなところがあった気がするが、きっと気にしてはいけないんだろう…。
ミーアと共に遠い目をしていると、冷や汗を拭いながらオーギュストさんが呟く。
「ふう、危ないところじゃった…。あんな化け物の相手などまともにできるわけがなかろうて。何せ、彼奴が本気を出せば、この星ですらも叩き割れるほどの一撃を放つことができると噂されておるほどじゃからのう…」
「うん、さっき叩き割るどころか星を砕きそうな勢いの一撃を放とうとしてましたけどね…」
相変わらず遠くを見つめながら呟いていると、ハルが口を開く。
「その噂なら私も聞いたことがあります。しかし、噂はあくまでも噂。エビスが実際に星を叩き割ったところを見た者はいません」
「だろうね」
叩き割られてたら、そもそも俺達ここにいないしね。
そんなことを考えつつ、一息入れ始めたエビスに視線を向けると、彼が持っているお茶のパッケージには『き~ん ん茶』の文字。
……。
そのうち、本当に叩き割るかもしれない…。
小休憩を終えたエビスは、お茶のペットボトルを背中の魚に手渡すと拳を構える。
「ほな、手合わせ始めよか、爺さん」
「え?」
オーギュストさんの危機はまだまだ続く…。
「魚ォォオォォ!」
そんな叫びを上げながら突っ込んでくるエビス。その気迫にオーギュストさんが狼狽えていると、さっきから終始ソワソワしっぱなしだったカイが間に割り込んだ。
「その勝負、俺も交ぜてもらおうか!」
そう叫びながら斬りかかったカイの邪剣とエビスの拳とが激しくぶつかり合う。その一撃にエビスが嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ええ一撃や。よっしゃ、全員まとめて相手したるさかい、かかってきいや!」
俺を巻き込むのはやめてもらいたい。
そんな中、ハルが背負っていた黒い箱を下ろし、ポケットからメガネを取り出した。
「仕方ありませんね。とりあえず、あれをおとなしくさせないことには事態の収拾は不可能なようですし、まずは、あれの排除に全力を尽くすとしましょうか」
「そうだね。応援要請もしておいたから、とりあえずは被害が広がらないように抑え込もうか」
というわけで、黒い箱に指示を出して両手に剣を構えたハルがエビスへと斬りかかる。それに続いて、右手にダイコン、左手にニンジンを構えたウォルフさんがエビスへと斬りかかった。
……。
俺はミーアと共に遠い目をしながらウォルフさんの背中を見送った…。
「くっ…。どうやら、儂も覚悟を決めねばならぬようじゃのぅ…」
狼狽えていたオーギュストさんが覚悟を決めると、ようやく使いどころが見出された光球をエビスめがけて撃ち放つ。
襲い掛かるカイ、ハル、ウォルフさんを同時に相手取りながら、向かってくる光球をも拳で粉砕してみせるエビス。
そんな戦闘がしばらく続いていたが、その様子を黙って見ていたシリウスBがプルプルと震えながら呟いた。
「見るんだ弟よ。この人達は、僕達の為に戦ってくれているんだ…」
そんな事実はない。
だが、余計なことを言えば事態がこじれるだけなので、俺は押し黙ることに決めた。
「これでもまだ、お前は人間は滅すべきだなんて主張するのか…?」
「兄さん、俺が間違っていたよ…」
「そうだ、弟よ。今こそ僕達は人間達と手を取り合うべきなんだ」
お前達の手はどこにある?
「そのためにも、今はまず共通の脅威に対して協力して対応する時だ!」
そんなシリウスBの叫びに応えるように、周囲のスライム達が奮い立つ。そして、スライム達が一斉にエビスへと襲い掛かった。
あるものは勢いよく触手を伸ばし、あるものはエネルギー弾を放つ。そして、またあるものはその身の内から散弾を撃ち放つ。おや? ビルが溶けた…。えっ…? 酸弾…?
カイ達とスライム達による猛攻、そして、エビスによる反撃。周囲が次第に更地にされていく。
「おお…、なんということじゃ…。長い間いがみ合っていた人とスライムが手と手を取り合って共闘しておる…」
無理やり感動的な話に持ち込もうとするのはやめてほしい。
ミーアと共に長老に冷ややかな視線を向けていると、縦横無尽に跳び回っていたエビスがちょうど俺の近くに着地した。
その時、俺のコートの裾がピクッと動きをみせる。
やめろ。余計なことをするんじゃない。俺まで巻き込まれる。
そんな俺の思いもむなしく、コートの裾がエビスへと向かう。しかし、その攻撃はエビスに躱され、即座に体勢を立て直したエビスによる反撃を招くことになる。
一瞬のうちに拳が迫るが、俺の前に左右両側のコートの裾がクロスするような形で展開すると、突き出されたその拳を受け止めた。
すると、エビスが心なしか顔を綻ばせる。
「ハハッ。強敵ばかりやな。ええやないか、こんなにも心躍る勝負は久しぶりや!」
やめて。俺を強敵認定しないで。
そんな中、遅ればせながら追いついてきたハルが両手の剣をエビスに向かって振り下ろした。エビスがそれを躱しながらその場を離脱するとハルも追いかける。そうして、少し離れたところでまた攻防戦が始まった。
これらは全て俺の体が反応できないほどの一瞬の出来事。今更ながら心臓がバクバクしてきた。
「ええやないか、ええやないか! 楽しなってきたで!」
愉悦の表情を浮かべながら戦闘を続けるエビス。
「ほな、ちょっとだけ本気でいくで?」
今まで、本気じゃなかったんですか?
そんな発言に愕然としていると、エビスは近くの廃墟ビルの傍に降り立ち背負っていた籠と釣り竿をその場に置く。そして、廃墟ビルの片隅を両腕で抱えるようにして掴むと、力を込めてそのビルをへし折った。
エビスはビルを持ったまま跳び上がると、それをカイ達に向かって投げつける。
カイ達が慌てて回避しようとする中、ウォルフさんだけが迫りくるビルへと立ち向かう。そして、両腕を前面でクロスさせて構えると不敵な笑みを浮かべた。
「膾斬り!」
その叫びと共にダイコンとニンジンでビルへと斬りかかる。次の瞬間、迫っていたビルが膾に切り刻まれた。
………。
俺とミーアがぽっかりと口を開いて唖然としている中、ウォルフさんはその勢いのまま着地したエビスへと迫りダイコンを振り上げた。
「大根颪!」
そんな叫びと共にダイコンが振り下ろされた瞬間、どこからともなく霙交じりの激しい風が吹き降ろす。
……。本当に霙だろうか…?
技名と持っている物の所為で、どうにも疑念が晴れない。
そんな疑念はさておき、襲い掛かる霙交じりの激しい風を前にして、エビスは右手を天にかざした。すると、そこに透明な六角形の薄い板が形成される。
「海来式文様術陸式、亀甲!」
その叫びと共に、上空の六角形を起点として同様の六角形がエビスを囲うように球形に展開されていく。
それはウォルフさんが放った攻撃をはねのけるのみならず、周囲の全てのものを押し退けながら膨張していく。
スライム達とオーギュストさんがエネルギー弾をぶつけるものの、全て弾かれ膨張も止まらない。まさに攻防一体の全方位への一撃。
スライム達が押しやられて慌てる中、ハルが動きをみせる。
「Eiserne Jungfrau. Nr.sechs」
「Yes Master. Code-06 release」
黒い箱が左右に割れると中からは幾つかの黒い球体。そして、それらがエビスの攻撃を抑え込むようにしながら光の壁を展開した。すると、エビスの攻撃の膨張が一瞬だけ止まった。
しかし、直ぐにまた膨張し始める。その時、ハルが持っていた二振りの剣が形を失い、黒い球体となって光の壁の形成に加わった。
それによって二つの壁が一進一退の状況となる。その様子を見ながらカイが苦々し気な表情を浮かべた。
「クッ…、拮抗してやがる…」
隙あらば同音異義語をねじ込んでくるのをやめてもらいたい。
ミーアが『さっき、自分だって言ってたくせに』とでも言いたげにこちらを見ている気がするのは、俺の被害妄想だろうか?
さて、それはさておき、このまま一進一退を続けていても仕方がないと判断したのだろうか、両者が展開していた壁が同時に消えた。
そして、すぐさま次の行動へと移る。
「海来式文様術弐式、流水!」
「Eiserne Jungfrau. Nr.zwei」
「Yes Master. Code-02 release」
すると、エビスの両拳の周囲を水が覆い、流れるような動作で拳をふるう。ハルも黒い箱から飛び出した剣を受け取ってそれに応戦する。
そこへ他のメンバーも参戦し、目の前では再び周囲を更地に変える勢いの戦闘が始まった。
相変わらず楽しそうに戦闘を続けていたエビスだったが、しばらくすると少しだけ距離を取る。
「よっしゃ、ほな、もうちょいレベル上げてくで!」
そう言うと、両手を腰のあたりまで引き何やら溜めの構えをみせる。すると、両手を覆っていた水がそこに集まって球体を形成した。
「海来式文様術玖式、青海波!」
何かカッコいい技名のようにも聞こえるが、日本の伝統文様の名前である。さらに言うなら名前の由来は雅楽の演目である。
それはともかく、叫びと共にエビスが両手を前に突き出すと、溜めていた水の球体が扇状に波紋を広げるようにして放たれた。
その波紋が地面に到達するとカイ達もろとも全てを薙ぎ払う。
状況はまさに大惨事…。ビルが倒壊し、山となっていた瓦礫さえも均されて平地が続く。ここが王都の片隅で、エビスが技を放った方向には市街地が広がっていなかったのはせめてもの救いだろうか。
「魚ォォオォォ!」
その瓦礫の大地の上で動いているのは、今や雄叫びを上げるエビスと優秀なコートのオートガードによって守られた俺とその足元に居るミーアのみ。
………え? 俺達だけ…?
すると、雄叫びを上げていたエビスがこちらを向いた。俺は急いで視線を逸らす。
………。
「ワイの一撃をくらって無傷とは、やるやないか!」
やめろ。目を輝かせるな。
「ほな、いくで~!」
そんな叫びと共に一瞬のうちに距離を詰めてくるエビス。その時、俺のコートの裾が急に伸びた。しかし、その向かう先はエビスの方向ではない。
何事かと思い目で追うと、その先にあるのはエビスが背負っていた籠。
すると、エビスもそれに気付いたようで急に慌て始める。
「あかん! それに触れたらあかんで!」
しかし、コートの裾は籠を掴み取ると、まるで盾にでもするかのようにエビスの前へと突き付けた。
「な、何ちゅう卑劣な真似を…」
俺の意思じゃありません。
苦々し気に睨みつけてくるエビスの迫力に気圧されていると、ふと籠の縁に手を掛けながらこちらを覗いている隻眼のキンキと目が合った。
そう、籠の縁に手を掛けながら……。
その時、俺の頭の中では理解さんがさっきエビスが語っていた話を思い出していた。
エビスの正体はもともと手足の生えたキンキ。そして、エビスのこの慌て様…。
ポク、ポク、ポク、チーン!
「………あれ? もしかして、こっちのキンキが本た…」
「おっと、その件には触れたらあかんで?」
圧!
何だかとんでもない、圧!
「ワイの攻撃を防ぐだけの実力があるくせして、どないして人質を取るなんちゅう卑劣な真似をすんのや」
俺の意思じゃありません。
エビスがこちらの様子を窺いながらじりじりと近付こうと試みると、コートの裾がゆっくりと籠を押し潰し始める。
焦りの色を見せるエビス。しかし次の瞬間、籠の中から手足の生えたキンキがぴょーんと飛び出した。直後、籠が完全に押し潰される。
!?
何だろう…。俺も驚いているが、コートも驚いている気がする…。
あれ? こいつ、もしかして意思がある…?
そんなことを考えていたのも束の間、エビスが俺に襲い掛かってくる。
一瞬の出来事に俺はもちろん反応できない。いつもとても優秀なコートのオートガードも虚を突かれたかのように反応が遅れる。
俺の頭の中では、理解さんに死の影が迫っていた。
その時、突如として大きな鉄の塊が飛んできてエビスの側面に衝突、そのままエビス弾き飛ばす。
その鉄の塊は、俺が立っている平坦な瓦礫の上に着地すると、後輪を横滑りさせながらギリギリのところで停止した。
突如として現れた鉄の塊。その正体は、とても見慣れた六輪式の装甲車。
その運転席から人が降りてくる。
「待たせたッスね、隊長! 応援に…………って、あれ? 隊長?」
スリップさんがウォルフさんの姿を探していると、周囲のところどころで瓦礫が動き始める。そして、瓦礫を押し退けながらウォルフさん、ハル、カイ、オーギュストさん、そしてスライム達が姿を現した。
「あ、隊長。何してるんスか? 皆でかくれんぼッスか?」
「スリップ、君にはこれがかくれんぼをしているように見えるのかい?」
「……え? 実写版モグラ叩き…?」
違ぇよ。
「そんなことよりも、スリップ。応援の方は?」
「あ、そうッスね。空いている隊員達を連れて応援に来たッスよ」
スリップさんがそう言った瞬間、装甲車の後部の扉が開き、そこからハチマキに学ラン姿の数名の隊員達が下りてきた。そして、横一列に並ぶと中央の一人が声を上げる。
「勇者一行の勝利を願って! 三三七拍子!」
………。
三三七拍子のリズムが鳴り響く中、俺はミーアと共に遠くを見つめることしかできなかった…。
その時、装甲車の中からエリサさんの声が聞こえてきた。
「ちょっと、あなた達。応援ってそういうことじゃないのよ」
あ、俺の唯一の味方が。
そんな一筋の希望の光が差し込んだかと思われた次の瞬間、装甲車から降りてきたエリサさんを見て状況は一気に暗転する。
「………どうして、エリサさんも学ランを着ているんですか…?」
裏切られたような悲しい気持ちになりながら尋ねると、エリサさんは陰りを帯びた表情で呟いた。
「………何か大きな力に負けたの…」
ああ、俺にも思い当たる節が…。
「……そう…ですか…」
そうして、俺達二人は何とも言えない暗い気持ちになった…。
そんなどんよりとした重苦しい空気を打ち破ったのはエビスだった。少し離れたところで立ち上がるなり、エリサさんに目を奪われたかのようにして立ち尽くす。
「女神や…?」
「……え?」
自分に向けて熱い視線を送ってくるエビスに気付いたエリサさんは困惑気味だ。もちろん、俺も困惑している。
「何ちゅう美しさや…」
「……え?」
やっぱり、この人は妙な生物に好かれるスキルでも持っているのだろうか…?
「そこの美しい方、お名前を教えてもらえへんやろか?」
「……え?」
エリサさんが困惑していると、カイが叫ぶ。
「エリサ、名乗る必要なんてねーぞ!」
「エリサ…。エリサゆうんですね? 素敵な名前や…」
「お前、どこでエリサの名前を!? まさか、ストーカーか!?」
メガネが曇って表情がよくわからないが、ウォルフさんが『カイ君、何を余計なことを言っているんだい?』とでも言いたげにカイの方を見ている気がする。
さすがのカイも何か不穏な気配を感じたようだ。『何か悪寒が…?』とか呟きながら周囲の気配を探っている。
そんな中、エビスが素早い動作でエリサさんに詰め寄り、その手を取った。
「惚れたで。一目惚れや」
「……え?」
「今度、一緒にホエールウォッチングにでも行きまへんか?」
「……え?」
「そうと決まったらこんなことはしてられへんな。プレゼントの龍涎香を探しに行かな」
「……え?」
すると、エビスは少し距離を取って手を前に翳す。
「海来式文様術肆式、籠目!」
エビスが翳した手の前に籠が形成されると、そこに手足の生えたキンキがぴょーんと飛び込む。
「龍涎香が手に入ったらまた迎えに来るさかい、待っとってな」
そう言い残すと、エビスは釣り竿を回収して走り去っていった。
「……え???」
その場に残されたのは困惑から抜け出せないでいるエリサさんと、エビスの去っていった方を黙って睨みつけているウォルフさん。
エリサさんに同情していると、オーギュストさんが呟く。
「とりあえず、エビスの件に関しては解決したということでいいのじゃろうか…?」
「いや、解決はしてないんじゃないですかね…」
また来るって言ってたしね。
「ですが、とりあえずは直近の危機は去ったと判断してもよいでしょう。というわけで、今は当初の問題を解決することを考えましょう」
ハルはそう言うとスライム達に視線を向けた。
「あ、そうだ。それについてなんだけどさ、俺、ちょっと考えてたことがあるんだよね」
「考えていたこと、ですか?」
「そうそう。このスライム達なんだけどさ――」
***
王宮へ戻った俺達は報告の為に首相の執務室を訪れていた。
「まさかスライム街がエビスに襲撃されるとは…。ですが、よくぞ退けてくれました」
「勇者だからな」
エリサさんの手柄だけどね。本人は不本意だろうけど…。
アレックスさんとカイの会話を聞きながら、今ここにはいない功労者へ同情の念を抱いていると、アレックスさんが俺に声を掛けてくる。
「それにしても、ヒイロさんからの提案には驚きました。まさか、今抱えている懸案をまとめて解決できるこんな奇策があったとは…」
そう、今抱えている懸案。スライムに占拠された区画と、そこの廃墟群。そして、そもそもアトミックスライムという名のヤバすぎる存在。さらに、テロ(?)によって発電所が停止したことに伴う王都の電力不足に、発電所の警備問題。
これら全てまとめて解決するにはどうすればいいか…。
スライム達の有り余るエネルギーを電力に変えてしまえばいいのだ。スライム達との敵対も避けられるし、そもそもほぼほぼ最強種ともいえる奴等だからね。警備なんて必要ない。
「スライム達とは話が通じるとわかりましたからね。和解の道も模索できるんじゃないかなと思いまいして」
「そうですね。ヒイロさんの提案を受けて、近々スライムの代表との会談を行うことになりました。私達としては、丁度更地になったスライム街を利用して大型発電所を併設したスライム達の保護区を兼ねたアミューズメント施設を建設する予定です。この施設では、スライム達による歌や踊り、さらにはスライムの生態から核融合の仕組みまで学べるようになる予定です」
……。
俺の名誉の為に言っておくが、アミューズメント施設は俺の提案ではない。
なんだか、結局いつも最終的にはぶっ飛んだ方向へ進んでいく気がする…。
そんな冷たい視線を向けていると、アレックスさんが口元を歪めたように見えた。
「さらには、アトミックスライム達と核融合に関しての共同研究を行い、その技術を入手した暁には…。フフフ…」
あれ? 自分で提案しておいて何だが、本当に大丈夫だろうか?
そんな不安に駆られたその時だった、執務室のドアが開いて慌てた様子の人が駆け込んできた。
「大変です!」
「何ですか、急に」
「たった今、外交ルートを通して帝国が王国に対して要求を突き付けてきました!」
「要求ですって…?」
一瞬にして執務室が緊迫した空気へと変化する中、駆け込んできた人が続ける。
「はい。帝国は、稀人であるヒイロ様の身柄引き渡しを要求しています」
…………。
「え? 俺…?」
唐突な名指しでの身柄引き渡し要求に、俺はただただ困惑しながら立ち尽くすのであった。
王都の電力網という重要インフラをスライムに握られたという事実に誰も気付かない…。
長老 「フフフ…」
===
あの時のミーア…
ヒイロ 「そんな奴に目を付けられた道場には同情の念を禁じ得ないよ」
ミーア (同上) そんなことを言いたげにヒイロを見上げている。
※でも、このネタは横書き小説でしか使えない…
===
ヒイロ 「体は反応できなかったけれど、あれらの攻防の全てを知覚できていた俺って実はすごいんじゃ…?」 (ちょっとした期待)
白狐 「いや、そのくらいできてもらわないと主人公としての役割を果たせないし…」
ヒイロ 「主人公!?」
白狐 「あっ…。これ、もしかして言っちゃいけないやつだった…?」
ヒイロ 「……」 (´・ω・`)
結論: 『主人公』改め『主人公』のヒイロ。
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ヒイロ 「エビスの技についてなんだけどさ、最初に放った『鉄拳星砕』と後半の『海来式文様術』で技名の傾向が違いすぎない?」
白狐 「実は『鉄拳星砕』は己の鍛え上げた筋肉のみで使う純粋な彼自身の技で、『海来式文様術』は『エビス』として信仰されるようになってから使えるようになった信仰心を基にして放つ技です」
ヒイロ 「信仰心…、怖ぇぇ…」
白狐 「その技の都合上、信仰心が弱まると青海波の波の数が減少します」
ヒイロ 「無線LANの電波状況かよ!」
白狐 「というわけで、コスプレミーア、エビス」
ヒイロ 「エビスのシャツに何やら試行錯誤の跡が…」
白狐 「……。『流水』『立湧』『鮫小紋』『亀甲』の伝統文様があしらわれた良い感じのシャツを描きたかった…」
ヒイロ 「画力が伴わなかったんだな」
白狐 「…画力以前にデザイン力が足りない…」
ヒイロ 「なるほど、センスが無いのか」
白狐 「……」 (´・ω・`)
……
白狐 「ちなみに、左胸のところの青海波に見えるものは、模様でも信仰心の状況でもなく本体との電波状況です」
ヒイロ 「本体との!?」
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ちなみに、バルザックは翌日に瓦礫の中から無事発掘されたそうです。
ヒイロ 「………」 (完全に忘れてたわ…)
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死の影が迫る
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おまけ
今日のミーア『遠い目』