??? ワンワンオ
『ヒイロさん、聞いてください!』
始まりは、ウィルからの突然の電話だった。
『実は今度、和留津が一日警察署長に就任することになりました!』
「へぇ、そうなんだ」
『つきましては、ヒイロさんも和留津の一日警察署長就任イベントに参加してもらえませんか?』
「え? 俺が?」
『せっかくなので魔女っ娘♂ヒイロンとのコラボイベ…』
その瞬間、俺は黙って電話を切った。
***
突然だが、俺は今、和留津の一日警察署長就任イベントの会場となっている警察署の玄関ホールで魔女っ娘♂ヒイロンの衣装に身を包み、訪れた人々に向かって手を振っている。
………。
そう、警察官の制服に身を包み、『一日警察署長』の襷をかけた和留津の隣で、笑顔を振りまきながら手を振っている。ちなみに、俺の背後に立っている黒い物体は赤い陣羽織のツキノワグマだ。
………。
何故に!?
あ、いや…、理由はわかってるんだ。
そう、あれは俺が電話を切って暫くしてからだった。唐突にハルが俺の部屋へやってきて言ったんだ…。
***
「ヒイロ様にお仕事の依頼が入りました」
「え? 仕事?」
「はい。とあるイベントに魔女っ娘♂ヒイロンとして参加してほしいそうです」
「うん、断る!」
「そう仰るだろうと思い、ヒイロ様のマネージャーとして二つ返事でOKを出しておきました」
「いや、断…」
「さあ、それでは早速、衣装合わせと立ち居振る舞いのレッスンを始めましょう」
***
……あれ? レッスンの記憶が無いな…。だが、何故か魔女っ娘♂ヒイロンとしての振る舞い方がまるで体に染みついているかのように自然と出てくる。
そんな俺の頭の中では、魔女っ娘♂ヒイロンの衣装に身を包んだ理解さんが部屋の片隅で陰りを帯びた表情で佇んでいる。
はて? 俺は、いったい何を理解させられてしまったのだろうか…?
心なしか、会場の隅からこちらを見ているハルが邪悪な笑みを浮かべているようにも見える…。
そんなことを考えながらも会場の人々に笑顔を振りまいていると、イベントの司会を務めるリーゼントが口を開いた。
「それでは、ここで一日警察署長の和留津さんから一言頂きましょう。それでは和留津さん、お願いします」
すると、和留津はチラチラと俺の方を気にしながら戸惑いがちに小さく鳴く。
「…………わふ?」
「おや? どうされました? 打ち合わせの時はあれほど流暢に…」
「わんわんわんわんわん!!」
リーゼントの言葉を遮るようにして和留津がけたたましく鳴き始める。
どうした、和留津?
そんな中、困惑するリーゼントのところへ丹後さんが近付くと、何やら耳打ちをする。『普通の犬』だの『そういう設定』だの『ヒイロさんには秘密』だのという不穏な単語が聞こえてくる気がするが、きっと気のせいだ。
「えーっと…。と、いうわけで、和留津さんの挨拶でした。それでは、続いて熊六さんからも一言頂きましょう」
「『和風少女 魔女っ娘♂ヒイロン』が夏休みに公開予定なんだよ。是非、ご家族お誘いあわせの上で映画館に足を運んでほしいんだよ」
何を唐突に宣伝しとんねん。
心の中でそんなツッコミを入れつつも、俺は笑顔で手を振り続けるのであった。
改めて、俺はいったい何を理解させられたんだろう…?
「さて、名残惜しいですが、魔女っ娘♂ヒイロンと熊六さんとはここでお別れとなります。ありがとうございました」
そうして、盛大な拍手で見送られながら俺は会場を後にした。そのまま控室へと入ると、一足先に控室へと戻っていたハルが迎えてくれる。
「お疲れ様です、ヒイロ様。魔女っ娘♂ヒイロンとして実に完璧な振る舞いでした」
「………あ、うん。………じゃあ、もう着替えてもいいよね?」
「え…?」
ハル、残念そうな顔するのやめて?
着替え終わると、控室にあるロッカーの上からこちらを見下ろしているミーアの姿が目に入る。
ミーアは『熊、もういニャい?』とでも言いたげに警戒気味に部屋中を見渡すと、ロッカーから降りてきた。
そんなミーアを抱え上げて、控室の外で待っていたハルと共に会場へと戻る。すると、丁度何かのプログラムが終了したタイミングだったらしく司会のリーゼントが次のプログラムへと進行させていた。
「さて、和留津さんからの挨拶は以上です」
……? 和留津の挨拶はさっき終わったのでは?
そんな疑問を抱く俺の後ろでは、控室から続く廊下に隠れるように立っているモヒカンとカメンが無線機片手にリーゼントに対してサムズアップをしている。そして、正面中央に居る和留津の息がとても乱れている。
会場の人々から、『可愛らしい女の子だったわね』とか聞こえてくるのだが、きっと幻聴だろう。
当の和留津はというと、俺の視線に気付くなり、何かを否定するかのように一生懸命に首を左右に振り始める。
……何があった?
そして、何かを誤魔化すかのように尻尾を追いかけてクルクルと回り始めた。
犬のお巡りさん。カワイイ。
見事に誤魔化された俺のことはさておき、リーゼントの司会進行は続く。
「続いては、皆さんお待ちかねの110匹警察犬とのモフモフふれあいコーナーです」
現れたのは隊列を組んだジャーマンシェパード達。そのまま会場の中央まで移動するとキリッとした態度でお座りをする。
「……111匹居る気がするけど?」
抱えているミーアが『数えるの早いニャ…』と言いたげに俺を見上げている気がする。
それはともかくとして、先頭を歩いてきた一体だけが何故か警察官の制服に身を包んで立っている。
……というか、さっきから二足歩行している…。
「どうして一匹だけ二足歩行…?」
そんな風に少し遠い目をしながら疑問を呟いていると、そこにウィルと丹後さんが近付いてきた。
「彼女は捨て犬から警察犬を経て警察犬調教師にまで出世した犬界のホープらしいですよ」
「犬達の気持ちをよく理解できると評判の調教師らしいわ」
「だって、犬だもの」
そんな正直な感想兼ツッコミは勿論スルーだ。
「それよりも、魔女っ娘♂ヒイロンのPR、お疲れ様でした」
「これで映画も大ヒット間違いないわね、ウィル」
「そうですね。凄い反響がありましたからね。さっきも、偶然TV中継を見ていたハリウッドの映画監督から実写映画化のオファーが来て、急遽熊六さんが打ち合わせに向かったくらいですから」
熊が足早に会場を後にしたのは、それが理由か。
すると、ハルとウィルが何やらヒソヒソと話し始める。
「実写映画化の際には、ヒイロ様の衣装は私にお任せください」
「それは是非。ハルさんの能力を僕は高く買っているんですよ」
嗚呼、裏で何かの取引が進行している。
すると、俺達のところへと和留津が近付いてきた。それに気付いたウィルがその場にしゃがんで和留津の顎の辺りを撫でる。
「ふれあいコーナー中は和留津の休憩時間なんですよ。ヒイロさんも、今日の主役である和留津のことを労ってあげてください」
「わふ」
そんなわけで、俺もその場にしゃがんでミーアを降ろし、和留津の顎の辺りを撫でる。ミーアもその様子を見て、『ミーアも撫でれ』とでも言いたげにせがんでくるので、一緒に撫でる。
あ、お手々が幸せ(はぁと)。
幸せ気分に浸っていると、急に外が騒がしくなった。直後、何かがぶつかるような音と共にガラスが割れるような音が響き渡る。
「え、何!?」
「ヒイロ様、あれを」
ハルに促されて警察署のガラス張りのエントランスから隣のビルを見ると、その隣のビルのガラス張りのエントランスが破損しており、中に車が突っ込んでいるのが見えた。
「事故…?」
すると、その車から武装した集団が降りてきて、そのうちの一人が天井に向かって自動小銃を連射した。
その混乱の最中、隣のビルから逃げ出してきた人が警察署に駆け込んでくる。
「助けてください!」
「いったい何事ですか?」
ハルが尋ねると、駆け込んできた人が慌てながら答える。
「それが…、『バウンドドッグ』を名乗る武装集団がいきなり飛び込んできたんです」
ん? 猟犬ならぬ弾犬!?
「バウンドドッグが?」
ハルが隣のビルに視線を向けながら呟くと、ウィルが尋ねる。
「知っているんですか、ハルさん?」
「はい。『バウンドドッグ』は、公権力の下僕排除団体を自称する有名なテロ組織であり、私が所属する猫愛護団体『プリティキャット』とは相容れない存在です」
「うん? 相容れない以前に、同じ土俵にすら立っていないのでは?」
そんな俺の疑問は当然スルーである。
「そのメンバーは七年前の先代勇者による強制徴収によって多大なる損害を被った者達で構成されています」
「先代勇者の被害者!」
いや、だからといってこんなことをしていいわけではないのだが。
「そういった組織の性格上、基本的に公的機関をテロの対象としているはずなのですが…、今回はいったい何故民間のオフィスビルに…?」
ハルがそんなことを呟きながら訝しんでいると、隣のビル内では武装集団がこちらを指さしながら慌てるような様子をみせていた。
………。
あ、間違えたんだ…。
「まあ、何にしてもこのままにしておくわけにはいきませんね。早急に始末しましょう」
そうして動き始めたハルを警察犬調教師が引きとめる。
「待ってください」
「何でしょうか?」
「状況から考えて、彼等がこの警察署を標的にしていたのは明白。警察の威信を保つためにも、ここは我々にお任せください」
そう言って調教師が一声大きく鳴き声を上げると、ジャーマンシェパード達が彼女の前に整然と並んでお座りをする。
「今から、署長より大事なお話がある。心して拝聴するように!」
「「Yes,ma'am!」」
おいこら、喋るな。
「さあ、署長。ご命令を」
そんな調教師の視線の先に居るのは和留津だ。
「え? 本物の署長は?」
俺の疑問に対して調教師が不思議そうに答える。
「? 指揮系統の重複を避ける為、一日警察署長に全権限を委譲して有給休暇中ですが?」
「あれ? 一日警察署長ってそういうものだっけ?」
責任重すぎない?
「さあ、それでは改めて。署長、ご命令を」
困惑する俺を放置し、キリッとした表情で和留津が口を開きかける。しかし、何かに気付いた和留津はハッとした表情で俺の方を見た。そして、少し戸惑いを見せた後に一声鳴く。
「……わ…わふー!」
「署長からのご命令です。皆、行きますよ!」
調教師の掛け声に合わせて、他の犬達が全員右前脚を掲げる。
「「ワン、ワン、オー!」」
一斉に走り出すジャーマンシェパード達。真っ先に走り出したはずの調教師だったが、二足歩行で走っている為に次々と追い抜かれていく。
そうして隣のビルに突入していくと、武装集団との戦闘が始まった。
「この公権力の下僕共がー!」
なにやら叫び声と銃声、そして犬達の鳴き声が聞こえてくるが、程なくして静かになり武装集団は鎮圧された。
拘束された武装集団を引き摺りながら犬達が戻ってくると、調教師が一言。
「さすが署長。見事な采配でした」
和留津、何もしてないけどね。
「わふ」
でも、可愛いから許す。
こうして、所々で和留津の可愛さに誤魔化されながらも、俺は一日警察署長としての任を全うする和留津を最後まで見届けたのであった。