072 カベ ノ ナカ ニ イル
深夜、王宮内の倉庫。
そこに並べられた着ぐるみ、その一部がゴソゴソと動き始める。
「上手く王宮内に潜入できましたね」
そう言いながら立ち上がったのは一体の豹の着ぐるみ。その豹がそのまま出口へ向かって歩き始めると、その後ろにライオンとゴリラの着ぐるみが続く。
「そうだな、このまま目的の場所まで移動するぞ」
「了解だ、ボス」
倉庫を後にした着ぐるみ達は、辺りを警戒しながら王宮敷地内にある別の建物の前へと移動した。そして、物陰に隠れながらその入口の様子を窺う。
「さすがは特殊諜報局の本部。警備が厳重だな」
「さて、ここからどうやって中に入るか…」
ゴリラの発言を受けてライオンが首を捻っていると、豹が口を開く。
「私にお任せください」
そう言って豹がライオンとゴリラに触れると、その姿が忽然と消えた。そして、彼等が次に姿を現したのは特殊諜報局本部建物内の小さな物置部屋の中。
すると、ライオンが静かに豹を見つめる。
「…………初めから、これで王宮内に潜入すればよかったのでは?」
ライオンの率直な呟きに対して豹が一瞬硬直する。しかし、すぐに何事もなかったかのように部屋の出入口の方へと歩き始めた。
「さて、王国へ出向中のMs.Kからの情報によれば、王国が所有している神力石は特殊諜報局が保管しているとのことです。早速、探し出して回収しましょう」
「………そうだな」
何か納得いかない様子ながらもライオンが後に続くと、そこへゴリラが声を掛ける。
「待ってくれ、ボス、チーター…」
「どうしました? ボクサー猿人」
「俺は今……、壁の中に居る……」
振り返った豹とライオンの視線の先には、壁の中に半分めり込んでいるゴリラの姿。
「………『いしのなかにいる』では?」
「今問題なのはそこじゃないんだ、ボス」
そんな中、悲哀交じりに豹が呟く。
「ああ…、とうとう起こってしまいましたか、哀しい転送事故が…」
「「……え?」」
驚きのあまり二の句が継げないライオンとゴリラ。しかし、ハッと我に返るとライオンが問い掛ける。
「ちょっと待て、チーター。お前、こんな危険を認識したうえでこの術を使っていたのか?」
「ええ。転移先の詳細が把握できていない状況で使えば、いつかこういった不幸な事故が起きてしまうのではないかと危惧していました。王宮内への潜入に縮地を使わなかったのは、そう言った理由からなのです」
「だったら、何故今あえて使った?」
………。
一瞬の間。その後、何事もなかったかのように豹はゴリラの方へと向かう。
「そんなことよりも、今は一刻も早くボクサー猿人を助けましょう」
「おい、何故なんだ?」
追求しようとするライオンを無視して豹はゴリラへと近付くと、状況把握の為にゴリラの着ぐるみが繋がっている壁に視線を向けて探り始めた。
「なるほど…。命拾いしましたね、ボクサー猿人。どうやら、壁と融合してしまっているのは着ぐるみ部分だけのようです」
どうやら、着ているのが大き目のデフォルメゴリラの着ぐるみだったことが幸いしたようだ。着ぐるみの背中側だけが壁と融合しており、中の本体は辛うじて壁との融合を免れていた。
すると、豹がゴリラに手を翳す。
「それでは、本体だけを縮地で飛ばします」
「え? いや、やめろ。自分で出る」
「安心してください、ボクサー猿人。今は転移先の詳細も把握できていますので手元が狂うようなことはありません。…そう、たとえ先日、見知らぬメスゴリラと動物園デートしている貴方を目撃してしまっていたのだとしても、それを理由に手元が狂うようなことはありませんとも…。フフフッ…」
そんな不穏な発言に対してゴリラが慌て始める。
「なっ!? ま、待つんだチーター。誤解だ!」
「そうですか、沙蚕ですか…。それでは、転移先を釣り堀に変更して、魚の餌にでもなって貰いましょうか…」
「いや、違う。沙蚕じゃない!」
「そうですか、誤解ではありませんか…。それでは、転移先を大海原に変更して、サメの餌にでもなって貰いましょうか…。フフフフフ…」
「あれ? なんか詰んでる!?」
妙な威圧感を放ちながら笑っている豹を前に、ゴリラは弁解を続ける。
「違うんだチーター。あれは妹なんだ」
「今更何を。貴方には妹なんて居ないはずです」
「最近できたんだ」
「な…なんて見え透いた嘘を…。見損ないましたよ、ボクサー猿人」
豹はそう言うとゴリラの頬に平手打ちをかます。
「本当なんだ。信じてくれ、チーター」
それでも必死に訴え続けるゴリラを前にして、豹がわなわなと体を震わせる。
「どうしてですか…。あの時、世界樹の森で誓った愛は嘘だったというのですか?」
「嘘なんてない。俺はお前のことを愛している」
「どうして…。どうして私の目を見て言ってくれないのですか、ボクサー猿人…」
ちなみに、この言い争っている二人は両者共に着ぐるみを着用中だ。しかも、ゴリラの着ぐるみは壁にめり込んでいる関係で手足を動かせない上に、さっきの平手打ちによって頭だけがそっぽを向くような形となっている。
「いや、違…」
「言い訳など聞きたくはありません。貴方など転送事故にでも遭って、その一生を塀の中で終えればいいのですよ」
「やめろぉぉーーー!!」
次の瞬間、中身が失われたゴリラの着ぐるみが力なく垂れ下がり頭部が落下した。
ライオンの着ぐるみを脱ぎながら夫婦喧嘩の成り行きを見守っていたダンディライオンだったが、その光景を見るなり胸のポケットに刺したタンポポを弄り始める。すると、それが綿毛へと変化した。
「別離…」
悲哀を帯びた表情でそんなことを呟きつつ落下した頭部が地面を転がるのを目で追っていると、その先に恐怖に顔を歪め粗い息遣いで体を震わせながら打ちひしがれているボクサー猿人の姿を捉える。
ダンディライオンがその姿に同情を覚えていると、豹が着ぐるみの頭部を外しながら呟いた。
「……できない。私には、愛する貴方を殺すことなんて…」
チーターの瞳には、涙が浮かんでいた。
ダンディライオンは、そんなチーターの涙を見ると再び胸のポケットに刺したタンポポを弄り始める。そして、それが綿毛から花へと変化すると、周囲が優しい空気に包まれた。
「チーター。ボクサー猿人が言っていることだが、全て本当のことだ。お前が言っているメスゴリラというのはMs.Mの忘れ形見で、間違いなくボクサー猿人の妹だ。そして、お前が動物園だと思っているのは、最近移転したO2の新オフィスだ。営業部は外回りが多いから知らないのも無理はないかもしれんがな」
「え…? 本当ですか、ボクサー猿人…?」
「ああ。本当だ、チーター」
「そんな…。私としたことが…」
そう言ってチーターが目元の涙を拭うと、顔に施していた化粧が落ちた。
「俺様が間違っていたようだ、ボクサー猿人」
「いいんだよ、チーター。君に妹を紹介しなかった僕も悪かったんだ」
「許してくれるのか、こんな俺様を…」
「うん。僕が愛しているのは君だけさ、チーター」
「ボクサー猿人…」
そうして、チーターとボクサー猿人は熱い抱擁を交わした。その様子を見てダンディライオンが満足そうに呟く。
「フッ、真心の愛…」
そして、チーターが着ぐるみを脱いでボクサー猿人に化粧を直してもらったのを見届けると、出入口の方へと歩き始める。
「さて、それでは、そろそろ行こうか」
すると、それをボクサー猿人が引き留める。
「ちょっと待ってくれ、ボス」
「何だ?」
「さっき気付いたんだが、ここの床から空気が流れてくるようなんだ」
「空気の流れだと?」
その会話を受けて、チーターが一早く先ほどボクサー猿人が打ちひしがれていた場所の床を調べ始めた。
「…! 確かに空気の流れがあるようですね」
そう言いながら何かに気付くと、探っていた床の一部を持ち上げる。すると、そこには地下へと続く階段が隠されていた。
「隠し通路…?」
「どうしますか? ダンディライオン」
チーターに問い掛けられて少し考えるような素振りを見せるダンディライオンだったが、地下通路へと視線を向けると決断を下す。
「入ってみよう」
階段を下って石造りの廊下を進むと正面に扉が見える。警戒しつつもその中へと足を踏み入れると、列柱が立ち並ぶ開けた空間へと出た。その正面には立派な椅子が置かれており、その背後には冠を被った猫のマークが描かれたタペストリー。
「ここは…?」
ダンディライオンがそう呟いたのも束の間、別の扉の開く音が聞こえて咄嗟に視線を向ける。
そこから現れたのは丈の長い黒いコートを身に纏い、頭にフードを被った人物。その人物は顔の上半分を覆う白い仮面を身に着けており、その仮面の右目の目尻のところにはスペードをモチーフにしたと思われる黒い紋様が描かれている。
「特殊諜報局の局員…?」
「いや違う。あの胸元の冠を被った猫のバッジは…」
困惑気味に呟いたチーターの発言を受けてダンディライオンが何かを言い掛けた時、スペードの仮面の人物がダンディライオンを一瞥して軽く右手を振った。すると、そこに現れたのは一振りの剣。
一瞬の出来事に驚くダンディライオンが咄嗟に身構えるが、その次の瞬間には剣を構えたスペードが眼前へと迫っていた。
虚を突かれたダンディライオンだったが、辛うじて自らの爪でその剣戟を受け止める。しかし、そこへさらなる剣戟が襲い掛かる。
「ダンディライオン!」
「ボス!」
激しい剣戟を凌ぎ続けるダンディライオンに加勢する為、チーターとボクサー猿人がスペードへと襲い掛かる。
しかし、スペードは慌てることもなく今度は左手を軽く振る。すると、そこにもう一振りの剣が出現した。そして、襲い掛かってくる三体の珍獣達を両手の剣で難なく弾き返す。
スペードの猛攻は止まらない。ボクサー猿人が体勢を崩したのを見るや、立て直すよりも前に距離を詰めて剣を振るう。ボクサー猿人はそれを辛うじて躱すものの、そこへすかさず強烈な蹴りの一撃が加えられる。避けきれずに列柱の一本へと叩きつけられたボクサー猿人が呻き声を上げていると、スペードはその頭に向かって両手の剣を投げつけた。
ボクサー猿人が紙一重で躱すと、それが柱に深々と突き刺さる。
剣を投げたのを好機と見た残りの二人が反撃に出る。しかし、スペードが慌てることもなく両手を軽く振ると再びその両手に剣が出現した。
三対一であるにもかかわらず、スペードは余裕すらも感じられる動作で珍獣達を追いつめていく。
そんな中、接近戦は不利だと判断したチーターが距離を取った。そして、スペードに向けてその手を翳す。
チーターの動きに呼応してダンディライオンとボクサー猿人が離脱すると、スペードを中心にして半径数m程の範囲の地面が数m程の深さで消失した。
突如として地面が消失したことでバランスを崩すスペードだったが、慌てることなく着地の体勢を整える。しかし次の瞬間、消失した地面がそのままその頭上に出現した。
「潰れてしまいなさい!」
チーターの叫びと共に落下を始める岩塊。そのまま為す術もなく圧し潰されるかと思いきや、スペードは穴の底へ着地すると同時に上空へ向かって剣を構え直した。
刹那、上空の岩塊が粉々に切り刻まれて爆散する。
驚きのあまり動きの止まったチーターに向かって、穴から飛び出したスペードが一瞬で距離を詰める。
「な…、速…」
間一髪で剣戟を受け止めたチーターだったが、その勢いを殺しきることができずに壁へと叩きつけられた。そこへさらなる追撃を加えようとしたスペードの背後にボクサー猿人が迫る。しかし、彼の一撃は躱されて床を打ち砕くのみに終わった。
そこへ、すかさずスペードによる反撃。そこから続く連撃を何とか凌ぎ続けるボクサー猿人。チーターとダンディライオンも加勢するが軽くいなされてしまう。
その実力差に焦ったダンディライオンが一旦距離を取ると、胸ポケットのタンポポへと手を掛ける。
「獅子歯牙!」
タンポポの花弁が一枚ずつ飛び出すと黒い靄を纏いながら牙を形成、その牙がスペードを捉えると一斉に襲い掛かる。その時、スペードが急にバックステップで距離を取った。
好機と捉えたダンディライオンがそのまま追撃しようと思考を巡らせる。しかし、ふと背後に微かな殺気を感じ取って振り返った。
そこには丈の長い黒いコートを身に纏い、頭にフードを被った別の人物が迫っていた。
その人物は顔の上半分を覆う白い仮面を身に着けており、その仮面の左目の目尻のところにはクラブをモチーフにしたと思われる黒い紋様が描かれている。
次の瞬間、クラブの仮面の人物が両手で構えていた棍棒を振り下ろした。
とてつもない衝撃と共に周囲に土煙が舞い上がる。
「完全に隙を突いたつもりだったのですが、躱されてしまいましたか…」
クラブが呟きながら視線を向けた先には、辛うじて攻撃を躱したダンディライオンの姿。
「チッ。もう一人居たか…。だが、どうして幻影道化師の連中が特殊諜報局本部に居やがる…?」
ダンディライオンが苦々し気に呟いたそれは、特に相手に問い掛けるような意図はなかった。しかし、それにクラブが反応を示した。
「おや、私達のことを御存じですか」
「…! ハッ、O2だって裏の世界で活動しているんでね。裏社会の動向には注意を払っているさ」
「なるほど、そうですか…」
淡々と呟くクラブに対して、ダンディライオンが探りを入れるようにして尋ねる。
「……それで、お前達はこんなところで何をしている? 地下にこんな施設があるくらいだ、俺達と同じくここに潜入してきた…というわけではないんだろう?」
すると、クラブが口元に微かな笑みを浮かべた。
「まあ、いろいろと難しい事情があるのですが…、それはあなた達が知る必要のない事です」
クラブは地面に叩きつけていた棍棒を持ち上げると、その先端をダンディライオンへと向ける。その棍棒は特殊な形状をしており、先端には無数の爪のような白い刃が生えている。何かに例えるとするならば白詰草の花だろうか。
「ですが、ここを見られてしまった以上、そのままお帰り頂くのは些か都合が悪い…。あなた達には、この『赤爪草』の露となって頂くとしましょう」
その発言にダンディライオンが皮肉交じりに応じる。
「ハッ、赤色には見えんがな?」
「ご安心ください…」
すると、クラブは口元に浮かべていた微かな笑みを消して冷たい声色で呟いた。
「直ぐに赤く染まりますので」
その発言と同時に一足飛びでダンディライオンとの距離を詰めて棍棒を振るう。
ダンディライオンは咄嗟に反応して直撃こそ免れる。しかし、その頬には掠り傷が刻まれていた。
棍棒を構え直したクラブを警戒しながらダンディライオンは反撃の構えをみせる。そこへ、スペードの攻撃を凌ぎながらボクサー猿人とチーターが集まってきた。そして、敵を牽制するようにしながら背中合わせ状態になると声を掛ける。
「どうするボス。こいつら、強いぜ?」
「一人でも厄介だったというのに、さらにもう一人…。形勢は不利です」
「ああ、そうだな…」
その時、その場にスマホの着信音が鳴り響いた。ダンディライオンが周囲への警戒を維持したまま片手でスマホを取り出してその画面をチラ見する。
「…Ms.Kからの連絡だ。『王国内に陰謀の気配あり。暫く様子を見る』、だそうだ」
「もう少し早くその情報を貰いたかったものですね…」
「そうだな。だが、今ここでそんなことを言っても始まらん。ここは一旦引くぞ」
「了解だ、ボス」
ダンディライオンとボクサー猿人が目の前の敵への警戒を続けつつも出口の方に意識を巡らせる。その時、チーターが二人の肩に手を置いた。
「わかりました。それでは、直ぐにでも私の縮地で離脱しましょう」
「「……え?」」
そうして、恐怖と驚愕が入り混じった表情で振り返った二人と共に、チーターはその場から姿を消した。
***
朝起きて、ガチャで当たったタワシをタワシゴーレムにお供えして、タワシゴーレムがそれに気を取られている隙にミーアと共に部屋を抜け出る。
そうして部屋を出ると、オーギュストさんの部屋の前にセバスさんが立っているのが見えた。
「あれ? セバスさん?」
「おや、ヒイロ様。おはようございます」
「おはようございます」
そうして挨拶を交わすと、セバスさんはふと何かを思い出したように口を開く。
「ああ、そういえば。先日、ヒイロ様が保護された赤ん坊ですが、調査の結果、誘拐されていた子供だということが判明しました」
「えっと…? 子得ノ盗に…誘拐…されてましたね…?」
今更、そんな事実確認をされても?
「申し訳ありません、誤解を招く言い方でしたな。あの子供は子得ノ盗が攫う前に既に人身売買組織に誘拐されており、そこで酷い扱いを受けていたようでして、子得ノ盗はそれを見かねて子供を攫ったようです」
子得ノ盗、実は子供好きなんじゃね? …いや、でも、それをキャベツ畑に忘れていくような奴等だな…。
「というか、この国、人身売買組織なんてあるんですね…」
「あ、ご安心ください。その人身売買組織の拠点には既に特殊諜報局(SPINA)の局員を向かわせて秘密裏に処理しましたので」
「警察を向かわせて合法的に処理してもらえませんかね?」
「赤ん坊が寝ていた籠の底に子得ノ盗の誘拐対象調査書が残っており、それに人身売買組織の規模から拠点の場所まで詳細に記載されていたことで迅速に対応することができました」
子得ノ盗の調査能力よ…。
「…それで、結局あの子は今どうしているんですか?」
「御心配には及びません。あの赤ん坊は今は信頼のおける施設に預かってもらっております。実の両親も見つかりましたので、近いうちに親元へ帰すことができるでしょう」
「…そうですか、それならよかったです。……わざわざそれを伝えにきてくださったんですか?」
「ああ、いえ。そういうわけではなく、実はオーギュスト様に用事がありここまで足を運んだのですが、どうやら不在のようです」
「オーギュストさん、部屋に居ないんですか?」
「はい」
するとその時、廊下の向こうからトボトボと歩いてくるオーギュストさん(本体)の姿が見えた。車椅子は使っていないので、どうやら腰の方はもう治ったようだ。
「あ、噂をすれば」
「おや、あんなところに」
すると、オーギュストさんがこちらに気付くなり近付いてきた。
「どうしたんですか、オーギュストさん。なんだか元気なさそうですけど?」
「………ヒイロよ、儂の精神体を見ておらぬか?」
「え?」
「儂の精神体じゃよ。見ておらぬか?」
「えっと…、いや、見てませんけど…、どうかしたんですか?」
そう尋ねると、彼は深刻そうな表情を浮かべる。
「実は、昨日儂の代わりに初めてのおつかいに出ていったっきり戻ってきておらんのじゃ。儂はもう、気が気でなくてのぅ…。一晩中、こうして探しておるのじゃが、一向に見つからぬのじゃよ…」
「へぇ……?」
見つからないと何か困るのだろうか…?
そんな正直な感想を抱きつつも、ふと疑問が湧いてくる。
「えっと……。そもそもの話として一つ訊きたいんですけど、オーギュストさんは幽れ…あ、いや、精神体(?)の方と体の方と、いったいどっちがメインなんですか?」
俺のその発言を聞くや否や、オーギュストさんは驚愕と悲哀が入り混じったような表情を浮かべた。
「何を言っておるのじゃ、ヒイロ…。お主、今まで儂等のことをそんな目で見ておったのか…? 儂等は、それぞれにしっかりとした自我を持った一個人じゃよ」
病み上がりの理解さんに負担をかけるのはやめてほしい。俺の頭の中では、放心状態の理解さんの頭から透き通った何かが今にも抜け出ていきそうになっている。
そんな中、オーギュストさんが項垂れながら呟く。
「もしもこのまま精神体が見つからなんだら、儂はいったいどうすれば良いのじゃ…」
「あるべき姿に戻るだけでは?」
「な…、なんという酷いことを言うのじゃ、ヒイロ。彼奴が半透明で存在感が薄いからといって、居ても居なくても関係ないとでも言うつもりなのか?」
むしろ、体の方に劣らぬ程の存在感を放っていらっしゃいましたが?
「ヒイロ。お主がそんな見た目で人を判断するような奴じゃったとは…。お主も所詮はその程度の中身の無い薄っぺらな男じゃったということなんじゃな!」
どうして俺、ディスられてんだろう…?
オーギュストさんの剣幕に困惑していると、ふとカイの部屋の扉が少しだけ開いていることに気付く。その隙間からはその部屋の住人がこちらを覗いていた。
「ヒイロ、お前…。もう一人のオーギュストからは生皮を剥げないからって、大事な仲間に対して興味無さすぎやしないか?」
いきなり話に割り込んでくるんじゃねぇよ、ポンコツ勇者。
そんなカイに苛立ちを覚えていると、彼は憐憫の表情を浮かべながら部屋から出てきた。
「お前がそんな奴だったなんて…。見失ったぜ、ヒイロ!」
「だったら、お前は今誰に話し掛けてるのかなぁ?」
見損なえよ。……いや、見損なわないで。
すると、カイは冷たい視線を向けている俺のことを放置してオーギュストさんへと声を掛ける。
「オーギュスト、俺はお前達の味方だ。誰かと違って見捨てたりなんてしないぜ!」
「おお、カイよ。お主はなんていい奴なんじゃ。どこかの誰かにも見倣ってもらいたいものじゃ」
………。
チラチラとこちらを見ながらそんな会話を交わしている二人に苛立ちを覚えつつ、俺は足元のミーアに癒しを求めるのであった。
「それで、オーギュスト。お前、相方のオーギュスト…ややこしいな。そうだな、幽霊のオーギュストだから霊ギュストでいいや。霊ギュストとは連絡が取れないのか? 無線式に進化したとはいっても繋がりはあるんだろ?」
なんか命名された…。
「それなんじゃが…。さっきも言うた通り、儂と霊ギュストとは完全に別人格なのじゃ。有線時代から定期交信はしておったものの、あの時は初めてのおつかいチャレンジの為に、あえて交信を絶っておってのぅ…」
なんか定着した…。
「なるほど…。確かに初めてのおつかいで保護者がでしゃばるのは良くないからな…」
だから、保護者どっちだよ。
「くぅ…。こんなことになるんじゃったら、バルザックなんぞと戯れておらずに儂がおつかいに行くべきじゃった…」
悔やんでも悔やみきれないといった雰囲気で言葉を絞り出すようにして呟くオーギュストさん。
そこへ、何かを考えるような素振りを見せながら聞いていたセバスさんが問い掛ける。
「……オーギュスト様は、昨晩、霊ギュスト様の身に何が起きたのかについて全く把握されておられないのですか?」
「…何じゃ? お主、何か知っておるのか?」
その何か含みのあり気な物言いにオーギュストさんが問い返すと、セバスさんは深刻な表情を浮かべた。
「………ここだけの話ですが、実は昨晩、特殊諜報局の本部に侵入者があったのです」
「侵入者じゃと?」
「はい。侵入者の正体は調査中ですが、その侵入経路については判明しておりまして。どうやら、近く行われる演劇の稽古の為に軍の精鋭達が着ぐるみ姿で王宮入りした機に便乗したようなのです」
この国の危機管理体制、いいかげん見直した方が良いと思うよ?
呆れながら遠くを見つめていると、カイがセバスさんへと問い掛ける。
「そんなこと、どうしてわかったんだ?」
「特殊諜報局本部内に、侵入する際に使用したと思しきゴリラとライオンと豹の着ぐるみが残っておりました」
「何だって!? また連続皮剥ぎ殺人事件の犠牲者が出ちまったのか!?」
おい、ポンコツ勇者。事件の内容が変わってる。そして、俺に疑惑の視線を向けるな。
苛立ちを覚えていると、セバスさんはカイを無視して話を進める。
「ここからが私がオーギュスト様を探していた理由にも繋がるのですが、軍の精鋭達が着ぐるみを仕舞う為に倉庫へと移動した後、霊ギュスト様も同じ倉庫へ向かわれたとハルから聞きまして…。それで、霊ギュスト様は最期にオーギュスト様に対して何か犯人の正体に繋がるようなメッセージなどを残してはいないかと…」
「さっきも言うたが、儂は何も知ら…ぬ…。む?」
すると、途中で何かに気付いたオーギュストさんの表情が曇っていく。
「”最期”とは、どういう意味じゃ…?」
その問いに、セバスさんの表情も曇っていく。そして、少しの沈黙の後、その重たい口を開いた。
「………大変申し上げにくいのですが、倉庫の近くの廊下に霊ギュスト様が取りにいったという馬の着ぐるみが落ちているのが発見されました」
「何じゃと? それで、霊ギュストの奴は…?」
縋るように尋ねるオーギュストさんに向かってセバスさんは首を横に振る。
「残念ながら、霊ギュスト様の姿はそこにはありませんでした…。状況から考えて、おそらく…」
「そんな…。 まさか霊ギュストの奴、その侵入者共と鉢合わせて…?」
なにやら最悪の場面を想像したらしいオーギュストさんの顔に絶望の色が浮かぶ。しかし、直ぐにそれを打ち消すようにして首を振り始めた。
「いや、信じぬ。儂は信じぬぞ。彼奴の遺体でも見つからぬ限り、儂は彼奴が生きておる可能性を捨てはせぬ」
『オーギュストさんの遺体』になり得る可能性を秘めたものなら、俺の目の前でぴんぴんしていますが?
よくわからない状況に放心していると、セバスさんが口を開く。
「これは失礼いたしました。確かに、少しでも可能性があるうちは希望を捨ててはいけませんな」
そこへ、カイが焦りの表情を浮かべながら呟く。
「何にしても、霊ギュストを殺した犯人がまだ王宮内をうろついている可能性があるってことだよな…?」
殺し…? 幽霊(?)を…?
混乱し始めた俺を放置し、カイは何か思案し始める。
「…いや、待てよ? …そういえば、その犯人達はヒイロに毛皮を剥がされているんだよな?」
「本文に含みを持たせるのはやめてくれないかな?」
「だったら、そいつらは既に丸裸になっているはず…」
「無視か?」
「つまり、もう一度ヒイロの特殊能力で皮を剥いでみて、それで皮を剥げなかった奴が犯人ってことじゃないのか!?」
「勝手に人に変な特殊能力つけないで!?」
そんな俺の切実な叫びなど聞こえていないかのように、カイは素敵な笑顔を俺に向ける。
「よし、ヒイロ。出会った奴の皮、片っ端から剥いでいけ!」
「常識的にアウトだよ!」
すると、カイが諭すようにして語り掛けてくる。
「何言ってんだ、ヒイロ。今は非常事態だ。そんな常識という名の壁の中に囚われていては生き残れないぜ」
その時、俺の頭の中では、理解さんの前に塗り壁のような姿をした常識さんが立ち塞がっていた。
「とある偉人はこう言った。『常識とは十八歳までに身に着けた偏見のコレクションのことである』、と」
アインシュタインかな?
「お前は『教育』という名の洗脳によって、それが常識だと思い込まされているだけなんだ」
切々と語りかけてくるカイの言葉に何か気付きを得たのか、理解さんが壁のように立ち塞がる常識さんへと立ち向かう。しかし、常識さんの壁は厚く、理解さんがあっけなく弾き返された。
「イノベーションってのは、いつの時代も常識に囚われない柔軟な発想から生まれるものなんだぜ」
地に倒れた理解さんだったが四肢に力を込めると再び立ち上がり常識さんと向き合う。
「ヒイロ。常識という名の壁を打ち破ってその壁の中から抜け出せば、きっとお前にも素晴らしい未来が待っているはずだ」
カイの熱い想いに触発されたのか、理解さんが闘志を燃やしながら再度常識さんへの突撃を試みる。
「さあ、今こそ常識という名の壁を打ち破るんだ! ヒイロ!」
そして、ついに理解さんが常識さんという名の分厚い壁を打ち破った。
「と、いうわけでヒイロ。まずは、そこの部屋で惰眠を貪ってるバルザックの皮から剥ぎにいくぞ!」
「よし、望むところだ!」
俺の頭の中では、地に伏せる常識さんの隣で理解さんがガッツポーズをしている。
そうしてカイと共に嬉々とした表情でバルザックの部屋へ向かって進んでいると、俺の足にミーアがしがみついてきた。そして、何かを懇願するような差し迫った表情を俺に向けながら一生懸命に首を左右に振り始める。そんな彼女の瞳は、『ボケに行かにゃいで!』とでも訴えかけているかのようだった。
フッ、邪魔をしてくれるな、ミーア。今こそ俺は常識という名の分厚い壁を打ち破って、新たな世界への扉を開くんだ。
そんなことを考えながら、バルザックの部屋のドアノブに手をかける。
そして、俺はとうとう新しい世界の扉を………。
「………って、ちっがあぁぁぁう!」
「どうしたんだヒイロ。急に叫んだりして…?」
「いや、なんだか妙な雰囲気に騙されそうになったけど、常識の壁、打ち破っちゃ駄目だろ!」
そんなことを叫びながら頭の中の理解さんに意識を向けると、彼には何か糸のようなものが繋がっており、その先にはその糸を操っている怪し気な影…。
何このマインドコントロール…。怖ッ!
そんな恐怖を覚えつつも、正気に戻った理解さんは自らに繋がる糸を断ち切ると、常識さんの補修工事を始めた。
そんな中、カイが再び語り掛けてくる。
「もう一度よく考えるんだ、ヒイロ。お前、漸く合法的に皮を剥げる機会が巡ってきたっていうのに、常識なんていうものに縛られて、それを棒に振る気か?」
「おい、マインドコントロールはもうヤメロ」
理解さん、そいつの言葉に耳を貸してはいけませんよ。
「なあ、ヒイロ。連続皮剥ぎ殺人犯の操作をする為には、お前の協力が必要なんだ」
「だから、本文に含みを持たせるな。ていうか、どうしてお前は俺を操る気満々なんだよ」
いっそのこと、理解さんが今補修している壁の中にこいつを塗り込んでやろうか。
そんなことを考えつつ脳内の理解さんに意識を向けると、左官作業中の理解さんの正面にある塗り壁の中から、黒い手がだらんと垂れ下がった。すると、理解さんは慌ててそれを壁に押し込むと念入りに壁に塗りこめ始める。
さすが理解さん、行動が早い。
………いや、そうじゃない。
どうしよう、俺の脳内劇場がサスペンス劇場に変わっていく…。
俺が脳内サスペンスに気を揉んでいると、オーギュストさんが不満気に視線を向けてきた。
「霊ギュストの行方の手掛かりを掴む為にも、一刻も早く犯人を見つけなければならぬというのに…。やはり、お主はそういう男なのじゃな、ヒイロ…」
「オーギュスト様。何者かの侵入を許すという失態を演じてしまった我々ではありますが、それを巻き返す為にも、特殊諜報局の総力を挙げて霊ギュスト様の捜索にあたるとお約束いたしましょう」
「冷徹なヒイロと違って、俺も協力するぜ!」
「おお、こんな良き仲間を持って儂等は幸せじゃ…。今も壁に囲まれた小さな部屋の中で儂等の助けを待っておるに違いない霊ギュストの奴を、一刻も早く助け出してやらねばな…」
………。
いや、あいつ、壁抜けできるやん?
俺の脳内では、常識さんという壁の中からするりと抜け出ていった黒い影を理解さんが呆然と眺めていた…。
白詰草の名前の由来だが、江戸時代にガラス製品を輸入する際に緩衝材として詰めていたことから詰草と呼ばれるようになったとか。ちなみに、赤詰草も存在する。
===
イメージ画像(常識を打ち破れ)
白狐 「ヒイロを動かしたければ、まず理解さんから攻略しろ」
ヒイロ 「やめて」
===
白狐 「O2の珍獣達。左からダンディライオン、チーター、ボクサー猿人」
ヒイロ 「こいつらはミーアのコスプレじゃないんだ」
白狐 「人間じゃなくてデフォルメアニマルならギリギリ描ける」
ヒイロ 「ああ、そう」
白狐 「さて、こいつらですが、獣寄りの獣人です。その為、基本的な体つきは人に近いが、頭部は獣、全身が毛に覆われており、脚の形状は獣寄り(要するに、割とつま先立ち。ズボン穿いてるからわからないけど)」
ヒイロ 「ゴリラも?」
白狐 「ボクサー猿人も一応獣人です。でも、ゴリラとの差異は…有るのか…無いのか…どうなんだろう…?」
ヒイロ 「ふーん」
白狐 「あと、獣寄りの獣人の手について簡単に説明」
白狐 「左が獣の手(参考:ミーアの前足)。右が獣寄りの獣人の手。基本的に形状は人間の手に近いが、肉球が有ったり毛に覆われていたりする。爪の出し入れが可能かどうかは元になった動物に依存する」
ヒイロ 「へー。……で、さっきから気になってるんだけど、チーターってシルクハットとステッキなんて持ってたっけ?」
白狐 「いや、なんか描いてたら持たせたくなったものだから、つい…」
ヒイロ 「あと、ボクサー猿人のシャツ!」
白狐 「いや、描いてたら空白に耐えられなくなって、つい…」
ヒイロ 「本編で俺はこんな最大のツッコミどころ見逃してんの!?」
白狐 「後出しだし、しゃーない」
おまけ
O2のシンボル
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プリティキャット改めファントムクラウンのシンボル