063 ゴハン? オフロ? ソレトモ…
「なあなあ、聞いてくれよヒイロ」
漸く王都へと到着し王宮へと向かって走る車内にて、さっきからワルツと遊んでいたカイが声を掛けてきた。
「何?」
「ワルツの奴、凄く頭が良いんだ」
「ああ、うん。賢そうな顔してるもんね」
ワルツは愛くるしい顔なれど、どこかキリッとした顔立ちでとても利発そうなワンコなのだ。
「こいつ、文字が読めるみたいなんだ」
「え? いや、さすがにそれは言い過ぎだろ」
「そんなことないって。よく見てろよ、ヒイロ」
そう言うと、カイが紙に文字を書いて掲げた。そこには、『1』と記載されている。
「ワルツ、これはなんて読む?」
「One」
続いて、カイが『椀』と書かれた紙を掲げる。
「これは?」
「わん」
続いて、『湾』。
「わん」
さらに、『腕』。
「わん」
「よし、こっから少し難しくなるぞ」
そう言って掲げたのは『Wide Area Network』と書かれた紙。
「これを略すと?」
「WAN」
「ほら、賢いだろ?」
「むしろ、お前が小賢しいよ」
すると、俺が向ける冷たい視線などお構いなしにカイは続ける。
「信じてないな、ヒイロ。よし、わかった。もっと見せてやるよ」
そう言って、カイが『can』と書かれた紙を掲げる。
「ワルツ、これも読めるよな?」
「キャン」
続いて、『和音』。
「わおん」
さらに、『和風』。
「わふぅ」
……あれぇ?
なにやら不穏な気配を感じながら遠くを見つめる俺のことは一切気にすることもなく、カイは自分自身を指さす。
「よし、だったら俺の名前は?」
「カ…」
!?
何かを言い掛けたワルツに驚いて思わず視線を向けると、ワルツもそれに気付いてピタッと急停止した。
「………わふ?」
「ちょっと難しかったか?」
視線を逸らしながら何かを誤魔化すように首を傾げてみせるワルツに対して、カイが何事もなかったかのように応じた。
お願い、やめて。確かに、この世界の動物達はみんなして勝手に喋り出すけれど、俺はワルツには普通のワンコでいてほしいんだ。
そんな切実な想いを抱いていると、カイがスマホを取り出す。その画面には誰か知らない人が映って『どうも、こんにちは~』とか言いながらこちらに手を振っていた。
「それじゃあワルツ、この人の名前だったらわかるよな?」
「いや、誰だよ!?」
会ったこともない人物との突然のテレビ電話に困惑していると、ワルツが鳴く。
「喜屋武」
「正解だワルツ。この人は、沖縄でサトウキビ農園を営んでいる喜屋武さんだ」
「知らねぇよ」
「何だヒイロ。まだ納得いかないのか? だったら、次は台湾でパイナップル農園を営んでいる王さんに…」
「もういいです」
そんなやり取りをしている間にも王宮に到着したらしく車が停止した。
「到着したッスよ」
「ありがとう、スリップ。さて、まずはアレックスへの帰還の挨拶と報告に行かないとね」
そう言いつつ車を降りるウォルフさんに俺も続く。
さて、ここで恒例の『ウォルフの間違い探しコーナー』だ。
今日のウォルフさんだが、今日はいつもの帽子を被っていない。それなのに何故か帽章だけを髪留めのように身に着けている。
おい、ちょっと無理があるだろ。
心の中でそんなツッコミを入れている俺の後ろをミーアとワルツが追いかけてきて、それに続いてカイとハルも降りてくる。
そして、オーギュストさんの本体が幽霊に手を借りながら車から降りてきた。すると、降り終わったところで幽霊が振り返りながら車の中に声を掛ける。
「バルザック、お主も早…く…」
そこまで言いかけて、幽霊が表情を歪めて絶句した。
車の中を覗き込むと、そこには死相を浮かべてぐったりと椅子にもたれかかっているバルザックの姿。その角から生えた茸は幾重にも枝分かれし、鹿の角のようになっている。
移動中、それまでその場で足踏みを続けていたバルザックが急に椅子に座り込んだかと思えば、急速に角…じゃなかった、茸が成長し始めた、なんていう光景がちらほらと視界に入ってきてはいたんだが、やっぱりスルーしちゃだめだよね。ここは一つ、はっきりと言っておかないといけない。
随分と変わった形の茸だな!
足元のミーアが『問題はそこじゃニャいよ?』とでも言いたげな瞳で俺を見上げている気がする…。
「………イ、イメチェンしたのじゃな、バルザック…」
「な、なかなか似合っておるぞ…」
オーギュストさん×2が俺の視線を気にしながら誤魔化すようにそんなことを呟くと、バルザックがゆらりと立ち上がって歩き出す。ニチャアという笑顔がとても素敵だ…。
一方、俺の頭の中では理解さんがチラチラと部屋の片隅を気にしていた。その視線の先には、いつの間にか俺の頭の中に住み着いた現実さんの姿。その手には、相変わらず茸が握られている。
そろそろ、俺も現実と向き合うべきだろうか…?
だが、理解さんはチラチラと視線を送るだけで動こうとしない。どうやら、現実さんと向き合う覚悟ができていないようだ。
そんな風に現実に向き合う決意ができずに佇んでいると、近くをウルフファング隊の隊服を着た女性が通りかかった。
「あら、ウォルフじゃない。戻ってきてたのね」
「エリサ。ちょうど今戻ってきたところなんだ」
声を掛けてきたエリサさんにウォルフさんが応じる。
「君は仕事が終わったところかい?」
「ええ、これから帰るところだったの」
そんな会話を交わしつつ、エリサさんはウォルフさんの頭に視線を向けると、困惑したような表情を浮かべる。
「…えっと…。ウォルフ…、髪に帽章が………絡まってる…わよ…?」
「え? あ、本当だ。うっかりしていたな」
諦めないで、エリサさん。どうツッコんだらいいかわからなかったからって、絡まってるというのは無理がありますよ。
ウォルフさんの頭に手を伸ばして帽章を外すエリサさんを遠い目をして見つめながら、そんなことを考える。
「取れた」
「ありがとう、エリサ。やはり自分は、君がいないと駄目だな」
ウォルフさんはそう言いながら、エリサさんの手を両手で握った。
「もう、ウォルフったら」
とりあえず、いちゃつくなら余所でやれ。
「あ、そうだ、ウォルフ。今日は家に帰ってこられるのかしら?」
「ああ、エリサ。この後報告があるけれど、それが終わったら帰れるよ」
「そう。それなら、久しぶりに二人きりでゆっくりできるわね」
「そうだね、エリサ」
「昨日、良いひよこ豆が手に入ったの。あなたの好きなファラフェル作って待ってるから、早く帰って来てね」
「ああ、早く帰るよ」
そして、俺達とも軽く挨拶を交わしてエリサさんは去っていった。その様子を見送りながら、カイが難しい顔を浮かべる。
「なあ、ヒイロ…」
「何?」
「お前、いつの間にエリサをそっちの道に引き摺り込んだんだ…?」
「は? 何の話をしてるんだ?」
急に訳のわからないことを言い出したカイは、恐怖が入り混じったような瞳で俺の様子を窺う。
「腹減るを作るって…。食事を与えず骨と皮だけにしようだなんて、生皮をこよなく愛するお前の影響を受けたとしか思えないじゃないか」
「ファラフェルだよ! 主にひよこ豆なんかを使って作るコロッケみたいな料理のことだよ!」
そんな俺のツッコミに対し、カイは憐れむような瞳を俺に向ける。
「…そうか、剥ぎ取る以外の方法で生皮を手に入れようとしているエリサは、お前からしてみたらまだまだヒヨッコみたいなものなのか…」
「聞けよ、人の話!」
カイの発言に苛立ちを覚えつつも、俺達はアレックスさんの執務室へと向かった。
そこで待っていたのは首相のアレックスさんと防衛大臣のカミーユさん。すると、ウォルフさんが報告を始める。
「――なるほど…、アカシックゲートになんらかの恣意的な力が働いている可能性がある、と…」
「大公国がハイドラゴンに匹敵するほどの力を手に入れたとなれば、由々しき事態ね…」
報告を受けてアレックスさんとカミーユさんが深刻な表情を浮かべる。
「しかも、非常に間の悪いことに次の担当が帝国とは…」
「そうね…。もし仮に帝国がなんらかの強大な力を手にしようものなら、真っ先にその矛先を向けるのは直近に辛酸を舐めさせられた魔国か、それとも因縁深い私達王国か…」
「因縁?」
カミーユさんの発言を受けてふと疑問を抱いて呟くと、アレックスさんがこちらに視線を向ける。
「ああ、ヒイロさんはご存じありませんでしたね…。王国と帝国はその昔一つの同じ国だったんですよ…」
そうして説明を始めたアレックスさんによると、嘗てこの辺りには一つの巨大な帝国が存在していたらしい。現在の帝国と区別する為に旧帝国と呼称されるその国は、百年ほど前に突如として崩壊した。
その旧帝国が分裂してできたのが、現在のレニウム王国とビスマス帝国、そしてガリウム大公国とスカンジウム連邦なのだそうだ。
レニウム王家はこの旧帝国の皇族の血筋に連なっており、旧帝国崩壊後も周辺諸国に対して一定の影響力を保ち続けているのだという。
しかし、それを面白く思わないのが、旧帝国崩壊時点ではビスマス王国と名乗っていた現在の帝国だ。旧帝国が崩壊した直後こそ、同時期に魔国のトップに就任した先代魔王による侵攻に対抗する為に各国と共同歩調をとったものの、魔国の侵攻が一時的に下火になると、自分達こそが旧帝国の正当な血筋であると主張し始め国の名前もビスマス帝国へと改めたそうだ。
……。
「いや、帝国の皇帝って首脳会議に来てたペンギンですよね…? 正当な血筋も何も、そもそも人ですらないじゃないですか…」
説明を聞いて呟いた俺のことを、アレックスさんが不思議そうに見つめてくる。
「旧帝国の歴代皇帝はペンギンでしたし、特におかしなことは無いと思いますが?」
「だったら、この国の王家が正当な血筋じゃないですよね?」
いつもの癖でつい思ったことを口走ると、アレックスさんが慌て始める。
「なっ! ヒイロさんは王家の正当性に疑義を唱えると仰るのですか?」
あの国王、名前からして胡散臭いじゃん?
ついそんなことを口走りそうになるが、さすがにこれ以上はまずいような気がして思いとどまる。すると、アレックスさんが俺に言い聞かせるようにして説明を始めた。
「いいですか、ヒイロさん。確かにこの国の王家はヒトであり、旧帝国の皇族はペンギンでした。しかし、ペンギンは漢字で『人鳥』とも書きます。つまり、人と人鳥との間には、『鳥』一文字分の差しか無いということです」
「その一文字に越えられない壁があると思うのは俺だけですか?」
そんな俺の発言は当然の如く黙殺される。
「何にしても、この百年ほどの間、魔国による侵攻が下火になる度に王国と帝国は大公国も巻き込んで小競り合いを繰り返しているわけです」
「うん、ペンギンが気になって、もうその話はどうでもよくなっちゃいましたよ?」
すると、そんな俺を無視しつつアレックスさんが軽く溜息を吐き、頭を抱えてみせる。
「そんな訳で、次のアカシックゲートの儀式で帝国が何らかの力を得るようなことがあれば、真っ先に我々王国にその矛先を向けるでしょう」
「ペンギン…」
そして、アレックスさんは深刻な表情を浮かべながら続ける。
「しかし、今回は小競り合いなどというレベルで済むかどうか…」
「どういうことだい?」
ウォルフさんのその問い掛けにアレックスさんが答える。
「そもそも、儀式の件が無かったとしても最近の帝国内には不穏な動きがあるようでね。帝国に潜入している諜報員からの情報によれば、どうも、秘密裏に戦争の準備を進めているようなんだ…」
「戦争の準備を…?」
「さらに、国内の一部の貴族達との接触を図っているようで、実際、既に帝国と通じていたと思われる貴族が検挙されています」
「なるほどね。貴族達との間に燻っていた火種が、ここにきて火を噴いたということか…」
「性急に事を進めすぎてこのような火種を残してしまった点は反省しないといけませんね…。確実に息の根を止める準備ができるまで、機を窺うべきでした…」
なにやら物騒な話になってきている気もするが、背景を理解していない俺は完全に置いてけぼりである。
と、まあそんなわけで、話の理解に努める為にも隣のハルにこっそりと尋ねてみる。
「ねえ、ハル。貴族達との間の火種って何?」
「そうですね…。まず、この二十~三十年ほどの間、この国では君主政から貴族政、そして民主政へと転換が進んでいました。それでも前政権までは貴族優位の政治が続いていたのですが…、なんといいますか貴族中心だった前政権が数々の失態を演じまして、六年前に圧倒的な国民の支持を背景にして初めて貴族以外から首相に就任したのがアレックスさんです」
「へぇ」
「そうして首相に就任したアレックスさんですが、就任直後から国民の声に応える為にさらなる政治体制の転換を図りまして…。それで割を食った貴族達はアレックスさんのことを快く思ってはいないわけです」
「なるほど…」
「ですが、アレックスさんが性急に事を進めざるをえなかった事情もあったのです。圧倒的な民衆の支持こそあったものの、目に見える結果を示さなければ直ぐに手の平を返すのもまた民衆ですからね…」
ハルから背景を聞いたうえで再びアレックスさん達の会話に耳を傾ける。
「検挙した貴族達と帝国との間に明確な繋がりはまだ確認できていませんが、ちらほらと名前が挙がってくるのが幻影道化師という組織の名前です」
「幻影道化師…?」
「ええ。どうやら、帝国と国内の貴族達の橋渡しをしているようなのですが、どれほど探ってみてもその実体が掴めません」
「そうなのかい?」
「軍や特殊諜報局が調査をしているんですがね…」
そうしてアレックスさんが溜息を吐いていると、少し考えるような素振りを見せていたカミーユさんが口を開く。
「…アレックス。この件に関してだけれど、最近妙な動きを見せている大公国まで絡んでくると厄介よ?」
「確かにそうですね」
「最悪なのは帝国と大公国が手を組むこと…。そうならないように大公国のヴラッド殿下と個人的にも親交があるオネスト殿下に間を取り持ってもらっては…?」
厨二病どうし気でも合うのだろうか?
「オネスト殿下に…ですか…」
アレックスさんは少しだけ視線を落としながら呟くと、難しい顔を浮かべた。
「何もやらないよりはマシかもしれませんが、結局のところ大公国がどこまで信用に足るのか、というのも難しいところですね…」
その発言を受けてオーギュストさん×2が口を開く。
「大公国の蝙蝠外交は今に始まったものではないからのぅ」
「大国に挟まれた小国の宿命というやつじゃな」
すると、アレックスさんが溜息を吐いた。
「まあ、この場でこれ以上議論していても仕方がありませんね。この件については次の閣議で議論しましょう」
「そうね」
そうして一通りの報告が終わったところで、アレックスさんが全体に向かって声を掛ける。
「さて、この場はこれで解散にしますが、最後に何か確認しておきたいことはありますか?」
その問い掛けに、俺はアレックスさんに対して文句があったことを思い出した。
「あ、そうだ…。俺からアレックスさんに訊いておきたいことがあるんですけど、いいですか?」
「何ですか、ヒイロさん?」
俺はまず一呼吸して心を落ち着かせ、そして、アレックスさんを見据えて問い質す。
「『タワシメイカー』って何なんですか!? 各国に対していったい何を説明したんですか!?」
予想外の質問だったのか、アレックスさんが目を丸くして俺を見つめた。しかし、直ぐに気を取り直すと口を開く。
「そうですね…、ヒイロさんに関しては、各国に毎日一回タワシを召喚することができる能力を持った稀人として報告しています」
「何その哀しい能力! そもそも、タワシ以外にもヘチマだって当たってます」
「ほぼ、タワシ枠ですね」
「え…? だったら、ロリ…」
熱量制御はいいや…。俺が悲しくなる…。
すると、アレックスさんがふと何か納得いったというような表情を浮かべる。
「ああ、なるほど、そういうことですか…。すみません、ヒイロさん。『タワシメイカー』という名前が気に入らないということですね」
「当たり前じゃないですか。人に変な名前を付けないでください!」
「そうですね、確かに不適切な表現でした。ヒイロさんはタワシを作っているわけではなく、タワシを召喚しているんでしたね。なので、これからは『タワシサモナー』と呼ぶように各国へ訂正連絡をしておきます」
「違う、そこじゃない!」
そもそも、タワシを召喚って何だよ。
「しかし、今の話とヒイロさんが送ってきたアレを見てしまった後だと、ヒイロさんの能力についての訂正連絡をするのも慎重に考えないといけませんね…」
「どういうことだい?」
難しい顔をして呟いたアレックスさんにウォルフさんが問い掛けた。
「タワシを召喚して自由に使役できる能力を持った稀人なんて、未知数過ぎて要らぬ誤解を生みはしないかと…」
「タワシを使役って何!?」
思わずそんな叫びを上げると、アレックスさんは不思議そうに俺を見つめる。
「ヒイロさんこそ何を言っているんですか?」
そして、彼は部屋の隅に視線を向けた。
「あのタワシゴーレムを送ってきたのはヒイロさんじゃないですか」
「は? タワシゴーレム…?」
何を言っているのか全く理解できずにそんな声を漏らしつつも、アレックスさんが見ている方へ視線を向ける。すると、そこには二十個ほどのタワシで構成された人形の姿があった。
『御呪』と記載された熨斗をまるでエプロンのように身に着けたその人形は、俺の視線に気付くと近くの棚の陰に隠れ、恥ずかしそうにしながらこちらの様子を窺っている。
………。
「え?」
………。
「え???」
状況の把握に失敗した俺が思考停止していると、アレックスさんが尋ねてくる。
「あれは、ヒイロさんが宅配業者『ヘロン便』を使って着払いで送ってきたタワシゴーレムで間違いないですよね?」
はて? 俺は初回無料で配送を承るとか言っていた鷺に荷物を渡したはずだったのだが?
いや、今そこはどうでもいいな。
それよりも問題なのは目の前のタワシの方だ。
二十個ほどのタワシと、あの熨斗の文字には確かに見覚えがある。でも、あんな人形は俺は知らない。
「えっと…、俺が送ったのは、箱に詰めただけのただのタワシのはずですよ…?」
「ヒイロさん。こんな能力があるのなら、どうして事前に話しておいてくれなかったんですか…。これでは、各国から隠蔽していたと疑われかねないじゃないですか…」
俺もこんな能力初耳だよ。
恥ずかしそうにチラチラとこちらの様子を窺うタワシゴーレムを前にして呆然としていると、何かを考えていたカミーユさんが真面目な表情で口を開く。
「アレックス、少し良いかしら」
「何ですか?」
「思ったのだけれど、タワシを使ってのゴーレム作成能力まで持っているのなら、『タワシサモナー』よりも『タワシマスター』の方が良いんじゃないかしら?」
「良くねぇよ!」
そんな俺のツッコミは勿論スルーだ。
「なるほど、その方がいいかもしれませんね…。では、次の閣議ではその件を中心に議論しましょう」
「もっと重要な議題ありましたよね!?」
そんな俺の悲痛な叫びが響き渡る中、報告会は終了となった。
執務室を出ると、隣のハルが俺の顔を窺う。
「ヒイロ様、お疲れのようですね」
「ははっ…。そうだね、なんだかとても疲れたよ…」
癒しが欲しい…。
すると、ハルが足元に視線を向けて何かを思いついたというような表情を浮かべる。
「そうだ、ヒイロ様。気分転換にミーアとワルツを連れて庭園でも散歩されてはいかがでしょう」
足元に視線を向けるとミーアとワルツがじゃれて遊んでいる。そんな光景に思わず和んで顔が綻ぶ。
「そうだね、そうしようかな」
「それでは、その間に私はヒイロ様のお部屋を整えておきます」
「え? いや、いいよ。ハルだって疲れてるだろうし、自分の仕事もあるでしょ?」
「お気遣いなく。ヒイロ様のお部屋の最終確認も、私の仕事ですので」
ちなみに、ハルはメイドの恰好こそしているものの、れっきとした特殊諜報局所属の諜報員である。
何故か偶に、というか割と頻繁にメイドさん達に混じってメイドの仕事をしていたりもするが、本業は諜報員のはずである。
そう、王宮の人達が、ハルのことを割とメイドとして認識しているような気もするが、本業は諜報員のはずなのである。
「それに、ヒイロ様には日頃からいろいろとお世話になっていますし」
「そんな、いろいろとお世話になってるのは、むしろ俺の方だよ」
「いいえ。あの曲者揃いのパーティが維持できているのも、ヒイロ様のツッコミのおかげです。だからこそ、王宮にいる間くらいは心安らかにお過ごし頂きたいのです」
「ハル……。それじゃあ、お言葉に甘えようかな」
何か少し引っ掛かる部分もあるが、俺はハルの言葉に甘えてミーアとワルツを伴って庭園へと足を運ぶことにした。
緑溢れる環境の中、二匹のモフモフがじゃれながら駆け回る。
ああ、癒される。
暫くの間そんな風に癒されながら庭園を散歩していると、少し奥まったところにある東屋の方からコソコソと話す声が聞こえてきた。
「お帰りなさい、オーギュスト」
「これ、カミーユ。こんなところで…。誰かに見られたらどうする気じゃ」
「だって、あなたがいない間、寂しかったんだもの」
木々の隙間から垣間見える東屋の方をよく見ると、そこにはオーギュストさん(本体)の首の後ろに手を回しながら熱い視線を送るカミーユさんの姿。その上空には幽霊がふよふよと浮かんでいる。
「ねぇ、オーギュスト。今夜は空いてる?」
「ああ、空いておるぞ」
「だったら、私の部屋に来て。久しぶりに一緒にお風呂に入りましょ? 背中流してあげる」
………ん?
いや、もしかしたらただの介護という可能性も…?
何にしても、今日はいろんなことがあり過ぎて既にキャパオーバーだ。
俺は、何も見なかったことにしてその場を離れた。
そうして、じゃれるモフモフ達を眺めたり、モフモフな感触を堪能したりして存分に癒された俺は自分の部屋へと向かった。
部屋の扉を開けて中に入ると、中に居たハルが気付いて近付いてくる。
「お帰りなさいませ、ヒイロ様」
「あ、ハル。ありがとう、いい気分転換になったよ」
「そうですか。お部屋の方も整えておきましたよ」
「本当に何から何までありがとう、ハル」
「どういたしまして。……それで、ヒイロ様。この後なのですが、御飯になさいますか? お風呂になさいますか?」
そこまで言うと、ハルは少しだけ顔を背けて頬を染めながらもじもじとし始める。
「それとも…」
え? 何その今まで見たこともないような表情。
そんなハルの挙動に俺の心臓の鼓動が早く大きくなっていくのを感じる。すると、ハルが俺に熱い視線を向けて何かをズイッと差し出してきた。
「タ・ワ・シ?」
ハルが差し出してきたもの。それは『御呪』という熨斗をエプロンのように身に着けたタワシの人形。
顔を赤らめて恥ずかしそうにしている(ような気がする)その人形と、その後ろでいつものクールな表情に戻っているハル。
「何でだよ!」
何だか裏切られたような気持ちで思わず叫びを上げると、ハルが口を開く。
「実は、ヒイロ様の召喚獣(?)であるタワシゴーレム様から、お疲れの様子のヒイロ様に何かしたいとご相談を受けまして。そういうことならと今回のサプライズに協力した次第です」
俺のトキメキを返せ。
「どうやら、サプライズは成功のようですね」
そう言ってタワシゴーレムを床に置くとハルが続ける。
「さて、お食事の方は他の皆様とご一緒に食堂でお召し上がりになるとして、その前に入浴されてはいかがですか? お背中お流ししますよ?」
「え!? いや、いいよ。自分でできるから」
慌てる俺の背中を押しながら脱衣所の方へと向かうハル。
「ご遠慮なさらず」
そうして流されるままに風呂に入ることになった俺の背後には、『お背中お流しします』というフリップを掲げたタワシゴーレムの姿。
うん、知ってた。話の流れ的にこういう展開だよね。
でも、ちょっと待って? そのタワシは人を洗う為のものじゃないよね?
すると、背後のタワシゴーレムがヘチマを取り出した。
『ご主人から貰った大事な贈り物…。これでご主人の背中を洗う日を夢見てたんだ』というフリップを掲げてみせるタワシゴーレム。
とりあえず、お前に贈った覚えはない。
遠い目をしながらぼんやりとそんなことを考えている間にも、俺の背中はタワシゴーレムによって綺麗になっていくのであった…。
***
深夜、王都ヘレニウム某所。
列柱が並ぶ広大な空間。一角には華美な装飾が施された椅子と、その背後に飾られた王冠を被った猫が描かれたタペストリー。
椅子に腰掛けるのは一人の男。
金で縁取りされた黒い衣装に身を包み、背中には黒いマント。光り輝くような金色の髪をしたその男は道化の仮面で顔を隠している。
その隣には控えるように立っている丈の長いグレーのコートを着た男。フードを被り顔の上半分を覆う白い仮面を身に着けている。
すると、道化の仮面の男が口を開く。
「勇者パーティへの同行ご苦労だったな、クラブ。それでは報告を聞こうか」
「はい。結論から申しまして、あの勇者を取り込んでも我々の益にはならないかと…」
返事をしたのは二人の男と対面するように立っている丈の長い黒いコートを身に纏い、頭にフードを被った人物。顔の上半分を覆う白い仮面の左目の目尻にはクラブをモチーフにしたと思われる黒い紋様が描かれている。
「浅慮な行動が目につき、こちら側へと取り込めば、逆に我々の首を絞めることになりかねません。それよりも、現状のままで上手く利用することを考えた方が良いかと」
その報告を受けて、道化の仮面の男が口を開く。
「そうか。では、稀人の方はどうだ?」
「そちらに関しても同様です。あの稀人は即戦力にはなり得ません。我々の計画が露見するリスクを冒してまで取り込む意味はないかと」
「なるほどな…。まあいいだろう。使えそうであれば吾輩の計画に協力する栄誉を与えてやろうと思っていたが、使えない者など必要ない。今のままでも計画の方は順調に進んでおるしな」
すると、クラブの仮面の人物がふと何かを思い出したように口を開く。
「少し話は変わるのですが、道中、アカシックゲートに関して気になる話を耳にしました」
「何だ?」
「アカシックゲートに各国の現在のパワーバランスを崩そうという恣意的な力が働いている可能性があるようです。それに伴って、大公国がハイドラゴンに類する力を手に入れている可能性があると…」
「大公国が…? 吾輩はそんな話は聞いていないぞ。トランプ、お前は聞いているか?」
道化の仮面の男が隣に控える男に尋ねると、その男が答える。
「いいえ、そういった報告は受けておりません、ジョーカー」
「ヴラッドが隠蔽でもしているのか…? 彼奴め、まさか吾輩を出し抜こうなどと考えてはおるまいな…?」
ジョーカーが忌々し気に呟くとトランプが口を開く。
「ジョーカー。大公国にはダイヤがおります、少し探らせておきましょう」
「そうだな、そうしておけ」
すると、トランプがクラブの方へと向き直る。
「しかし、アカシックゲートに恣意的な力とは穏やかではないな」
「稀人である剣聖から聞いた話です。確度は高いかと」
「ふむ…。そうなると、次の帝国の儀式が問題ですな…。帝国がなんらか力を手に入れるようなことがあれば、今の我々との関係性にも影響を与えかねません…」
「む? 確かに、それはまずいな」
そう言ってジョーカーが少し考える素振りをみせる。
「…帝国にはハートが居たはずだな? 儀式の動向にも注意を払うように伝えておけ」
「はい、そのように」
「クラブ、他に報告はあるか?」
「もう一点ご報告が…。首相が王国内に不穏な動きがあると探りを入れているようです」
「ああ、それに関してはトランプからも聞いている。まあ、あの男もただの馬鹿ではないからな…。だが、我々幻影道化師がこれほど深く王国内に根を張っておるなどとは、あの男は夢にも思っておらんだろうな」
ジョーカーはそう言うと、愉悦に浸りつつ笑い声をあげる。
「報告は以上です」
「そうか、では二人とも下がれ」
「「はい」」
そうして一人になったジョーカーが呟く。
「もう少しだ。もう少しで吾輩の悲願が叶うのだ。誰にも邪魔はさせんぞ」
アレックス 「閣議での五時間にもわたる激論の末、ヒイロさんのことは『タワシマスター』として各国に報告することになりました。あ、これ、キャッチコピーとポスターです」
『この世の汚れは許さない! タワシマスター ヒイロ』
ヒイロ 「やめてください。ホント、マジで」
===
カイ 「よし、だったらワルツ。これはわかるかな? AE〇Nの電子マネーは?」
ワルツ 「WA〇N」
ヒイロ 「こら、やめなさい」




