047 トラ トラ ト…ラ…?
サンセベリアの村を離れてプルナス・ムメの街へ向かう車中。
真新しい外套に身を包み、カバンの中のタワシも一掃されて清々しい気分だ。
さて、ここらで心機一転、今日のガチャでも引いてみるとしよう。なんだか、今ならタワシ以外の何かが当たりそうな気がする。
そんなことを考えながらスマホを操作していくと、ガチャの景品画面に見慣れない文字列が表示された。
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新能力が解放されました
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何これ。幸先いいじゃん。チート性能の防具を手に入れて、今度は新能力。そろそろ俺の無双展開が始まるんじゃないか?
期待に胸を膨らませながら画面に表示された説明を読み進める。
それによると、どうやら熱量を制御できる新能力が解放されたとのことだ。
ダイエットでもするの? とか思ったが、そうではないらしい。
周囲の熱量を制御することで、物や空間を加熱・冷却できる能力だということだ。割と使えそうな能力だ。
ただ、熱量の単位ってジュールを使う方が一般的なはずなんだけどね。カロリーを使うのは、ほぼ栄養学に限定される。
微妙な不安を覚えつつ画面をスクロールさせていくと、能力名が表示された。
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能力名は熱量制御
略して、ロリコン!
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おい、略し方ぁ! 端々に悪意を感じるのは俺だけだろうか?
ねぇ、わざわざカロリーという単位を引っ張りだしてまで俺を陥れたいわけ?
すると、まだ画面スクロールできる事に気が付く。
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この能力を使用する際は、周囲の人々が認識できるくらいの大きな声でロリコンを宣言してください
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俺は、この能力を一生封印することを決めた。
その時、後ろから覗き込んでいたカイが諭すような表情で俺を見つめてきた。
「ヒイロ…。くれぐれも警察の世話になるような真似だけは…」
「しねぇよ!」
カイの発言に苛立ちながらも、俺は隣で毛繕いをしていたミーアをそっと抱えた…。
そんなふうに癒しを求めてミーアをモフモフしていると、運転していたスリップさんが口を開く。
「隊長。プルナス・ムメの街に入ったッスけど、ヨウコさんとの待ち合わせ場所はどこだったッスか?」
「確か、ティガ藩の藩主に話を通してあるから、藩主の居城で待っていてほしいと言っていたはずだけど…」
「藩主にッスか? …ヨウコさんって何者なんスか?」
え? 今更そこ?
スリップさんと会話をしているのは前髪を下ろしていつもと違う雰囲気のウォルフさん。
間違い探し的には有りなのかもしれないけど、なんだか普通過ぎて物足りない。ネタ切れか?
だが、今はそれよりももっと気になることがある…。
「あの…、オーギュストさんはさっきから何をしてるんですか…?」
俺が呆れ気味に問い掛けると、オーギュストさん(幽霊)がこちらを振り返る。
「見てわからんのか? 筋トレじゃよ」
……。
さっきからダンベルを上げ下げしているのは幽霊の方だ。本体はその幽霊に向かって『お主ならできる』『もうワンセット』などとジムのトレーナーのように声を掛けている。
何この状況?
「生前に婆ちゃんが口癖のように言うておった…。うがい、手洗い、筋肉万能! とな…。じゃから儂は、そんな婆ちゃんの教えに従って今でも筋肉を鍛え続けておるのじゃ!」
「あんた、筋肉無いだろ!?」
「婆ちゃんの教えのおかげで、家族は全員健康なんじゃ」
「いや、つい最近まであんた自身が生死の境を彷徨ってたよな!?」
「健全な肉体には健全な精神が宿るのじゃよ」
「だったら、肉体から飛び出してる精神は何なんだよ!?」
というか、肉体の方には今何が宿ってるんだよ。
そんな俺達の様子を、さっきからずっと微動だにせずに涼しい顔で見下ろしてくるバルザック。なんかむかつく顔してんな、こいつ。
その涼しい顔に苛立ちを覚えていると、ハルが声を掛けてきた。
「ヒイロ様、見えてきましたよ。あれがティガ藩の藩主の居城、虎伏城です」
「え、どれ?」
気持ちを切り替えて窓の外を覗くと、小さな山の上に白い連立式天守が見えてきた。
「虎伏城は、虎が伏せたような形状の虎伏山を中心にして築かれた平山城です」
「へぇ…?」
何か引っ掛かるものを感じつつハルの説明に耳を傾けていたら、その城の大手門前で車が停止した。
俺達が車を降りると門の前で待機していた人達が近付いてきて、その先頭の二足歩行の虎が声を掛けてくる。
「ようこそ。俺は藩主のトラッコだ」
トラッコ!?
藩主自ら出迎えてくれていることよりも、どうしても名前のインパクトの方に気を取られてしまう。
ウォルフさんが藩主への挨拶を始めたのを横目に見ながら、俺はなんとなしに隣のハルに声を掛ける。
「今更だけど、この世界って本当にいろんな獣人がいるんだね」
「獣人ですか…? トラッコ様は獣人ではありませんよ?」
「え、そうなの? だったら、今目の前に居る二足歩行の喋る虎はいったい…?」
「今ヒイロ様が仰った通り、二足歩行の喋る虎です」
「…いや、虎は二足歩行もしないし、喋らない…よね…?」
「二足歩行もすれば、喋りもする…。それが、この世界の虎の仕様です」
いいかげん、なんでもかんでも仕様という一言で片付けようとするのやめない?
「ちなみに、メスの虎は豹柄です」
「竹林豹虎図!?」
「そして、彼女達は割と高い確率で飴ちゃんを持っています」
「大阪のおばちゃん!?」
「冗談です」
「どこからどこまでが!?」
とりあえず、今目の前にいる藩主のトラッコさんが虎だというのは本当らしい。
そもそも、この世界において獣人と呼称される人達は二系統存在しているらしい。
まず一つ目が、身体つきは人間に近いのだが、脚や手の形状は割と獣に近く肉球も存在し、全身が体毛に覆われて頭部はほぼ獣といった人達だ。
例を挙げるならば、この間会った人狼のヨシノさんがこれに当たる。
彼等は基本的に獣から派生した種であり(ヨシノさんの場合は狼からの派生だ)、基本的に人との交配は不可能とのことだ。
一方、尻尾や獣耳、角などが生えている以外は人の姿と変わらない人達も獣人と呼称されているそうだ。
身近な例を挙げるとするならばバルザックだ。
そう、涼しい顔で仁王立ちしながらオーギュストさん(幽霊)の隣で一緒にふよふよと浮かんでいるあの男だ。
……そういえば、さっき車から降りた時に屋根の上に何か乗っていた気もするのだが気にしたら負けだろうか?
まあ、それはおいといて、彼等は人から派生した種であり、人との交配も可能らしい。
ハル曰く、『ウミヘビと呼称される種の中にも蛇から派生した爬虫類のウミヘビと魚類のウナギに近い種のウミヘビが存在するのと似たようなものです』とのことだが、その例えはわかりやすいんだかどうなんだか判断に迷う。
とはいえ、厳密に獣人という生物学的な分類があるというわけでもないらしいので、実際は結構曖昧な概念らしい。獣人として一括りにするというよりは、それぞれの種族名で呼称される場合がほとんどだということだ。
それで話は戻るのだが、トラッコさんは前者に該当しないのかと尋ねたところ、彼はどこからどう見ても虎だとのことだ。
確かに、彼を見て身体つきが人に近いかと問われれば、間違いなく後ろ足で立ってる虎だと答えるだろう…。関節の可動域が明らかに虎のそれとは異なる気もするが…。
そんな風にハルの獣人に関する説明に耳を傾けていたら、ウォルフさんとトラッコさんの会話にカイが割り込んだ。
「ウォルフ、挨拶はそのくらいでいいんじゃないか? 俺達は平太郎とかいう奴を見つけ出してその黒幕の正体を暴き、狸の毛皮を取り戻さないといけないんだ!」
それはそうなのだが、藩主への挨拶も情報収集も大事だと思う。
すると、何やら真剣な顔をしたままカイが続ける。
「さもないと、戦利品を奪われたヒイロが暴走して、生きとし生ける全ての者の毛皮を剥ぎ取り始めかねない」
「誰がするか!」
「ニャッ!?」
俺のツッコミと時を同じくして、俺の足元で毛繕いをしていたミーアも反応を示していた。
……ミーア? 何故そんな驚いたような表情で俺を見るんだい?
何故そんな怯えたような瞳で俺を見るんだい?
少し哀しい気分になっていると、幽霊とバルザックがふよふよと近付いてくる。
「ヒイロよ、儂の作ったバルザックの生皮でよければ好きなだけ剥ぎ取るがよい。じゃから、もう暫く辛抱するのじゃ」
「剥ぎ取らねぇよ」
そもそも、それは初めから皮だけみたいなもんだろ?
すると、トラッコさんが口元に手を当てながら考える素振りを見せる。
「将軍の使いの者から話は聞いていたが、それほどまでに差し迫った状況なのか…」
「将軍の…?」
ウォルフさんはそう呟くと、何か納得いったというような表情を浮かべた。
「なるほど、ヨウコさんが言っていた『ある御方』というのは、この国の将軍の事だったんだね…」
ヨウコさん本人です。
「実は、使いの者が来てから俺の方でも平太郎について少し調べてみたんだ。その結果、確かに平太郎は藩内に足を踏み入れていたことがわかった」
「それは本当か!?」
「ああ、平太郎という偽名を使って巧妙に素性を隠していたが、間違いない」
巧妙とは…?
驚愕の表情を浮かべているカイを眺めながら、そんなことを考える。
「それで、平太郎は今どこに居るんだ!?」
「それは、平太郎と直接会ったことのある俺の弟達の方が詳しいだろう。というわけで、まずは俺の弟達を紹介しよう」
そう言ってトラッコさんが唐突に弟達の紹介を始めた。
「まず、こっちの白いのがホワイトタイガーのシロッコだ」
シロッコ!?
トラッコさんの後ろに控えていた二足歩行の白い虎が一歩前に進み出て軽く頭を下げる。
そして、トラッコさんは辺りをキョロキョロと見まわしながら続ける。
「そしてもう一人…。あ、居た居た。あっちの黒いのがブラックタイガーのコッコだ」
「虎なのかエビなのか鶏なのかはっきりしろ」
そんなツッコミを入れながらもトラッコさんが指さす先に視線を向けると、そこには水堀。その水の中から人間ほどの大きさのエビが頭を出していた。
エビだったよ!? えっ、弟…?
「その顔…、どうやら気付かれてしまったようだな…。そう、コッコは本当の弟じゃない。あれは、十年ほど前のことだった…」
何やら虎が急に語りだした。
「俺はエビフライ専門店を開く為に、近所の海鮮問屋にエビを仕入れに行ったんだ…。だが、時は第二次ゴールドラッシュ。世の中は、突如として現れた新怪魚『目出鯛』に金の瞳を譲ってもらおうとする輩で溢れていた。そして、目出鯛に会いたいという一心で、目出鯛を釣り上げる為のエビの需要は急上昇。こんな内陸まで回せるような供給量は確保できなかった…」
唐突に何の話が始まったんだろうか?
とりあえず、俺が知っているゴールドラッシュとは何かが根本的に違うらしいということだけは理解できた。
「エビフライ専門店を諦めた俺は、問屋の主人に相談した。すると、主人からマグロを勧められたんだ…。あの時の延縄漁法で水揚げされたマグロは実に美味かった…」
虎が恍惚の表情で涎を垂らしている。
「えっと…、コッコさんの話はどこいったんですか?」
「え? ああ、そうだったな。その海鮮問屋の主人がコッコだったんだ。いつの間にか意気投合してな、義兄弟の契りを結んだのさ」
エビと…?
どうでもいい話を聞かされて辟易していると、隣で尻尾を揺らしているミーアが目に入る。
そんなミーアの姿に癒されていると、カイが口を挟んできた。
「そんなことより、平太郎がどこに居るのかを教えてくれ。今この瞬間にも、ミーアの毛皮がヒイロに狙われているんだ!」
「狙って………ない…よ…?」
「ニャッ!?」
スッと目を泳がせながら言い淀んだ俺に、ミーアが『何で言い淀むのさ!?』というような驚いた表情を向けてくる。
いや、ちょっとモフりたいなって思ってただけだよ。本当だよ?
ミーアが向けてくる疑惑の眼差しに耐えていると、カイがシロッコさんに問い掛ける。
「平太郎に会ったことがあるっていうんなら、どこで会ったのかを教えてくれ!」
すると、シロッコさんがそれに答える。
「実は平太郎は、うちの藩に仕官してきたんだ」
「何だって!? それじゃあ、今もここに居るのか!?」
「いや、今はもう居ない。採用したのは良いんだが、彼はその甘いマスクで兄者の娘でもあるタイガちゃんを虜にしてしまってね」
「おい、初耳なんだが?」
驚いているトラッコさんを無視してシロッコさんは続ける。
「しかし、陰から見ているだけだったタイガちゃんが意を決して声を掛けようとした時、平太郎がティガ藩に来たのは、ダクス藩で藩主の娘を弄んでそこに居られなくなったからだという噂が広まった。そして、自分も弄ばれていただけだったんだと気付いたタイガちゃんは、その日から枕を濡らす日々を送ったんだ」
「最近タイガちゃんの様子がおかしかったのは平太郎の所為だったのか…」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず…。平太郎は初めからタイガちゃんを狙って藩に潜入してきたんだ…」
「平太郎の野郎、うちの虎の子になんて真似を…」
怒りに震えるトラッコさんだが、平太郎悪くなくない? 今の話だと、おそらくタイガちゃんに会ったことすらないよね?
ねぇ、藩主の娘は平太郎に惚れないといけない仕様にでもなってんの?
「そんなわけで、風紀を乱すばかりのあの伊達男はクビにしたんだ」
「不当解雇って知ってるか?」
そんな俺の発言はスルーされ、カイが絶望の表情を浮かべる。
「クッ…、そんな…。これじゃあ平太郎の居場所がわからない…。俺にはミーアの毛皮を守れないのか…」
「剥ぎ取らないよ?」
そんな俺の様子をミーアがハルの後ろから疑惑の眼差しで覗いている。
どうしよう、俺とミーアの心の距離が離れていく。気軽にモフらせてくれなくなったらお前の所為だからな、カイ。
そうやってカイを睨み付けていると、彼は何やら難しい顔で呟き始めた。
「何か…。何かないのか? 何か平太郎の居場所のヒントになるような情報は…」
そこへ水堀の中からコッコさんが声を掛けてくる。
「居場所のヒントになるかどうかはわからないけど、平太郎が興味を持ちそうなものなら知ってるよ」
「本当か? どんな小さな手掛かりでも構わない。教えてくれ!」
「あれは、ハイキング日和のある晴れた日の事だったんだけど、僕と平太郎は歌を口遊みながら一緒に山へ登ったんだ」
エビが…?
何そのシュールな光景。
「その山はいろいろな農業体験ができる場所でね、僕達はミカン農家のアリダさんのところで甘くておいしいミカンを収穫したり、梅農家のナンコウさんのところで大きくて立派なウメを収穫して梅干しや梅酒造りの体験をしたんだ」
エビが…?
どうしよう、季節感もわからない。
「それらの農業体験に平太郎はとても興味を持ったみたいでね、掲示板に貼られていた求人広告を熱心に見ていた」
「つまり、平太郎は藩をクビになった後、そこに就職しているかもしれないってことだな? よし、今直ぐ向かおう!」
そんなわけで、俺達はカイの発言に流されるままに二頭の虎と共に山にある農場へと向かうことになった。ちなみにエビは歩けないのでお留守番だ。はて、彼はどうやってハイキングに行ったんだろう…?
そんなことを考えながら歩いていると街中の広場に差し掛かる。すると、なにやら広場に人だかりができていた。
「何じゃ? 随分と賑やかじゃのぅ」
「今日はメジロを愛でる会主催でメジロ祭りをやっているんだ。少し寄ってくか?」
広場の賑わいを見て呟いたオーギュストさんにトラッコさんが答えた。
「いや、そんなことをしている暇はない。今は一刻も早く平太郎を見つけ出さないといけないんだ」
「それなんだが、実はアリダさんもナンコウさんもメジロを愛でる会の会員なんだ。だから、もしかしたらこの会場に来ているかもしれない」
「何だって!? それを早く言ってくれ!」
トラッコさんの発言を受けて、カイが広場へと突っ込んでいく。
俺達もそれに続いて広場へと足を踏み入れると、そこには二本の棒の間に渡された木の枝の上にずらっと並んでいるメジロの姿。
「あれはメジロ祭りのメインイベント、メジロコンテストだ」
「メジロコンテスト!?」
「そう、野生のメジロさん達が自らの美しさと可愛らしさを審査員達にアピールして競い合うんだ」
「野生のメジロさん達!?」
「ほら、エントリーナンバー一番の子を見てごらん。あのキュートな目元、最高だと思わないか。三番の子のあの羽も実に美しいじゃないか。ああ、八番の子のあの可愛らしい鳴き声、パーフェクト!」
うん。とりあえず、俺には違いがわからない。
うっとりとした表情でなにやら呟き始めたトラッコさんに若干の恐怖を覚えていると、シロッコさんが少し呆れたように口を開く。
「兄者は大のメジロ好きでね、藩主の権限をフル活用して毎年盛大にメジロ祭りを行っているんだ」
「職権乱用!」
そんな話をしている俺達の横で、勢いの止まらないトラッコさんは喋り続ける。
「ああ、一番右端の少し大柄で灰色がかった緑の羽毛の十番の子もいいね。特徴である目元の白い輪をあえて消すというサプライズを審査員はどう評価するかな?」
「そいつはウグイスじゃないのか?」
ホーホケキョとか鳴いてるしね。このくすんだ感じの緑色が正しい鶯色だ。
「ああ、どの子も可愛いじゃないか。今年のメジロ祭りも可愛いメジロが目白押しだ!」
「どうしてそんなにメジロ推しなんだよ」
そんな満足そうなトラッコさんを眺めていると、ふと別の方向に視線を向けたシロッコさんが何かに気付いた。
「あ、アリダさんとナンコウさんだ」
シロッコさんが見ている方へと視線を向けると屋台がずらっと並んでいる。
そこには、火男のお面を頭に乗せて金魚が入った袋と水風船を手からぶら下げ、りんご飴を食べながら射的の屋台の前で『Hit!』とかいう音を響かせているカイの姿。
このポンコツ勇者、少し目を離した隙にどうして祭りを満喫してるんだ?
ちなみに『Hit!』の音の正体はヒットコインの決済音である。別に射的で何かが当たったわけではない。
そんなカイの姿に呆れていると、ミカンを販売している店と梅干しと梅酒を販売している店が隣り合っているところへとシロッコさんが近付いていく。
そして、その店で売り子をしているおばちゃん達に声を掛けた。
「アリダさん、ナンコウさん、久しぶりだね。少し訊きたいことがあるんだが…」
「あら、シロッコさんじゃないの。どうしたんですか?」
「実は今、人を探していてね。平太郎という男なんだが、知らないか?」
「平太郎…」
イケメンの写真を見せながら尋ねるシロッコさん。その写真を見た瞬間、アリダさんが急に言葉を詰まらせた。
「知っているのか?」
「……ええ、知っているわ…。この人は、うちの採用試験を受けに来たの…」
どこか遠くに想いを馳せるような表情でアリダさんが続ける。
「でも、彼を採用することはできなかった…。だって、彼が私に向けてきた情熱的な眼差し…、あれはとても面接官を見るようなものじゃなかったのよ…。あの情熱的な瞳に私は身をゆだねてしまいたくなったわ…。でも、私には愛する夫と子供がいるの。夫と子供を裏切ることなんてできなかった…」
平太郎、実は魅了の術でも使えるのだろうか?
「アリダさん…、貴女もなのね…」
「ナンコウさん…、まさか…貴女も…?」
「私も夫と子供を裏切るような真似はできなかった…。だから、炭焼き職人の長左衛門さんを紹介したのよ。あそこの娘さんはまだ独身だったはずだから…」
…あれ? 平太郎って婚活に来たんだっけ?
「そうか、仕方ない。長左衛門さんに会いに行くか…」
「あ、長左衛門さんならさっき会ったわよ。ほら、あそこ」
シロッコさんの呟きに反応したアリダさんが一つの屋台を指さす。
そこには『備長炭』と書かれた看板を掲げた屋台。その店の中には積み上げられた段ボールと一人のおじさんの姿。
「長左衛門さん、久しぶり。少し訊きたいことがあるんだが」
「おぉ、シロッコの旦那じゃないか。どうしたんだ?」
「実は平太郎という男を探しているんだが、何か知らないか?」
「平太郎…だと…?」
シロッコさんの問いに対して急に厳しい顔を浮かべる長左衛門さん。
「知っているのか?」
「ああ、知っている。あの男は、炭焼きの技術を学びたいと俺に弟子入りを志願してきたんだ…。俺の一人娘のキイちゃんも平太郎のことが気に入ったようでな、ゆくゆくは二人を結婚させて跡を継いでもらおうかと考えていた」
気が早いよ。まだ弟子入り志願に来ただけだろ?
「だが、平太郎は俺の作っている備長炭に興味があると言っておきながら、備長炭がウバメガシを使用した白炭だということすら知らなかったんだ」
うん、でも今となっては備長炭の定義って割とグレーゾーンだよね。
「そう、平太郎が俺に弟子入りしたいなんて言ってきたのは、キイちゃんに近付く為の口実だったんだ」
多分違うと思う。
すると、そこに一人の小さな女の子が現れた。
「お父さん、その話はもうやめて。平太郎が弟子入りを口実にキイに近付いてきたのも、備長炭の定義が曖昧になってしまったのも、全てキイが可愛すぎるのが悪いの!」
「キイちゃん…」
絶対違うと思う。
その時、隣に立っていたハルが唐突に何かを思い出したかのように声を掛けてきた。
「そういえばヒイロ様」
「何?」
「先ほどカイ様から伺ったのですが、新能力に目覚められたそうですね」
「言い方気を付けて!?」
そして何故このタイミング?
ねぇ、キイちゃんドン引きしてるよ?
「お…、お巡りさーん!」
涙目で震えるキイちゃんの叫びと共に、『ファンファン』とけたたましいサイレン音が鳴り響く。
すると、警察の制服の上着を羽織って頭に小さな警察帽を乗せた数頭の大熊猫が近付いてきた。先頭の大熊猫は、何故か手にパトランプを持ち『ファンファン』と声を上げている。
俺が困惑していると、うっとりとメジロを眺めていたトラッコさんがこちらに視線を向ける。
「彼女達は俺が世界を冒険していた時に白い砂浜の上で遊んでいるところをスカウトした大熊猫達だ。今はそのカラーリングを活かして警察の仕事をしてもらっている」
とりあえず、何が活かされているのかは全くわからないが、どうやら女性警察官らしいということだけはわかった。
いつの間にか周囲を取り囲まれた俺は大熊猫達が用意した取り調べ机の前に座らされている。
その時、ふと取り囲んでいる大熊猫達の中に全身黒くて派手な陣羽織を着ているのが一頭交じっていることに気付く。
その一頭をよく見てみると、その正体は大きな熊。そして、その足元には威嚇している猫の姿…。
「熊六さん!?」
俺が驚いて声を上げると、熊がこちらを向いて嬉しそうに笑顔を浮かべる。
それと同時に熊に向かって激しく威嚇していたミーアが走り去っていった。ミーアはどうしても熊が苦手らしい。
「会いたかったんだよ、ヒイロン」
「俺は会いたくありませんでした」
「そんなこと言わないでほしいんだよ。ヒイロンの為に魔法少女の企画を練ってきたんだよ」
「だから会いたくなかったんだよ!」
その手に持った企画書をこっちに渡せ。破り捨ててやる。
「ハルさんもありがとうなんだよ。ハルさんが送ってくれた写真のおかげで素晴らしい魔法少女企画を練ることができたんだよ」
「お役に立てたのであれば何よりです」
お願いだからお役に立たないで?
すると、興奮冷めやらぬ様子で熊六さんが続ける。
「ヒイロンの名を世に広く知らしめる為に、ヒイロンを主役とした映画、舞台、小説、漫画、アニメ、ゲームの企画の準備も進めているんだよ」
「何なんだ、その素早いメディアミックス戦略」
「さあ、ヒイロン。今すぐクマと契約して魔法少女になってほしいんだよ」
「誰がなるか!」
机の上に企画書と契約書を並べて熱弁を振るっていた熊に対して声を荒らげると、彼は真剣な表情で俺を見据える。
「悪いようにはしないんだよ。クマの魔法少女への熱い想いを信じてほしいんだよ」
そんなことを言いながら熊六さんは俺の手を取り自分の胸へと当てる。
「ほら、ヒイロン。魔法少女になったヒイロンのことを想うと、クマの胸は高鳴るんだよ。クマの鼓動を感じてほしいんだよ」
「感じたくないわ!」
俺が熊に対して怒りを露にしていると、トラッコさんが近付いてきて机の上に皿に乗った緑色の丸い物体を置いた。
「まあまあ、めはり寿司でも食べて落ち着きたまえ」
…………。
うん。まあね、ハルから虎伏城っていう名前を聞いて、あのどっかで見たことがある気がする連立式天守を見た辺りからずっと引っ掛かってたよ。
だけど気のせいかなと思ってずっと黙ってたんだ。でも、そろそろ訊いてもいいよね?
「あの…、この街に来てから某地域を彷彿とさせるようなものがちらほらと出てくる気がするんですけど、気のせいですかね…?」
すると、トラッコさんがキリッとした表情で答えた。
「我、紀州に迎合せり!」
「やかましい!」
ヒイロ 「パトカーのサイレンの音って、実は『ファンファン』とは鳴らないよね?」
先頭のパンダ 「何言ってるんですか? ファンファンは私の名前です」
ヒイロ 「まさかの自己主張!?」
===
Q 結局、コッコさんはどうやってハイキングに行ったの?
A 平太郎が肩に担いで登ってくれたそうです。
ヒイロ 「ハイキングとは…?」
===
二足歩行の虎…?
ヒイロ 「………色塗るの面倒臭かったのか?」
白狐 「違います。これはシロッコさんです」(汗)
白狐 「そうそう、話は変わるけど、シロッコさんとトラッコさんのイントネーションは、『モロッコ』ではなく『魔女っ娘』と同じです」
熊六 「ヒイロンのお仲間なんだよ」
ヒイロ 「違ぇよ!」