003 ステータス ノ カクニン
突然だが、俺は今、異世界で反復横跳びをしている。
何言ってるんだこいつ、とか思わないでほしい。説明しよう。
会議室での話の後、俺は政治的勇者役を引き受けた。いや、事実上拒否権がなかったんだけど。
まあ、とりあえずその流れでステータスの確認をすることになった。
ファンタジー世界でのステータス確認といえば、原理不明の都合の良いステータス画面が現れるとか、ステータス確認用の魔道具に触れるとか…。そう、そんな展開を期待していた。
だが、俺に渡されたのは一枚の紙。
そこには、こう書かれていた。
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ステータス確認実施事項
握力
上体起こし
長座体前屈
反復横とび
持久走
20mシャトルラン(往復持久走)
50m走
立ち幅とび
ハンドボール投げ
攻撃・防御
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…体力測定かな?
申し訳程度に攻撃・防御とか入っているけど、何でファンタジー要素だけそんなざっくりとした括りなんだろう。
ちなみに、この世界には便利なステータス画面もなければ、HPや攻撃力防御力などの各種能力値なんてものもないらしい。
アレックスさん曰く、『そんなもの一概に数値化できるわけがないじゃないですか』とのことだ。言っていることはもっともなんだけど…。
どうしよう、俺が思い描いている異世界召喚との乖離が酷い。
一通り体力測定をこなして、俺は木陰に入って休憩することにした。
残りは攻撃・防御とかいうざっくりした項目だけだ。
今のところ、結果はいたって普通だ。元の世界にいた時と大して変わらない。
身体能力には特に変化はないようだ。
「お疲れ様です。ヒイロ様」
メイドのハルさんが、そう声を掛けながらペットボトルの水を渡してくれた。
彼女は俺が滞在中の世話係に任命されたらしい。
少しきつめの目つきをした瞳は茶色。そして、同色の長い髪を後ろで三つ編みにしている。
着ているメイド服は白黒二色、過度な装飾のない実用的なデザインだ。
歳は俺と同じくらいだろうか?
「ありがとう…、ハルさん」
お礼を言って水を受け取ると、そのパッケージには『薬効のおしい水』の文字。何だか、いろんな意味で惜しい。
「敬称は不要です、ヒイロ様」
「え…、そう? …それじゃあ、えっと、ハル…も俺のことは呼び捨てで良…」
「そういうわけにはまいりません」
食い気味に拒否された。
そうですか…。まあ、立場とかあるもんね、一応…。
ところで、さっきから気になっているのだが、首に赤いスカーフを巻いた白猫が彼女の足にすり寄っている。モフりたい。
俺が猫を見ていることに気付いたのか、彼女は猫を抱き上げると俺に渡してくれた。
「この猫はミーアです。仲良くしてあげてください」
「よろしく 、ミーア」
そう言いながらミーアを撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らした。
この猫、人懐こいなぁ。ああ、癒される~。
そこへアレックスさんが近づいてきた。
「お疲れ様です。調子はどうですか?」
「順調です。あとは攻撃・防御とかいう項目だけなんですけど、何をするんですか?」
ざっくりとしか書かれていなかった項目について確認する。
「模擬戦闘です。相手は私が務めます」
…平和な日本で生きてきた俺に、いきなり模擬戦闘とか言われても。
というか、あんた総理大臣じゃなかったっけ?
いろんな意味で、こんなことしていて良いのか?
「こうみえても私は昔、軍に所属していたんですよ。なので、勇者様の相手として不足はないと思います。それで、勇者様はどのような能力をお持ちなのでしょうか?」
「……え? 能力? そんなのこっちが聞きたいん…だけど…?」
だってそうだろう?
便利なステータス画面があるわけでもなく、召喚途中で自称神様に出会って説明を受けたわけでもない。俺にどんな能力があるのかなんて誰も教えてくれていない。
「え!? 能力をご存じないのですか?」
驚愕の表情を浮かべるアレックスさん。
そして、考え事をするように口に手を当て、早口でブツブツと呟きだした。
「そんな、過去の事例では稀人は自分の強大な能力を把握し、直ぐに使用していた。だから、稀人が召喚されるというのはそういうものなのだと考えていましたが…。いや確かに、人間が召喚されたからといって、それがレアキャラであるとは限らない。もしかしたら何の能力も持たない只の人間が召喚される可能性も…。たった二例しかないというのに、変な先入観を持ってしまっていた。国政を司るものとしてあってはならない失態だ…」
そして、一通り呟き終えると、彼は目を泳がせながら言った。
「えーっと…。もともと今回のガチャの成否にかかわらず、計画自体は進んでおりましたので…、そのパーティに同行して頂ければ、役割を果たしたとみなされるのではないかと…」
おい、こっち見ろ。
その後アレックスさんは、『会議の時間が…』とか言ってそそくさと逃げて行った。いや、俺の相手をする為にここに来たんじゃなかったのか?
ハルも俺の腕からすり抜けていったミーアを追って、どこかへ行ってしまった。
どうしようか困っていると、突然後ろから声を掛けられた。
「初めまして」
「え?」
振り向くと、木の横に白いワンピースを着た少女が一人。
長い黒髪に黒い瞳。歳は俺より少し下といったところだろう。
どこかで会ったことがあるような…ふとそんな気がして、俺は呆然と彼女のことを見ていた。
「あ…。初めまして…」
ふと我に返り間の抜けた返事をすると、黒髪の少女にクスクスと笑われてしまう。
その笑顔に何か懐かしいものを感じる。
「…ねぇ、君…前に、どこかで会ったことない?」
つい口にしてしまった言葉に対して、彼女は目を丸くした。
あ、やばい。これ、まるでナンパでもしてるみたいじゃないか?
「あ、いや、違うんだ…。ナンパじゃなくて…。えっと、今の忘れて…」
しどろもどろになりながら否定するも、彼女はじっとこちらの様子を窺っている。そして、一言。
「……もしかしたら、どこかで会っているのかもしれないよ?」
もしかして俺、からかわれてる?
「えっと、ごめん…。本当に忘れて…」
俺の言葉に、彼女は少しだけ目を伏せて『そう…』とだけ呟いた。
少しの沈黙の後、少女が口を開く。
「…ここへ来たのは、君と話をしてみたかったからなんだ」
「俺と?」
「そう、人が召喚されるのは六年ぶりだからね…。召喚された時の事とか、覚えていることがあったらいろいろ聞かせてもらいたいんだよ」
「え、召喚された時のこと?」
「そう、君は召喚される直前の事、覚えてる?」
「ん~…? 直前って…、特に何も…。学校帰りに近所の公園で、ネコをモフりながらスマホでゲームやってて…。そしたら、急に目の前が明るくなって…、気付いたらこの世界に来てた…? だけ…だよ…?」
「…本当にそれだけ?」
少女が探るような眼差しで尋ねてくる。
…? それだけだよな?
「本当に? …ねぇ。君は、この世界に召喚されることになった切っ掛けを覚えていないの?」
「え? どういう意味…?」
「ヒイロ様」
その時、後ろから近付いてきた兵士に声を掛けられて俺はそちらを向いた。
どうやら、アレックスさんの指示で彼が模擬戦闘の相手をすることになったらしい。
促されるように移動しようとした時、ふと先ほどの少女の名前を聞いていないことを思い出す。
「あ、そうだ。君の名まぇ…」
しかし、振り向いたときにはその姿はどこにもなかった。
声を掛けてきた兵士からは、位置的に木が邪魔で少女のことは見えていなかったらしい。
後でハルにも尋ねてみたが、王宮内の関係者でそんな少女に心当たりはないとのことだった。