034 ユウレイ
「あの…ウォルフさん…」
「何だい、ヒイロ君?」
「道、間違ってないですか? 俺達、いつの間にか道なき道を歩いてるんですけど…」
俺達は光もほとんど差し込まないような鬱蒼とした森の中を歩いている。
整備された道どころか、獣道ですらない。そんな足場が悪いところを大きな岩や木に行く先を阻まれては迂回し、茂みを掻き分けつつ進んでいる。
「……こっちが近道なんだよ」
全く目を合わせようとしないウォルフさん。
迷ってるだろ、あんた…。
「それよりも、ちょっと暑くなってきたね…」
「そんな着ぐるみを着てるからじゃないですかね?」
「着ぐるみ? 何のことだい?」
意地でも認める気はないらしい。
俺の少し前では、抱えたミーアの頭を撫でながらハルが歩いている。彼女は喉を鳴らすミーアを見ながら口元を少しだけ綻ばせていた。
モブゴブリンを一掃した後一旦怒りを鎮めたハルだったが、仰向けに転がっていたバルザックの鼻の上に一匹だけ残っていた虫を見て再び静かな殺気を放ち始めた。どうやら、虫の居所が悪かったようだ。
バルザックごと叩き潰しそうな勢いのハルだったが、その胸元にミーアが跳び込みその怒りを鎮めることに成功。そして現在の状況に至っている。
それにしても、この足場の悪い中で猫を抱えて黒い箱を背負いながら歩けるハルの身体能力はどうなっているんだろう。
少し後方に目を向けると、そこには車椅子の上に座っている瀕死のバルザック。そして、バルザックの膝の上にオーギュストさん(幽霊)が座っており、オーギュストさん(本体)が車椅子を押している。
ただし、全員まとめて車椅子ごとふよふよと浮かんでいる為、本体は別に歩いているわけではない。
俺の脳内の理解さんは、あれについて考えることを放棄したようだ。『オーギュストさんお断り』の看板を掲げている。あれはそういうものなのだと思っておこう。
そんな風に俺が後ろの状況の理解を諦めた時、カイが難しい顔をして声を掛けてきた。
「なあ、ヒイロ。百歩…いや、百万歩譲って剣聖レオが敵ではないっていうのはわかったんだけどさ…」
そんなに譲る必要はないはずだ。一歩も譲ることなくすんなりと理解してほしい。もしかしたら、こいつの頭の中の理解さんは既に討伐されてしまっているのだろうか…。
カイはそこまで言うと、少し考えたような表情を浮かべる。
そして、切羽詰まったような表情で俺に尋ねてきた。
「だったら、俺達はここで、いったい誰を討伐すればいいんだ!?」
「いっそのこと、目の前のポンコツ勇者を討伐するのはどうかな?」
俺が呆れながら投げやりな返事をすると、カイに何やら衝撃が走る。
「ぽんぽこ勇者…!? そうか…、剣聖は勇者を騙る狸なのか…。なるほど、やっぱり剣聖は倒すべき敵だってことだな、ヒイロ!」
「振り出しに戻る!」
このポンコツ勇者、何だかとてもイキイキとし始めたよ?
俺がなんとかしてカイの誤解を解こうと説得を続けながら歩いていると、行く手を大きな岸壁に阻まれる。
仕方なくその岸壁を避けながら回り込むと、周囲の景色が一変した。
割れた大岩に倒れた木々、大地や岸壁には巨大な爪で抉られたような跡。まるで、何か巨大な生物にでも荒らされたかのような光景が広がっていた。
その傍らには白装束を着た一人の女が立ち尽くしている。
薄暗い中でぼんやりと光っているその女の表情は、顔の前にだらりと垂れている長い髪に隠れて窺い知ることができない。
そして、その女が着ている白装束の胸の辺りは、赤い何かで染まっていた。
「え…? あそこ、誰かいる!」
「…? きのせいではないですか?」
ハルにそう言われ、もう一度見返す。
しかし、俺には白装束を着た女がゆっくりと近付いてくるのが見える。うん、気のせいなんかじゃない。
「いや、近付いてくるんだけど!」
「ヒイロ君、きのせいだよ」
ウォルフさんまでもが、俺の気のせいだと言い張る。
えっ、もしかして見えてるの俺だけ…?
「いや、そんなことないでしょ? あんなにはっきりと見えているのに…」
「きのせいです」
ハル、今ちらっと見たよね? 絶対気付いてるよね?
「いいですか、ヒイロ様…。あれは、きのせいです」
真剣な表情で、俺に言い聞かせるかのように語り掛けるハル。
何でそんなに気のせいだと思わせようとするんだ?
気付いてないふりをしなければいけなかったってことなのか?
でも、もう遅いよね…?
完全にパニックに陥った俺の目の前まで、白装束の女が忍び寄っていた。
女がゆっくりと距離を詰めてくる。俺も後退るが、とうとう木の幹に背中が当たり逃げ場を失う。
その時、だらりと垂れた前髪の隙間から、女がニタリと薄気味の悪い笑みを浮かべるのが見えた。
あ、ヤバイ…。呪い殺される…。
全身から嫌な汗が吹き出し、恐怖に足がすくむ。
もうだめかと思い、目を固く閉じる。
「いらっしゃ~い。世界樹の森へようこそぉ~」
死をも覚悟した俺の耳に、急にそんな間延びした声が届いた。
俺は、そっと目を開ける。
どうやら、この声は目の前の女から発せられているようだ。
「もぉ、急いで飛んできたから髪がぐちゃぐちゃになっちゃいましたよぉ~」
そんなことを言いながら、髪を手櫛で整え始める。
そして、状況が飲み込めなくて呆けている俺に気付くと、俺の顔の前に手を翳して振り始めた。
「あのぉ、聞こえてますかぁ~?」
「え…? どう…なってるの…?」
「…? どうと言われましてもぉ、私はぁ、皆さんを迎えに来ただけですよぉ」
「迎えに…来た…?」
「はいぃ。私はぁ、世界樹に宿る精霊のイアと言いますぅ~」
世界樹に宿る精霊? 世界樹の精霊…。樹の精霊…。樹の精…。
「いやぁ、樹の精が人前に姿を現すなんて珍しいね」
「そうですね、樹の精は森の中でひっそりと暮らしていますからね」
後ろでウォルフさんとハルが会話をしているが、何だろう、さっきまでの二人のイントネーションに悪意を感じる。俺の被害妄想だろうか?
俺が少しモヤッとしたものを抱えながら黙っていると、イアと名乗ったその精霊は、のほほんとした笑顔を浮かべつつ続けた。
「レオさんに会いに来られたんですよねぇ~? ご案内しますよぉ~?」
「え…。あ、はい…。お願いします…」
何かすっきりしないものを感じつつも返事をすると、ウォルフさんがドヤ顔で声を掛けてきた。
「ヒイロ君、だから言っただろう、近道だって」
何だろう、もやもやが晴れる気がしない…。
その時、カイが慌てた様子で声を上げた。
「ちょっと待て、皆、目的を見失うんじゃない! 俺達は、そんなよく知りもしないレオなんて奴に会っている暇はないはずだ。俺達は、勇者を騙るケンセイという名の狸を討伐しないといけないんだぞ!」
目的を見失ってるのはお前の方だよ。
だが、余計なことを言うとまた振り出しに戻りそうだし、このまま勘違いしていてもらった方が良いような気もする。
「えーっと…。その狸を倒す為には、そのレオさんに会わないといけないんだよ」
「そうなのか!? なんだ、それならそうと早く言ってくれよ」
そこは聞き分け良いのな?
呆れてカイを見ていると、背後にスゥッとイアさんが現れて俺の肩にゆっくりと手を乗せる。
いや、怖い怖い怖い。
前髪また乱れてるし。
「それではぁ…、そろそろ行きましょうかぁ~?」
「あ、はい…」
イアさんはいそいそと髪を整えると、『こちらですぅ』と言いながら俺達を先導し始めた。
俺達はその後に続く。
「それにしても、そんな恰好してるから幽霊かなんかだと思って焦っちゃいましたよ」
前を歩くイアさんの姿を見ながら思っていたことを口にすると、彼女は自分の服に視線を落とした。
「あぁ、これですかぁ? さっきまで滝行の準備をしてカシスジュースを飲んでいたんですよぉ~」
それ、どんな状況?
「そしたらぁ、いきなり皆さんがいらっしゃったので慌ててしまいましたぁ~」
すると、イアさんが少し振り返ってこちらを見ながら微笑む。
「でもぉ、幽霊と旅をしていらっしゃるのに幽霊が怖いなんて、おかしな方ですねぇ~」
……。
後ろを振り返ると、そこにはふよふよと漂うオーギュストさん。
いや、これはなんか違うんだよ。
暫く歩いていると少し開けた空間へと出る。
その中央には優麗な桜の巨木。時季外れだというのに満開の花を咲かせているその桜は、ぼんやりと輝いて見え、幻想的な雰囲気を作り出していた。
すると、イアさんが足を止めた。
「さて、着きましたよぉ」
「ここにレオさんが居るんですか?」
「……いいえぇ、もう、ここには居ませんよぉ…」
イアさんが何やら意味あり気にそう呟くと、突如として彼女を囲むように桜吹雪が巻き起こった。
すると、彼女の姿が白衣と緋袴へと変わっていく。髪は赤い組紐と簪で束ねられ手には大弓。腰に身に着けた箙には幾本かの矢。
桜吹雪が止むと、幻想的な桜を背景に舞い踊るかのような動作でこちらへと向き直し、妖艶な笑みを浮かべる。
そして、いつの間にか俺達の背後には派手な陣羽織を羽織ったツキノワグマが立っていた。
嵌められた!?
今、目の前のこの人は確かに『もう、レオさんはここに居ない』とそう言った。そして、俺達が彼女と会った時、その周囲はとても荒れ果てていた。まるで何かと戦ってでもいたように…。
何故こんなあからさまに怪しい状況で、何の警戒をすることもなくのこのことついてきてしまったのか。
俺達は昨日マリオさんから情報を貰っていたじゃないか。この辺りでO2が活動をしていると…。
もしかして、イアさんはO2のメンバーで、レオさんは既に…?
俺達が身構えると、イアさんの背後から藍色の布を額に巻いた作務衣姿の青年が近付いて来るのが見えた。
ハルが黒い箱を地面に置き、右手で俺に下がるように合図しながら前へと出る。
ミーアが熊に向かって激しく威嚇を始め、カイが背中の剣へと手を掛ける。
すると、イアさんが不思議そうな表情を浮かべた。
「皆さん、身構えてどうしたんですかぁ~?」
「姉さん。これ多分誤解を招いてる…」
「クマもそう思うんだよ」
「えぇ~?」
イアさんが間延びした声を上げながらも少し驚いたようにこちらを見る。
そして、構えを解こうとしない俺達を見て少しだけ慌てたように口を開いた。
「どうしてですかぁ? 何を勘違いされているんですかぁ?」
「姉さんが何か意味あり気な雰囲気で呟いて、弓なんか持って怪しく微笑んだりするから…」
「クマもそう思うんだよ」
「え? えぇ? でもぉ、ここにレオさんが居ないのは事実ですしぃ、あんな光景を見たら絵になる恰好をしたいと思うじゃないですかぁ~」
何だか様子がおかしい。この人達は敵ではないのだろうか?
「あなた達は、O2じゃないんですか…?」
「えぇ? O2ってなんですかぁ? 違いますよぉ、世界樹に宿る精霊だって言ったじゃないですかぁ~」
あたふたと慌てているイアさん。
それを見かねて額に布を巻いた青年が前に出てきた。
「あの、僕はコダマといいます。姉さんが紛らわしい真似をしてすみません。さっき姉さんが言った通り、僕達はこの世界樹に宿る精霊です。あなた達に危害を加えるつもりはありません。ほら、満願皇国発行の身分証明書もありますよ」
コダマと名乗った精霊が一枚のカードを取り出して提示する。
そこには顔写真や名前と共に、現住所欄に『世界樹』と記載されていた。
ツッコんでいいのか判断に迷う。
「確かに、本物のようですね…」
ハルがそれを見て納得したように呟き、警戒を解いた。
まあ、ハルが納得するんだったら大丈夫だろうか?
「はぁ、良かった」
コダマさんは安堵したように呟くと、イアさんに視線を向ける。
「まったく、姉さんは少し反省してよね」
「クマもそう思うんだよ」
反省を促されたイアさんがしょぼくれている。
熊に向かって威嚇を続けていたミーアを抱き上げると、ミーアは熊を睨みながら唸り声を上げ、空中へと猫パンチを繰り出し始めた。余程熊が怖かったようだ。
「もう大丈夫だよ、ミーア」
優しく声を掛けながら撫でてやると少し落ち着つくものの、イカ耳状態で不機嫌そうだ。
「それで、レオさんが居ないっていうのはどういうことですか?」
俺が尋ねると、イアさんが顔を上げた。
「あぁ、それはですねぇ。お客様にお出しする為の兎を採りに行ってもらっているからですぅ~」
「ちょっと姉さん、初耳だよ? そのお客様がもう来てしまったんだけど、何で今更そんなことしてるの?」
「クマもそう思うんだよ」
何だろう、さっきから熊が気になる。
「でもぉ、木に生っている兎を採ってくるだけですから、すぐに戻ってきますよぅ~」
「姉さん。ホーンラビットは別に木に生っているわけじゃないからね?」
「クマもそう思うんだよ」
何やらショートコントを繰り広げていた三人だったが、ふと熊がこちらに視線を向けた。
そして、俺に近付いてくる。
熊が近付いてきたことに気付いたミーアがバタバタと暴れて俺の手をすり抜けていく。どうしても熊が苦手らしい。
一目散に逃げていくミーアを目で追っていると、熊が声を掛けてきた。
「君が稀人のヒイロ君だよね?」
「はい、そうです」
「クマは熊六っていうんだよ。よろしくなんだよ」
「よろしくお願いします…」
さっきから、一人称が微妙に気になる。
挨拶を交わし、そんなことを考えながら熊六さんの顔を見ていたら、熊六さんは何かに気付いたようにハッとした。
そして、真剣な表情を浮かべながら言った。
「その顔は…、熊キャラなら語尾にクマかベアを付けるべきだと思っている顔……クマ?」
「いえ、思ってません」
一人称での自己主張だけで十分です。
俺がきっぱりと否定すると、熊六さんが安堵したような表情を浮かべた。
「そう、それならよかったんだよ。クマは自分の信念は曲げたくないんだウルスス」
「超能力者もびっくりな曲がり方してますけど?」
学名まで引っ張りだしてくるな。
そして、そんな俺のツッコミは当然の如くスルーされて、熊六さんが話題を変える。
「そうだ、君がレオに会いに来た目的は聞いてるんだよ。稀人なのに何の能力も使えない無能だから、レオに話を聞きに来たんだよね?」
とりあえず、みんなして俺のことを無能無能言うのはやめてもらいたい。
俺のメンタルは崩壊寸前だよ?
「それなら、クマでも力になれるんだよ?」
「え!? 本当ですか?」
唐突に発せられた一言に驚きを隠せない俺を前にして熊六さんが続ける。
「本当なんだよ。クマは人に力を授けることができるんだよ」
これだよ。これを待ってたんだよ。
異世界召喚にはこういう展開があってしかるべきだろ? むしろ、こういう展開は召喚された時にあるべきだったと思うが、今更そんなことを言っても仕方がない。
何にしても、ここから俺のターンだ! もう、誰にも無能だなんて言わせない!
期待に胸を膨らませる俺に対して、熊六さんがゆっくりと口を開く。
次の瞬間、俺の耳に飛び込んできたのは衝撃的な言葉だった。




