026 キユウソク
王都ヘレニウムから南の海沿いにある街、ロサ・ルゴサ。ここはレニウム王国随一の海洋リゾートとして有名らしい。
そして、明日から開催される八カ国同盟首脳会議の会場となるホテルがある街でもある。
俺達はそのホテルの周辺をハルに案内されながら歩いていた。
「周囲の状況については把握できたでしょうか?」
「そうだな、とりあえず天竺鼠を見かけたら捕まえればいいんだろ?」
ハルの問いかけに答えたカイだが、何も理解してなさそうだ。
ちなみに、テンジクネズミというのはモルモットの和名だ。
ハルの呆れたような視線を気にもせずカイが続ける。
「俺には細かいことはわからないからな。そういうことは参謀であるヒイロに一任するぜ!」
「ちょっと待て。俺は参謀じゃない」
「心配しなくても、明日攻めてくるっていう首脳は俺が蹴散らしてやるよ」
そんなことを言いながらカイがシュノーケルを掲げた。
「おいこら、首脳蹴るな!」
カイはそんな俺のツッコミをスルーすると急に服を脱ぎ始める。
「それよりも、折角海に来たんだから泳ぐべきじゃないのか!?」
「そうだな、水着のお姉ちゃんが俺を待っている!」
バルザックが同意し、カイと共に水着姿で海の方へと駆け出した。
こいつら、何故服の下に水着を着ていた?
「あ、二人とも。海に入る前に準備運動はきちんとするんだよ」
そんなことを言っているウォルフさんは、羽織っているいつもの上着の下にインナーを身に着けていない。
あなたの場合は判断に迷うんですよ、ウォルフさん…。
「ヒイロ様も泳いできて構いませんよ?」
「え? いや、ダメでしょ」
「今日はこの後の予定もありませんし、暫しの休息です。アレックスさんによる許可もありますので構いませんよ」
「許可あるんだ…」
「ええ、こうなるであろうことは予想されていたようですね。勇者一行による海上警備活動という名目で関係各位に通達済みのようです」
…それで良いのか?
まあ、とりあえず自由時間だということだし、泳ぐかどうかは別にしてゆっくりと海でも眺めようか。
そんなことを考えながら堤防を越えて浜辺へと移動する。
すると、そこにはハイテンションで『貸し切りだぁ!』と燥いでいるカイと、『お姉ちゃんがいねぇ…』と呟きながら打ちひしがれているバルザックの姿があった。
まあ、明日からの首脳会議の為に、既にこの辺り一帯封鎖されてるからね。一般人なんているわけがない。
「元気のいい奴等じゃのぅ」
後ろから現れたオーギュストさんに目をやると、いつも通り車椅子に座った本体と、その車椅子を押す幽霊の姿。幽霊の方は、いつの間にか褌姿に変わっている。
…俺は、まずどこからツッコめばいい?
その時、ハルが何かに気付いて呟いた。
「ミーアがヤドカリを見つけたようですね…」
ハルのその発言を受けて、俺はミーアが小さなヤドカリを見つけて前足でチョンチョンしている可愛らしい姿を思い浮かべた。
そして、期待に胸を膨らませながら、ハルが見ている方向へと視線を向ける。
……。
うん、あれはヤドカリじゃない。
いや、ヤドカリではあるんだが、宿を借りてない。そして、俺が思い描いていたサイズよりも明らかにでかい。紛れもなくタラバガニだ。
俺の視線の先では、逃げ腰のミーアが威嚇するタラバガニに対して猫パンチを繰り出している。
まあ、結果的に可愛いから良しとしよう。
「こいつは、今日の夕食用に回収しておこうか…」
「そうですね」
ハルとそんな会話を交わしながらタラバガニを回収し、ついでにミーアの頭を撫でる。
「ハルは泳がないの?」
「私は遠慮しておきます。泳ぎはあまり得意ではないので」
「そうなんだ…」
泳がなくてもいいから、水着を着てくれたりはしないだろうか?
だって、ハルがいないとむさ苦しい奴らしかいない。バルザックの水着姿とか、誰得だよ…。
そんなことを考えていたら、バルザックがボソッと呟くのが聞こえた。
「フッ、今更まな板が水着を着たところで、俺の胸にぽっかりと開いた穴は埋まらない…」
こいつ、本当に最低な男だな。
それに対してハルは完全無視だ。しかし、ミーアが反応して毛を逆立てて怒り始めた。
前にも見たな、こんな光景。この後の展開はなんとなく予想できる…。
ミーアがバルザックの顔めがけてとびかかり、その顔に爪を立てる。それはもう執拗に、狂ったように何度も引っ掻き続ける。
このニャンコは、何故こうもまな板という単語に過剰反応を示すのだろうか?
「この駄猫!!」
バルザックがそう叫びながら腕を振り上げると、そこへ何かが飛んできた。
それを顔面に受けると、バルザックがその場に倒れる。
「先ほど、その辺りでパイナップルを仕入れました。冥土の土産です。お受け取りください」
ハルがそう言いながらスカートの左右をつまみ、優雅にお辞儀をする。いわゆるカーテシーというやつだ。
ハルが投げつけたもの、それはパイナップルに似た形状をしたもの。そう、海鞘だ。
その後、ハルはミーアを抱き上げて去っていった。
後には、気絶して泡を吹いているバルザックが残されていた。
海鞘で人を気絶させるとか…、球速を測ったらどのくらいあったのだろうか。
まあ、あの男は放っておくとしよう。
海の方を向き景色を眺める。青い空、青い海、白い砂浜。
そして、少し目を移せば大自然を感じられる断崖絶壁と、波に削られてできたのであろう自然の岩のアーチ。
まさに絶景。
………。
何で俺、タラバガニ抱えて海を眺めてるんだろう…。
うん、一旦このタラバガニ置いてこよう。
そう思ってホテルの方へ向かおうとした時、沖の方で大きな魚が海上に頭を出した。
何やら目が飛び出しているが、あのフォルムはおそらく鱈だろう。
ちなみに、飛び出しているといっても深海魚が引き上げられた時のような感じではなく、アカシュモクザメ(いわゆるハンマーヘッドだ)のような感じだ。
すると、隣にいたウォルフさんが教えてくれた。
「あれは、目の付け所がシャークでしょ? でお馴染みの、『出鱈目』だね…」
「アカシュモクザメってサメの中でも特殊な部類だと思いますよ?」
するともう一体、大きな魚が海上に頭を出した。
これまた目が飛び出している。
「あれは、『目出鯛』だね…」
とりあえず、『めでたい』に字を当てるとしたら『目出度いor芽出度い』だ。
そして、どちらも語源とは一切関係ない当て字で、当然ながら鯛も全く関係ない。
ちなみに、今目の前にいるのはおそらく真鯛ではなく金目鯛だ。
「あの目には大量の金が含まれていて高値で売れるんだ。目出鯛の信用を得ることができれば、相対取引で譲ってくれるらしい」
「目を!?」
「暫くすれば再生するみたいだから大丈夫。目から金を出すことから、別名『出目金』とも呼ばれているんだよ」
「金魚!?」
まあ、確かに目の飛び出し方は出目金っぽい。
「キャッチコピーは『貴方に目出鯛』だ」
「キャッチコピーって何!?」
「しかも、尾頭付きだよ」
「生きてますからね!」
情報過多だよ。
「いや、それよりも何なんですか、こいつら。タラもキンメダイもこんなところには生息してませんよね。両方とも深海魚のはずですよ」
「その通り、あれらは最近目撃情報が急増している新怪魚なんだよ」
誰がうまいこと言えと言った?
「まあ、そこにタラバガニがいるんだから、タラがいても不思議はないと思わないかい? なにせ、鱈場蟹というくらいだし」
「タラバガニも、こんなところに生息しているのはおかしいんですよ!」
その時、沖の方にいた出鱈目がキョロキョロと辺りを見回した。
そして、いったん海に潜ると波が打ち寄せるのに合わせて物凄い勢いで突進してきた。
出鱈目はそのまま浜辺に乗り上げると、そこに倒れていたバルザックを咥えて鰭を器用に使いながら海へと戻っていく。
まるで、どこかのシャチのハンティングのようだ。
海水に浸かったバルザックが目を覚ますが、後の祭り…。そのまま海へと引きずり込まれていく。
「バルザーック!」
泳いでいたカイがその様子に気付いて叫ぶが、時すでに遅し。バルザックの姿は海中へと消えていった。
浜辺に上がって悲嘆にくれるカイ。
その時、沖の方で海面に気泡が浮かび、そこからバルザックが顔を出した。
苦しそうな表情で大きく息を吸い込む。
その様子を見てカイが叫ぶ。
「バルザック、無事だったのか。早く岸に上がるんだ!」
漸く呼吸を落ち着かせたバルザックが岸に向かって泳ぎだそうとした時、それを阻むようにして海面に気泡が上がる。
バルザックが別方向へ泳ぎだそうとすると、そちらに気泡が上がりその行く手を阻む。
そして、バルザックの周りの海面が気泡で囲まれた。
次の瞬間、バルザックの真下から大きく開かれた口が現れ、海水ごとバルザックを丸呑みにした。
まるで、どこかのクジラのハンティングのようだ。
とりあえず、あのタラはどうやって気泡を出していたんだろうか?
「さすが大口魚という異名を持つだけあるね…」
ウォルフさん感心したようにそんなことを呟くが、それ以前の問題だと思う。
「あのタラ、さっきからやってることが出鱈目過ぎませんか?」
「出鱈目だからね」
……。
俺が微妙な気分になっている横でカイが上空に手を翳す。
すると、どこからともなく剣が飛んで来た。カイがそれを手にすると、見る見るうちに禍々しい姿へと変貌していく。
「今助けるぞ、バルザック! くらえ! 海ヲ喰ラウ者!」
叫ぶと共に剣を振るうカイ。
すると、邪剣が海水を呑み込み、海が割れた…。数キロ先の沖の方まで一直線に海底が見える。
そこには海の生き物達がピチピチと跳ねており、その中にバルザックを一呑みにした大きなタラの姿も確認できた。
さて、当然のことながら水は重力に従って低い方へと流れる。
今は一瞬にして一部の海水が消失したことによって両側に水の壁がそそり立っているような状況になっているものの、そこに何らかの支えがあるわけではない。
水の壁が轟音と共に一気に崩壊し、激流が海底を覆った。
しばらくすると割れた海は元通りとなり、海面には海の生き物達がプカプカと浮いていた。
浜辺にも多くの海の生き物が打ち上げられている。
「俺の勝ちだな」
とりあえず、一番出鱈目なのはこいつかもしれない。
満足そうに呟いたカイを見ながらそんなことを考えていると、カイはそのままその場を後にしようとする。
「えっ、バルザックは?」
「………あ、そうだったな」
忘れてたんかい。
その時、打ち上げられていた大きなタラの口の辺りがもぞもぞと動きだした。
カイがそれに気付き反応を示す。
「まだ生きていたのか! これでもくらえ! 魚ヲ喰ラウ者!」
邪剣が振り下ろされると同時にタラの口が開くと、中から這い出してきたのはバルザック。
「「あ…」」
「へ?」
次の瞬間、邪剣がタラを呑み込んだ。
間一髪のところで難を逃れたバルザックに、カイが駆け寄る。
「バルザック無事でよかった!」
「たった今、殺されかけたけどな」
「気にするな! 俺は気にしない!」
よく生きてたな、こいつ…。
しかし、この惨状をどうすれば良いのだろうか?
とりあえず、タラバガニを小脇に抱えながら、まだ生きてピチピチと跳ねている生き物を海へと戻してやっていると、近くの岩場にペンギンが倒れているのを見つけた。
何故こんなところにペンギンが? いや、もう今更だな。
近付いて覗き込むと、まだ息があるようだったのでそっと触れてみる。
……。
うん、濡れたペンギンにモフモフを期待するだけ無駄だよね…。
すると、突然ペンギンが目を覚ました。そして、俺に気付くと、とても驚いたような表情を浮かべた後、一目散に海へと飛び込んで逃げていった。
呆然とそれを見送っているとウォルフさんが声を掛けてくる。
「どうしたんだい?」
「ここ、ペンギンもいるんですね…」
そんなことを呟きながら俺は遠い目で虚空を見つめるのであった…。
急速? 吸息?
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ヒイロ (何やら目が飛び出しているが、あのフォルムはおそらく鱈だろう。)
半身しか海上に出ていない上に、明らかに不自然な頭部形状をした魚を見て、一瞬で鱈だと認識できるヒイロって実はすごいと思う…。




