099 スパイ ダイサクセン
「切り札…。そうか、切り札か。フッ、フフフフ」
突然笑い始めたネロを前にしてハートが怪訝な表情を浮かべる。
「気でも触れましたか、ネロ?」
そう問われると、ネロは余裕を浮かべてみせる。
「フッ、貴様等がどんな切り札を残しているのかは知らないが、切り札を残しているのがお前達だけだとでも思っているのか?」
「ここからまだ逆転の一手を残しているとでも?」
「そもそも、私は端から幻影道化師など信用していない」
「その割には、先ほどはとても驚いていた様子でしたわね?」
その指摘に一瞬硬直するネロであったが、すぐに何事もなかったかのように立て直す。
「そう、つまり、お前達とは全ての情報を共有しているわけではないということだ」
「無視するつもりですのね?」
そんなハートの発言には一切の反応を示さずにネロは一冊の禍々しい装丁の本を取り出した。
「我々は世界を覆し得るほどの力を手に入れている。お前達の力など、最初からあてになどしていない」
「それを手に入れたのが最近であり偶然だということは既に調べがついていますのよ?」
再びの指摘に一瞬硬直するネロであったが、やっぱり何事もなかったかのように立て直す。
「お前達が裏切るのも初めから想定の内。帝国の覇道に何ら影響を与えるものではない」
「どうしても無視するつもりですのね?」
そんなハートの冷静な指摘にネロもとうとう苛立ちをみせる。
「ええい、うるさい奴め。とにかく、これが我々の手にある以上、帝国の勝利が揺らぐことなどありえない」
「ですが、それの力を使った王都襲撃も、ネプチューンによる制海権の確保を前提にしていたはず。あなたの計画は既に破綻をきたしていますのよ?」
すると、ネロは見下すような視線をハートへと向ける。
「愚か者め。これが私の手にある限り、戦力はいくらでも投入できる」
そして、本を開くと異臭と共に周囲の角度を持つものから黒い煙が噴き出し、そこに異形の犬のような化け物が姿を現した。
ハートが警戒する中、ネロは笑みを浮かべる。
「王都には、既に我々の手の者が潜り込んでいる。その者の下へこれらの戦力を送り込んでやれば王都の制圧など容易いこと」
「そんなこと、させると思いますの?」
「もう遅い」
その発言と同時に異形の犬のような化け物達はニタリと歪んだ笑みを浮かべる。そして、再び黒い煙となってその場から消えていった。
***
「プロテウスはこの私が貰い受けます」
トランプはそう言うとゆっくりとプロテウスへと歩み寄る。するとその時、何者かの声が響き渡った。
「それは許容できないでしね」
その発言と同時にどこからともなく飛んできた一振りの剣がトランプへと襲い掛かる。それに気付いたトランプが回避するとそれはその場に深く突き刺さった。
「いったい何のつもりですかな?」
警戒しながらトランプが視線を向けた先には黒い三つ編みの金髪の男。
「それはYouには過ぎた玩具でし」
ヨサークさんのいきなりの乱入とか気になることはいくつもあるんだが、とりあえず一つだけ。
どうしよう。語尾の所為で緊迫感が生まれない…。
俺の頭の中では、理解さんの弟子だと名乗る謎の影が緊迫感さんを追い払っている。
「私の邪魔をしないでいただけますかな」
「そういうわけにもいかないでし。You達の内輪揉めに興味はないでしが、ここまで計画から逸脱されては、Meとしても何もしないわけにはいかないんでしよ」
その発言を受けてトランプが何かを察した。
「なるほど、あなたは帝国の…」
お前、本当に敵だったのか。
そんなことを考えていると、バルザックが驚愕の声を上げる。
「ヨサーク、お前、帝国のスパイだったのか!?」
すると、ヨサークさ……敵ならもう呼び捨てでいいや。というわけでヨサークがニヤリと笑みを浮かべた。
「いまさら気付いたんでしか? 言ったはずでしよ、Meはインテリでし。そう、インテリとはインテリジェンスエージェントの略でし!」
「違うよ。インテリゲンチャの略だよ」
ちなみに、ロシア語で『知識階級』っていう意味だよ。
さて、そんなツッコミは当然のようにスルーされ、オーギュストさんが訳知り顔で呟く。
「フッ、あの男、やはり帝国の間者であったか。もちろん儂は気付いておったぞ?」
おい、見え透いた嘘を吐くな、爺さん。
そんな俺の冷めた視線に気付いたオーギュストさんは少しだけ気圧されながら抗議の声を上げる。
「じゃから、顔でツッコむなと言っておるじゃろ!」
だったら、ツッコませるんじゃねぇよ。
「ええい、その顔をやめぬか!」
そうやってオーギュストさんに対して無言の圧を送っていたら、周囲に異変が起きた。異臭が漂うと共に部屋の片隅や瓦礫の角から黒い煙が噴き出す。
そして、その黒い煙から犬のような異形の化け物達が姿を現した。
それを目撃した瞬間、バルザックが急に強気な態度で吠え始める。
「おうおうおう。入り口でもないところから勝手に入ってくるたぁ、いってぇどんな了見でい!」
「角度あるところから次元の狭間を越えてやってくる猟犬じゃないかな?」
咄嗟にそんな返しをしていると、現れた異形の化け物達がトランプへと襲い掛かった。
「なるほど、これが禁忌の魔導書の力というわけですか…」
異形の化け物達の攻撃を躱しながらトランプが呟くように漏らすと、ヨサークが見下すような笑みを浮かべた。
「どうやら、宰相閣下もYou達を見限ったようでしね」
そうしてトランプとヨサークによるバトルが始まったわけだが、その背後ではちょっと気になる事態が進行していた。
プロテウスの周囲では相変わらず瓦礫が渦巻き、天井をも分解しながら巻き込んで何かを形作り始める。それは何やらメカっぽい巨大な足のようなもの。
しかし、そんなものには目もくれずトランプが反撃に打って出る。
トランプは懐から取り出したカードの束から二枚のカードを抜き取るとそれを放り投げる。その二枚の図柄はスペードのジャックとクラブのジャック。
「ブラックジャック」
次の瞬間、二枚のジャックの周囲に黒い靄が集まると漆黒の全身鎧を纏った二体の騎士が現れた。
「眼前の敵を排除しなさい」
そう言うと、トランプは二体の黒騎士と共に異形の化け物達を迎え撃つ。
数で勝る上に死角から次元を超えて現れる異形の化け物相手に全く引けを取らない二体の黒騎士とトランプ。
その凄まじいバトルを前にしてバルザックが覚悟を決めたように笑みを浮かべた。
「何て戦いだ。こんなものを見せられたら、俺も黙ってはいられないな」
そして、バルザックは自信にあふれた表情で言い放つ。
「どうやら、お前達は俺の逃走本能に火をつけてしまったようだ!」
「逃げんな、バルザック!」
俺の咄嗟のツッコミが響き渡る中、バルザックは既に出口の前まで移動していた。こいつ、逃げ足だけはとても速い。
「俺には他にやらなければならないことがある。この場はお前達に任せた!」
そう言い放つと、バルザックは部屋の外へと駆けていった。しかし、何故かすぐに全速力で戻ってくる。
「うおおおぉぉぉ!」
必死な表情のバルザックの背後からは剣や斧、槍といった各種武器が彼を追いかけるようにして飛んできていた。
「いったい何事ですか?」
そんなアレックスさんの疑問にヨサークが答える。
「あれは、Meの愛する凶器コレクションでし。こんなこともあろうかと石像に持たせるという名目で王宮内に運び込んでいたんでしよ」
「何ですって!? これほど大量の武器を内装工事の荷物に紛れ込ませていたというのですか!?」
紛れ込ませるどころか、装飾品名目ではあるものの武器そのものを運び込んでいる。
「Meの作戦勝ちでし。そして、この凶器コレクションはMeの思う通りに動かせるでし。さあ、You達には凶器乱舞をお見舞いしてあげるでしよ! ハハッ、ハハハッ、ハハハハハハハ!」
すると、バルザックを追って部屋に飛び込んできた凶器が縦横無尽に周囲を飛び交う。そんな中でまるで小躍りするかのように飛び跳ねながら笑い声を上げるヨサーク。
まさに狂喜乱舞。
「さあ、Meに恐怖に泣き叫ぶ声を聞かせるでしよ! ハハハハハ!」
何なんだこの狂気…。
そんなことを考えていたのも束の間、凶器が一斉に手近な相手へと襲い掛かってきた。
「師匠!」
「うむ」
アレックスさんとオーギュストさんが国王を囲むと、生み出した光球で飛び交う凶器を弾き返す。さらに、アレックスさんは狂気の笑い声を上げているヨサークに視線を向けるとそちらへも光球を打ち放つ。
その攻撃は割り込んだ凶器によって阻まれた。しかし、アレックスさんの狙いは別のところにあった。
「ウォルフ!」
「わかってるよ」
まるで息を合わせたかのように飛び出したウォルフさんが、光球によって開かれた隙間を縫ってヨサークへと迫る。
「梨五連!」
そんな叫びと共に彼の腰のカバンから五つの梨が飛び出した。そして、飛び出した梨がヨサークとの間に連なるようにして並んだところでウォルフさんが一番手前の梨に殴りかかる。すると、五つの梨が一気に押し出された。
それらがそのままヨサークへと直撃するかと思われた次の瞬間、ヨサークが歪んだ笑みを浮かべる。
「甘いでしよ」
梨だからね。
咄嗟に口に出そうになった言葉を飲み込んでいると、ヨサークと梨の間に一枚の盾が割り込む。そして、突如現れたその盾はウォルフさんの梨による五連撃を見事に防ぎきった。
「そんなまさか!?」
ウォルフさんが驚愕の声を上げたのも束の間、盾が眩い光を放つ。
「その攻撃、そのまま返してあげるでしよ」
次の瞬間、ウォルフさんに激しい五連撃が襲いかかる。
「ウォルフ!」
弾き飛ばされたウォルフさんを気にかけるアレックスさんだが、自分達に襲い掛かってくる凶器への対処の為にその場から動くことができない。
ちなみに、俺がこんなにも落ち着いて解説していられるのは毎度おなじみの優秀なコートの裾のおかげである。
そんな安全地帯を求めてミーアが俺のところへと駆けてくる。
俺の胸へと飛び込んできたミーアを抱きとめてモフっていると、ふとプロテウスが目に入る。相変わらず瓦礫が渦巻くその中では天井の分解がさらに進み何やらメカっぽい胴体のようなものが形成されていた。
とても気になるが、理解さんも未だにあれの全容を把握しきれていないようなので今しばらく放置しておこうと思う。
するとその時、弾き飛ばされていたウォルフさんが立ち上がった。
「なるほど…、全ての攻撃を反射する盾か…。厄介なものだね…。でも、やりようはある」
そう呟くと、ウォルフさんの腰のカバンから幾つもの梨が飛び出した。
「これも返せるかな?」
「何度やっても同じことでし」
「梨の礫!」
その叫びと共にウォルフさんが腕を振るうと梨が一斉にヨサークを守る盾へ向かって撃ち出される。
「返り討ちにしてやるでし!」
盾に守られて余裕を浮かべていたヨサークだったが、次の瞬間、その余裕は一気に崩れ去ることとなる。撃ち出された梨がヨサークを守る盾をいとも簡単に打ち砕いたのだ。
「どういう事でしか!?」
驚愕の声を上げるヨサークに向かってウォルフさんが言い放つ。
「この技を使うと相手からは何の音沙汰もなくなるんだ。そう、つまり何人たりともこれを反射することなんてできないということさ」
……。
あ、うん。それじゃあ、俺からの音沙汰もなしってことで。
ミーアが『ツッコミを放棄しないで』とでも言いたげに俺を見ている気がするが気にしてはいけない。
俺が遠い瞳でどこかを見つめていると、ヨサークが動く。咄嗟に飛び退きながら凶器を操ると、剣や槍が襲い来る梨を床へと縫い付けた。
「少し焦ったでしが、Meを舐めてもらっては困るでし」
「まだまだ、ここからだよ」
そう言って再び五連の梨を構えるウォルフさん。そこへ、凶器への対処にも次第に余裕が見られてきたアレックスさんとオーギュストさんが一部の光球を使ってヨサークを牽制する。
そして、ヨサークの背後に回った束子ちゃんが殴りかかり、畳み掛けるようにバルザックの攻撃『にらみつける』。
……。
まあ、バルザックは置いておくとして、守勢に回ったヨサークが少しだけ苦し気な表情を浮かべる。しかし、ウォルフさん達も圧倒的な物量を背景とした攻防一体の凶器の壁を打ち崩すことができずにいた。
そんな戦闘が繰り広げられる一方でプロテウスは順調に成長を遂げ、何やらメカっぽい肩から腕の部分が形成されていた。
すると、ふとその足元に何者かが忍び寄っていることに気付く。その正体は金で縁取りされた漆黒の衣装を身に纏い、包帯を巻いてギプスと眼帯を身に着けた強面でスキンヘッドの男。
どうやら、完全に忘れられているのをいいことにプロテウス奪還の機会を窺っていたらしい。
それに気付いたトランプが一枚のカードをオネスト殿下めがけて投げつける。
まっすぐに向かってくるカードを前にして慌てるオネスト殿下。しかし次の瞬間、一本の剣がカードを壁へと縫い付けた。
「させないでし」
「よくやった、ヨサーク!」
あれ? こいつらも敵対していたはずじゃなかったっけ?
だんだんと誰が敵で誰が味方なのかもわからなくなりつつある乱戦状態の中、遂にプロテウスがその全貌を現す。
天井は完全に消え去って地上までの穴が開かれ、そこに佇んでいたのは巨大なメカペンギン。
それを前にしてオネスト殿下がドヤ顔で叫ぶ。
「これこそが、伝家の宝刀の最終形態。初代国王による建国に大きく貢献したと伝わるイワトビペンギン型巨大ロボ。その名も『NAZNA』だ!」
すると、オネスト殿下は何故か懐からぺんぺん草を取り出してそれを掲げてみせた。
次の瞬間、両手をついて屈むようなポーズで下を向いていたNAZNAの口が開くとそこから謎の光が照射される。そして、その光に包まれたオネスト殿下が吸い上げられ口の中へと消えていった。
そして、口を閉じたNAZNAの目に光が宿ると、拡声器を通したようなオネスト殿下の声が響き渡る。
「フハハハハ! これで形勢逆転だ!」
巨大ペンギンが立ち上がって地上に姿を現すと、地上は大混乱へと陥った。そんな地上を逃げ回る人々を見下ろしながら巨大ペンギンから愉悦の笑い声が響く。
「逃げ惑うがいい、吾輩に歯向かう愚か者共めが! フハハハハ!」
そんな中、自らに襲い掛かってきた異形の化け物を払い除けながらトランプがヨサークに視線を向けた。
「何故、あのような愚か者を利するような真似を?」
すると、ヨサークはフッと笑みを浮かべる。
「HeがYouの手の上で踊っていた道化であったように、HeはMeの手の上でも踊っているんでしよ」
”He”…?
俺の頭の中では、理解さんが『ヒィーッ』と悲鳴を上げながら頭を抱えています。理解さんのキャパオーバーのようなので、とりあえずスルーすることをお許しいただきたい。
「それはいったいどういう…?」
「Meはインテリとしてこの国に潜り込んだ後、この時に備えて色々と準備をしていたんでしよ」
おい、インテリをスパイの意味で使うんじゃない。
「準備?」
「そう、ジョーカーは既にMeによって洗脳済みでし」
その発言を受けてトランプはNAZNAへと視線を向ける。
「フハハハハ! ほーら、逃げろ逃げろ。早く逃げないと潰してしまうぞ。ハハハハハ!」
愉悦に浸りながらわざと甚振るように人々を追いかけるNAZNAを見て、トランプは不思議そうに問い掛ける。
「私には自らの欲望に正直に動いているようにしか見えませんが?」
「今はまだ条件が整っていないからでし」
「条件?」
「そうでし。普段から一国の王子が一介のインテリア専門店のオーナーに服従するような素振りを見せていれば周りから不審がられてしまうでし。それを避ける為にMeは本当の姿であの男に暗示をかけたでしよ」
「本当の姿…?」
すると、ヨサークはニヤリと笑みを浮かべた。
「覚えていないでしか? ジョーカーが崇拝し、通路のゴーレム達に命を吹き込んだ者の名を…」
「まさか…」
「気付いたようでしね。樵界のレジェンドから華麗なる転身を遂げたインテリア専門店『オノのタカムラ』オーナーのヨサークとは仮の姿でし…」
修飾語が長い。
そんなことを考えていると、ヨサークが自らの金色の髪に手を伸ばす。
「そう、辮髪の祈祷師とはこのMeのことでし!」
金髪の鬘を取り去ったヨサークの頭には立派な辮髪。どうやら、黒い三つ編みだけが自毛だったらしい。
その時、メカペンギンから大きな声が響き渡った。
「何だとぉ!?」
お前が驚くんかい。
「ヨサーク、お前が…。いや、あなた様が辮髪の祈祷師様だと仰るのですか?」
「そうゆうことでし」
「そんな…」
「何か不満でもあるでしか?」
「え?」
………。
「いいえ、ございません!」
「そうでしか。では、Youに命じるでし。そのペンギンさんの力を以て王都を制圧するでし!」
「ハッ、仰せのままに」
その命令を受けると、メカペンギンはすぐさま地上の蹂躙を再開する。
「フハハハハ! 逃げ惑え、辮髪の祈祷師様に歯向かう愚か者共よ!」
結局、やってること変わってねぇ…。




