098 キリフダ
「ハート。これはどういうことなのか説明してもらおうか」
苛立つネロが問いかけた先には微かに笑みを浮かべるハートの姿。
「いまさら説明が必要ですか?」
「この裏切りはお前の独断か? それとも…」
ネロの言い終わるよりも早く、ハートが答える。
「幻影道化師の意思と受け取っていただいて構いませんわ」
「…そうか、随分と愚かな真似をしたものだな」
「あら、そうは思いませんけれども?」
すると、ネロは見下すような視線をハートに向けた。
「フンッ。帝国を裏切って、何の後ろ盾もない状態で今後、ジョーカーを国王に据えて王国の統治などしていけると本気で思っているのか?」
その発言に一瞬呆気に取られたハートだったが、すぐに笑みを深めるとクスクスと笑い始める。
「ああ、それは確かに全く思いませんわね。ですが問題はありませんわ」
「何だと?」
「だって、幻影道化師は、王位を取る気などありませんもの」
「どういう意味だ? 貴様等の目的はどこか別のところにあるとでもいうのか?」
「そういうことですわ。ワタクシ達は、ただその目的の為に道化を演じるのみ…」
ハートの反応に違和感を覚えつつもネロが続ける。
「貴様等の目的とは何だ? これほど大掛かりな真似をして、いったい何をしようとしている?」
「それは教えられませんわね」
「そうか…、まあいい。何が目的なのかは知らぬが、帝国を敵に回して無事に済むと思っているのか?」
そんなネロの威圧にもハートは全く怯まない。
「何も問題はありませんわ。だって、ワタクシ達はまだ、切り札を残していますもの」
***
柱の陰からそっと覗く俺の目に映るのは、トランプに撫でられて気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らすミーアの姿。
そんな光景に嫉妬交じりの視線を向けていると、トランプが急に片耳に手を当てながら表情を変えた。
「ジョーカー。王都全域の制圧を任せていた貴族連合ですが、どうやら軍へ投降したようです」
すると、それを聞いたオネスト殿下が舌打ちをした。
「そうか、もう少し役に立つと思っていたのだがな」
吐き捨てるようにそう言うと、オネスト殿下は宝刀を構える。
「まあいい。だらしない同胞達に代わって吾輩に歯向かう愚か者共には吾輩自らが引導を渡してやろう」
「何を…する気ですか…」
「ほう、まだ意識があったか、アレックス」
「私には軍の最高責任者として私の作戦の下で戦う兵達を守る義務がある。こんなところで倒れるわけにはいかないんですよ…」
そう言いながら立ち上がるも、その足元は覚束ない。
「見上げた根性だ。だが、そんな状態で何ができる?」
そう言ってアレックスさんに向かって宝刀を振るおうとしたオネスト殿下だったが、急に何かを思い立つと厭らしい笑みを浮かべた。
「いや、そうだな…。お前には散々煮え湯を飲まされてきたからな。今から吾輩が何をするつもりなのか、説明してやろうではないか」
意趣返しのつもりでそういうことをすると、大抵の場合碌な結果にならない。長ったらしく話をしている間に反撃の態勢を整えられて逆転されてしまうのがオチである。
「吾輩は、今から吾輩に歯向かう愚か者共に引導を渡してやるつもりだ!」
短かった!
しかも、さっき言っていたことそのままで特に説明にもなっていない。
それなのに、どうしてこのおっさんはやり切ったとでも言いたげな満足気な表情を浮かべているのだろうか?
「どうだ、絶望しただろう?」
「え?」
そりゃ、アレックスさんもそんな顔になるわ。
一言で表現するならば困惑である。
「そうだ、その顔だ。その顔が見たかったんだ。お前の絶望に歪んだその顔がなぁ! フハハハハ!」
「え?」
このおっさんにはいったい何が見えているんだろうか?
アレックスさんの表情には困惑を通り越して恐怖すら垣間見えてきた。まあ、それでもやっぱり絶望顔とは違う。
オネスト殿下が愉悦に浸りながら笑っていると、国王、オーギュストさん、ウォルフさん、束子ちゃん、そしてバルザックが目を覚ます。
「オネスト…。お前の性根はそこまで腐っておるのか…」
「フッ。高貴なる吾輩を見下す輩には相応の罰というものを与えてやらなければならない。吾輩に歯向かう愚か者共にもな!」
そう叫びながらオネスト殿下が宝刀を振るう。すると、白いリボンにバルザックが絡めとられた。
何故この中で一番脅威にならなさそうな奴から狙うのだろうか?
俺には全く理解できない。
そんなバルザックが慌てた様子で口を開く。
「待て、待つんだ、ジョーカー。俺よりも先に、まずはお前を散々扱下ろした挙句、都合が悪くなったら気配を消して柱の陰に隠れてこの場をやり過ごそうとしている卑怯者から始末するべきじゃないのか?」
秒で俺を売りやがった、この野郎。
「…そういえば、そんな輩も居たな」
そんなことを呟きながら何かを思い出したオネスト殿下が俺が隠れている柱を横目で見ながら殺気を放つ。
俺が隠れてる場所、バレてやがる。
そして次の瞬間、オネスト殿下が宝刀を振るうとバルザックが宙を舞い、俺が隠れている柱へと向かってきた。
「ぎゃああぁぁあぁぁ!」
悲鳴と共にバルザックが俺が隠れていた柱に激突し、それを粉砕。ちなみに、俺はコートの裾のおかげで緊急回避して事なきを得た。
「逃げ足の速い奴め」
オネスト殿下が不満そうに舌打ちをしていると、こんな茶番などなかったかのようにオーギュストさんが口を開く。
「確かに、お主の力は脅威じゃ。じゃが、お主が儂等を完全に無力化できなかったというのもまた事実。お主の仲間であった貴族連合が壊滅した今、その程度の力で、本気でこの状況を覆せると思っておるのか?」
それに対してオネスト殿下は余裕の表情を浮かべてみせる。
「お前達は何も理解していないようだな。言ったはずだ。吾輩こそが切り札なのだと。この伝家の宝刀の力、舐めてもらっては困る」
「その発言から察するに、切り札なのはお前じゃなくてその宝刀の方なのでは?」
あっ…。
ついポロッと本音を漏らしてしまった後、ふと先ほどのやり取りを思い出すが既に後の祭り。
そっと周囲の様子を窺ってみると、そこには『お主は、また…』とでも言いた気に呆れ顔でこちらを見ているオーギュストさんと、凄い形相で俺を睨みつけているオネスト殿下。
「どうやら、お前には吾輩の偉大さを理解らせてやる必要があるようだな」
「遠慮しておきます」
理解さんにだって拒否権はある。
しかし、どうやら聞き入れてくれる気はないようだ。オネスト殿下は自己陶酔しながら勝手に話し始める。
「いいだろう、ならば教えてやろう。この偉大なる吾輩の偉大さを!」
「相変わらずの語彙力!」
偉大というか、言動がいちいち痛い。
「しかし、吾輩が自らの偉大さを喧伝するというのも気恥ずかしいものがある」
いまさらだよ。
「そこで…」
そう言うと、オネスト殿下はトランプへと視線を向けた。
「トランプよ、偉大なる吾輩の偉大さを此の者に教えてやるがいい!」
オネスト殿下が声を掛けた先に居るのは気持ちいいところを撫でられて緩みきった表情をしている白猫と、そんな愛らしいニャンコを思う存分モフって緩みきった表情をしているトランプ。
「え?」
突然の振りに思わず声を漏らしたトランプだが、ミーアを撫でる手は止まらない。
しかし、自らが視線を集めていることに気付くと、表情を引き締め咳払いを一つして徐に立ち上がる。
「それでは、不肖この私めがご説明いたしましょう」
まずミーアを返せ。
何事もなかったかのように話し始めたが、この男はその腕の中にミーアを抱きかかえていまだにモフっている。
ミーアもいつまでゴロゴロと喉を鳴らしてんのさ。
俺が嫉妬に駆られる中、トランプが驚愕の真実を口にする。
「ああ見えて、実はジョーカーは医大を卒業しています」
「いや、だから何!?」
「どうだ、医大卒な吾輩の偉大さを思い知ったか!」
「何なのこいつら!?」
ドヤ顔やめろ。
「冗談はさておき。本人はともかく、今ジョーカーが手にしている武器が絶大なる力を秘めているのは事実でございます」
「………ん? ”本人はともかく”?」
トランプの発言に引っ掛かりを覚えるオネスト殿下。しかし、そんなオネスト殿下のことは無視してトランプは続ける。
「しかし、その力は誰もが扱えるわけではありません。あれは使い手を選ぶのです」
「フッ。そうだ、その通り。吾輩は選ばれし者なのだ」
単純な奴。
そして、いちいちドヤ顔やめろ。
「そもそも、今は剣の形態を取っておりますが、あれの本質は剣などではありません」
そもそも、俺にはあれがどうしても剣には見えない。
「あれの本来の名は『プロテウス』。古代科学文明が『想像と創造』の力を研究・解析し疑似的に再現した、使用者の意志に従って変幻自在に姿を変える兵器なのです」
要するに、あのふざけた形態はオネスト殿下の意志ということらしい。
「王国創建時、初代国王はこの力を以て敵対した諸侯の街を次々と焼け野原へと変えていったと伝わっています」
「そうだ。つまり、こいつを持った吾輩さえいれば、貴様等も、そして吾輩に歯向かう愚か者共も、すべからく敵ではないということだ」
あ、こいつ、絶対に『すべからく』を間違えて使ってる。
『すべからく』とは『全て』を何かカッコよさげに表現した言葉ではない。漢字で書くと『須く』となるのだが、本来は『当然~すべき』といった意味合いになる。
カッコつけたつもりで慣れない言葉を使うと思わぬ恥をかくことがあるので気を付けよう。
でも、俺は学んだ。ここでツッコむとまた睨まれる。だから黙っていようと思う。
「……おい、貴様。何故そんな憐れむような瞳で吾輩を見ている?」
おや? さっきも同じことを言われたような記憶が…?
すると、オーギュストさんが『お主は、また…』とでも言いたげな呆れ顔で俺を見つめた。
「ヒイロ。お主、顔ツッコミはやめぬか」
顔ツッコミって何!?
咄嗟にそんな声を上げようとするとオーギュストさんに先手を取られる。
「その”顔ツッコミって何!?”とでも言いたげな顔こそが顔ツッコミじゃよ」
「俺、そんなわかりやすい顔してた!?」
「黙っておっても全身からツッコミがあふれ出ておるのじゃよ、お主は」
すると、何やら納得したようにアレックスさん達がしゃべりだす。
「まあ、ヒイロさんですからね」
「ヒイロ君は存在そのものがツッコミみたいなものだからね」
「国王である儂の持ちネタを遠慮なく潰しにかかるような男だからな」
何やら恨み節が聞こえるが、この人、自分でネタって言っちゃったよ。
そして、それらに続いてトランプも何やら納得気味に呟く。
「ヒイロ様の心の声は駄々洩れですからな」
だって、地の文は全公開されちゃうんだもん。
それはともかく、怒り心頭のオネスト殿下がわなわなと体を震わせながら殺気を放つ。
「おのれ…、こんな屈辱を受けたのは初めてだ。貴様は必ず殺す。吾輩が思いつく限りでもっとも残…」
「あ、残念発言はもういいです」
つい口を突いて出た俺の正直な感想は、オネスト殿下の怒りの炎に油を注ぐこととなる。
「どうやら貴様は吾輩を怒らせてしまったようだ。もう許さん。確実に息の根を止めてくれる」
そう言いながらオネスト殿下がプロテウスを天高く掲げる。
「見るがいい、我が王家に伝わる伝家の宝刀の最終形態を!」
さっきの話を聞いた限りでは、これにはそもそも特定の形態とかそういう概念自体が存在しない。
そんなことを考えていると、瓦礫の中から這い出してきたバルザックが驚愕の声を上げる。
「クッ…、何てことだ…。第二形態ですら手に負えなかったっていうのに、まだ変形を残しているというのか!?」
「フッ、ラスボスというものは、二度は変形するものと相場が決まっているのだ!」
偏見である。
俺達の目の前でオネスト殿下が天高く掲げたプロテウスをクルクルと回し始める。すると、白いリボンがオネスト殿下の周りを取り巻き、さらには周囲の空気、そして、そこらの瓦礫などが引き込まれるようにして渦巻き始めた。
「いったい…何が…」
目の前の光景に愕然としながらアレックスさんが呟くと、それに応えるようにトランプが口を開く。
「ここからがプロテウスの本領発揮ということです」
「何ですって?」
「初代国王はプロテウスを使って国を興した後、その絶大なる力を何者かに悪用されることを恐れました。そこで、プロテウスに制限をかけることにしたのです」
「制限…?」
「そう、あなた方が手も足も出なかった先ほどまでの力ですら、その制限下におけるものでしかない。その制限が解除されれば、この王都を焼け野原に変えることも不可能ではない。そして、その制限を解除できるのは初代国王の血を引く者のみ」
「その通り。王家の高貴なる血を引く吾輩だからこそ、こいつの能力を十全に発揮することができるのだ」
オネスト殿下が渦の中心でドヤ顔を浮かべながら高笑いをし始めると、それを見たトランプは少し呆れ気味に溜息を吐く。
「初代国王も、自らの子孫の中から愚か者が生まれようなどとは思いもしなかったようですな」
「そうだ。高貴な者からは高貴な者しか生まれぬからな!」
この愚か者、どうやらトランプの発言を正しく理解できなかったらしい。
「…おい貴様、今、何か無礼なことを考えていないか?」
おっといけない、また顔に出ていたらしい。
「そんな態度を取れるのも今の内だ。この切り札を切った今、何人も吾輩を止められはしない。これから貴様等を始末し、勝ったと思い上がっている地上の愚か者共を蹂躙してくれるわ!」
その場に戦慄が走る中、トランプが不敵な笑みを浮かべた。
「いいえ。あなたの役目はここで終わりです」
「何?」
唐突なトランプの発言にオネスト殿下は驚きを隠せない。そんな中、トランプは抱えていたミーアを地面へと下ろして懐からカードの束を取り出した。
そして、まるで演説でもするかのように全体に語りかける。
「そういえば、皆さまはご存じでしょうか? 日本語では一般的にトランプとして認識されているこのカードですが、英語では単純にCardsやPlaingCardsなどと呼ばれているのだそうです」
「いきなり、何の話ですか?」
その意図を図りかねて問い掛けると、トランプは続ける。
「実はtrumpとは呼ばれてはいないのです。これに限った話ではありませんが、伝わってきた際に関連する単語などと混同され、間違った名前で伝わって定着してしまうというのはままあることのようですね」
そんなことを言いながらトランプはカードをシャッフルし始める。
「では、trumpという単語が本来どういう意味を持っているのかはご存じでしょうか?」
そして、シャッフルを止めると一番上のカードをめくる。
そこへ、苛立った様子でオネスト殿下が声を上げた。
「何をわけのわからぬことを言っている、トランプ」
「trumpの本来の意味は『切り札』…」
トランプがめくったカードを反転させると、そこに描かれていたのは宮廷道化師の図柄。
「幻影道化師の本当の『切り札』はこの私。ジョーカー、あなたは、ただ私の手の上で踊っていたピエロに過ぎないのですよ」
トランプの明確な裏切りに対してオネスト殿下が怒りを露わにする。
「トランプ、貴様ぁぁ!」
その時、トランプが手にしていたカードをオネスト殿下めがけて投げつけた。それがオネスト殿下の右肩に突き刺さると、その血を浴びたカードの図柄がオネスト殿下へと変化する。
「切り札というのは最後まで取っておくべきものではございません。もっとも有効なタイミングで使うものです」
そう告げながらトランプが腕を振りかざすと渦の中心からオネスト殿下がはじき出され、代わりにオネスト殿下の図柄に変化した一枚のカードがその場に残る。
そして、トランプはオネスト殿下を見下すようにしながら口元を歪める。
「プロテウスの枷が外された今、あなたにはもう用はない」
ウォルフさん。この緊迫した雰囲気の中で洋ナシを掲げるのはやめてください。
「プロテウスはこの私が貰い受けます」