092 オオカミシヨウネン
帝都ロマネスコの地にて対峙するはブロッコ・リーと覆面の男。
※絵面を優先して大根には再び覆面を被ってもらいました。
お互いに一定の距離を保ちながら相手の出方を窺う。そんな息の詰まりそうな空気の中、その様子を見守っていたカイが何かを察した。
「この勝負、先に動いた方が負ける」
「どういう事ッスか?」
スリップが尋ねると、カイは真剣な表情でそれに答える。
「見ての通り、何だかそういう雰囲気だからだ」
「なるほど、そういう雰囲気なんスね」
「そういうことだ。そして、だからこそ、状況はこちらが圧倒的に不利だ」
「どうしてッスか?」
「ここは敵の本拠地だ。時間を掛ければそれだけ敵の増援が駆け付けてくる可能性も高まる。そう、つまり、先に動いた方が負けそうな雰囲気にもかかわらず、こちらは先に動かざるを得ない状況なんだ」
「そんな…」
そんな雰囲気だけで会話する二人を、エリサはただ一人蚊帳の外で眺めることしかできなかった。
それはさておき、リーと覆面の男による緊張感あふれる無言の攻防は続く。そんな緊張状態を打ち破ったのは覆面の男の方だった。
「一ついいことを教えてやろう。さっき、仲間が俺のことを法螺吹き大根だと紹介したが、あれは嘘だ」
「何だと!?」
リーが驚く中、カイが感心したように呟く。
「上手い。相手の興味を引く巧みな話術で、何だか先に動いた方が負けそうな雰囲気を見事に打ち砕いた」
「そうなんスか? あの大根、さすがは隊長の代役に抜擢されただけのことはあるッスね」
エリサは、『嘘じゃないのに…』という思いを抱えながらも、その状況をただ見守ることしかできない。
「そう、俺は法螺吹き大根なんかじゃない…」
そんなことを言いながら覆面の男は自らの覆面と上着に手を掛ける。そして、それらを脱ぎ去ると、そこには幼いながらも誰かの面影が感じられる一人の少年の姿があった。
「僕はウォルフ少年なんだ!」
「あらカワイイ」
表情が失われつつあるエリサがついポロッと漏らしてしまったのは本音だろうか。今、彼女からは表情と共に冷静な判断力が失われつつあった。
「貴様、やはりウォルフだったのか!」
ウォルフ少年を目の当たりにして驚愕するリーだったが、直ぐに状況を解析すると即座に理解した。
「なるほど、そういうことか。そのままではロマネスコの守護者たるこの私には勝てないと判断したお前は、大根のアンチエイジング効果で若かりし頃の肉体を取り戻そうと考えたわけだ」
「大根のアンチエイジング効果って凄ぇんだな!」
感心するカイと、完全に無の表情に成り果ててそれを見つめるエリサ。
そんな中、考察を終えたリーが勝利を確信したような笑みを浮かべた。
「だが、どうやら若返りすぎたようだな! そんな子供の体では、ロマネスコの守護者たるこの私とまともに戦う事すらできまい!」
それに対してウォルフ少年が口元に微かな笑みを浮かべた。その瞬間、周囲に不穏な気配が漂い始める。
「そんなことないよ?」
「何?」
「それより、僕の方ばかり気にしていていいの?」
ウォルフ少年がゆっくりとした動作でリーの背後を指さす。
「ほら、後ろから狼が来ているよ」
その発言に一瞬呆気にとられるリーだったが、直ぐに馬鹿にしたように笑い声を上げる。
「フッ、フハハハハ。そんな嘘が通じるとでも思っているのか?」
しかし、ウォルフ少年は意に介さず、口元に不穏な笑みを浮かべたまま静かに呟く。
「嘘じゃないよ、ほら、もう一匹」
「こんな街中に急に狼など現れるわけがないだろう」
「嘘じゃないって言ってるのに…。ほら、もう、すぐそこまで来ているよ」
「嘘を吐くならもっとましな嘘を吐くんだな」
そうしてリーが拳を構えてウォルフ少年へと殴りかかろうとしたとき、異変が起きた。
自らの足が動かないことに気付いたリーが足元に視線を向けると、石畳の地面の隙間から噴き出した黒い靄が自らの足を覆っている事に気付く。
「え…?」
リーが動揺していると、ウォルフ少年がニタリと薄気味の悪い笑みを浮かべた。
「法螺、だから言ったでしょ、そこに狼が居るって」
その時になって初めて、リーは足に走る激痛と共に自らの足にグロテスクな犬のような生き物が噛みついていることを認識した。
「あぁあぁぁぁぁ!」
混乱しながらもグロテスクな犬を振り払おうとするリーをさらなる悲劇が襲う。
周囲に響き渡るクスクスという不気味な笑い声。その笑い声の元凶が不気味な笑みをたたえたままさらに別のところを指さす。
「そんなことしても無駄なのに…。法螺、もう一匹来たよ…」
その発言と共に、石畳の隙間から黒い靄が噴き出す。
「法螺、あっちからも…。そっちからも…」
クスクスと笑いながら指をさす度に、石畳の隙間から黒い靄と共にグロテスクな犬が現れる。
周囲に漂う悪臭と見ているだけで発狂しそうな姿をしたグロテスクな犬達に囲まれ、リーの精神は次第に蝕まれていく。
「あぁあぁぁぁぁ!」
その叫び声の主がいったい誰なのか、既にそれすらもわからなくなりながらただがむしゃらに手足を振り回す。
「法螺、人の忠告を聞かないから」
不気味な笑みを浮かべるウォルフ少年のその発言は、リーには届かなかった。
全方位から襲い掛かる爪と牙によって切り裂かれながら、リーからは次第に正気が失われていく。
そんな中、カイが困惑気味に呟いた。
「あいつ…、何と戦っているんだ…?」
カイの目の前には、地面に置かれた法螺貝から噴き出す黒い靄の中で狂気に染まった叫びを上げながら手足を振り回すリーの姿。
ウォルフ少年は、そんなリーをどこか悲し気な瞳で見つめる。
「彼の心の弱さには最初から気付いていたんだ…」
「え?」
唐突な発言にカイが困惑していると、ウォルフ少年は静かに語り始める。
「彼は、本当は気付いていたんだよ…、ロマネスコが花椰菜に分類されているという事実に…。だけど、彼はそれを認められなかった…。それを認めてしまったら、彼は帝都の守護者というアイデンティティを失ってしまうから…」
「そうか、だからあいつは『ブロッコ・リーこそが帝都の守護者である』と声高に主張し続けていたのか…」
「そう、自らの不安を覆い隠すためにね…。でも、それでも不安を拭いきれなかった彼は安易に外に敵を求めた…」
「なるほどな。その相手がウォルフだったってことか…」
「逃げに走ることなく自らを信じ続けることができれば、彼は正真正銘の帝都の守護者になれていたかもしれない…。でも、彼にはそれができなかった。最後まで自らを信じきれず、自分自身に嘘を吐き続けた憐れな羊は、こうして法螺気楼に捉われて狼達の餌食になるという最期を迎えることになってしまったというわけさ…」
「憐れなものだな…」
そんなカイとウォルフ少年の会話を聞きながら、エリサは別のことを考えていた。
どこかで、ヒイロ君の派遣サービスとかやってないかしら。
彼女の精神は割と限界を迎えていた。
***
俺の目の前で繰り広げられるゴーレムと束子ちゃんによる凄まじいバトル。
その様子を見ながらアレックスさんが俺の方へと近付いてきたかと思えば感心したように呟く。
「さすがはタワシマスターたるヒイロさんの使い魔ですね。あのゴーレムの弱点を的確に見抜いて攻撃している」
「タワシマスター違うが?」
そして、使い魔とも違うが?
俺の発言など完全にスルーされる中、これまた俺の方へと近付いてきたウォルフさんがそれに反応を示す。
「弱点…? どういうことだい?」
「ウォルフ、君も聞いたことくらいあるだろう? 額に”emeth”と刻まれている典型的なタイプのゴーレムの倒し方を」
すると、ウォルフさんはゴーレムの額に視線を向けた。
「ああ、なるほど、そういうことか。あのタイプのゴーレムは、真理を意味する”emeth”を刻むことによって命が吹き込まれる。しかし、その最初の”e”を削って”meth”にしてやると、意味が死へと変化してゴーレムは自壊するということだね」
言われてみれば、確かに束子ちゃんは柄付きタワシを使った連続突きで執拗にゴーレムの額に刻まれた”emeth”という文字を狙っている。
それはいいんだが、どうしてこの人達は急に俺の周りに集まってきて解説役に回ったのだろうか? 皆で協力してあれを倒そうという発想は無いの?
ちなみに、発想はあっても実力がないので俺には期待しないでほしい。
………自分で言ってて悲しくなってきた(泣)。
傷心の俺は心配そうに寄ってきたミーアに癒しを求める。
そんなわけでミーアを抱えてモフモフしていると、とうとう束子ちゃんの柄付きタワシがゴーレムの額の最初の一文字を削り取る。
「勝負がついたようですね」
「そのようだね」
ゴーレムが動きを止め、持っていた斧をその場に落とす。すると、何かを悟ったかのように徐に天井を仰いだ。
「そうか…、これが”meth”か…。自動修復機能がついているからと慢心し、自らの弱点を額にさらけ出すという舐めプをしていたのが間違いだったようだ…」
そらそうだろ。
「二度と同じ過ちを繰り返さないように、これからは慢心することなく常に己の最善を尽くすこと固く誓い、自らの戒めとしよう」
「おい! 何か自戒し始めたんだけど!?」
「そう、次回こそは必ず…この失敗を…活かし…て…」
「残念じゃが、次はもうないようじゃのぅ」
崩壊していくゴーレムを見ながらオーギュストさんがそんなことを呟くと、ヨサークさんがシレッと衝撃発言で続く。
「何を言っているでし? 額の”emeth”の文字はただの飾りでし」
「え?」
ゴーレムの崩壊が途中で止まると、崩れた破片が元に戻り始めた。
「このゴーレムの本当の核はもっとわかりにくい別のところにあるでし」
「お前、実は敵なのか?」
俺の率直な感想がスルーされる中でゴーレムが完全に元の姿を取り戻すと、さらなる異変が起きる。そこらに散らばっていた他の石像の破片がゴーレムの元へと集まっていくと、それがゴーレムを覆い尽くし、強固な外殻を形成した。
「さらに、このゴーレムには、己の”meth”を実感するという茶番を経ることで、己を強化していくという自動学習機能が付いているでし」
茶番って言っちゃったよ。
全身が外殻によって完全に覆われたものの、何故か”emeth”の文字はさらけ出したままだ。だが、あれは弱点などではなく敵の強化スイッチだと判明した今、束子ちゃんに打てる手は残されていなかった。
それでも、束子ちゃんは果敢にゴーレムへと立ち向かう。
しかし、現実は残酷だった。柄付きタワシだけでは到底覆せない力の差によって束子ちゃんが次第に追い詰められていく。
そして、とうとう壁際にまで追い詰められ束子ちゃんに向かってゴーレムの渾身の一撃が放たれる。
束子ちゃんが死を覚悟した次の瞬間、突然ゴーレムが動きを止めた。
「そこまでにしてもらおうか」
部屋の中に響き渡る声と共にウォルフさんがゴーレムへと歩み寄る。その姿に危機感を覚えたゴーレムが攻撃を試みようとするが、全身を紐状のもので絡めとられて身動きが取れない。
「これ以上勝手な真似をするのは自分が許さないよ」
ウォルフさんは動けないゴーレムへと近付くとグローブを嵌めた右手を振るう。すると、ゴーレムを覆っていた外殻の一部が剥ぎ取られた。
同じように右手を振る度にゴーレムの外殻が次々と剥ぎ取られていく。そんな中、為す術もなく外殻をはがされていくことに恐怖を覚えたゴーレムは捨て身の作戦に打って出る。
自ら全ての外殻をパージすると、それによって緩んだ拘束から抜け出してウォルフさんへと迫る。一瞬虚を突かれたウォルフさんが後ろへ下がりながら右手を振るおうとするが、捨て身の特攻をかけるゴーレムがグローブと繋がる紐の根本部分をまとめて握ることでそれを阻止する。さらに、ウォルフさんの攻撃を止めたゴーレムはもう一方の腕でウォルフさんへと殴りかかった。
しかし、そんな状況でもウォルフさんは余裕の笑みを浮かべていた。
咄嗟にグローブを外すと殴りかかってきていたゴーレムの腕を躱す。そして、少しだけ距離を取ると腰のバッグから二本の大根を取り出して両手に構えた。
「桂剥き!」
その発言と共に右手を突き出すと白い帯状になった大根がゴーレムへと延びる。ゴーレムは咄嗟にそれを躱すが、ウォルフさんはすかさず右手を引き戻すと同時に左手を突き出す。
〇ヴァにこんな感じの攻撃する使徒いなかったっけ…。
そんなことを考える俺の目の前で何度も繰り広げられる攻防戦。その時、動き回るゴーレムに巻き込まれる形でジョーカーへ白い帯が迫った。それに気付いたジョーカーはギリギリのところで身を捻って回避する。しかし、白い帯が頭部を掠め、道化の仮面と共に鬘を剥ぎ取られた。
それを見た瞬間、国王に電流が走る。
「鬘剥き…? なるほど、使える!」
「この非常時に新ネタ仕入れてんじゃねぇよ」
桂剥きの語源についてここでは言及しないが、少なくとも鬘を剥ぎ取ったことでないことだけは言っておく。
さて、そんな国王はおいておくとして、ウォルフさんによる攻撃は激しさを増していた。その時、避けてばかりいてもジリ貧状態に陥るだけだと悟ったゴーレムが反撃を試みる。
半ばやけくそ気味にウォルフさんへと特攻を試みるゴーレム。しかし、それはあまりにも愚かな行為だった。
真正面からツッコんでくるゴーレムに向かってウォルフさんは両手を突き出す。すると、白い帯状に伸びた大根はゴーレムの両腕を肩ごと切り落とした。
しかし、両腕を切り落とされてもゴーレムは怯まなかった。そのままウォルフさんへ向かっていく。
「なるほど、その意気や良し。ならばこちらも全力でそれに答えないといけないね」
そう言うとウォルフさんは両手の大根を腰のバッグへと仕舞う。そして、代わりに薄黄緑色の円錐状の複雑な造形をした物体を取り出した。
すると、国王がまるで少年のように瞳を輝かせる。
「そういえば、お前達はカリフラワーの名前の由来を知っておるか?」
ちょっと黙ってろ、オオカミ老年。
普段の行いの所為であろうか、この国王は既に周りからの信頼を失っている。誰一人としてその言葉に耳を傾けようする者はいなかった。
もちろん、ウォルフさんも同様である。国王には目もくれず、取り出した物体をゴーレムに向かって構える。すると、ウォルフさんが手にしていた物体がギュイーンと大きな音を立てながら複雑な回転運動を始めた。
「かつて誰かが言った…。『ドリルはロマンだ』、と…」
なんだそのイカれたドリル。
だが、ロマネスコ片手にそんなことを語るウォルフさんは少年のような瞳をしていた。
さて、そんな中で国王が何かを語り始める。
「カ……ラワ……とは、………未熟…花………ことから……仮フ………と呼ば……」
しかし、轟音の所為でその声はところどころ聞き取ることができない。それでも一応言っておくと、カリフラワーの名前の由来にこれといった意外性はない。『キャベツの花』を意味する『kale flower』辺りに由来しているらしい。
それはさておき、両腕を切り落とされたゴーレムが気迫を漲らせながらウォルフさんへと迫る。それをウォルフさんは真正面から迎い撃つ。
「ドラゴンスパイラル!」
ウォルフさんのその叫びと共に無慈悲な暴力がゴーレムを打ち砕く。そうして粉々に粉砕されたゴーレムが修復されることは二度となかった。
一部始終を目撃していた俺はミーアと共に遠い目をしたまま考える。
もう、この人だけいればいいんじゃないかな…。




